第四十六話 毒
その事件が起こったのはサロンで各々が寛いでいる時間だった。
サロンは場所としては食堂と近い。
厨房を挟んで背中合わせになっているのだ。
サロンで提供されるお茶や茶菓子、果物などは厨房で作られるのだからその利便性を考えれば当然の造りだが、それは無駄を好む貴族の発想ではなかった。
そこからこの学舎を設計したのは貴族ではないと判断出来る。
ともあれ学生達は授業のない時間にはそのサロンに集っている事が多い。
サロンには壁がないのでその開放的な雰囲気が若者たちには向いているのだろう。
更に言えばサロンには従者は入れない事になっていて給仕をするのは主に行儀見習に来ている貴族の少女達なので接点の少ない若い男女の出会いの場にもなっていた。
少年達がなんとなく足を運ぶのも当然と言える。
「馬のだく足なんて儀礼的な場以外で意味があるのか?」
「行進の際の見た目には意味があるだろう?民とて美しい行進を見たいと思うだろう」
「バカバカしい庶民に様式美が理解出来るとでも?」
本格的な討論ではないが、何かと目立つ騎士派組が渦状のテーブルの中心近くで議論を繰り広げていた。
その中には一人ウーロス卿ポリュボテスが混ざっていて、体格の良さが際立って更にその集団を目立たせている。
基本的にどこにいても目立つ男なのだ。
メランとライカはいらないトラブルを抱え込まないようにやや離れた渦の外側の席で茶をすすりながら果ての山脈の鉱物資源の可能性についての検討をしていた。
ライカが自分の街の資源の少なさ、農作に向いていない土地柄について話した所、メランがそういう地盤なら鉱物資源があるのではないか?と言い出したからだ。
「ただ鉱山ってのは良し悪しだな。国としては有り難いがその土地は間違いなく荒れる。精製に大量の木材資源を必要とするし。ああいや、宝石鉱山なら話は別だが……」
メランがそんな説明をライカにしていた時だった。
ガタン!と大きな音が響く。
同時に「ウーロス卿?」「なに?どうした!」という妙に潜めた驚きの声が届いた。
メランとライカがその声に導かれるように振り向くと、そこにはくずおれるように膝をつくポリュボテスの姿があった。
顔色は青く、酷く痙攣しているのが見える。
口から泡を吹いているらしき様子も窺えた。
「まずい!」
一声発して飛び出したのはライカだった。
ライカは驚くべき素早さでポリュボテスへ近付くと、周囲が反応するより早くその顎に手を掛ける。
「硬直がない、癲癇じゃない?っ、吐いて!」
ライカは躊躇いなくその手をポリュボテスの口へと突っ込み喉を刺激した。
周囲のポリュボテスの友人達はその間何が起こったか分からないといった顔でライカと友人を眺めていたが、その様子にはっとするとライカを止めようとする。
「貴様!何をする無礼であろう!」
「狼藉を働くと許さぬぞ!」
その間ずっとぼうっと様子を見ているだけだったメランも、ようやく頭が働き出し、慌てて騒ぎの中心へと向かう。
その途中ふと一人の給仕の少女の姿が目に止まった。
周囲の人間が慌てたり騒いだりしている中、彼女だけが全く動じずに、それどころかうっすらと笑みさえ浮かべていたので浮き上がって見えたのだ。
(これはもしや)
ライカはと言えばポリュボテスの友人たちの言動には全く意識を向けず、ライカの乱暴な処置のせいで僅かに吐き戻された吐瀉物に意識を向けていた。
それに顔を近付け、臭いを確認しているようでもある。
やがて吐瀉物をひょいとすくい上げるとひと舐めした。
「げっ!こいつきたね」
「な、なにやってるんだ」
遠巻きに見ている者達はその行動に顔をしかめる。
しかしライカはその周囲に顔を向けると鋭く声を発した。
「水!水瓶いっぱいもって来て!それとだれか治療院の先生を呼んできて!薬草学の先生も!」
「貴様、何言って」
「毒だ!早く!」
常にない、強い命令する口調のライカの声に、周囲の年若い貴族の少年少女達は一瞬硬直したように顔を青ざめさせる。
実の所、彼らにとって毒というのは遠い存在ではない。
身分が高ければ高い程、毒によってその身が害されるであろう可能性は上がる。
だからこそその対処法については多くの者が習っていた。
「水、いそげ!」
