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竜の御子は平穏を望む(改訂版)  作者: 蒼衣翼
第四部 魔王の後継は函の中で微睡む

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第七十三話 転ばぬ先の杖

「えっ?それじゃあメダルが揃わなくても三年が経ったら自領に戻るのか」

「うん。目的は卒業じゃないし、勉強の為の費用は領主様に出していただいているからね。約束は三年だし、その期限で考えてる」


 サロンでの何気ない会話で、学院での勉強の進み具合の指標となるメダルの収集具合に話が至った際にライカが答えたのが、時期が来たらメダルの枚数に関わらず、期限が来たら帰るという答えだった。


「先生には卒業だけはしておけって言われているけどね」


 ライカはそう言って笑う。

 しかし、教師がそう言うのは当然だ。

 貴族社会ではこの修学院を卒業したという肩書が最も大事なのである。

 また、派閥の問題もある。

 特に文官の場合は、同じ時期に卒業した者同士で派閥を形成したりもするので、卒業の事実と、いつ卒業したか?という事が重要になっていた。

 だが、それらは貴族同士の付き合いや足を引っ張り合う派閥の存在しない僻地の領地で暮らす予定のライカにとっては全く意味の無いものだ。


「じゃあ次の精霊祭に戻ってしまうんだな」

「そうだね。だから今の内にここでしか学べない講義や、書物なんかを制覇しておきたいんだよね」

「講義はともかく書物の制覇は三年そこそこでは無理だろ。講義も重なっている時間帯のものはさすがに選べないだろうし」

「体が一つしかないのが恨めしいよ」


 冗談めかして笑うライカにメランも苦笑して頷き、たしかに体がいくつもあったら便利だろうなと思った。

 一人は学習し、一人は遊び、一人はのんびり過ごす。

 これだと学習係の体が環境の改善を求めて猛抗議をしそうだ。

 いや、自分の体なら逆にゴロゴロして過ごす時間を退屈と感じて学習係を他の係が羨むだろうか?

 知るというのは一つの快楽であるとメランは思う。

 新しい知識を知る事は体が震えるぐらい楽しいものだ。

 そしてそれをライカも良く知っている。

 ライカは討論ではかなりの優秀さを示していた。

 物事を冷静に見極めて、論理的に思考するのが得意なのだ。

 本当はもっと勉強をしたいだろうし修学院をきちんと卒業したいに違いない。


「費用の問題なら俺が肩代わりして、後々ゆっくり返金してもらうという方法を採っても良いんだぞ?」


 だからメランは余計なお世話と思いながらもそんな提案をした。

 誇り高い貴族相手なら、こんな提案をしたら侮辱をしたとして決闘騒ぎになるかもしれない。


「それはかなり魅力的な提案だなぁ。う~ん。でもじっちゃんもそろそろ限界っぽいんだよね。手紙の内容見ると」

「お祖父さんって、実の?」

「うん、なんかしょっちゅう領主様の所へ様子を聞きに行ってるみたいだし、街では領主様が孫を攫ったとか人聞きの悪い事を吹聴しているっぽいんだよな」

「大丈夫なのか?それ」


 無礼討ち的な意味でメランは心配そうに言った。

 いくら我慢強い貴族でも限界があるし、そもそも明らかに不敬罪で有罪に出来る内容だ。

 成り上がりの貴族の方が先天的な貴族よりも誹りには敏感な傾向がある。

 ちなみにメランはこの会話の中でもライカの義父に対する「領主様」呼びを几帳面に修正させた。


「喧嘩友達みたいなもんだし、街の人も慣れっこだから大丈夫」

「お前の街、一度訪れてみたいよ」

「ぜひ来て、歓迎する。花祭りの頃に来るととても綺麗な風景を見る事が出来るよ。幸福の野にそっくりだってわざわざ訪れる人もいるんだ」

「生きている内に幸福の野を見ちゃうと死んだ時に驚きが少なくてもったいないかもしれないな」


 メランがそう言うと、ライカは声を上げて笑った。


「あはは、そうだね。でも何事も予行練習は大事だってうちの領主さ……ラケルド様がおっしゃってたよ」

「なるほど死ぬ前に予行練習をしておく訳か。案外ライカの街の喜びの野の方が本物より凄いかもしれないしな、何事も言葉で知るより実物を見よって話だよな」

「でも実際、死ぬ前に一目見ておきたいって人なんかも来るんだよね。俺、街の食堂で働いていたから花畑を見に来る旅行者の人と接する事もあったんだけど、老夫婦があんなに美しい場所なら安心だって話しているのを聞いたよ」

「へえ、色々な事を考える人がいるもんだな」


 メランには未知を怖がるという感覚が薄いのであまりその感性が分からない。

 知らない事にぶつかるのはむしろ幸せだと感じてしまうのだ。


 この時はそれだけの話だったが、この会話があった数日後にメランが部屋にいるライカにとある提案を持ち掛ける事となった。


「ライカ、専用販路に興味はないか?」

「専用販路?」

「ああ、貴族家はお抱え商人を使って商取引を行っているんだが、その商人は関税割引と取引きに関わる税免除という強みがあるんで商売で利益が出やすいんだ。そのお抱え商人の仕入れルートの事を専用販路って呼ぶんだ」

