第七十四話 ライカの学院生活
久々にライカメインです。
ライカの朝は早い。
まだ夜が明けきらない暗いうちに置き出すと、手短な用意を整えて竜舎へと向かう。
もちろん部屋の入り口に新しい水瓶が来ているので部屋に運び入れてからだ。
朝の水瓶の運び入れはその起床時間の差から全てライカがやってしまうので、交代制にしても意味が無いと。メランが仕方なさそうに夜に水瓶を外に出す役割を負っている。
メランが言うには満杯の水瓶の方が重いので不平等であり、落ち着かないという事だが、適材適所という事だよとライカがにこやかに押し通した。
そんなライカへ、メランはため息を吐きながら「ちょっと意味が違う」と眉根を寄せながら反論したものだ。
ライカから見て、メランは生真面目で誠実な人間だ。
そして驚く程頭が良い。
また、いつも物事の先読みをして動くので勉強や作業なども何もかも先回りしてやってしまい、実際にそれをやらなければならない時には暇になっているという有様だった。
本人は「予想を裏切る出来事が起きた時に対応出来るようにしているだけ」と主張している。
ライカは朝の竜舎での作業を終え、自分の群れの竜となった青に纏わりつかれながら、戦い方や狩りの仕方を竜舎の他の竜と一緒に教えてやりつつ水浴びをさせて、竜の広場に放り出した。
既に別の群れである竜舎の竜達だが、彼らは老成した竜ばかりなので子供をいじめたりはしないので安心だ。
竜だけで収まらないような面倒事は竜舎の管理者である竜手達が上手く運んでくれるだろうとライカは思う。
ライカは人間の世界に来てから他人を信頼して任せるという事を学んだ。
それはライカの母の語っていた互いに補い合うという人間らしい行いで、ライカ自身とても気に入っているやり方だ。
それに竜手の人達は言葉遣いや動作は乱暴だが、基本的に善良で気が良い者が多い。
彼らは竜の機嫌を見誤るとすぐに死んでしまうような仕事をしているので、仲間内の信頼関係がとても強固なのである。
ライカが驚いたのは、親方はどうも竜の言葉のいくらかが分かるのではないか?という事だった。
以前ライカがそう言ったら「お前が言うこっちゃねぇだろ?」と呆れたように言われてしまったが。
竜舎の仕事が終わると治療院へと向かう。
朝日が昇る前にハーブを摘む作業があるので、それの手伝いをするのだ。
「おはようございます」
「ああ、おはようございます」
「おはよう、毎日助かるよ」
既にせっせと摘み取り作業を行っている助手の人達からカゴを受け取って、ライカも日が昇るまでせっせと朝摘みハーブを収穫する。
「今日は泊まり込みの患者さんはいないですよ」
収穫終わりにハーブ部屋へと摘みたてのハーブを運ぶ途上で助手の人がライカに教えてくれた。
この学院の治療院で働く人達は、ライカの地元の治療所で働く人達よりも言葉遣いも動作も上品だ。
聞いてみると、彼らは全員下級貴族で財産分けをしてもらえない三男坊や次女以下の子女なのだという事だった。
特に貴族の女性にとって療法士の徒弟となるのは唯一正式に学べる高等学問でもあるので競争率が高いらしい。
男の助手の人に言わせると、女性の助手は優秀すぎて頭が上がらないのだという。
とは言え、その話をしていたら「またそんな事ばっかり言って!」と、当の女性の助手の人から怒られていたので、本当かどうかは定かではない。
ちなみに弟子入り大体五年ぐらいで助手になれるのだそうだ。
「そうですか、それじゃあじっくり勉強ができますね」
ライカはこの治療院に机を与えてもらっている。
そこで育成しているハーブの特徴をまとめながら、薬草として使えるハーブの分類分けを行っているのだ。
根の張り方や葉っぱの形、花の色、果てはそれぞれの効能まで、基準とするものによって分類は多様化してしまう。
治療用に編纂された書物では基本的に効能で分類されているのだが、ライカの志す所である地域ごとに違う薬草を調べるという目的には沿っていないので、種類によって分けなおしているのだ。
しかし、これが始めてしまうとかなり複雑なものである事にライカは気付いた。
花が似ているので一見同じ種類に見えるハーブが、根の形や葉の生え方から見ると違う種類として見た方が良いと感じさせたり、効能が全く違ったりという物が意外と多いのだ。
下手をすると似ているのに一方は薬で一方は毒というものまである。
そこでライカは芽吹いて花が咲くまでの様子を全てスケッチする事で、それぞれの詳しい特徴を掴む事にした。
毎朝薬草園に通っているのはそのためであり、摘み取りを手伝っているのはついでなのだ。
そしてこの治療院の療法士であり、特別授業を行う講師でもあるここの長が、ライカの研究を有用と認めて席を用意してくれたのだ。
既にライカが作った観察記録の綴は、綴じられた物だけでも棚のかなりの部分を占めていた。
