番外編 最高の彼女と最高の彼
学院時代のライカのお話です。
誰かさんたちと違って、実はライカは結構友人を作っていたのです。
ライカの学院での一日は実はかなり忙しい。
日が昇る前に竜舎に赴き、群れのリーダーに挨拶をして靑を起こし、次に竜手頭に挨拶をする。
竜は気位が高いので、この順番を間違えると大変なことになる。
新人の竜手が最初にやらかすのがこの失敗だ。
とは言え、ライカはそもそも竜の慣習のほうに詳しいので、そういったトラブルに見舞われたことはなかった。
むしろ竜手頭が色々教わっているような部分もある。
ライカを育てた竜王達は群れない種族なので順列に関して無頓着だ。
そのため、ライカは基本的に誰にでも同じように接する。
おかげで竜とはトラブルにならないのだが、人間関係ではトラブルまみれの生活をしていた。
なにしろライカが学んでいる学校は貴族のためのものなのだ。
人間も群れを作る生き物なので、順列にうるさい。
そういった群れのルールを、実はライカはこの竜舎の竜達から学んでもいた。
『上のものが立場をしっかりと示さないと群れが混乱するからな。群れが混乱すると狩りがうまく行かなくなる。ニンゲンはあまり頭が良くないから、学校で学ぶ必要があのだろう』
『すごく勉強になるよ』
『そうだろうとも!』
『リーダーエライ!』
『にーちゃんアソボ?』
最後の発言は靑である。
靑はどうも群れの順列がよくわからないところがあり、身体的な問題と同時に群れにうまく馴染めない原因でもあった。
早駆け竜のリーダーに言わせると、母親の歌を聴いていない上に群れのなかで育ってないからという見解だった。
『歌は大事だよね。うちの兄も母親から受け継げなかった歌があって、情緒不安定なところがあるんだ』
『ニンゲンには竜の歌のことをよくわかってないのがいて、たまに仔竜の扱いを間違えるんだ。まぁニンゲンは賢くないから仕方ないが』
人間は馬鹿であるというのがこの群れのリーダーの持論だった。
ライカは人間の知恵と竜の知恵は違うからだ、と思っているが、竜からしてみれば賢くないと思ってしまうのは仕方ないと納得している。
「全く、本当に竜としゃべってるようだな」
竜手の一人が竜の群れと挨拶を交わすライカに呆れたように言った。
「竜の言葉は人間には難しいですね」
尻尾や羽がない人間には表現不可能な言葉がある。だからこれはライカの本音だ。
「違いねぇ!」
それをライカの冗談と思ったのか、竜手の男は豪快に笑った。
挨拶の後に、靑にじゃれつかれながら、靑の房の掃除や水やり、餌やりを終え、しばし遊んでやった後に群れのリーダーに後をお願いして授業の準備にいったん寮に帰るのがライカの日課だ。
ところが、たまにこの日課に邪魔が入る。
「サクル卿、少しよろしいか?」
「あ、おはようございます。ええっと……」
「……タスタリアだ」
相手は憮然とした顔で告げた。
ライカは既に人間の世界も六年になるので、だいぶ人間の顔の見分けもつくようになっていたのだが、学院には同じぐらいの年齢の青年ばかりがいて、数回会った程度ではなかなか覚えることが出来ずにいた。
実のところ、これは貴族社会では大変失礼なことになる。
ただ、ライカはおかしな行動ばかりしているので、逆にその程度の非礼を気にしていたら話も出来ないという一種の諦念のようなものが、相手をする貴族達に広がりつつあった。
「タスタリアさんは確か、綺麗な朱混じりでジャンプのうまい早駆け竜の竜騎士でしたね」
「竜のことはよく覚えているんだな」
「はい! とても美人でモテそうな女性で、竜たちの噂になっていました」
「本気か冗談がさっぱりわからないのが卿の困ったところだな」
ライカよりもやや年上に見えるタスタリア卿は、何か呆れたような溜め息を吐くと、気を取り直してライカに向き直った。
「実は竜舎の者たちから、卿が竜の扱いに秀でていると聞いて、助言をもらいに来たのだ」
このタスタリア姓の青年は、竜騎士見習いだ。
気性が荒く、身体の大きな雌の早駆け竜を相棒としていて、代々続く竜騎士の家系の次男坊であった。
竜は女性のほうが争い事に向いているので、竜騎士は雌竜を相棒に選ぶことが多いのだ。
「あの方に何かありましたか?」
タスタリアの相棒の竜はまだ若いながらも、身体能力が高く。
彼と彼女の組み合わせは将来を嘱望されていた。
ライカは、タスタリアの相棒である女性竜を思い出す。
美竜というよりもりりしい女性といった雰囲気だった。
『竜』らしく女性に甘いライカは、心配そうに尋ねた。
「どうも最近餌の食いが悪いのだ。身体に問題はない。うちの専属の竜手もここの竜手頭も、竜医師も原因がわからないと言う。それで、竜と話せるという評判の卿に助言を貰えないかと思ってな」
ライカは評判の変人である。
そんなライカに助けを求めるということは、この青年がかなり追い詰められているということだ。
