第四十三話 竜と女王
とうとうここまで来た……感慨深いです。
ミアルはぐいと自分の杯を煽った。
中身は割っていないワインである。
メランからすればどこの女盗賊だと言いたい所だ。
「良いか良く聞け、ライカは私達とは違う。あれは私が受け入れたら決して傍を離れないだろう」
「まぁ恋人同士になるんだからそりゃあそうだろう」
メランは首を傾げた。
普通恋人同士は常に寄り添っているものだ。
それが一般的で、別におかしい事はないと考えたのである。
「お前の考えているのは常識的な範囲の話だろう。屋敷の外で待ち合わせしてしばしの逢瀬を楽しみ次の逢瀬を約束して別れる。或いは時折屋敷に招いてもいい」
「まぁそれが普通だよな。それ以上と言うなら世の中には屋敷に愛人を囲ってる奥方もいるらしいし、あまりいい顔はされないが出来ない事でもない」
「いいか、お前の考えている恋愛という物とライカの考えている求愛という物はおそらく違う」
「ちょっと、意味が分からないんだが」
「ライカは私に妻問いをしたいと言った。それはおそらくは共に生きたいという意味だ」
「うん?そうだな」
メランは何を今更というような顔で頷いた。
ミアルはそれを見て口元を歪める。
「共に生きるとはどういう意味か本当に知っているのか?獣の番いがどうしているか知っているか?獣はな、番いになると狩りや子育てを共に行うようになる。共に生きる場所を探してそこを自分たちの領地として守り、四六時中を共に過ごすのだ。もちろん種族によって違いはあるだろう。シーズンで相手を入れ替える種族もいるだろうがな。人間は本来一生同じ相手と番う生き物だ」
「人間を獣と同じと言うのか?」
ミアルの言いように眉をしかめたメランを、彼女は鼻で笑った。
「人間も獣も本質は変わらんよ。食って排泄して伴侶を選んで次代を残す。女が男を選ぶのはよりよい次代を残したいからだ。どの生き物でも同じ話だ」
「随分乱暴な話だな。教会に説教されるぞ」
「はっ、教会は人が傲慢にならない為には必要な組織だが逆に人を傲慢にするようじゃ先が見える」
「もうちょっと言葉を選べ、教会の熱心な信者は多いんだぞ」
「王は精霊によって選ばれた代行者、教会はその精霊を祀る組織だ。王族と教会は対等、いや、場合によっては王の方が立場は上だろうに」
「だからそういう事をポンポン口に出すな。常に民衆と接している教会と君臨して接収するのみの王とじゃ民からしてみれば教会の方が身近なんだ。ちょっとした事で立場が入れ替わってしまうかもしれないんだぞ」
ミアルはやや機嫌を良くしたように微笑んだ。
「なるほど大した見識だ。お前のそういう所は正直凄いと思うよ。お前は政治的なバランスの把握が恐ろしく正確だ。その見識が人間の心には向かないのはあれだな、人付き合いがほとんどないからだろうな」
「ほっとけ」
まともな友人といえばライカだけという事を自覚しているメランは、吐き捨てるようにそう言うと、改めて周囲に目を向けた。
会話を進めるのに何か飲み物が欲しい所だが、棚には酒の壺らしき物しかないし、水差しもなければ暖炉に湯も沸いてない。
それどころか暖炉に火も入ってなかった。
走ってきたのでそう感じていなかったメランだが、熱が引き始めた現在となってはさすがに寒い。
それにしても王族の暮らす部屋に火が入っていないとは考えられない話だった。
しかも暖炉には灰すらなく、火を起こした事すらなさそうである。
改めて考えると、ミアルの普段の生活はいったいどうなっているのか不安になる程だ。
メランとミアルは友人ではあるが異性なので、これまで部屋まで押し入った事はない。
せいぜい応接間で話をしたぐらいで、その応接間は綺麗に整えられ、冬は暖かく火も燃えていた。
稀に訪れる客用の措置なのだろうか?それともミアルが応接間で暮らしているのか?いや、生活感は無かったので暮らしてはいないだろうと、メランは考えて、自分の思考が脱線していた事に気付いてため息を吐いた。
「いや、教会の事はどうでもいい。それよりライカの話でしょう」
「私はずっとその話をしているつもりだが?」
「獣の話がですか?」
「お、調子が戻って来たな。そうそう、お前はそうやって腹芸をやっている方が可愛げがあるぞ」
「もう好きにしてください」
メランは頭が冷えて来ると、自分がなんでそんなにいきり立って乗り込んで来たのかを理解して恥ずかしくなった。
要するに友人同士が特別な関係になってそのせいでそれぞれと気不味くなるのが嫌だったのだ。
ひどく個人的で醜い心の動きだと、メランは自分の考えを冷笑した。
二人に嫉妬するなんて見苦しい話だと自分をあざ笑ったのだ。
「そう拗ねるな。お前にとっても私にとってもライカは大事な人間だ。それが分かって良かったよ。正直いつもどこか冷めていたお前をどこまで信じて良いか分からなかったからな。お前のような奴と友人になれるのだから、あれもなかなか普通じゃない」
「ライカが普通じゃないのは元から分かっているでしょう。どうやら人里離れた場所で育ったらしいので常識に疎い所があるようですし」
「そして私達も非常識に生きざるを得なかった人間だ。どうだ、私達はその在り方は違っても、似た者同士だとは思わないか?まるで犬の群れにまざった狼のようじゃないか」
「ご自分を美化していませんか?それは」
「ふん、自分を考える時に卑屈になるな。それが師匠の教えでな。魂は強者であれとな」
「なるほど、なかなか良いお師匠ですね」
メランは思い切って生のワインをそのまま口にした。
喉や胃の中を熱が渦巻くような感覚に気持ちの悪さを感じながら、じっと耐える。
