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竜の御子は平穏を望む(改訂版)  作者: 蒼衣翼
番外編

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番外編:それもまた明日への道

ライカが竜の里から人里に行く為の準備期間のお話

 優美な一頭の飛竜が天空から急降下で舞い降り、その身の周りに風が渦巻く。

 だが、竜の着地に本来風など起こらない。

 つまりは、これは飛竜であるサッズが身に纏う力を放出する際の渦が具現化したものなのだ。


 普通は彼等の力はこんな風に奔放に渦巻くものではないのだが、サッズは力を自分で調整するやり方を一向に学ぼうとせず、本能で、というか、無意識の、いわば条件反射で扱っている。

 竜王達がコントロールを学ぶように煩く言っても全く聞こうとしないのでこんな状態になっているのだ。

 それでも足元の小さな少年がその風に影響される事はないので、彼なりにコントロールはしているのだろう。

 少なくとも、そのつもりではあるのだとは思われた。


「サッズ、どうしてあなたは無駄な破壊をするのです!」

 降り立ったその飛竜の傍らに白銀の輝きが現れる。

 人の姿をしているが、荒れる風に髪一筋たりとも動かされる事のない彼は当然人間ではない。

 人化した白き竜王、セルヌイだった。


「別に破壊なんかしてないぞ」

 サッズはそんな叱咤を歯牙にも掛けず平然と答える。

「じゃあこの惨状はどう説明するつもりです」

 彼らの足元にはへこんだ土の大地があった。

 黒々とした地中の色を残したそれは、つい今しがたまで日の光を知らずに大地の下の一塊の土として眠っていたものだ。

 元々その上にあったはずの低木の茂みはすっかりどこかへと飛ばされてしまっている。


「いいじゃないか、ここの茂みはトゲがあったし、ライカがよく突っ込んで怪我してたろ?むしろ感謝してほしいぐらいだね」

 なおもサッズは自分の非を認めようとしなかった。

「サッズ」

 それは低く、いっそ優しい程の声音。

 クルルルル……という、親が子供を呼ぶ時に近いその声には、だが、強い威圧の力が込められていた。


 しばし、その特徴的な長くしなやかな尾を内心をごまかすようにあてどなく振っていたサッズだったが、やがて根負けしたように、

「悪かった」

 と、謝る。

「分かればよろしい」


 竜というものは総じて謝るという行為が苦手である。

 そもそもが破壊をその本質とする存在なのだから、当然といえば当然なのかもしれなかった。

 しかし、だからこそセルヌイは子供達の過ちに厳しい。

 自らの過ちに目を瞑り続ければいつかそれは必ず自らに還る。

 そう思うがゆえの厳しさだった。

 とは言え、それは当の相手にはなかなかに理解されないものだ。


「セルヌイ、サッズをあんまり叱らないで。地上にセルヌイを見掛けたから嬉しくて急いだんだよ」

 瑠璃色の巨大な、それでもまだ雛の竜の、その巨木程もある脚の上から、小さな人間の少年が顔を出して弁護した。

 柔らかな色合いの琥珀の目と髪を持つ穏やかな印象の少年で、勢いよく目前に迫ってきた竜の尾に恐れる風もなく飛び込むと、その凶器じみた動きに上手に合わせて片足を乗せ、そのまま勢いをもらってくるりと回転してサッズの背に掴まり、その背によじ登る。


「おまえ、庇うような言葉は良いが、その実俺を盾に自分は怒られないようにしてるだろ!」

 その意図に気付いたサッズが自分の背の少年、この家族で一番年若のライカに毒づいた。

「被害妄想だよ、サッズ」


「ライカ、怒らないから降りてらっしゃい」

 セルヌイが溜め息混じりに笑って、そんなライカを呼ぶ。

 まだ滑らかな鱗のサッズの背中で、貼り付くようにぺったりと顔を伏せて寝転んでいたライカは、どうやら用事があるらしいセルヌイの呼びかけに顔を出した。


「はぁい」

 トン、と両手で自分の身長の十倍程もあるサッズの背中に手をついてくるりと前転すると、そのまま足から落ちる。

 地面の直前でふわりと制動を掛け、軽い音を立ててその目前に降り立った。


「人間と共に暮らす事に決めたのですから、そろそろ服に慣れておかなければならないでしょう。試しに仕立ててみたから着てみて具合を確かめてみなさい」

「服なら前から着てるよ?」

 ライカは自分の体を覆う皮をなめして作られたそれを指す。

「それはどちらかというと人間的に言うと防具ですね。彼らの言う服というものはただ単に体を守るためだけの物ではないのです。きちんとした服装というのは自らの品位を示すもの。そうですね、人と人が相手に安心感を覚えるかどうかにはお互いの服装も大きな意味を持っていたりするのですよ」

