第六十四話 馬上試合 其の二
ほとんど全員の予想通り騎馬での戦いの最後はイアース王子とウーロス卿ポリュボテスとの一騎打ちとなったが、その終わり方は誰もが意表を突かれる形となった。
「我は王家に剣を捧げた身、いかにして御身に剣を向けられましょうか」
ポリュボテスが馬を降り、片膝を突いて頭を垂れて戦う前に敗北したのである。
これにはさすがに気の良いイアース王子も怒った。
「学びの場において身分を持ち出すとはいかなることか!」
「お怒りであれば甘んじてそのお怒りをお受け致します。どうぞこの身をお裁きください」
この融通の利かなさがポリュボテスの最大の欠点と言って良いだろう。
メランはこの武勇に秀でた男をライカとの関わりから注視して来たが、その本質はいかにも武辺らしい男だった。
良く言えば生真面目、悪く言えば思考が硬直している。
悪い人間ではないのだろうが、敵を多く作るタイプの人間だ。
今もせっかくの試合を台無しにしたとして高位貴族の学生達の不興を買っていた。
中にはこれみよがしに「媚を売りおって」と吐き捨てる者すらいる。
特にウーロス砦の騎士団によって討ち滅ぼされた辺境領主一族と親しかった家の者は彼に対して憎しみに近い感情を抱いていてそれを隠そうともしなかった。
彼らの間の力関係や人間関係を密かに調整しているメランにとっては頭の痛い問題だ。
「おお、ライカ君、ここにいたのか」
果樹の木陰のベンチで観戦をしていたライカとメランの元へ一人の男がやって来たのはゴタゴタしながらも一通りの試合が終わった頃だった。
「あ、先生、こんにちは」
「お疲れ様です」
ライカの含むもののない挨拶と、メランの丁寧な敬いを込めた挨拶を受けて、相手の男が胸に手を当てて文官特有の礼を返す。
文官と言っても、彼は正確な意味では官僚ではない。
名をテクネー・イアトリケーと言い、医学の教師であり、同時にこの塾の専任の医師でもあった。
「すまないが、少し手伝いを頼めないだろうか?実地研修として銅メダル三枚加点出来るぞ」
「なかなか気前が良いですね」
銅メダル三枚という事は講義三回分の加点だ。
普通授業中に評価の高い実績を残した生徒でも講義一回分にプラス一枚、つまり銅メダル二枚ほどしか貰えない事を考えれば大盤振る舞いと言って良いだろう。
メランが思わずイアトリケー師の言葉に反応したのも当然の事と言えた。
「まぁ毎年の事なのだが、今回はどうも怪我の度合いの酷い者が多くてね。薬が足りなくなりそうなのだよ」
「ああ、なるほど」
原因は明らかだ。
ポリュボテスである。
手加減という事の出来ないあの男が力任せに振るった槍で多くの見習い騎馬兵がふっ飛ばされた所をメランも呆れ果てながら見ていた。
下手したら死人が出る勢いだ。
「命に関わる者はいなかったのですか?」
「そこはなんとか砂地ではあったしな。初期の手当は終わったので今は助手達と兵士の幾人かで救護棟に搬送している所だ。どうも専門的な仕事を任せられる者の人数が足りなくなりそうという事で、うちの受講者の中から成績優秀者を引っ張っている所なのだよ」
「分かりました!お手伝いさせていただきます」
イアトリケー師の話にメランがほっと胸を撫で下ろしている横で、ライカは素早く動き出す。
「じゃあ、行って来る」
メランに対する挨拶もそこそこにライカはイアトリケー師と連れ立って治療所に向かった。
その背を見送りながらメランは思う。
ライカは治療者である療法士になりたいのだろうか?と。
メランが見た所ライカの採っている講義は政治、経済、生産と医学、そして竜術だ。
もし領主の補佐役として働くつもりなら医学と竜術はなんとなく合致しないのである。
それでもライカの地元の領主が竜持ちである事や、そもそもライカが奇縁によって竜持ちになってしまった事から竜術に関してはまぁ仕方ないと言って良いだろう。
問題が医学だ。
実の所医学はかなり専門色の強い学問で、塾での授業では本職となれる程の学習は出来ない。
この塾で習う医学とはもっぱら緊急処置のやり方と基礎的な薬学のみなのだ。
だからもしライカが療法士になりたいのなら、この塾で学ぶよりも療法士に弟子入りするべきという事になる。
とは言え、一般的な町や村で庶民を看る治療士ならこの塾で習った程度の知識でも問題なくなれるのだが。
