番外編:花の盛りの物語
竜の里での日常
暑い、そしてむせるような花の香りがあまりにも濃くてクラクラする。
ライカは恨めしげに自分の身に纏った服と呼ばれる外装を見つめた。
「脱いだらダメだろうな、きっと」
本当はハダカで十分だと思うのだが、彼の保護者達は「そんな柔らかい皮膚で外を移動するなんて危険過ぎる」と言って聞かないのだ。
セルヌイが外の世界から手に入れてきたというこの何かの動物の皮で出来た服は、確かに彼の自前の皮より頑丈だが、いかんせん熱気を溜め込んで体を蒸し焼きにしそうな代物だった。
夏の盛りの恐ろしい熱気が、これのおかげで倍加しているような気さえする。
更に彼の丁寧に編み込まれた長い髪がうっとおしさを増しているのだが、これすら防御に使えるのだからと切らせて貰えなかった。
「絶対心配しすぎだと思うんだよな」
家族の彼に対する過保護ぶりに、ライカは少々辟易していたが、しかし、だからといって家族に不満を言う事も出来ない。
なぜならライカは自分の家族が大好きだったからだ。
ライカの家族は竜である。
竜である他の者と人間であるライカとが同じ輪に属する家族である事には訳があった。
ライカの産みの母が「馬鹿げたお遊び」と呼んでいた、人間同士の長い戦いに両親が巻き込まれ、赤ん坊のライカを抱えて逃げ惑っていた母を、セルヌイが助けたのだ。
そして、瀕死の重傷だった母に代わってその赤子を育てたのが、三柱の竜王とその家族であり、ライカこそがその赤子だったという訳だ。
たった一人の血族だったその母も数年前に身罷り、もう長く同族を見たことすらないライカは、普段はすっかり自分が人間である事を忘れ果てていた。
ふと頭上遠く、緑の天蓋に開いた小さな穴のように見える空を見上げると、時折光を遮って、影が行き来しているのが見える。
彼の兄弟分のサッズだ。
サッズは飛龍であり、まだ成体で無いながらも体の数倍の大きさの羽を広げて滑空する姿は勇壮で美しい。
その見事な飛行を目にすると、ライカは自分が竜では無い事を思い出し、自分が竜だったら一緒に思う様空を飛び回れるのになと、残念に思うのだ。
ライカに出来るのは、せいぜいふわふわと頼りなく地上から足を離す事だけであり、もしくは何か固定された物を蹴り飛ばして飛ぶ真似事をするぐらいで、とうてい共に肩を並べて空を駆けるには及ばない。
しかし、出来ない事を考えても仕方ないので、ライカは一つ頭を振ると、せっせと作業を続けた。
何をしているのかというと花粉と花の蜜で団子を作っているのだ。
これを思いついたのは、花の間を忙しく動き回る蜂を眺めていた時で、彼等は自分の足に花粉を付けてそれを吸い上げた蜜で固めて持ち帰る。
美味しいのかな?と興味を持ったものの、蜂達はライカの頭ぐらいの大きさがあり、普段は穏やかだが流石にせっかく作った花粉団子を取ろうとしたら怒るだろうという予想の元、彼らから奪うのではなく試しに自分で作ってみる事にしたのだ。
この森の切れ目の窪地に群生している花は、花だけでライカの体がすっぽりと入るぐらい大きく、それに寄って来る虫達も大きいものが多い。
そしてやっかいなのはこの花がその虫達を栄養源としている点だった。
群れ咲き誇る花の中には捕食株があり、それには花に見せかけた捕食口が付いている。
その口は、虫はもちろんの事、なんと小型の動物も捕らえて食べるのだ。
その獲物としての小型の動物の中に、どうやらライカ自身も数えられているらしい。
以前、そのニセモノの花から伸ばされた触手にうっかり触れて、体が痺れてしまった事があったのだ。
その時は、サッズやエイムが大騒ぎをして、この花を根こそぎ消滅させる勢いだったのだが、ライカが必死で宥めて止めたのである。
何しろ、この花の蜜は格別に味が良いし、花粉も他の花と比べ物にならないぐらい味わいがあるのだ。
セルヌイによると、生き物をより多くおびき寄せるために自らをそういう方向へ変化させていったのだろうという事だった。
セルヌイはなんでも知っている。と、ライカはいつも通り感心した。
「人間もそういう風に、飛びたいから竜になったり出来ないのかな?」
こねこねと黄色い団子を捏ねながら、なんとなく暇なのか、つい、独り言を言ってみたりするライカである。
ライカがそうやって団子を作っていると、それに目を付けて蜂がやって来た。
なにしろ既に作ってある物を持っていけば手間が省けるのだから、彼等がそれを狙うのも道理だろう。
しかし、ここでそうやって蜜や花粉を奪い合う内に、彼等のあしらい方にすっかり慣れたライカには強力な対抗手段があった。
厚みの違う二枚の葉っぱが重なるように生える木から枝を一本折って持ってきているのだ。