 セルヌイはなんとか言い逃れて面倒な事を避けようとする末っ子を理屈で納得させようとした。


「へぇええ!そういえば本にすごく派手な服を着て他人を楽しませる仕事があるって書いてあったね」

 尊敬するセルヌイの語る人間の世界の不思議な話に、ライカは遠い自身の同類に思いを馳せるように目を輝かせる。

 セルヌイは人間らしいその強い好奇心に微笑んだ。


「それは舞い手の話ですね。あれらは自分の信じる神というものに見て欲しいが為により美しく飾るのです。人の纏う衣服にも色々と役割があるのですよ」

「人間って不思議だね」

「あなたも人間ですよ」

「そういえばそうか」


 あははと笑う無邪気な顔を見ながら、セルヌイは少し寂しい想いをその面に浮かべた。

 彼らの感覚からすればライカは一人立ちするにはあまりにも幼すぎるし、輪の力の庇護の弱いこの子供を遠くへやる事に対してセルヌイは漠然とした恐怖すら感じる。

 しかし、巣立ちを終えて成体として育ってからでは、ライカが人間の中に溶け込む事は難しいだろうという事ははっきりとしていた。

 肉体が成長途上の時に得た経験が、その後の生涯の基礎となるのだ。

 今ならばまだ人の世界の生き方を己の中に組み込む事は容易いはずだ。


 だが……と、セルヌイは未練だと思いながらも考える。

 それでもまだ二周期程、人間的に言えば二年ぐらいは、ここに留め置くぐらいの時間はある、と。

 セルヌイは己にすらはっきりと理解る言い訳で、僅かにでも時間を稼ぎたいと思ってしまっていた。


「そういえばさ、なんでセルヌイは人間の姿をしてる事が多いの?」

 ふいにライカが不思議そうに聞いた。

 彼の目前の養い親は多くの時間を人型で過ごしている。

 ライカが他の家族に聞いた話では、人型でいるのは竜の身にとってあまり快適ではないらしいのだ。

 だからライカとしては純粋に不思議に思っての問いである。


 セルヌイが日々の暮らしの多くを人型で過ごすという、ある意味酔狂な暮らしをしているおかげで、彼は人間の衣装やそれ用の布も多く持っているし、その形式に詳しく、ライカの為に服を作ったりも出来るのだが、不思議なものは不思議なのだ。

 ちなみに他の家族に言わせれば、そんなちまちました物を作るぐらいなら海の水を飲み干せと言われた方がマシとの事だった。


「そ、それは」

 めずらしくセルヌイが言い淀む。

「昔、好きだった相手に言われたからだよな。チビのくせに見た目だけはギラギラ派手に目立って恥ずかしくないの?とかなんとか。だからセルヌイは竜の姿の自分があんまり好きじゃないのさ」


 サッズが先程の意趣返しか、明らかな笑いを含んで説明してみせた。

 セルヌイはまるで見えない誰かに押されたかのようによろめく。


「そんな!酷いよ!俺はセルヌイの姿が大好きだもん。それにセルヌイはただ派手なだけじゃないよ。そりゃあ近くで見ると目がチカチカするけど、遠くから見たら凄く綺麗で一目でそこにいるって分かるから目印に便利じゃないか!」

 ライカはその過去の相手に憤ったのか、力強く、彼なりにセルヌイの弁護をした。

「うん、でもさ、お前の言ってる事ってその女とあんま変わらないから」

「は?何言ってるのさ、サッズ。そもそもセルヌイはチビじゃないし、竜の中でも一握りしかなれない竜王なんだよ!そこらの転身しなかった竜より偉大な力を持ってるじゃないか!」

「まぁ確かにお前から見たらみんなデカく見えるよな」


 サッズの言いようにライカはムッと口を尖らせると、サッズの首の下の方の鱗にしがみつく。

 蹴ったりすると自分が痛いだけなので地味な嫌がらせに出たのだ。

 まだ鱗の柔らかい雛であるサッズは、そうやって鱗を引っ張られると何かむずがゆい感じがするらしい。


「またお前はそうやって嫌がらせをしやがる!いい加減にしないとヒル沼にぶち込むぞ!」

「いいよ、やってみなよ。もうムズムズ虫を鱗から取ってあげないからね!」

「あいつらは海で泳げば死ぬから良いんだよ!」

「死体がカサカサして鱗に引っ掛かって気持ち悪いとか言ってただろ!」


「あー、お前達」

 どうしようもない言い合いに発展している子供達の会話に、別の声が割り込んだ。

「セルヌイが沈んだぞ」

「ふえ?」「あ?」


 彼らが言い争いを中断して自分達の保護者がいたはずの場所を見ると、既に彼の姿は跡形もない。

 代わりに、サッズが抉ったはずの黒々とした土に急速に緑が芽吹いていた。


「あ、本当に沈んだのか!」

「最近は珍しいね」

 セルヌイは系譜としては混沌の直系の竜王だが、その母親が黎明の最後の系譜持ちだった為、その力を継いでいて、強い息吹の力を持っている。

 そのせいで彼の周囲には緑が絶えないし、感情の多くを封印しているとはいえ、元々豊かな感情を持つ竜である為、心が大きく動く時にはその力が更に多く零れ落ちるのだ。

 ちなみに沈むというのは落ち込んだ竜が偶にやらかす自己封印の事である。


「お前らなぁ、セルヌイの前であの話はやめておけ。それ以来ずっと引き摺っていて、伴侶も作らなければ自分の竜形も好きじゃなくなったというぐらい繊細なんだぞ。お前らみたいに踏まれても感じないような鈍い奴にはわからんだろうが」