とは言え、ライカにとってはそういった人間心理はいまいちわからないので、ストレートに竜の心配をした。
「彼女の群れのリーダーはどうしているんです?」
「今は群れに所属していない。配属前だから見習い竜のグループで同じ竜舎を使っているだけだ」
「それは不安でしょうね」
ライカは眉をしかめる。
本来群れを作る竜にとって、頼れる群れがないというのは不安なはずだ。
早駆け竜はそれなりに賢い種族なので、人間とのペアを最低限の群れとして受け入れはするが、話の通じない相棒はあまり頼りにならない部分もある。
「ちょっと会ってみましょうか?」
「頼む」
ライカに頭を下げるこの青年も、その竜の女性とは別の意味で不安に苛まれているようだった。
早駆け竜の雌竜は雄竜よりも一回り以上体格がいい。
そのため、竜舎の房も雌竜用のものが専用にあり、全体的に大きめの房となっていた。
問題の竜は、その竜舎のなかほどの房で、どこか憂鬱気に唯一見える外である空を眺めている。
『こんにちは、疾き足の火のごとき赤き姫君』
ライカは丁寧に挨拶をした。
竜の女性にはよくよく気を使う必要があることはさんざん学習しているライカである。
ちなみに以前会ったときに自己紹介は終わっている。
かの竜は、ちらりとライカを見ると、『クゥ』と一言切なげに鳴いて再び天井を見た。
『あの……』
『なぜにわたくしは空を飛べないのでしょうか?』
『えっ!』
『同じ竜でも翼竜は自由に空を飛べるのでしょう?』
『え、ええ、そうですね』
『せつないですわ』
『それはお辛いでしょう』
『我が君は、よく竜騎士の英雄のお話をされるのですけれど、彼の方の魂の相手は翼竜であったとか。憧れに瞳を輝かせる我が君を見るたびに、辛い乙女の気持ちがおわかりになりますか?』
『なるほど、確かにそれは問題ですね。これほどにお美しく強いパートナーがいらっしゃるのに、そのような言葉は少々、無神経だと思います』
『わたくしもわかっておりますの。あの方はまだまだ子ども。人間の子どもは無邪気に夢を語るものであるということは』
『聡明であらせられます』
『翼無きこの身が呪わしいですわ』
同じ繰り言を始めそうな竜の女性にライカは丁寧に辞去の挨拶をして、その場を離れた。
「タスタリアさん」
「どうでした?」
心配そうな青年に、ライカは困ったように首を傾げた。
「いいですか。竜の女性はとても気位が高いものです。そして人間の言葉はある程度理解しています。ただし、言葉にしない部分は理解出来ません」
「え?」
タスタリア青年は、ライカの言い出したことが、それこそ理解出来ないようにパチクリと目をまたたかせた。
「彼女の前で他の竜を褒めてはいけません。たとえそれが物語や、憧れの竜であってもです。竜騎士の英雄の話もしないように」
「えっ! まさか、リャカは英雄殿の竜にやきもちを焼いていたとか?」
信じられないという風に、タスタリア青年は呟いた。
何しろ、その英雄は目の前のライカの義理の父親である。
なんというか居心地の悪い思いになったとしても仕方ないだろう。
しかし、ライカはそんなタスタリア青年の気持ちなど理解出来ないので、続けて言った。
「タスタリアさん。竜の名前を他人に軽々しく教えるのは感心しません。少し彼女の気持ちを考えてあげてはどうでしょう?」
「あ、ええっと、本当に、彼女がそう、言ったというのですか?」
「あなたが彼女をとても大切に思っていることは、わざわざそう親しくない俺に相談に来たことでもわかります。そういうことを言葉にして言ってあげてください。今の彼女の群れはあなただけなのですよ? あなたが彼女を大切にしないで誰がするんです?」
ライカにしてはやや厳しめな言葉に、タスタリア青年は少し逡巡したように返事に迷ったが、一呼吸置いて、丁寧に手を胸に当ててみせる。
「わかりました。助言を容れて対処してみます。この度はありがとうございました」
「いえ」
ライカはにこりと笑う。
「タスタリアさんは本当に彼女を大切にしているんですね。俺はここで、貴族の方はよほどのことがない限り他人に礼を取らないと学びました。それなのに年下の俺の助言を容れて、そうやって礼を尽くされるんですから。それならすぐに問題は解決しますよ。そもそもが、お互いを大切にしすぎたせいでこじれたようなものですし」
「……君は、噂通りの人なんですね。いや、噂とは少し違うか」
タスタリア青年は少し笑った。
「我が名はムーエック・ディナス・タスタリアと言います。卿にはムーエックと呼んでいただきたい。私もライカ殿とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。ありがとうございます。光栄です。よろしくムーエック」
敬称なぞ頭からつけることもしないライカに、ムーエックは苦笑したが、それはそれでライカらしいのだと納得して、彼は怒りを感じることはなかった。
この日、ライカにまた一人、学院内の友人が出来たのだった。




