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竜の御子は平穏を望む(改訂版)  作者: 蒼衣翼
番外編

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番外編:卵の中

青い子の話

 エイムという孤児を拾ってからというもの、全く巣から離れる事が出来なくなっていたセルヌイだったが、数日前に遂にその子も成体となり、やっと手が掛からなく……はならなかったが(なぜか巣立ちをしなかった為)、とりあえず付きっきりになる必要はなくなったので、彼は長らく我慢していた自らの欲求を満たすべく現界に降りた。


 欲求というのはなんという事もない、書物を始めとする人間世界の文化あさりである。


 彼が人と初めて関わったのは人の歴史で考えれば極めて古い時代だった。

 なにしろ彼自身がまだ竜王へと転化したての頃だったのである。

 偶然の経緯とはいえ、契約の後に庇護者となって彼等を知り、彼等の文明という在り方を知り、やがて強く惹かれるに至った。


 それはきっと、黎明の血を持つからこその予感だったのかもしれない。

 変わりゆく世界のその先を歩み行くであろう彼等への、憧れに近い気持ちだったのではないかと彼自身は思っている。


 とにかく彼、セルヌイは、人の文化、特に書物を強く欲していた。

 それゆえに、血なまぐさい狩りに明け暮れ、成体となったのにやや甘え癖の残るエイムに心を残しながらも、世界を渡り現界に舞い降りたのである。


 人が天牙の山々と呼び、大陸北西部沿岸を海と分かつ、複雑で険しい山脈に沿って飛んでいると、ふいに微かな歌を聴いたように思い、セルヌイはそれに意識を向けた。


「ふむ?」

 その歌は意識を向けると消え、気を逸らすと感覚の片隅に現われる。

 まるで真夏の逃げ水のようなそれに、彼は興味を惹かれた。


 元より好奇心の強い質ではある。

 竜族においては変わり者と謳われるぐらいの繊細な感覚を頼りに、周囲に在る全ての音と想いの残響を選別し嗅ぎ分けていった。


 そして見出す。

 古き竜の残滓を。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「それがセルヌイがサッズを見付けた時のお話?」

 ライカは繋いだ輪によってサッズがセルヌイから受け継いだ系譜の記憶を垣間見てそう尋ねた。


「正確に言うと俺の卵を見付けた時の話だな」

「サッズはその時の事覚えてないの?」

「卵だからな」

「え~?卵の時も記憶があるんじゃないの?」

「お前の言ってるのは卵の状態で母親の意識と繋がって学習したり聴いた歌を覚えたりする事だろ?あれは無知覚記憶って言ってだな」

無知(セアー)?」

「無・知覚(セ・イアラ)だ!」


 小さな少年の頭上高くに広げられていた濃紺の翼が大きく上下に動き、その動きに巻き込まれた大気が風を起こす。

 当然ながらその翼の真下にいたライカはその風の直撃を受け、座ったまま吹き飛ばされ後方にゴロゴロと転がった。


「おお~う」

 その移動が気に入ったのか、同じ場所に逆に転がって戻って来たライカを指先で受け止め、サッズは話を続けた。


「無知覚で蓄積された知識は自分で意識して引き出す事は出来ないんだ。必要な時は出て来るけどな」

「ふ~ん」

 ライカは頭を捻った。

「それってやっぱり無知でいいんじゃ?」

 勝手に結論付けてにこりと笑う。

「聞けよ!話を!」


 サッズは口を大きく開くと、己の足にもたれていたライカをパクリとその口で咥えた。

 ライカは生まれて七周期程は成長していたが、何しろ人の子なので同じ子供といっても竜であるサッズとは体格に差がありすぎる。

 咥えられるとその口に体が丸ごと入ってしまった。


 人間がその光景を目撃していれば間違いなく悲鳴を上げただろうが、この世界にはライカ以外の人間はいない。

 驚く者などどこにも存在しなかった。


 サッズは口にその小さな家族を咥えたまま頭を振り上げると、その勢いを残したまま口の中から子供を空高く放り投げた。

 ひゅっと、風を切る音と共に上空高く舞い上がったライカは、上昇の勢いが落ちると共に世界の法則に従って落下する。


「キャーウ!」

 人間の姿に似合わず実に竜らしい声を上げて、楽しそうに落ちて来たライカは、サッズの頭の上スレスレで勢いを殺すと、ふわりとその頭に張り付いた。

 キャッキャッという笑い声と共に足下のサッズの頭を叩き、

「もう一回!」

 と催促をした。


「お前な、幼児か!」

 サッズは無視を決め込んで、頭にライカを乗せたままのんびり首を地面に伸ばして横たわった。


「むぅ」

 一方のライカは口を尖らせると、目前の鳥の翼の形をした二つの突起に手を掛ける。


 彼等以外の家族は皆地竜であり、それゆえか他の家族の姿形はどちらかというと丸っこい。

 しかし飛竜であるサッズは細身で全体的に鋭角的であり、それはその頭部のみを見ても顕著だった。

 サッズの頭部は矢尻型であり、特に一見耳のようにも見える鳥の翼に似た器官は飛竜にしかない物だ。


 これは一種の感覚器官ではあるが耳ではない。

 彼等飛竜が大気を操る為のものなのだ。

 どうやら(ホーン)の一種らしい。


 実はサッズは竜の子が生まれてすぐ受け取るべき母親の知識の殆どを受け取れていなかったので、自分でもあまり詳しい事は知らなかったのだが、そこが敏感な部位で、強い刺激を受けると気持ちが悪くなる事は分かっていた。

