第五十六話 狩られる者
その砦は天然の要塞と言って良い構造となっていた。
高い崖の途中に広いテラス状になった岩棚があり、そこに木材を使った塀と岩肌を削った倉庫らしき場所、木造の物見櫓や住居が並ぶ。
攻略するには崖を這い登るか逆に背後の崖の上から下りるかしかない。
どちらを選んでも砦側からは丸見えなので狙い撃ち状態となるのだ。
いくら精鋭の王国兵であろうとこの砦をまともに攻略しようと思えばとてつもない苦労をする事となっただろう。
この砦の存在を斥候から報告された今回の討伐軍の指揮官は、まずは砦を守る者達の様子を確認するように指示を出した。
しかし、砦には人気がないという報告を受けて、不審に思い調査隊を派遣する事としたのである。
万が一の時の為に拠点防衛に半数を残し、本体はこの砦の下の森に展開した。
普通の戦とは逆にこの討伐隊において最前線には高位貴族の子弟が多くいる。
彼らがより手柄を立てられるようにとの配置であった。
その当の高位貴族の子弟は苛立っていた。
なにしろ不自由な野営続きで、しかも夜間の騒ぎでまともに眠れていない。
炊煙を上げるのを嫌った指揮官は料理をするのを許さなかったので食事も質素な保存食となっていた。
軍人とは言えどこかに甘さがある貴族の子弟達の我慢は限界に達しようとしていた。
「あそこに誰もいないのならばあそこを我らの拠点とすれば良いのではないか?それなら闇にまぎれての襲撃もなくなって安心して快適に過ごせるであろう?」
ある意味ワガママな意見だが、実際彼らの言う事も確かに間違ってはいない。
堅牢な砦には安心感があるのだ。
しかしそれは守る側でいる時の話だろう。
彼らは討伐に来ているのであって決して立てこもりたい訳ではないのだ。
強固だが出入りの不自由な砦は討伐隊の拠点としてはあまり意味がない。
この討伐隊の指揮官である大隊長もそう判断し、砦の中の物資だけを鹵獲して流用する事にした。
兵士達をグループ分けすると、砦に残っていた食料などの鹵獲品を吊り下げて下ろし、下で並べて仕分けして兵士達の手で拠点に運ぶ。
そういう段取りだ。
ミアルは安全を確保してから一度砦確認したが、何も不審な所は無かった。
そして逆にそれだからこそ不審に感じた。
拠点の防衛と荷物の受け取りの為に河原に残る部隊に振り分けられたミアルは、自分の感じた違和感について考えていた。
しばし考えてミアルはああと頷く。
「きれいすぎたんだ」
砦はとてもきれいに掃除されていた。
ホコリ一つ無い程に。
ではなぜ、そんな必要があったのか?
砦を引き払うならそんなに気を使う必要はない。
そんな気を使うならまず物資を移動させるべきだろう。
それなのに物資はそのままで掃除だけが行き届いている。
ミアルがそうやって砦について思いを巡らせていた時、森の奥、丁度砦がある方から大きな音が響いた。
「な、なんだ!」
「浮足立つな!ここの責任者は誰だ?」
ミアルは騒ぐ見張りの兵を落ち着かせると残された隊の責任者の名前を聞き出し、拠点の本陣へと赴き、現在の責任者に砦の部隊へ伝令を出すように持ちかけた。
拠点に残った上位者は高位貴族の従者であり、能力は高いが命令無しには動きが取れない人間だ。
彼らが決断を下すには王族のミアルからの後押しがあれば動きやすいと判断したからである。
が、すぐにそれを断念する事となる。
残った者達で意見をまとめている間に砦側から兵が駆け込んで来たのだ。
「な、なんだと!大隊長が!」
彼らが持ち込んで来た話は拠点の者達をうろたえさせるに十分な内容だった。
突如崖の上から大量の丸太や岩が転がり落ちて来て多くの人間が死傷し、その死亡した中にこの討伐軍の指揮官である大隊長がいたというのである。
いかに武勇に優れた武人でも相手が落下物では太刀打ち出来なかったという事だ。
