第六十八話 手の届く場所
「それで、兄上の立太子に伴って、私も父上にお願いをしようと思っているのだが、それが順当かどうかメラースに判断して欲しくてな」
「私ごときの見解でご参考になるようなら喜んで」
メランは胸に手を当てて王族に対する礼を取った。
イアース王子は一つ頷くと言葉を継ぐ。
「実はな、辺境領をねだろうと思っているのだ」
「それは!……なるほど。良いご進言だと思います」
イアース王子が辺境の領主になる。
それは今辺境が抱える懸念を一気に晴らす良案でもあった。
元々イアース王子の能力への周囲の評価は高いが、それでも若すぎる領主というのは不安がられるものだ。
しかし、それが現在の辺境領へ王子がとなると話は違う。
王家による統治は民に安心感と優越感を与える。
大規模な粛清で戦々恐々としていた領民や周辺諸領の者達への慰撫に繋がるだろう。
それに貴族に対して我を張っていた者達も、相手が王族となれば膝を折りやすい。
王子の人柄もあるし、辺境領の今の雰囲気は一掃されるのは間違いないだろう。
しかし、それは同時にイアース王子が二度と中央に戻れないという事を意味していた。
王位継承権を放棄するのに等しい。
と言うよりも、そもそもイアース王子自身としてはこちらの方が本命だろう。
兄と敵対したくないのだ。
だが、それは兄の為にその剣となろうと考えて自らを鍛えていたその夢を捨てるという事を意味していた。
「私が近くに在れば在る程、結局は兄上の害となった。子どもの無知とは残酷なものだ」
「純粋な想いを悪しざまに責める事はありません。問題は周囲にあって、お二人が悪い訳ではないのですから」
イアース王子は小さく頷くと、ふと微笑んでみせた。
「そう言えばメラースが兄上に助言してくれたそうではないか。以前は何にも関わらないといった体だったのにどんな心境の変化があったのだ?」
「その節は申し訳ありませんでした。でもテリエス様が何がしかの行動をお起こしになられたとしても決して私などの助言によるものではありますまい。殿下も思う所がお有りだったのでしょう」
「最近は随分社交的になったと聞いているぞ」
イアース王子の兄であるテリエスの話へと話題を逸らそうとしたメランだったが、どうやら王子はごまかされてはくれないようだった。
メランは一つ息を吐くと、少し困ったように言う。
「強いて言えば友人が出来たおかげですね」
「それも件の英雄殿のご子息のおかげか、さすがはと言うべきなのかな」
「いえ、ライカ、サクル卿はごく普通の青年ですよ。決して臆病ではありませんが英雄というような人柄ではありません。そうですね、少し変わってはいますが、話していて気持ちがいい人物ですよ」
「そうだぞ!だから兄上はライカには構わないように」
メランの言葉にかぶせるようにミアルが強く言った。
メランはふうとため息を吐くと、ミアルを胡乱げな目で見る。
最近メランは強く感じるようになって来ていたのだが、ミアルはどうも異常に独占欲が強いようだった。
(まぁ、ライカに対してだけかもしれないが)
「ほう、そう言われるとますます気になるな」
「兄上はテリエス兄上の事だけ気になさっていたらいいのですよ。よそ見などしているから話がややこしくなるのです。周りに気を使って結局はご自分が割を食うなど私には愚かな事にしか思えませんね」
「ミアル様」
さすがに言い過ぎとメランはミアルをたしなめるが、ミアルは自らの言動に一つも恥じる事などないと言いたげに胸を張った。
「結局の所兄上方の生き方を選ぶのはご自身以外には無いのです。それなのに流されるまま廃嫡の道を選ぼうとなさっていたテリエス兄上も、それを止めるどころかご自身の立ち位置すら定めなかったイアース兄上も見ていてイライラさせられたものです。ですがまぁ何より陛下がつまらないお方だったのがこの国の一番の問題ですね」
「ミアル!」
さすがに王を批判するのは不味い。
修練の時以外は滅多に声を荒げないと評判のイアース王子が鋭くミアルを叱責した。
この場に三人しかいなくとも、誰がどこで聞いているか分からないのだ。
「バカバカしい、陛下の愚かさは誰もが知る所でしょう。確かに政に破綻は見られませんが家庭には完全に失敗している。王妃は一人がこの国の伝統であるのに貴族どもから押し付けられた二人の王妃を拒むことすらなさらなかった挙句愛する努力すらされる事なく二人の女性のみならずその子ども達をも不幸にした。ご自分の血統に引け目を感じているから?違いますね、陛下が引け目を感じているのはその母君に対してだ。お祖母様が偉大すぎていすくんでおられるだけの話ですよ。いい大人が恥ずかしいと思うべきではありませんか?」
「ミアルいい加減にしないか!いくらお前でもそれ以上言い及ぶならば年長者の責務として謹慎を申し付けなければならなくなるぞ」
