第五十話 殺戮者
ミアルが珍しく正式な手続きで面会を申し込んで来た時、メランは激しく嫌な予感に襲われた。
基本的にミアルは横紙破りな人間であまり儀礼や形式を重要視しない傾向がある。
周囲の人間達は彼女がまっとうな教育を受けていないからだと囁いているが、実の所彼女は兄達に混ざって王族の基本的な教育は受けていた。
ミアルが奔放な性格なのはそういう人間性であって、教育が足りないという訳ではないとメランは知っている。
いや、もしかしたら彼女はある程度自分を低く見せる事で危険視されないように我が身を守っているのかもしれないとメランは思っていた。
幼い頃のメランの印象だとミアルという少女は思慮深い、いっそ狡猾と言って良いぐらい計算高い子供だった。
兄王子達の勉強に混ざった時も、本来なら追い出される所を巧みに兄や教師の思考を誘導してかわいい妹のわがままであり、勉強自体が分かっている訳ではないと相手に受け取らせていたのである。
「あなたは昔からやたらずる賢い子供でした」
「そういう言い方は傷つくぞ。子供の頃は周りが年上ばかりで精一杯背伸びをしていただけの話だろ?」
そんな風にさらりと受け流すミアルに、メランはますます疑惑の視線を投げる。
「なんでわざわざ呼び出したんですか?いつも傍若無人に校内に入り込んでいるじゃないですか」
「うん?まぁ、それはあれだ。ちょっとライカに会いたくなかった」
「はあ?」
この少女と言って良い年頃の王女様が自分の同室の友人であるライカにぞっこんである事を知っているメランとしては、まさに何言ってるんだ?という気分になる発言だった。
一瞬、メランは本気でこの幼なじみの王女様の精神の異常を心配した。
「なんだ、その道端でゲロを吐いてる酔っぱらいを見るような目は」
「どんな例えですか!」
二人が話し合っているのは面会者用の対話室である。
小規模のサロンのような場所で、基本的に二人で使う部屋と考えるとやや広すぎる感覚のある場所だが、利用するのは貴族同士であり、付き人や護衛などを伴っている事を考えればむしろ手狭なのかもしれない。
さすがに利用者は貴族ばかりなので調度品も設備も見事な場所であった。
塾は学生が使う場所は華美な装飾を嫌うので学生サロンも装飾の少ないシンプルな造りだが、この対話室は保護者向けという事なのか、上品でありながら貴族らしい造りとなっている。
いつもの全身鎧姿のミアルであったなら浮きまくっていただろう。
しかし、今日の彼女は男装とは言え、きちんと貴族服であったのでそれほど浮いていない。
以前メランがミアルになぜ普段着を男装にしているのか?と聞いた事があるのだが、「剣帯が着けられないし動きにくい」という答えであった。
非常に汚い話をしたミアルだが、その口で優雅に茶をすすってみせた。
想像力が貧困なのかゲロを見たとしても茶を嗜むのに影響しない性質なのか、単に無神経なのか、と、メランは自分の茶を見てげんなりしながら言葉を継いだ。
「それで、ライカを避けて私にお話というのは何なのでしょうか?」
「うむ、任務で出立するのだが、その前に少し情報収集をしようと思ってな」
「任務、ですか?」
メランの記憶だとミアルは近衛隊で名ばかりの閑職持ちだったはずだ。
そもそも近衛隊が任務で他所に遠征とか有り得ない話だ。
先日の大規模な訓練なら話は分かるが、近衛隊の任務は基本的には城郭内の警備なのだ。
「実は過日の辺境の反乱の後始末のようなものだ。進軍して来た反乱軍と、王都内の屋敷での事件の犯人は驚くべき手際で殲滅、捕縛されたが、本拠地である辺境地域の平定にはかなり時間を要した。そして案の定かなりの数に逃げられた」
「は、はあ」
王都と辺境の地との間の距離は実に馬で月が満ちて欠ける程の時間が掛かる距離である。
西の僻地であるライカの地元のニデシスですら十日程で行けるのだから辺境の地がいかに遠いかが分かるだろう。
そこへさらに軍議をして軍の編成をして準備をして遠征したのだから季節がすっかり変わってしまう程の時間が過ぎたのは当然で、その上平定軍の進軍はある意味優雅とすら言えるものだったと言われている。