「それって狡くない?」

「まぁ利益はその貴族の物として纏めて何割かを上納金として国に納めるからって理屈なんだけどね」

「ああ、なるほど。でも割合はかなり安いんだろうね」

「そりゃあ失敗しない商人になるならお抱え商人とか言われるぐらいだからね。うちの国は前王妃様のおかげで商組合の力が大きいから、他国に比べればまだ一般の商人の利益が守られている方だよ」

「ああ、だから商組合に国の用心棒の人が付いていたりするんだ」

「そう。うちの国の商組合は王家がバックアップしているのさ」


 そしてその商組合を通じて王家は独自の情報網を構築している。

 その辺りは一般の貴族や国民があまり知らない部分だ。


「それでその専用販路を俺もそろそろ持つ事になるんだけど、ライカの街とのルートを作ろうかな?と思っているんだ」

「えっ?」


 ライカは明後日の方向から石でも投げられたかのようにポカンとした顔をした。

 メランは笑う。


「悪い。そうだよな。ライカに貴族の常識は分からないよな」


 メランはライカに説明した。

 裕福な貴族家では跡を継がない子弟に対して独立して生活が出来るように資金提供をするのだが、その資金を使って行われる事の一つが、お抱え商人を雇っての商売である事、お抱え商人を雇ったら独自の仕入れ販売ルートを開拓する必要がある事などといった事だ。


「それってメランが商売をするって事?」

「自分でする訳じゃないけどね。卒業祝いに父が腕利きのお抱え商人を付けてくれるんだ。そこで何を取り扱ってどんなルートを開拓するかは自分の自由なのさ」

「凄いね!」

「割りと貴族家では一般的な成人祝いだね。まぁその子供の資質を試す意味合いもあるけどね。あまり深く考えずにお小遣い稼ぎとして見られる場合が多いかな」

「お小遣い稼ぎで商人を雇うんだ」

「裕福な貴族家の話だけどな」


 ライカの胡乱げな目にどこかいたずらっぽい笑いを浮かべながら、メランは続けた。


「我が国の販路の内大きな物は王都を中心に北から南に抜ける大街道を使うものと、大川を利用した水路だ。大手の商人はこのどちらかをメインルートにして、そこから独自ルートを構築している事が多い。だから我が国では北と南の特産品が強いんだ。ただ、街道があるという事なら古い街道が北から西の山沿いにもある。鉱山の採掘場を巡るルートなんだけどね。これが丁度ライカの街であるニデシス近くまで伸びている。この街と北の辺境領を販路にして王国を四分割した一角をカバー出来るんだ」

「いや、まって、全然分からないから」

「ん?」

「北の辺境領はともかくうちの街はあんまり取り扱える物が無いんじゃない?」

「ああ、点じゃなくって面で考えるんだよ。王国で一番盛んなのが王都を中心とした南東方面ルートなんだ。ここいら辺は平地が多いからな。逆に北西方面は山が多くて販路としては開拓されていない。でも資源の豊富さではこっちの地域の方が豊かなんだ。平地は農作物は豊かだけどそれだけだし、それだと競争相手が多すぎるからね」

「それってうちの街と王都の間の行き来が大変だからじゃないの?」


 自分自身も隊商の一員として大変な道程を歩いた事のあるライカはそう指摘する。

 メランはそのライカの指摘に頷きながらも、指を一本立ててみせた。


「でも西には後何年かすれば街道が開通するだろ?そうなればかなり変わって来る」

「え、西で街道がどのくらい出来てるとか知ってるんだ?」


 ライカはその話をメランにした覚えが無かったので驚いた。

 王都では西に興味がある人などほとんどいない。

 その為、西向きの街道が王都側とニデシス側の両方から造られているのを知らない人も多かった。


「それで専用販路を?」

「ああ、だけど専用販路を開拓するならやっぱり目玉になる商品を考える必要がある。北は問題ないが、西に詳しい人間はほとんどいないからね。ライカに色々教えて欲しいし、現地の繋ぎとして抑えておきたい」

「分かった」


 メランの言葉をやっと飲み込めたライカは頷いた。

 全く迷わないのでメランがまた苦笑いをするが、ライカ本人は今の話だけで全て納得したのだろう。

 ライカのこういう所は一見危うそうなのだが、ライカが迷わない時には問題が起きる事がほとんどない事をメランも学んでいる。


(商売相手となれば細かい連絡を常に取り合う事になる。ライカが帰ってからも近況が分かるようにしておかないとね)


 西の辺境は王都から遠い。

 実の所、商売も嘘ではないが、メランの私情もあったのだ。

 ミアルが条件を揃えて改めてライカに向き合おうとした時には既にライカは結婚していて全てが遅かったという事にはしたくなかったのである。

 結婚していたらミアルが失恋して可哀想という事ではない。

 いくらなんでも大事な友人同士が恋愛沙汰で血を血で洗うという事態になって欲しくないからだ。

 ミアルは決して諦めない。


(まぁ退屈はしないよな)


 何が起こるか分からない友人たちの周囲を見ているだけできっと一生退屈しないだろうなとメランは思っていた。

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