そういった事をライカが知らないはずは無いのだから余計な心配とは思いつつ、友人の学習の偏りが気になるメランではあった。
「おっと、そうだ。俺もやる事をやっておくか」
メランはそう呟くと、未だざわざわしている競技場の方へ足を伸ばした。
少し離れて見ていた時にはまだ客観視出来ていたので良かったが、試合で興奮した者達の生の感情がむき出しになった現場はなかなかに精神的に辛いものがある。
他人と積極的に交わって来なかったメランにとっては苦手中の苦手な場所の一つだ。
「あそこまで行くと逆に無礼でしょう!」
「ウーロスは時代遅れを通り越してもはや遺物と言うべきなのでは?」
イアース王子の取り巻き近くに行くと、そこには純然たる悪意が溢れていた。
その中心となっているイアースは周囲が激高している分だけ既に冷静になっているように見える。
彼らの元へメランが近付くと取り巻き達の一部が気付いてぎょっとしたようにメランを見た。
遠巻きに王子達を眺めているような者達はメランの姿を訝しげに見るだけだが、高位貴族にはメランを見知っている者、そしてメランの漆黒の目と髪の色の意味を知っている者がいる。
彼らは腫れ物に触れたかのような微妙な表情でメランを見ると、自然に道を開けた。
「殿下、優勝おめでとうございます」
メランの言葉にイアースが苦く笑う。
「どうもその言葉を素直に受ける事が出来ない狭量な私を許してくれ」
「ウーロス卿の事ならお気になさる必要はありません。あれは彼なりの信念を通しただけの事、いわば彼のわがままです。自分のわがままで負けたのですから彼も満足でしょう。そもそも殿下が王族である事は生まれ持った才能と同じような物。それによって利を得るのは生まれつき怪力の者が他者より有利な事と同じと言えるのではありませんか?それを悩むのは生まれを司る天に抗議するようなものです」
「全くお前は。口から生まれたと父君がおっしゃるはずだ。だが、ありがとう、少し気持ちが楽になった」
イアースが思ったよりも冷静だった事にホッとしたメランだったが、一方で父が王家の子ども達に自分に関してそんな愚痴のような話をしているという事実を知ってやや愕然とした思いを味わった。
案外とあの父も父親らしい所があるのだとなんとも言えない気分を噛み締めながら、メランは言葉を続ける。
「ところでお怪我はありませんでしたか?」
「私の周りには過保護な者が多くてな、かすり傷程度しか許してはくれぬ」
イアースはくすくすと笑いながら今まさに取り外したばかりの防具を示した。
羊毛をギチギチに詰めたような首当てと頑丈な兜、胴の部分にもベッドのマットレスのような厚みの胴当てを装着している。
それに、と、メランは考えた。
ポリュボテスほどあからさまでは無いものの、対戦相手は大方怪我をさせないように気を使った事だろう。
イアースの剣技や体術は傑出したものだが、対戦相手が急所攻めをしてくれば当然不測の事態は起こり得る。
だれだってその加害者にはなりたいとは思わないものだ。
ある意味それを堂々と言ってのけたポリュボテスは正直者と言えよう。
まぁ、あの男は実際に対戦したら手加減の出来ない性質なのだからメランとしては正直やめてくれて良かったと言わざるを得ない。
「殿下、それならば後でお時間を作っていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないぞ。その時に使いを出そう。それで良いか?」
「はい。ありがとうございます」
一応は学生同士身分差を主張しないという建前があるので、仰々しくならない程度の丁寧な礼をしてメランはイアース王子の取り巻きから離れた。
メランが去るとそこに生じた強張りが解けて、普段通りのやり取りが戻った。
まるでメランが接していた時間だけ彼らにとっては無かった物のように振る舞ってみせる。
嫌われている訳でも、ましてや好かれている訳でもない。
触れると災厄を招くという伝説の箱のような扱いにメランはなんとなく懐かしい思いを抱いた。
生まれを厭って天に抗議するようなとメランはイアースに言ったが、少し前までのメランこそがそう言った鬱屈を抱えていた事を思い出したのだ。
ライカに出会って、自分が随分変わった事を改めて感じたメランだった。