これは振るとパシィッと弾けるような音がして蜂を威嚇する。
その音は、虫食いの大鳥の羽の音に似てる為、昆虫には酷く恐ろしい音に聴こえるらしい。
この枝を持つ木からしてみれば、葉を食べようとする虫をそれで脅して寄せ付けないようにしているのだろう。
「よし」
おもむろに立ち上がって、ライカは大きな緑の葉に並べた花粉団子を葉っぱの中に包み込む。
ざわざわと揺れる花の群れに注意しながらゆっくりと動くと、帰り道にまるで待ち伏せするように捕食口を持つ花があるのに気付いた。
この株は、根をうねらせて移動する事が出来るので、本当に待ち伏せていたのかもしれない。
「残念でした」
ライカはにこっと笑うと、トンと地面を蹴ってジャンプする。
落下はしないでただ昇るだけだ。
ただそれだけで飛べない花はせっかくの大きな獲物を逃してしまう。
この能力がある以上、あの花の罠は注意さえすればライカには全く害は無いのである。
根が張っている範囲でしか動けないし、その動きもカタツムリより遅いぐらいだ。
サッズもエイムもそれが理解出来たからこそ、この花を危険視しなくなったのである。
「サッズ!」
頭上で覗き込んでいる碧い姿に戦利品の花粉団子入りの包みを見せると、サッズはゆっくりと高度を落とした。
降りてきたその足先にライカが深く乗っかるように座り込むと、サッズは大きく羽ばたいて森から外れて小さな沢へと向かう。
「沢山採ってきたのか?」
「六個だけだよ、あんまり採ると蜂たちだって困るだろうしね、なんか鳥も何羽か来てたし」
「じゃあ俺が四個でライカが二個だな」
「残念でした、半分ずつだよ」
「いやいや、俺の方が体が大きいし、待っててやったんだから沢山貰わないとな」
「ダメ、俺が作ったんだから、我侭言うならあげないからね!」
大して本気ではない言い合いをしながら、ライカはサッズの大きな足の上でゴロゴロ転がり笑った。
「こら、お前、気が散るからそれやめろって」
「面白いんだもん」
手を離して足の上を転がっていると、風が悲鳴のような音を立てて耳元を過ぎていくのを感じる。
それがちょっと自分で飛んでるようでライカは好きなのだ。
しかし、サッズにしてみれば、ライカがうっかり風に流されて尾にでも当ったら怪我をさせてしまうので気が気ではないのである。
ふわりと風の方向が変わって、同時にライカも少し浮かぶ。
サッズが下降体勢に入ったのだ。
「お先!」
パッと飛び出したライカはそのまま浮かぶ力を使わずに落下する。
ひゅうひゅうと風が鳴り、全身を締め上げるように大気の力が押し寄せた。
サッズや家族に乗っている時は彼等がライカの周りに危険が無いように力を巡らせているので、こんな暴力的に風がぶつかって来る事は無い。
ライカは全身の血がぎゅっと胸の一箇所に集まるようなこの圧迫感がとても好きだった。
地面の直前で急停止。
むちゃくちゃな荒技に見えるが、これはライカが五歳の時からやっている狩りの技でもある。
もはやすっかり慣れたものだ。
くるりと半回転して地面に足で立ち、腕の中の荷物を確認する。
「良かった、こぼれてないや」
ふと、上を見ると、なぜかサッズが巨体を伸ばして疲れ切ったように倒れていた。
首の太さだけでもライカの背丈程もあるので、相手が倒れていてもライカとしては見上げるしかない。
大きさの桁が違うのだ。
「どしたの?」
「いや、お前、何かする場合はやる前に言え、せめて考えてから行動しろ」
ライカは首を捻って考えたが、サッズが何を訴えているかは理解出来なかった。
「いつも何かする時には言ってるよ?」
「何かする時じゃなくて前だ!前!」
ライカはもう一度首を捻って、とりあえず理解出来ない事は放置する事にする。
「それよりほら、良い匂いだよ?」
ライカは花粉団子を取り出すと、そのままサッズへと放る。
それは放物線を描く事なく一直線にサッズの口元に飛んでいくと、タイミング良く開かれた口に飛び込んだ。
別にライカが狙って投げたのではなく、サッズの方が引き寄せた結果である。
「うん、良い香りだ、ちょっと甘ったるいけど」
「俺は苦いのよりこういうのの方が好き」
かぷりと自分の分を口にしてライカはにこっと会心の笑みを浮かべた。
甘い物といえば果物があるが、この花の蜜の甘さはまた違って独特のものがある。
「お前はあんまり食いすぎるとまたセルヌイに怒られるぞ、それ食ったら俺が残り食ってやるよ」
「やだ」
「俺は良いけどさ、別に」
「俺も良いもん」
ライカは普段大人ぶっているだけに、こうやって子供っぽく駄々を捏ねる時は絶対に引かない。
サッズもすぐに諦めて彼等は仲良く半分ずつの花粉団子を食べたのだった。
