第七十六話 そして彼らは未来へと進む
それぞれの学生の発表後、王は全員に言葉を掛けた。
最後のライカに対しては、発表の内容を褒めると共にライカの養父であるラケルド・ナ・サクルについて言及するに及んだ。
もしくは、元々それが王の話したかった事なのかもしれない。
「ラケルドは変わらず健在かな?」
「おそらくは、いえ、あの、三年全く戻っていないのではっきりとは分かりません。ただ、便りは来るので元気と思います」
ライカの口調に後ろで教師が青い顔になっていた。
学生達は恐れおののいていたが、当の王本人は全く気にしていない風なので、その王に対峙しているライカも周囲の様子に気付かずに会話を続ける。
見守っているメランは少々ハラハラしていたが、王さえ咎め立てしなければ、多少貴族の評判が悪くなっても、どうせライカは地元に帰るだけだし、大事にはならないので、決定的な事が起こらない限りは見守る姿勢だ。
「そうか。知っておるかな?ラケルドには諫言の自由を申し渡しておる。その子息である貴殿にも忌憚ない言葉を望みたいところだ。何せ斬新な発案をしてくれる優秀な人材であるからな」
「斬新、ですか?」
「うむ。存じておるかな?リマニとこの国の間には二つほど他国があっての、そのどちらの国もリマニを国として認めてはおらんのだ。もし我が国がリマニを国として認めるとそれらの国々の意向を無視する事になる」
メランは王の言葉に場の空気が緊張するのを感じた。
なんと王はこの場で国の方針について話し始めてしまったのだ。
つまり王自身が言ったように、ライカに意見を述べさせるつもりという事になる。
それほど意見に重きを置くという事は、その能力を王が認めたという事で、下手をすると卒業と同時にライカを直臣として召し抱えるという可能性も出て来たという事なのだ。
場が緊張するのも当然である。
しかし、当のライカはそんな事は全く知らぬ風で、ただ王の言葉に真剣に応じようと言葉を返した。
「リマニを国として認めて貿易を行う事はどの国にとっても利益になる事なのではないでしょうか?何が問題になるのか、失礼ながら私にはよく分かりません。不勉強で申し訳ありません」
言って、ライカはぺこりと頭を下げた。
どうも話している内に教師との対話式の授業のつもりになっていたらしい。
メランは思わず笑いそうになって必死にごまかした。
「体裁よりも利を取るべきか。そなたの考え方は商人と通じるものがあるな。だが、それも良し。確かに国が潤う事は大切な事だ。権威はある内に振るうものであろうしな。うむ、なかなか良い意見が聞けた。ときに他に何か進言などないか?この機会だ。罰したりはせぬのでおおいに述べるが良い」
メランはその瞬間「拙い」と思った。普通、王がこのような事を言っても、それに乗じて直言をする者などいない。
実際、他の生徒も王への要望は聞かれていたものの、うやうやしく辞退していた。
当たり前の話である。たいがいの者は立場をわきまえているのだ。
しかし、ライカはわきまえる立場を理解していない。
メランに出来る事は我が事以上に緊張を感じてその場の様子を見守るだけである。
出来る事なら飛び出して行ってライカを引きずって戻りたい気分だった。
「はい。それではお伺いしたい事があります」
ざわりと、周囲がどよめき掛けるが、御前であった事に思い至って、すぐに静まる。
「うむ、申してみよ」
王は鷹揚に頷いた。
「なぜこの国では女性は位を持たないのでしょうか?」
来た!と、メランは思った。
その事にライカがずっと疑問を感じていた事にメランは気付いていたが、メラン自身、明確な答えを返す事が出来ないでいたのだ。
なにしろ何も明文化されている訳ではない慣習の世界の話である。
だれもがずっとそうだったからと流して来た問題なのだ。
「ふむ」
教練場の片隅、柱の影に特別に許された見学場所から強い緊張が漂っているのを感じて、メランはちらりとそちらを見る。
