第三十七話 豊穣なる王都
貴族街から上層までの間は街の様子はさほど大きくは変わらない。
あえて違いと言えば壁ばかりが多く、かいま見える建物は豪華だが基本閑散とした貴族街よりも、一つ一つの建物の規模は小さめだが上層の方が人通りがあって上品な人々が楽しそうに行き交っている分、歩いていて楽しむ事が出来るぐらいだ。
なにより貴族街は以前メランとライカが襲撃に遭遇したように、人通りがなさ過ぎて逆に危険が大きい場所でもあった。
そもそも貴族街を通る貴族は馬車などの乗り物を利用するのが常なので徒歩で歩き回る人間が少ないのは当然の話ではある。
「まぁ上層には貴族や富裕層向けの店があるからな、店構えも凝っていて飾りも工夫されていて見ていて楽しいというのもある」
「上層の看板はほとんどが金属製だね。黄金を使った物まであってびっくりしたよ。あれってお金を展示しているようなものじゃないの?」
「一応店が雇った警備の者がいるし、上層には他人の金を狙うようなさもしい者はいないという建前があるからな」
「建前なんだ」
「むろんだ。世の中にはどれだけ金を持っていても更に欲しがる連中はごまんといるからな」
馬車も使わず貴族街から上層へ下り、更に中層への門へ向かう。
メランもライカも気にしないが、貴族の子弟が通う王都院の学生が徒歩で歩き回るのは珍しい。
とは言え、二人共今回は塾生の印であるトーガを羽織っていないので、そうと知れる事もない。メランが狙われやすい立場だとしても、よほど執念深く貼り付いているのでない限りは安心である。
なにしろ前回は人目に立ちすぎたせいで襲撃者を招いたような所があったのだ。
さすがにメランも自覚して反省した。
「貴族街と上層、中層と上層の間には門があるけど、下層と中層の間には何もないよね。どうして?」
「そもそも下層地域は元々は街じゃあなかったからな。旅商隊や軍隊なんかの仮の逗留場所として開けてあった郊外地帯に外から流れ着いたり、中層にも住めなくなった貧困層が住み着いただけの話だ」
「あ、そうなんだ」
「一時期は過激な貴族連中がその一帯を焼き払えとか息巻いていたが、さすがに同調する者は多くはなかったようだ。陛下も黙認していらっしゃるし」
「でも下層地域って賑やかだよね。俺も前に王都に来た時そこに滞在していたけど、日替わりの市場とかあって活気があったな」
「狭い所に人数がいるからな。人が多ければ活気も出る。問題は犯罪率の異常な高さだ」
「ああうん、俺もいくつかそういうのに出会ったな」
「むしろお前みたいにのほほんとしているのがよくもまぁ下層地帯にいて無事だったと思うよ。奇跡に近いな。そして犯罪に巻き込まれた経験があるのにそののほほんとした所が治っていない所も謎だ」
「すごく勉強にはなったと思うよ。本心から親切なのに他人を苦しめる事の出来る人がいるとか驚いた」
「なんだそれ、怖すぎるだろ」
二人は雑談をしながら上層の真ん中を通る道を進み、大階段を降りる。
上層はその街の真ん中が大階段で分断されていて、街の外から馬車で上層の上側や貴族街に行くには大回りをする必要があった。
階段を降りると緑地帯があり、小さな木立と橋の掛かった川がある。
「うちの街にもこんな風にお城と街の間に川があるよ」
「街の中にある川には幾通りかの用途があるんだが、街を横断するこういう川は敵に攻めこまれた際に橋を落として敵の侵入を防ぐ目的が第一かな。あと火事の時の消火用」
「へぇ、考えられているんだね。自分達の都合の良いように土地をいじるって考え方が出来るのは人間のすごい所だな」
「そういう大事業は国単位でしか出来ない事だからな。王や貴族の存在意義はそこにあるんだ」
「さっきの宿題の話?」
「そのとっかかりみたいな感じだな」
上層もなかなか広いのだが、徒歩の二人は中央を突っ切る形で門まで辿り着くとそのまま門を抜ける。
中層と上層を区切る門は一応門としての機能を持っているが、その出入りをいちいちチェックされたりはしない。
ただし、怪しい風体の者は衛士に止められる事があるが。
二人は地図というには簡単な案内図を見ながら教師であるレオニダスの家に向かった。
レオニダスの家は中層でもごちゃごちゃしていない整理されたいわゆる宅地地帯にあり、探すのにそれほど面倒は無かったが、別の意味でメランを驚かせた。
「同じ形の家が隙間なく並んでるぞ。表札が全部違うという事はこれってそれぞれ違う家主の家なのか?庭はどこだ?そもそも馬車置き場がないぞ。それどころか門すらない」
「下層も家と家の隙間はあんまり無かったけど、それぞれの造りは個性的だったな。これって全く同じ家がくっついているんだよね」