そしてこの手柄狙いの烏合の衆である部隊をまとめる者がいなくなったという事は、この集団から動きの軽快さを失わせた。
落下物の犠牲者は十六人、砦の中に居たもの達が五人、崖下で荷物を運び出していた者が十一人死亡した。
当の大隊長は全体の指揮を取る為に砦の真下にいたという事だからおそらくは大隊長を狙って落としたのだろう。
そう、誰かが落としたのだ。
「なんと卑怯な!」
残った者達はいきり立ったが、結果として敵の術中にハマったという事である。
そもそも反逆者を討伐に来ているのだから相手が卑怯であっても今更その名誉をそれ以上貶めようもない。
だがそれにしてもと、ミアルは思う。
賊徒となった者達も数十人はいるはずなのに全く姿が見えないのはおかしい。
自分が敵の指揮官なら彼らが混乱している時に一挙に攻めただろう。
指揮官を失った直後ならもはや纏まった行動が取れない。
そうなれば王国兵は我先に逃げ出したに違いない。
「やっぱり、そうなのか」
ミアルは一人思考を働かせながらも、本陣へと顔を出し、撤退を進言した。
その意見には苛立ちと冷ややかな反応を持って報いられる。
失点ばかり増やして成果もなく軍を退く訳にはいかないと、指揮権で揉める中、そればかりは同じ意見を表明してみせたのだ。
「やっかいだな」
彼らとて一度撤退した方が良いという事は分かっているはずだ。
むしろ撤退したいに違いない。
しかし互いが互いに張り合っている状況で率先して撤退の言葉を受け入れる事が出来ないでいるのである。
王族の提案であるからと乗っかれば良いのにと思うのだが、さすがに継承権も王族としての発言権もないミアルではそこまでの頼りがいは無かったらしい。
「仕方ない」
ミアルはこれ以上の犠牲を出さない為には自ら動き出すしかないと考えた。
幸い、ミアルの立場は今回の討伐軍の指揮系統からは外れた遊撃部隊だ。
本陣が方針を決めかねている今ならば勝手に動いても咎められる事もないだろう。
問題は敵が自分という獲物に食いつくか?だった。
今までの攻撃方法から判断するに、相手はこの集団に精神的な揺さぶりを仕掛けていると見ていい。
そういう意味ではミアルは本隊から外れた存在であり、相手にとってわざわざ危険を犯して始末する価値がある獲物では無い可能性が高かった。
そこでミアルは出立時に近衛隊長から借り受けた一つの道具を取り出しそれに掛かっているヒモを頭から通して首から下げる。
銀色に輝く一見装飾品のように見えるそれは、聖叉と呼ばれる物で、ただ一つの忌まわしい役割を持っていた。
すなわち「殺戮者」と声を潜めて囁かれている者達を裁き、命を奪う為の道具なのだ。
やや黒みがかったミアルの鎧の上で光るその銀の聖叉は目立つはずである。
「推測が当たっていれば釣れるはず。外れていれば討伐は正攻法で問題ない」
ミアルはショートスピアと大弓を装備すると、見張りの者達に哨戒を行う事を告げて、止める隙を与えずに単身森の中へと分け入ったのだった。
とは言え、ミアルはさして森の奥深くへとは進まず、河原から続く人が通っていたと思われる道を辿る。
この獣道のような道は進むとその先に旅人が使う山道があり、襲撃に使われていたと考えられている道だ。
そのため道にはそれと分からないように手が入れてあり、鎧姿でも動きやすい。
と、カサリと僅かな音を聞いてミアルはとっさに体を前に投げ出すように片手を突き、前転するように回ると着地した。
同時に手にしたショートスピアを風を切るような速さで突き出す。
「おおう、こえーこえー、まぁよくもそんな重てえカッコで動けるよな。全く騎士様ってのはつくづくバケモン揃いだぜ」
ミアルの突きを傍らの木の幹を蹴って斜めに飛ぶ事で避けた男が、そのまま枝に逆さまにぶら下がりながら揶揄してみせた。