そこには行儀見習いの名目で勉強に来ている貴族の娘達の姿があった。
「立場を持つという事は責任を負うという事でもある。女性と言うものはそもそもは子を産み育むという責任を生まれた時から持っているようなものだ。そこへ更に責任を負わせるのは負担が大きかろう」
「本人がそれを望んでもでしょうか?」
「いや」
王ははっきりとライカに答えた。
「本人が望み、その才覚ありとなればそれを妨げるいかなる法も我が国には存在せぬ。ただ前例無き事はいかなる事であろうと難しいものだ。それゆえ最初の一人となる者への周囲の目は厳しくなるであろう事は想像に難くない。それでも、それを望むのであれば、女子なりと言えども位を得る事は可能であろうな」
唸り声のような、ため息のような押し殺したものがその場に渦巻くのをメランは感じる。
今、この瞬間、この国の歴史は変わったのだ。
もちろん今までも、女性は位を持ってはならないなどという法は存在しなかった。
しかし、物事を判断する紋章院では全て過去の事例から判断が下される。
過去にない出来事は認められないのが通例だった。
だが、王の言葉は絶対である。
王がはっきり断言したという事は、今後女性に位が授けられる可能性が生まれたという事なのだ。
「やっちまったな」
言葉ではそう言いながら、メランは痛快な心持ちで友人を見た。
彼の友は、ライカは、全くの邪念無き疑問をぶつける事で、王の言質を取ったのである。
「そうなのですね。それを聞いて安心しました。国の為に働きたいと一生懸命勉強している女性の方も大勢いらっしゃるのですけど、頑張っても働く場所が無いという事になったら大変ですから」
「確かにな。うむ、今日は良い話が出来た。学びの場所に来ると我もまだまだ学ぶべき事があると知らされる。それではライカ・サクルよ、養父殿にたまには王城にも出向くようにと伝えておいてくれぬか。あやつは竜騎士であるにも関わらず、それを全く活かすつもりが無いようでな。与えた権利が意味をなくしておるわ」
「はい、必ず」
王が立ち去ると途端にその場の空気が弛緩した。
ふと、押し殺したような泣き声が聞こえる。
柱の影で少女達が身を寄せ合って泣いていた。
「あの人達どうしたのかな?」
メランのいる席に戻りがてら、ライカが気付いてぎょっとしたようにそう呟いた。
「お前が泣かせたんだぞ」
「えっ?」
メランの言葉にライカは慌てて首を振る。
「いやいや、俺何にもしていないから!」
「ほんと、お前ってとんでもないよな」
「ちょっと、本当に俺じゃないからね!」
「はいはい。それより先生が呼んでるようだぞ」
「あれ、本当だ。発表終わったら授業は終わりって言われてたんだけどな」
メランによる言いがかりと、講師の思いがけない呼び出しに、ライカは困ったような顔をしながら下へと戻った。
「とは言え、そう簡単な話じゃないけどな」
時に紋章官の持つ権限は王権を超える事がある。
特に貴族間の婚姻や養子縁組、そして新たな貴族家に関しては、紋章院が駄目と言えば決して通らないのだ。
女性の地位に関しては各部署ごとの判断になるだろうが、女性が一家を起てるなどと言う事は現時点は難しい話になるだろう。
そしてあまりにも格差のある者同士の婚姻もなかなかに難しい問題だ。
慣習を変えるならまずは紋章院を変えなければならない。
メランはそう感じていた。
「カビは根こそぎ片付けないときれいにならないからなぁ」
何か言い募る講師と、にこやかに頷くライカと、面白そうに笑っている他の生徒を眺めながら、メランは一人呟くのであった。
― ◇ ◇ ◇ ―
「何かえらく身軽だな」
旅立ちにあたって見送りに出たメランはライカを見てそう評した。
なにしろ早駆け竜一頭に荷物を積んだだけなのだ。
結局、ぎりぎり卒業資格を手にしたライカは、その養父に恥をかかせる事なく順調な経緯で故郷に戻る事となった。
