第三十六話 宿題
塾の前期課程が終了し、メダルの換算が行われる。
教室で銅メダルが十二枚を超えて貯まった者はそれを担当教師に銀メダルへと換算してもらう事でおまけに銅メダルを一枚貰えるので基本的には学生は単位を取りたい教室でメダルを換算するのが慣習となっていた。
哲学の教室でメダルを換算したのはライカとメランだけだったのでそのまま雑談となり、その流れで教師であるレオニダスから、二人は食事を誘われる事となった。
「まぁ私の私邸は中層にあるからメラースには少し刺激が強すぎるかもしれないが」
レオニダスはメランがあまり出歩かない事を知ってか、本気とも揶揄とも取れる言葉を添える。
メランは肩をすくめると応えた。
「いくら私でも中層ぐらいまでは降りた事がありますよ。でもよろしいんですか?特定の生徒と懇意にしていると贔屓を疑われますよ」
「はん、バカバカしい。師が自分の弟子を贔屓するのは人として当然の感性だ。自然に心から発露するものを否定する方が不自然で不健康な話だよ。私は君たちにより世界を知って欲しいし、見識を広げて欲しいと思っておる。特にメラースはもう少し視野を広げる努力をした方が良いのではないかな?」
「それは確かに私は世界が狭いかもしれませんが、常識という意味で言えばライカよりはマシだと思いますけど、先生はどうして俺ばっかりに矛先を向けるんですか?」
「それは私がライカの特異性に興味があるからだよ。正直に言うとあまり変わって欲しくはないが、逆に変化していく様子を観察したくもある。そういう意味でも君たちと親しくなるのは私の本意なのだ」
「先生、正直すぎてちょっとどう反応して良いか分かりません。ってかライカ、お前の事だぞ?にこにこしてないでなんか言ってやれ」
レオニダスの言葉に、メランは呆れたように首を振り、ライカに話を向けた。
しかし当のライカは気にした風もなく、嬉しそうに笑う。
「先生は前も似たような事言ってたからね。俺はもう慣れたよ。それより先生、何か美味しい物が出るんですか?」
「ふむ、ライカが私に期待する所は食べ物だけかね?我が家にはもっと良い物もあるぞ、図鑑とかな」
「えっ!読ませていただいても良いんですか?」
たちまちライカの声のトーンが跳ね上がり、レオニダスが大きな声で笑い出した。
「そういう所は分かりやすいな、お前さんは」
「あ、いえ、ご飯に興味がなくなった訳じゃないんですよ」
「ふむ、ならば少しだけ教えてやろう、果物のコンポートをゼラチンで固めた物とかどうだね?」
「え?分からない言葉が一杯出て来て予想も付きません」
「先生も飽食は文化を育むって一派なんですか?」
本馬鹿を指摘されて何やら明後日の言い訳を始めたライカに対して示された料理の内容にメランがツッコミを入れた。
王都には最近贅沢をする事が文化的だと提唱する貴族たちが増えて来ていて、浪費を奨励する気風が高まりつつあったのだ。
レオニダスの説明した料理は、パーティなどで供されるような特別な料理なのである。
「そうだね、それはまぁ文化という物の正しい捉え方の一つではあると思ってはいる。文化というのは贅肉のような物だ。豊かさが生み出す存在だよ。芸術など無くても人は生きていける。しかし芸術の存在は人を獣とは違う存在に押し上げる一つの指標だ。そう考えると贅肉も愛おしいと思わんかね?」
「しかし贅肉は怠惰の証でもあります。贅肉にまみれた者は醜く見えます」
「それは働く事を前提とした考え方でもあるね。貴族はある意味働かざる者と言って良い。彼らは自分の配下を上手に働かせる才をこそ尊ぶ。自ら働く貴族は財を持っているにもかかわらず他人に与えず自ら独占する者と言えるかもしれないとは思わないか?」
「うっ」
メランはレオニダスの言葉が正しいと納得しそうになって唸った。
そもそもが賢者であるレオニダスに舌戦で敵うはずもないのである。
「先生のおっしゃる事は確かに正しい一面もあると思います」
「しかし納得出来ない、だろう?そう、若者はそれで良い。若いのに世の中に納得してしまうというのは勿体無い話だ。納得いかん!こんな世の中変えてやる!ぐらいが丁度良い」