 というか経験した。

 だれあろう弟の手によって。


 ライカ的解釈によると、その感覚は人間においてくすぐったいというものに近いのではないかという事である。

 そして遠慮のないライカは、そこを思い切り殴った。


 実はこの場合、殴るライカの手もかなり痛いのだが、目的の為なら手段を選ばないのが子供である。

 いや、もしかしたらライカが特にそうなのかもしれないが。


 カーン!という澄んだイイ音が響き、サッズが悶絶した。


「止め!グニョグニョするだろうが!」

 分かり辛い表現(ちなみに竜の言語にくすぐったいとか痒いといった表現は存在しない。極めて皮膚感覚が鈍いからではないかと思われる)で抗議するサッズに、自分の右手を撫ぜながらライカは要請した。


「もう一回!」

「くおぅ!お前他の連中にはあんま我が儘とか言わないくせになんで俺にばっかりそう我が儘全開なんだよ!」

「だってサッズだから」

「なんだそりゃあ!」


 ブン!と振り上げた頭から弾むように投げ出されたライカは、空中でくるっと一回転するとサッズの鼻先に両手を付いて逆立ちをする。


「もいっかい!」

 キャッキャと笑いながら要求する弟に、さすがにサッズも切れた。

「するか!」

 言葉と同時に地面に叩き付けられた尻尾が、ドン!と、大地を揺らした。


 その振動に周囲の木々が大きく揺れ、ばさばさと葉っぱ等が彼ら目掛けて降り注ぐ。


「あ!白大椿の花だ!」

 色々な物と一緒に落ちて来た花に、ライカは大喜びで駆け寄った。

 椿とライカは呼んでいるが、ライカが本で見た花の絵と似ているからとそう呼んでいるだけで、本来それらに名前など無い。

 竜族にはそういう物に個別に名前を付ける習慣が無いので、花は花でしかないのだ。


 それはそれとして、ライカは思わぬ収穫に喜ぶと、ひと抱えもあるその花の堅いガクの部分を外し、サッズに差し出した。


「はい!」

「おお、ありがとう」

「どういたしまして」


 自身も別の花のガクを外し、そこに隠れていた部分を吸う。

 さらりとした舌触りの、甘い中に仄かな苦味のある花の蜜の味が口の中に広がり、ライカはそれを楽しんだ。

 サッズは花をそのまま丸呑みにし、大雑把なようではあるが、彼なりにその甘い香りを味わう。


 竜族は種族的な嗜好として香りを楽しむというものがあるが、本来は自然界に準じた香りという事以外は、全て個々で好みは様々だ。

 だが、なぜか一様に蜜を持つ花の甘い香りは好んでいた。

 しかし花を食べるのは彼等にとって少し贅沢な事とされている。

 なぜかというと、繊細な作業が苦手な竜は、花を壊さずに摘むという事が上手く出来ないからだ。


 彼等にとって花を楽しむというのは時期を終えて落ちてくる花を拾うか、誰かから貰うという狭い二択になってしまうのである。

 もちろん木ごと食べてしまうという手もあるが、そうなると繊細な味わいは飛んでしまう。

 ライカのおかげでこの家族はその点に関しては贅沢のし放題ではあった。


 甘いものを食べて気分的に満足したライカとサッズは、その満足がそのまま眠気に移行した。


「ふわ、甘くて良い気分だな」

 サッズは無意識に長い尾を体に巻き付けると、顎を両腕に乗せて、うとうととまどろみ始める。

「うん」

 ライカはそんなサッズの巻いた尾の内側へと転がり込むと、一番細い部分に寄り掛かるように自身も体を丸めた。


「あ、こら、危ないからそんな所で寝るなって」

「そういえば卵の中ってどんな感じなのかなぁ」

 ライカはサッズの注意を聞き流し、突然最初の話題を思い出して呟くと、そのまま頭をふらふらと揺らして目を閉じる。


「お~い」

 自分も眠い目をしばしばさせながら声を掛けたサッズだったが、返事は帰ってこない。


「仕方ないな」

 呟きと共に彼等の周りに風の壁ともいえるような激しい渦が湧き上がる。

 これは外敵への対処ではなく、寝返りを打って小さな弟を潰さないようにする為のサッズ自身にとっての緊急措置だった。

 ライカがサッズに寄り添ったまま寝るのは良くある事なので、もはや対処に慣れてしまったがゆえの竜らしからぬ小技と言えるだろう。


 ジワジワと湧き上がるような睡魔に囚われて、サッズも瞼を閉じる。


(歌が、聴こえる)

(あ、ホントだ。優しい歌だね)


 囁くような思考が形成された輪の中で微かに二つ浮かんで消える。


 風の渦巻く静寂の中で、未だ世界の片隅しか知らない子供たちは、短い眠りに付いたのだった。

最後に二人が聴いた歌は、母親が卵に歌う子守唄です。

サッズに残っている僅かに母親に繋がっている物が、この本能に刻まれた歌なのでした。

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