卒業証である特性の金のメダルは王国の学位の証明証にもなっていて、担保にすると約金貨十枚ほどなら即金で調達出来る価値がある。
「え、これでも来た時に比べたら荷物はずっと増えたんだよ。何しろお土産があるからね」
自分の騎獣である青に背負わせた荷物を示して眉を寄せるライカはため息を吐いて続けた。
「おかげでかなり途中休憩しないとならなくなっているんだ。まぁ隊商で移動するよりはずっと早いけど」
「一人ってのは何かと物騒だけど、まぁ下手な馬で竜に追いつけるはずもないし、その点は安心だな」
「しかし残念だな。仕事はいくらでもあるのだぞ、本当に王都で働くつもりにはならんかね?」
「先生は面白がっているだけですよね?世間知らずの俺がとんでもない事をしでかすのが楽しいんでしょう?王様との話を聞いた時なんか腹を抱えて笑ってましたよね?」
「あれは仕方なかろう。あんな傑作な話は吟遊詩人の歌ですら聴いた事もないわ」
「ったく」
メランと共にライカを見送りに来ていた隠者ことレオニダスは心から残念そうに故郷へ戻るライカを惜しんだ。
王が女性の任官を容認したという一連の流れは既に王都の噂になっている。
元々女性が働く事に忌避感のない庶民からは概ね好意的に受け止められているようだ。
一方で貴族は、ちょっとした雑談でうっかり王が言った事を大げさに取る必要はないというスタンスを貫いている。
とは言え、表立ってそんな事を言うと不敬罪にあたるので、明言している者はいないが。
そんな波乱を巻き起こした本人と言えば、先程からキョロキョロと落ち着き無く周囲を見回していた。
誰を探しているのかはメランからすれば一目瞭然だ。
「ライカ」
「あ、うん」
「大丈夫だ。ミアルとはまた会えるさ。いや、どちらかと言うと、お前の為には会えない方が良いかもしれないんだがな」
「メラン、そんな意地悪言わなくても」
「いや、意地悪で言ってるんじゃないぞ。本心からだ」
「なお悪いよ」
ライカもすぐに気持ちを切り替えたようで、肩をすくめると自分の騎竜の青と共に王都を出る長くうねった道へと踏み出した。
「じゃあ、またね!」
「ああ、また。いつでも遊びに来い。俺はそっちに行くのはなかなか難しいけどな」
「まぁちょっと遠いよね。でも、良い所だから一度ぜひ来て欲しいな、メランには」
「私も英雄に興味があるので一度行ってみるかな」
「あはは、先生もぜひ」
別れを告げて、実にあっさりとライカは王都に背を向けて先へと進んだ。
メランは気付いていたが、ライカは別れに涙を見せたりする事はない。
おそらくは出会いや別れを特別なものだとは思っていないのだ。
メランはレオニダスと別れると、そのままいそいで王都の外れにある小高い見晴し台へと向かった。
そこはいざという時には防衛の為の指揮所となる場所で、王都の最初の入り口とも言える谷の出口が良く見える場所だ。
現在はただの放牧地の一つである。
「良かったのですか?」
「……」
「そんなに落ち込むなら会って別れを告げれば良かったのでは?」
「バカを言うな。そんな事をしたら手に手を取って駆け落ちをする事になっていたぞ」
「それもまぁ、有りじゃないですか?」
膝を抱えて王都から出る街道を見送るミアルにメランはそう答えた。
実際ミアルとライカであればどこででも生きていけそうではある。
「お前は私に逃げ出せと言うのか!そんな真似が出来るか!私は私の生きる場所の中で自分の欲しいものを手に入れるのだ」
「何気に自信家ですよね。ミアル様」
結局の所、どんな障害があろうと、それを乗り越えると、この女性は宣言しているのだ。
とんでもない人だなとメランは思った。
そしてとんでもないのに見込まれたなと友人を想う。
「今私に失礼な事を考えたな」
「大丈夫です。いつもの事ですから」
「そうか、なら仕方ないな」
空は青く、少しだけ流れる雲はやわらかく白い。
旅人に優しい風が吹いていた。