「お前にだけは言われたくない」

 いかにも長兄らしく弟達をたしなめたエイムを、サッズは睨みながら呟く。

「セルヌイ~!もう彼女さんの話はしないから出て来てよ~!」

 ライカは地面に向かって呼び掛けていた。

「いや、お前も輪を辿れよ、声が届く訳ないだろ?」

 サッズはライカに呆れたように言う。

「でも意識が閉じている時に輪から強制的に意識を繋ぐのは失礼だって、前にセルヌイが言ってたろ」

「優しいなぁ~お前」

 エイムはライカの頭に鼻面を寄せるとごく軽く小突く。

 彼としては可愛がっているつもりなのだろうが、体格差が大きすぎる為、ライカは大きくよろめいた。


「エイムはさ、戦い以外の力加減が下手だよな」

 それを見て、サッズが呆れたように零しつつライカが転ばないように支える。

 細かい事を気にしない家族大好きなエイムはそんな抗議も楽しげに受けていたが、ふと、その朗らかな様子を変化させた。


「そうえばライカはもうすぐここを出て行くんだな。セルヌイが最近落ち着かないのもそのせいだろ?俺はもう何度も言って来たが、どう考えても早すぎないか?子供が巣を出るとかおかしいだろ」

 エイムはこればかりは譲る気は無いとばかりに強く抗議する。

「成長が終わってからだと意識の柔軟性も衰えるから新しい環境に馴染み難くなるんだってセルヌイが」

 ライカが説明をするものの、

「馴染めなければ帰ってくればそれで良いじゃないか」

 エイムは自分で言うように何度も繰り返した堂々巡りの主張を展開する。

 あまりあからさまに言葉にする性質ではないが、実は最も家族に依存しているのがエイムだ。

 とっくに巣立ちの時期も過ぎているというのもおこがましい程成長しているのに、信じ難い事に、彼は一度も家族の輪から外れた事がないのである。

 その情の強さは竜には珍しい『執着』と言って良い程だ。


「そうだね。どうしても駄目なら帰ってくるよ。でも俺の母さんが最期に望んだ事だし、俺も一度ちゃんと自分の流れを知りたいんだ」

 エイムのある種極端な思考を理解しているライカは、竜族が最も大事にしている『流れ』、種族的歴史を挙げて説く。

 彼に対して説得は無駄な以上、ライカ自身の想いをちゃんと理解してもらうしかないのだ。


 真紅の竜は熱気を帯びた溜息を吐き、少し拗ねたように横を向いた。

「分かっている。俺がなんと言おうともう決まった事だしな」

「ごめんね」

「だから俺が一緒に行けば万事解決なんだよ」

 そこへサッズが割り込んで自分の意見を主張した。

「ダメだ!」「だめだよ」

 そのサッズの言葉は、ライカとエイムの両方から瞬殺される。

 サッズはしなやかに長い尾で地面を盛大に叩いた。

「なんでだよ!」

 せっかくセルヌイの力の余波で芽吹いていた緑が、その暴力によって土を纏ったまま根こそぎ宙を舞う。


「お前は絶対にヘマを仕出かす」

「サッズ、人化も出来ないだろ。無理だって」

「お・ま・え・らぁ!」

 あまりの言われようにサッズは藍い全身が紫を帯びる程熱を纏った。

 本来のサッズの特性である大気の力が、まるで獣の咆哮のような音を立てて渦巻く。

 それを受けてエイムが空間を切り取り、暴風の影響を受けない場所にライカを保護した。


「さて、子供達」

 唐突に、抑揚の薄いながらも呆れたような声が響き、同時にその場に満ちていた濃密で壊滅的な竜の力が霧散する。

「セルヌイがどうも結晶化しそうな勢いでスネてるのだがどうする?」

 黒い、闇のような姿を人の身にやつして(本体は大きすぎる為、彼は移動には変化した姿を使う事が多い)現存する中では最も長き歳月を経た竜、タルカスが静かに聞いた。


 ライカやサッズ、更にはエイムにとっても親に等しいセルヌイですら、彼にとっては子供の一人でしかない。

 むしろセルヌイに色々振り回され気味の彼にとって、最も我侭で手が掛かる子こそがセルヌイなのかもしれなかった。


「あー」

「あ!」

「ん?」


 エイムとライカは思い出して地面に目を向け、サッズはしばし考えて得心したように頷いてみせる。

「竜王にもなって拗ねるのはどうかと思うぞ?」

 サッズは今までの自らの起こした騒ぎを全てどこか不可視の彼方へとうっちゃり、呆れたような口ぶりで自らの保護者をそう評したのだった。


 その意識を受け取ったセルヌイが、半ば本気で結晶化し掛け、その騒ぎでライカの人里への帰還が更に一年、(つまりはこの時から三年後に)遅れたのは余談である。

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