「はあ」
メランは精神的な疲れを覚えて脱力した。
レオニダスと話すと大体がこうだ。
確かに勉強にはなるが、疲れる事甚だしい。
「先生は授業で全ての流れはつながっているとおっしゃいましたよね」
今度はライカがレオニダスに聞いた。
「そうだ、循環の法則だな」
「と言う事は、その働かない貴族が与える為の財を得るのはどこからなんですか?」
「良いところに気がついたな。そう、痩せた働き者が作り出した財を貴族が得る事で流れは完成する」
そのレオニダスの答えでメランは理解した。
「あ、そうか、違和感はそこか」
「ふふ、どうだ?メラース、物事は一方通行では完結しない。今の飽食の仕組みがわかっただろう」
「何万人もの痩せた働き者から集めた財で太った働かざる者が贅沢をし、その余った財を自分の代わりに働かせる者達に供する。バランスがおかしいですね」
「だが痩せた働き者の貴族は財をほどこす事もしない」
「太った貴族の方がマシという事に変わりはないとなる訳ですね」
考え込むメランにレオニダスは微笑んで「宿題だ」と言って、前期最後の授業は終わった。
外出の準備の為に部屋に戻ったライカとメランはトーガを脱いだ。
中層以降は学院のトーガを纏っていると貴族の子弟という事でやっかいごとに巻き込まれやすい。
以前その厄介事に襲われた事のあるメランは、用心して出来るだけ貴族らしくない服装を選んだ。
ライカの方はそもそも貴族らしい服装を持っていないので問題ない。
「ライカはさ、どう思う?その貴族の在り方について」
「文化的とかって事じゃなくって?」
「まぁそこは貴族の副産物的な部分もあるからなぁ」
ライカはやや考えて答えた。
「俺は美味しい物が食べられるのは嬉しいよ。でも太る程食べられないと思う」
「あーうん、うん、それは分かる。文化派の連中って、食べられないなら吐いてまた食えば良いとか言ってる奴らだし」
「なにそれ!それは絶対駄目だよ!食べ物を大事にしない人は最低だね」
意外な所にライカが腹を立てたのでメランは思わず吹き出した。
「いや、うん、全くだ、最低だね」
「食べ物っていうのは命を作るものだよ。それを無駄にするのは自分の命を無駄にするのと同じ事だ」
「命か」
貴族的に言えば、王と貴族、貴族と庶民では命の重さが違う。
ちなみに物理学者の一派がこの説に世界の法則とは相容れない考えだと指摘して貴族と揉めたが、教会が新たな物議を起こしてこの件はうやむやになった。
教会の言い分は命には重さはなく、価値の違いがあるだけだという物である。
どうやら命を人間の決めた度量衡で測る事を良しとしなかったらしい。
「そもそも独占するってつまらないと思わないのかな?」
「つまらないって?」
「美味しい物ってさ、一人で食べても美味しいけど、みんなで食べるともっと美味しいだろ?」
「あ、うん、そう、だな」
メランはそれこそごく最近までは美味しい物を一人で食べる生活をしていた。
それが当然であり、何の疑問も覚えた事はない。
しかし、最近、ライカと一緒に食事をしたり、時々ミアルも交えて外で食事をしたりする機会を得るようになると、その内容がどれだけ質素な物でも、親しい者と共に食べるという事がいかに楽しいかを知るようになった。
それを思えばライカの言葉は正しいだろう。
「でもさ、おそらく貴族はそういう楽しさを知らないんだよ。知らなければ分からないし、それに、美味しい物の数が限られているなら分け合えない場合もある」
「あー、そういう事はあるよね、確かに」
うんうんと頷くライカに、メランは笑った。
恐らくライカの中ではごく単純な話なのだろう。
分け合える物は分け合えば良いし、少ない物は欲しい者が取れば良い。
しかし一度分けてしまうと次も期待するのが人間だ。
一度分けて次は分けないとなれば不満が出る。
一律に奪い、一律に与える、貴族という者のあるべき姿から考えれば、それこそが正しい姿と言えた。
「なかなか難しい宿題をもらったな」
メランはクローゼットを閉じてそうこぼしたのだった。