「どうぞ、別に私は気にしませんよ?謹慎でも投獄でもお好きにすると良い。言うべき事を言えないような家族など他人より始末に悪い存在でしょう」
「……ミアル」
結局困ったように目を伏せたのはイアース王子だった。
その間メランは一連の会話を聞かないふりを決め込んだ。
一臣民としても友人としてもそうする以外には無い。
あえて王を擁護するなら彼こそが百年近く続いた北方諸国の戦争を終わらせた立役者だった。
突然国に現れた竜騎士のラケルドを臣下として召し抱え、彼の献策を元に気の長い交渉の末に国家間の仲裁を成し遂げたのだ。
その決断力と実行力は高く評価されてしかるべきだろう。
公的には間違いなく有能な王だったが、その反面私人としては人間味の薄い人物として知られていた。
なにしろ妻達や子ども達とプライベートな会話を交わすという事を全くして来なかった人物なのだ。
妻や子どもにどう言われても仕方がないと言えるだろう。
「そう言えばミアル様は塾の女性達とのお茶会でどのようなお話を?」
とりあえず空気を変える為に水を向ける。
「ああうん。まぁあれだな庶民も貴族も女性が集まると大体話の内容は同じだな。着るものと食べ物と男の話題だ」
「ははあなるほど」
「男が酒と武勇と女の話題ばかりなのとまぁ似たようなものだ」
「両方に造詣が深いという方も他にはあまりいないでしょうね」
「年頃の娘達は特に異性の話題に敏感だ。私が近衛隊の内情に詳しいと知って、その情報の対価としてちやほやしてくれてな。全く素直で可愛い娘達だ」
「まぁ近衛隊は結婚相手として人気ですからね」
「そう言えば去年近衛隊に就任した友人も突然女性にモテ始めたと言っていたな」
王子も加わって一気に俗な話題となった。
近衛隊がいかにモテるかの話題で一通り盛り上がった所で、ふとミアルが何気なく思い出したようにメランに言った。
「ああそうだ。私は此度近衛隊から出る事となった」
「えっ?」
メランが驚きの声を上げた。
ミアルがお飾りであっても兵として過ごせるのは近衛隊にいたからだ。
それを取り上げられては今までミアルが築いて来た全てが水の泡となってしまう。
しかし、それを告げたミアルに悲壮な雰囲気はなかった。
「年明けから北門部隊配属となる」
「ええっ!北門部隊と言えば実戦部隊じゃないですか?どうしてそんな事に?」
「実はな、こんな私にも軍の中に融通を利かせてくれる知り合いが増えた。幾人かには命の恩人と目されているらしい。軍人というのは一度懐に入ってしまえばその価値観は強さ一択でとても分かりやすい世界だ。私が女というのも最近では良い方向に作用している。まさしくライカの言う通り自然体でいれば男と言うのは女に良い格好を見せたいものという事だ」
「ははぁ」
メランはミアルに助言したらしいライカに恨み言を言いたい気分になった。
ミアルは明らかに段々手の付けられない人間に成長している。
「近衛隊では手柄の立てようもないからな。やはり実戦を多く経験出来る場所にいなくては」
「やれやれ、うちの妹君はどうやら女だてらに将軍にでもなるつもりらしいぞ。私もうかうかしていられないな」
近い将来に将軍になるだろうと予想されていたイアース王子が冗談のように言う。
とは言え辺境領主の願いが聞き入れられてしまえばイアース王子に軍での地位は無くなる。
その変わり辺境に独立軍を持つ事が出来るので領主となった時点で辺境領軍の指揮官となるのだ。
イアース王子は武に優れた王子だが、その本領は指揮能力にあるとされている。
ミアルはどちらかと言うと自分が戦うのが得意な人間なので得意分野は少々違う。
そのせいか、そもそもイアース王子はミアルの戦いぶりを見た事が無いゆえか、どこか妹の軍隊での行いを単なるかわいいわがままの一環であると思っている節があった。
いやミアルがあえて身内にはそう思わせているようなのだ。
(本当に、そうなるかもしれませんよ)
メランはそう思うが口にはしない。
ミアルの望みを断つ者がいるとしたらそれは彼女の身内であるという事をメランもまた理解していた。
なんだかんだと言って、メランは最も努力して自らの居場所を勝ち取って来たミアルを最も尊敬していたのである。
出来れば彼女の望みを叶えてやりたいと思うほどに。
「辺境は今後も色々な焦点となりそうですから、兄上も頑張ってくださいね」
「それは少し気が早いな」
王はイアース王子の申し出を容れるであろうとメランは見ている。
立太子のめでたい時期である事もあるが、実際辺境に王族を送り込むのは良い策だ。
実を採るあの王ならそう考えるであろう事が予見出来る。
不安定だった国の形が美しく整っていくのをメランは感じて安堵と共に焦燥も感じていた。
土台が整ったら、物事を変化させるには慎重さが必要となる。
その時には親しい者達が息苦しくない世界にするために必要な物を見極めなくてはならないのだから。