ミアルは構わず胸元の聖叉を手にすると、それをショートスピアの柄で叩く。
音とも言いがたい反響が辺りに響くが、既に先ほどの男の姿は周囲にはいなかった。
「それさぁ、ある程度近くからじゃないと効果がないんだよね。俺の守ってた商会の隊商の奴がさ、必要もない時に使うもんだから範囲を覚えちゃったよ」
「なるほど、それはお上に注意しておくべきだな」
言いながらミアルは弓に手早く弦を張り相手の姿を探す。
「ねーねー、なんで最初の攻撃に気付いたん?俺、自信があったからショックだったんだよね」
「簡単だ。お前の殺気に生き物達が怯えて息を潜めていた。その中で動きを感じるのならそれはお前という事になる」
「いや、それ意味ワカンネーし、動きを感じるって何よ?」
「どんなに密かに動いたとしても周囲の物を何一つ動かさずに動ける者などいない。体を押し包む大気は実は水のような物だからだ。何かが動けばそこから周囲にその動きは波及するのだ」
「へえ?んじゃこれは分かる?」
ひゅっと、飛来する物を感じてミアルはとっさに体をずらした。
が、そのずらした側に飛来したナイフが甲高い音を立ててミアルの鎧の上で回転して地面に落ちる。
「ん?その鎧どうなってるの?継ぎ目に当てたつもりだったんだけどな」
その声が聞こえるか聞こえないかという狭間に、ミアルは聖叉を鳴らす。
「っ!おっかね、そっちも間合いを大体把握してるって事か?」
「随分しゃべるじゃないか。今までの殺しでは我慢して来たのか?」
「だって、どうせなら追い詰めて追い詰めて怖がってる奴の声を聞きたいじゃないか。楽しみは最後にとっとくのが良いんだよ」
「殺戮者である所以だな」
「おいおい、そこら辺の馬鹿どもと十把一からげにされちゃ傷つくぜ?俺は機会を伺っていただけだからな」
「反乱軍はどうした?」
「はんらんぐん?あの兵隊崩れの山賊のことかい?」
ミアルは会話を引き伸ばしながら相手の位置を探って矢を射ようとするのだが、次々と居所を変えているらしく声の場所も気配も定まらない。
先ほどの攻撃からしても相手の方が手が早いのは確定だった。
そして恐ろしいぐらいに身軽だ。
一方のミアルは完全に待ちの姿勢となっている。
相手が自分を狙っている以上その方法が一番敵の動きを読みやすいからだ。
一触即発、張り詰めた空気の中でお互いの動きの読み合いが続く。
と、そこへ。
「ミアルさまぁ!」
一人の近衛兵の声が割り込み、空気を乱す。
「へっ」
「ちっ」
ミアルは素早く矢をつがえると放つ。
不用意に森へと踏み込んだ近衛兵は目前を通り抜ける矢に体勢を崩して転がった。
その頭のあった所の木の幹にナイフが刺さる。
「ひぃ!」
だが、危険は驚きの声を上げる近衛兵の元には既に無い。
「ちぃ!」
「貰ったぜ!」
ミアルのショートスピアより一瞬早く、ナイフの閃きが聖叉に繋がったヒモを切り落とす。
それを拾う暇を相手は与えなかった。
恐ろしい勢いで小石が飛来するのをミアルは半ばを避け、半ばを鎧で弾く。
これが普通の板金の鎧だったらおそらくは凹むか下手をしたら貫通していたであろう勢いだった。
ミアルの鎧でも中身の体にダメージが通っている。
ミアルはとっさに体を低く伏せるとショートスピアを頭上に突き出す。
「っと!動きが読みにくい奴だな!」
敵が舌打ちするのを聞きながら、ミアルは体勢を立て直して二本の巨木を盾にするように回り込んだ。
「敵襲だぁ!」
「ミアルさま!今お助けを!」
味方の増援に、まずいと思ったのはむしろミアルの方だった。
気配が入り乱れては相手の攻撃が読めなくなってしまうのだ。
その時だった。
―…ウォォォォォオン!!
辺りに狼の遠吠えが響き、それと共に、名状しがたい怖れをその場の者達は感じる事となったのである。