そしてそれを待ち受けるのはとっくに自軍の殲滅を知っていた辺境領地の主格の者達だ。すでに準備万端で砦にこもって平定軍を迎え撃ち、籠城戦を続けた。
結局その砦は落とし、敵のほとんどを撃破したとは言え、数に勝るはずの遠征軍もその半数を失って「凱旋」して来たのである。
当然ながら掃討戦を行う余裕はなかった。
そして元辺境候の主従の生き残りは交通の要所である山岳地帯の主街道を襲う反乱軍の生き残りという名の山賊となってしまったのである。
なにしろ元軍隊だ、その被害は大きかった。
「しかし辺境領自体は抑えたのでしょう?」
「確かに砦と辺境の街は押さえたが、任命されてその地に赴いた次の領主がその逆賊に襲われてな、結局王国はまだ辺境を実質的には治める事が出来ていない状態なのだ」
「ははあ、それで業を煮やして生き残りの討伐を軍に命じたという事ですか。しかし、これは近衛に下るはずのない命ですよね?」
「ああ、命を受けたのは我が母上のご実家であるネトル家率いる第一軍だ。王家という大地を守護するイラクサだな。どうやらウーロス家にいいところを奪われたのがよっぽど癪に障ったらしくて手柄を欲しがっている」
「ウーロス家はその前に失態があったのですから実質的にはそう大した手柄という訳でもなかったのでは?」
「継嗣が王子を守ったからな、その上隠していたはずの反乱軍の撃破が当たり前のように市民の間で事実として語られているし、ウーロスの一族は王都ではすっかり英雄視されているのが現状だ」
「ははあ、それが面白くないと」
「貴族の体面というのは面倒くさいな」
「まぁそれは仕方のない事ですからね。で、それでなんであなた様がそこに入り込む事になったのですか」
「うむ、実はな。うちの隊長どのが近衛は舐められていると大層お悩みの様子でな、そこで近衛から遠征軍に人と物を出して少し貸しを作ってみては?と提案してみた」
「はあ?」
メランは思わずうさんくさそうに声を上げた。
まぁ遠征にあたって物資を融通するというのは良いだろう。
遠征にはやたらと物資が必要だし、受け取る方も大した借りではないから気にせずに受けるはずだ。
しかし武官は違う。
命令系統の違う兵や武官など百害あって一利なしだ。
それぐらいは軍というものがよく分かっていないメランでも分かる話である。
「実は母の実家の一族の方々の中には、私の扱いを不憫に思うお方もいてな。つねづね何か力になれる事があるのなら言ってくれと言っていたのだ。そこでその方に陛下の為にお役に立つ事が出来たならすこしは認めてもらえるかもしれませんと殊勝そうに言ってみた」
「うわあ」
要するに、ミアルは親族の中でも奇跡的に人が良い人間をだまくらかして無理やり自分を討伐隊にねじ込んだという事だ。
あくどい、あくどすぎる、メランは戦慄した。
そして同時に安心もした。
正式に面会者としてミアルが正装で現れた時には何か悪いことでも起こるのかと慄いたが、やはりミアルはミアルであったのだ。
「それで、知りたい事というのは何なんですか?」
「ああ、それなんだが、お前、王家が密かに飼っている狂犬の事を知っているか?」
「狂犬?」
「ああ、商業組合の用心棒として派遣しているという形にしているあの凶悪な守護者達の事だ」
「殺戮者の事ですか」
ミアルの言葉にメランは苦々しい思いでその連中の存在を思い出した。
彼らは本来なら問答無用で死罪になる人殺し達である。
他の事には全く関心を寄せる事なく、ただただ人殺しの技を極め、楽しみの為に人を殺す狂人達だ。
戦争後に世に放たれたそういった連中を捕獲した国は、彼らの能力を認めて、ある枷を取り付ける事で自らの手飼いにしたのである。
いや、これは国法とは別の所で決まった話なので国のというよりも確かにミアルの言う通り、その主は王家と言って良いだろう。
商業組合に出している連中はまだ表の仕事をしているから良いが、裏にはもっとエグい事を引き受ける連中がいるという噂だった。
「そいつらがどうしたんですか?」
「実は反逆者達がその守護者を味方に引き入れたという話でな」
「なんですって?」
メランはミアルの薄く微笑んだ顔を見ながら、嫌な予感が押し寄せるのを感じていた。