「それで、ライカをどうされるおつもりなんですか?」
「どうもしない。今はな」
「どういう事です?」
「いいか、ライカは一途で純粋だ。私と想いが通じたと分かれば必ず共に生きる為にあらゆるものと戦うだろう。嘲りや中傷を許しはすまい。そして必ずや我が母君や父君に物申したくなるだろうな」
「まさか」
「本当に?在り得ないと言い切れるか?」
メランは自分の友人について考えてみた。
上位貴族相手でも堂々と正しいと思う事を口にするライカを酷く危なっかしく思ったのは自分ではないか?と。
常識から考えればミアルの周辺の、国の要職にいるような貴族達や、ましてや王や王妃にライカ程度の身分で何かを直訴するなど在り得ない話だ。
しかしライカにとっては人間の身分など大して気にかける要素ではないのではないか?とも思える。
さすがに王には敬意を払うだろうとは思うが、絶対とは断言出来ないのが恐ろしい所であった。
「私を連れてどこか遠い所へ行こうとするかもしれないぞ?」
「ううむ」
それはありそうだとメランは思った。
ライカは明らかに貴族の在り方をどうでも良いと思っているし、ミアルが不幸だと思えばこの場所にいるのを良しとはしないだろう。
「まぁそれは私が断るがな。私は私の戰場から逃げたりはしない」
「あなたも大概変ですよ」
「ともかく今ライカを受け入れるという事はしがらみの多いこの身で我が身ばかりかライカをも守らなければならないという事になる。情けないと思われるかもしれんが、正直私にはその自信は無い」
「自信家のあなたらしからぬ結論ですね」
「私は決して自信家ではないぞ。強者であろうとはしているが、己が強者ではない事を誰よりも知っている。だからこそ誰よりもなりふり構っていないのだ」
「なるほど」
それは理解出来るとメランは思った。
ミアルはおそらくは他の誰よりも努力している。
自ら学び、自ら動いて来た。
そうしなければ彼女の存在は薄く砕け散るだけのものでしかなかったからだ。
「正直に言おう。私はな、ライカと出会ってこの上なく驚いたのだよ。あれ程に自然に、あれ程に凶悪に、世の中に反している存在がいる事にな」
「ライカが?あいつは基本的に素直で優しいでしょう?」
「そうだな。確かにあれは人当たりは良いし暴力的でもない。私と初めて会った時も自分が危険な時でさえ他人を傷付けようとは全く考えもしない風だった。しかしな、同時にあれは他人が傷付いても気にも留めない風でもあった。もちろんそいつらはライカや私に暴力を振るおうとした相手で自業自得ではあったが、それにしたって普通目の前で人間が傷付けば動揺ぐらいはするものだ。そしてそればかりか、その暴力沙汰のさなかで、あれは地面に生えていた小さな薬草とやらを発見してそれをさりげなく庇っていた。人間が傷付くよりもそれが駄目になる方が心が痛むという風にな」
「……」
メランは言葉を失った。
普段ライカは他人への気遣いを忘れない。
貴族でない下働きの者達を手伝ったり、同じ授業を受ける人間が講義の内容を理解出来なくて困っていたら参考になる文献を紹介したりもしていた。
そんな姿を見慣れている身としてはミアルの言葉に素直に頷けない気持ちにはなる。
しかし、以前垣間見た光景が、メランの脳裏から離れない。
大柄な先輩達からの暴力行為に対して全く恐怖を感じていなかったライカの眼差し。
あれは強がっていたり、諦めていたりといったものではなかった。
まるで羽虫がたかってうるさいと思っているかのような、そんな目で相手を見ていたのだ。
「だから、私はあれが欲しい。正直私は恋愛というものがどういうものか分かっているとは言い難いが、これだけは確かに言える。私はあれを、ライカを自分のものにしたい。この手の中に捕らえてしまいたい」
「あなたの『だから』が良く分かりませんが、とにかく両想いである事は分かりました。安心しましたよ」
「安心したのは良いがライカには言うなよ」
「どうしてですか?」
「言っただろう。両想いだと知れたら大変な事になる。お前、ライカを殺したいのか?」
「え?いやいや、どうしてそんな話になるんです?まさか本当にライカが陛下に抗議するとか思っているんですか?」
「思っているし、あり得る話だ。私としては嬉しいし胸が熱くなるような想いもあるが、下手をしなくてもそんな事になれば処刑されてしまう。ちなみに私を連れて逃げようとしても処刑されるだろう」
「まさか」
「お前は本当に貴族的なものの考え方しか出来ない奴だな。非常識に弱い。ともかくお前は早く帰ってライカを慰めておけ、いずれ私がなんとかして他人に有無を言わさぬぐらいに力を付けるまではおあずけだ」
ミアルの言いようにメランは少しムッとした。
女が常に男を振り回すものであるのは貴族のみならず男にとって常識ではある。
しかし、いくらなんでも振り回しすぎだと思ったのだ。
「良いんですか?そんな風に放り出せば理由が分かっていないライカは他に好きな娘を見付けてそっちと結ばれてしまいますよ。そうなってから悔やんでも遅いんですよ?」
メランの煽りにミアルはニィッと白い犬歯を覗かせて笑った。
「その時はその相手を殺して奪うまでだ。まぁなるべく穏便にすめばそれが一番だがな」
「はっ?」
メランは相手が冗談を言っているのだと信じたかった。
いくらなんでも男の為にそこまでするはずがない。
しかしまるで生来の女王のように微笑むミアルの眼差しにひとかけらも笑いの揺らぎを見出す事が出来ず、メランはなんとも言えない心地で沈黙するしかなかったのだ。