それぞれの玄関口に幅広の階段があり、それぞれの扉に表札があってそこに名前とそれを飾る意匠が彫り込まれている。
二人はレオニダスの家を探してその扉の前に下がった鎚で金属の叩き部分をカンカンと響かせた。
やがて足音が聞こえ、ガチャリと扉が開き、レオニダスが顔を出す。
メランがやや驚いたように言った。
「先生、従僕はどうしたのですか?」
「ん?ああ、彼は今料理で忙しいからね私が出迎えたという訳さ」
「従僕は一人しかいないのですか?先生程のお人に?」
「従僕などたくさんいてもしょうがないだろ?自ら出来る事は自分でやるのが私の主義でね」
「授業で聞いた話と違いますね」
「私は貴族ではないから自ら働いても富の独占にはならんよ」
レオニダスは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると二人を招き入れた。
玄関はさして広くないが、そのまま応接間が見渡せる造りになっていて、狭さを感じさせないようになってる。
暖炉では肉がローストされていて、その香りが室内に漂っていた。
「なんか豪勢ですね」
メランがその肉を見て呟いた。
何の動物かは分からないが、何かの獣の胸肉だろうか?かなり大きな塊があぶられているのが見える。
「うむ、弟子に変わり者がいてな、狩りで大物を倒したとかで肉を大量に持って来おったのよ。私は一人暮らしだし、食べきれないから君たちを招いたという次第だ」
「ああ、なるほど。しかし先生の弟子なら哲学者でしょうに、こんな大物を仕留めて来るとか、なるほど変わり者らしいですね」
「全く、血生臭くてかなわんよ。しかし頭は良いし、着眼点が面白い」
「先生は面白いという理由で弟子をとっているんじゃないでしょうね?」
「まぁ面白くないよりは面白い方が良いだろう?」
二人が挨拶代わりの会話を交わしている間に焼かれている肉に近寄ったライカは首をかしげた。
「これって何かを塗っているんですか?」
香ばしい匂いの元が気になるらしい。
「うむ、タレだな」
「タレ?」
「獣脂と野菜と果物とハチミツだったかな?まぁ私はあまり詳しくないが、うちの料理人が工夫していてな。塗りながら焼いて、焼けた所を削って行くとなかなかどうして普通に塩焼きにするより美味いのだよ」
「へえ」
しげしげと興味深そうなライカにメランとレオニダスは笑いを誘われ、それを切っ掛けにレオニダスは二人を席に誘った。
「まぁ準備が出来るまで茶でも楽しんでくれ。ここに置いてあるぐらいの本ならいくらでも読んでかまわないし、貸出しもするぞ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
レオニダスの言葉に肉から目を離したライカは一目散に書棚に向かった。
食い気より知識欲とは学生らしい事だと、メランは感心する。
「メラースにはちと物足りんかもしれないな、この程度の蔵書は」
「え?いえ、そういう訳ではありませんよ。私が集めていないたぐいの書物も見受けられますし。その辺に転がっているゴシップ誌は気になります」
「ほう、こういった物に興味があるとは、まだまだ枯れてはいないという事か」
「先生は私を幾つだと思っているのですか?」
「ははは、君は若者らしくないからなぁ」
とは言え、メランにしてもゴシップ誌に関する興味はどちらかと言うと内容よりもその作りにあった。
ゴシップ誌は織り生地に糸を通す事で文字を書くという方法で安く配布されている季刊誌である。
ベースになる織り生地を読み終わったら回収してもらい、それと交換に新たな記事が綴られた物が配布されるという仕組みになっていた。
誰が考えたかメランは知らないが、なかなか斬新なアイディアと言えるだろう。
年間契約制度になっていて、普通の本よりは安いが、庶民からすればかなり高い。
ほとんど新しい服を誂えるぐらいの価格なのだ。
一般の庶民ではそもそも契約しようとは思わないだろう。
内容も貴族家の事や各地の特産物についての物なので一般人には興味がない内容だ。
しかもかなりの脚色がされていて、どちらかというと戯曲のような読み物に近い。
「先生も案外俗物ですね」
「俗な話題の中にも学ぶ事がある。どこぞの姫君がどこぞの若者と逢瀬を重ねて駆け落ちしたとか、なかなか泣かせる内容もあるのだよ」
「そういうのが俗っぽいと言うのですよ」
「いやいや、これがまた書き手によっておもむきが違って、良い物だぞ。以前は記録文書そのものでつまらなかったが、最近では筆者に遊び心のある者が現れ出したのでな、これがまぁいわゆる文化というものだな」
「なるほど」
文化にも色々あるのだなと、メランはこの俗で偉大な学者に別の意味で感心したのであった。