その上ライカはこの治療院がいそがしい時には手伝いもしているので、助手達からも一目置かれて既に仲間扱いされるようになっていた。
「でも、もうすぐ帰ってしまうんでしょう?」
助手の女性が残念そうに言う。
ライカの作った冊子をいくつか書き写させてもらいたいと言って度々借りて行くので助手達の中でもライカと親しく、以前寮にいる貴族の娘達との勉強会を提案したら引き受けてくれた気のいい女性でもあった。
本人に言わせると、自分も勉強になるしやる気がある子達と話していると励みになるからと喜んでいるようなので、ライカも安堵したものだ。
この先ライカが去ってもこの習慣が続くならこの学院は女性達にとってもより勉強が出来る場所となるに違いない。
「そうですね、勉強の費用はうちの領主さ……ラケルド様から全て出していただいているので、それ以上甘える訳にはいきませんし」
「優秀な領民を学ばせて、将来の自領の礎とするのは領主として当然の義務だわ。それを出し惜しみする領主は先が見えない領主よ。気にしなくても良いと思うのだけど」
「正直、うちの領地はかなり経営が大変らしいんですよ。あ、これ、内緒ですよ」
ライカが言うと、助手の女性が笑いながら頷いた。
「うちの実家も貧しい小さな領地しかないから大丈夫よ。うちの領地はこの国には珍しく石の切り出しで生計を立てているんだけど、けが人や死者が多くてね。私が療法士になれば、助かる人も増えるかなと思って父に言ったら、娘だからとバカにしたりせずに勉強させてくれたの」
「良いお父さんですね」
「ええ、そうなの。そして未来を見据える事の出来るいい領主でもあるわ」
「うちの街にはとても腕の良い療法士の先生がいて、勉強自体はその人について続けるつもりなんです」
「そっか、それなら早く帰って本格的に学んだ方が良いかもしれないわね。療法士の勉強って十年でやっと一区切りって感じだからあちこちうろうろしていたらなかなか先へ進めないしね」
「はい」
ライカは笑顔でそう返事をした。
授業の時間になるとライカはこの日の授業である経営学の教室に向かった。
経営学は必須授業と言って良いので、同年齢の学生はほとんどが揃っている。
メランともここで合流した。
「お疲れ様」
ライカが何をしているか知っているメランは、ねぎらうようにそう言うと、隣の席へと促した。
お礼を言ってそこへ座ると、ライカは粘土板を取り出そうとする。
それをメランが制止した。
「今日は対抗戦を行うらしいから記録を取っている暇はないぞ」
「そうなんだ。ありがとう」
しかし、メランはなぜその日の授業の内容を知っているのかライカはいつも不思議に思う。
講師達はその日の内容はその日に発表するので事前に知らされるという事はないのだ。
「今日は馬と竜をどのように運用するのが効率的なのかというテーマで対抗戦を行う。有用な意見があるものは積極的に論じるように」
講師の合図で討論がスタートした。
序盤では勇猛な竜が多い方が戦に強いとの意見が挙がり、それに賛同が多く寄せられた。
しかし、一人の青年がそれに否定的な意見を述べる。
「竜は確かに勇猛で強い。しかし、それだけに操れる人間が少ないという問題点があります。また、竜はどうしても数を揃えられません。ほとんどの者に扱えて数多く揃える事が出来る馬の方が育成に掛かる値段も安い。国を運営する立場なら竜を十頭育てるよりは馬を百頭揃える方がはるかに有用でしょう。極端に言えば馬を多く揃えれば竜など必要ないのです」
強弁ではあるが、確かな説得力を持つその言葉に、多くの者がその弁を是とした。
そこへ対抗したのがライカである。
ライカは論者としてはなかなか有名で、相手もそれを知っていてぐっと緊張したのが分かった。
「国の運営を経済面からだけで考えるのはどうでしょうか?馬には馬の竜には竜の出来る事があります。確かに馬は平地での運用では竜とそう大きく差は感じられず、そのくせ掛かる費用は大きいという無駄なものに見えるかもしれません。しかし、我が国は周囲を山に囲まれ、王都もまた高い崖に阻まれた地形となっています。このような高低差がある場所では竜の機動性は馬をはるかに凌駕します。攻め込む側が竜を揃えて来たら対抗出来ません」
ライカの弁に誰もが自国の防衛に思いを馳せて唸り声を上げる。
「そこで、国の運用としては馬を千に対して竜を百育成するのが有用なのではないでしょうか?」
そのライカの論から再び流れが変わって、馬と竜を百対一で運用するのが最適解との結論にまとまった。
講師の先生も頷いていたが、メランは一人呟く。
「それって戦術的な話が紛れ込んでいるよね。経営学で考えれば効率的には馬一択で良いんじゃないかな」
「だって、竜はいるだろ」
珍しく理屈ではなく感情で譲らないライカであった。