― ◇ ◇ ◇ ―
「それで、なんでこうなると分かっているのにあれを沢山食べたのですか?」
「いいの、美味しかったもん」
セルヌイが人の姿のまま、その繊細な白い手をライカの額に伸ばす。
「やっぱり熱が高いんでしょうね」
実を言うと、彼等竜族は微妙な温度差を感じ取れない。
なので、セルヌイはライカの様子を彼の『苦痛』からしか察する事が出来ないのだ。
しかも彼等はその『苦痛』ですら理解が出来ない。
本で学んだ通りに、その症状に対処するだけなのである。
「セルヌイの手がひんやりして気持ち良いよ」
「私たちの体は、元々外に熱を発するようなものではないですからね。さ、氷を挟んだ布を置きますからね、動いては駄目ですよ。痛みは無くて発熱だけですか。しかし、あの蜜には僅かに毒があるから沢山食べるのはダメだとあれほど言っておいたでしょう?」
「でも死ぬような事は無いって言ったでしょ?含まれてるのはほんのちょっとだって」
「極弱い毒ですからね。でも大丈夫かどうかは単なる推測ですよ?間違っているかもしれないとは思わなかったんですか?」
「セルヌイは間違わないよ」
ふうっと、セルヌイは感情を制御している竜王にあるまじき溜息を吐いた。
「ライカ、信じる心は尊いものですけど、信じすぎるのは互いを傷つける行為になりかねません。ちゃんと疑う事も時には大事なのですよ?」
そう言い募る。が、
「あー、セルヌイ、ライカもう寝てるぞ」
熱で汗ばんだ小さな体は、膝を抱え込んで丸くなった態勢で既に眠りに落ちていた。
現在はサッズがその大きな体を、小さなその弟の体に寄り添わせて尻尾で適当な窪みを作り、そこを簡易式の寝床にしているのだ。
「サッズ、あなたはもう良いから休みなさい。この子はベッドに寝かせて来ます」
セルヌイはそうやってライカに付ききりのサッズを心配してそう言う。
だが、サッズは譲らなかった。
「一晩ぐらい起きてるさ」
「あなたも成長期なんですから、寝なさい」
「起・き・て・る」
「まったく、うちの子供達は揃いも揃って強情で感心します」
「はっ、そりゃあ強情では誰にも負けないセルヌイに育てられたからだろ」
「ふ……」
どこか投げやりな溜め息と共に、ぴしぃっと、空気が鳴り響く。
途端にサッズの巨大な体を常に取り囲んでいた淡い藍色の光が消えた。
この光は天上種族の竜が皆帯びている物で、竜珠の発する再生されたエールの放出光であるらしい。
それが消えたという事は、言うまでもなく異常事態である。
「お?おおっ!なんか体が動かないんですけど?」
サッズの悲鳴じみた叫びにセルヌイは優しく微笑んだ。
「その状態なら寝てしまってもライカを押しつぶしたりしませんから、安心して寝なさい」
「ちょ、おい、これ、明日体が凄い事になってないか?ちゃんと動くんだろうな?」
「大丈夫、陽がある間中ずっと体をほぐしていれば、きっと元通りですよ」
「てめ!こら、実は怒ってるだろ?おおい、こら!」
セルヌイは優しげな笑みを浮かべたまま、「おやすみなさい」と告げて、洞窟の光を閉じた。
竜王は総じて感情を封印し、冷静で理性的に見える。
しかし、それは感情を消してしまった訳ではなく、そもそも竜という存在は激しすぎる感情を持て余していた生き物なのだ。
だからこそ危険を避ける為に力の強い者は感情を制御する事となったのである。
竜王が例え一見穏やかに見えたとしても、それは表面上のものでしかないという事だ。
「と、いう教訓なんだね」
翌朝熱も引いたライカが、しかしまだ寝ぼけているのかぼんやりとそう呟いた。
「お前はすっかり元気だな」
「うん、サッズは結晶化しかけてるね」
「くそ、あの野郎、覚えてやがれ!」
「口が悪いのはカッコ悪いと思うんだ」
「煩い!って、おい、登るな!こら、ライカ!」
翌日にはすっかり元気に元通り賑やかになった年少組を眺めながら、親代わりの竜王達は人型となってまったりとお茶をしていた。
「あの子達をお茶に呼んで大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だろう」
「タルカスは細かい事は気にしませんからね」
「お前は細かすぎるんだよ、放っておいても子供は大きくなる」
「うちの両親は放っておきすぎでしたけどね」
「代わりにお前は俺が育てたんだから良いだろう」
「悪いとは言いませんよ」
ほのぼのと言葉を交わしながら黒と白の竜王がお茶を飲む。
「お前ら、なんとかしてやれよ、サッズ泣いてるぞ」
日頃常識が無いと言われている赤の竜王は、びっくりする程常識的な言葉を呟きながら、この時ばかりは長兄らしくひたすら家族の間でオロオロと困惑していたのだった。