「俺が行く!お前は治療院へ!」
「あ、薬草学の先生も確か治療院の裏の薬草園にいるはずです」
調理場が近いせいで水瓶はすぐに届いた。
すぐさま漏斗を使い水が注ぎ込まれようとするが、それへライカが厳しく注意をする。
「そんな風に水を注いだら気道に入ってしまう、仰向けすぎ!そしてもっとゆっくりといそいで!」
「無茶言うな!」
ほとんど自然にライカが指揮を取り、ポリュボテスに水を飲ませては吐かせ、飲ませては吐かせを繰り返している間に、メランはいそいでこの塾に詰めている警備の兵の詰め所へと走った。
「すみません、どうやら学生を殺害しようとした者がいるようです。なんびとたりとも出入り出来ないように出入り口を固めていただけますか?」
「なんと!してそやつはまだ中に?武器はどのようなものを?」
「ああいえ、毒が使われたようで。そこで犯人が逃げ出さないように出入り口を封鎖していただきたいのです」
「なんと卑劣な。して、貴公は?」
「失礼いたしました。私はメラース・ティ・イシリース、イシリース家に連なる者でここの学生です」
「なるほどイシリースのご一族ですか。承りました。学長に確認を取るまでは封鎖は行えませんが、出入りを行う者を引き止めるようにしておきます」
「それで大丈夫です。ありがとうございます」
手配をすませるとメランは踵を返してサロンへと戻った。
サロンへは建物の内部を通らずに外から直接行く事が出来る。
メランが到着してすぐに治療院の療法士と薬草学の教師が到着した。
「どういう事だ、何があった?」
「先生、おそらく狼殺しの毒です」
療法士の問い掛けにライカがはっきりと返事を返す。
「なっ!どうして分かった?」
「吐瀉物の中に僅かに臭いがありました。それと初期症状が痙攣とよだれの過剰分泌、硬直は無く意識はあります」
(意識があったんだ)
メランは他人ごとながら気の毒に思った。
あの誇り高い男の事だ、これで生き残ったらさぞや生き恥と思う事だろう。
だが恥も生きてこそである。
「分かったどうやら初期の手当は出来ているようだな。処方された分量が分からないと安全な中和は難しい。出来るだけ排出させて後は本人の体力勝負か」
療法士も薬草学の教師も難しい顔になった。
それだけ狼殺しの毒は強力なのだ。
それでも手早く手持ちのハーブをポリュボテスを噛ませて、助手に指示を出している。
「先生良かったらこれを使ってみてください」
ライカはベルトの辺りから何かを引きちぎるように取り出すと療法士に渡した。
「これは?」
「ええっと、俺が子供の頃お世話になった方からいただいたもので、万能の毒消し、ヒュドラのウロコなのだそうです。その、強すぎるのでほんの少しだけ飲ませて様子を見た方が良いかと」
「ヒュドラだと?ふむ、民間薬の一種か。分かった、手段はいくつかあった方が良いからな」
「はい」
慌ただしくポリュボテスの体が運び出され、ライカは息を吐く。
単なる学生であるライカに出来る事はここまでなのだ。
ポリュボテスの友人たちがそんなライカをちらりと見て、なんとも言えない顔になりながらも声を掛ける事なくそのままサロンを後にする。
ポリュボテスの運ばれた先へ付いて行くかポリュボテスの実家へ連絡するか、何がしかの行動を取るのだろう。
派閥の者達にとっても一大事であり、慌ただしく動く必要があった。
「おつかれさん、お前すごい奴だな。いや、分かってたけど、分かってなかったなと思って」
メランはそう言ってライカをねぎらった。
大活躍だったライカ自身よりもメランの方が疲れた顔をしている。
「ありがとう。でもすごくは無いよ。俺に出来る事はほんの少しだけだしね。それよりどうしたの?メラン顔色が悪いよ」
「いや、どうも自分の性質に嫌気がさしてきた」
「メラン?」
メランは先程笑みを浮かべて佇んでいた少女を視線で探してみた。
呆然と佇む学生たちと行儀見習いの少女たち、その中に先ほどの少女はいない。
メランははっきりと覚えていた。
あの少女は以前メランが辺境候の子弟へアプローチするようにそれとなく話を振った相手の一人だ。
そこから今回の事件が起こった遠因が自分にあるのではないかとメランは考えていたのである。




