第三十二話 画策する者
「演習?」
なぜか習慣化しつつある講義前の三人のお茶の時間に、ミアルが告げた言葉にライカは首をひねった。
軍隊の専門用語である、軍人でもないライカが言葉に馴染みがないのは当然なのかもしれない。
「軍の戦闘訓練の事さ、敵と味方に分かれて戦って勝ち負けを競うんだな。結構査定に響くとかって頑張りすぎて怪我する奴が多いって聞くな」
「ほう、よく知っているな、お前は全くの門外漢のくせに」
メランがライカに解説するとミアルがニヤリと笑いながら面白がるように言った。
「噂ぐらい俺でも知っていますよ。しかし近衛隊が郊外演習とは珍しいですね」
「近衛隊が、ではない、近衛隊も、だ。今回は控えの部隊を除く全部隊での大規模演習だな」
「うわっ、誰が考えたか知りませんが、戦時でもないのによくやりますね」
「むしろ戦時ではないから出来る事だろう。戦時に全部隊を一箇所に集めるとか国を滅ぼすつもりとしか思えないしな」
二人の話を聞いていたライカはふむと一つ頷くと、言葉を紡ぐ。
「つまり兵隊さんがみんなで遠くへ遊びに行くって事ですか?」
「おいおい」
ライカの言葉にメランは呆れたが、ミアルはどうやらツボに入ったらしく大笑いを始めた。
ゲラゲラ笑いながらライカの肩を叩き、ライカにケガをさせないかとメランをヒヤヒヤさせる。
「まさしく遊びだな。戦が無くなって軍隊の存在理由が問われる昨今だ。盛大に遊んで金を掛けて、自分達の力を誇示したいのさ」
「でも、力を見せるというのは悪い事ではないと思うよ。人は目に見えない物は信じないし、見ても実際に自分に力を向けられないと軽く見る所があるからね」
「ほう、なかなか慧眼じゃないか?やっぱりお前、一度私と戦ってみないか?得物無しで装備も外してやるぞ」
「えっ」
ミアルにそう言われて、ライカはなぜか頬を染めてしどろもどろになった。
「そ、それは嬉しいけど、いや、その、女性から誘われるのってどうなのかな、やっぱりそこは正式に俺から……」
などともじもじしながら言い始める。
メランは友人の変人っぷりにすっかり慣れて来ていたので、そんなライカの頭をはたいた。
「ばーか、そんな事出来る訳ないだろ、なんだかんだ言ってこの人は一国の王女様なんだぞ?裸身でくんずほぐれずなんかやったらたちまちお前牢に放り込まれるわ」
「聞き捨てならないな、私からさそってそんな大事にする訳ないだろ。それに身一つがまずいなら下履きぐらいは着ければ良い」
「え?装備無しって裸って事?」
二人の会話にライカが疑問を挟む。
「そうだけど、それ分かってなかったならなんでお前照れたんだよ」
「そ、そりゃあ異性に戦いを申し込むって、その、勝った方の願いを叶えるって事だよね?」
「ふむ、まぁそうなるかな?別に異性に限らないが」
「え?」
「ん?」
ミアルの言葉に、ライカは少し驚いたように考え込んだが、あ、と声を上げて納得したように手を打った。
「そうか、ここじゃ習慣が違うんだね。そうだよね、勘違いしちゃって恥ずかしいな」
ライカはハハハと笑ってみせた。
「勘違いって何をどう勘違いしたんだ?」
「うん、俺の故郷の習慣だと、その、男性が意中の女性に戦いを挑んで、妻問いをするんだ」
「なんだ、その戦闘民族は」
「あはは」
誤解を解いて照れるように笑うライカへ、ミアルは次なる攻撃をしかけた。
「ほう、という事はライカは私に妻問いをしてくれるつもりでいたと、そう思っても良いのかな?」
「えっ!えええ?」
ライカはその言葉に弾かれるように立ち上がってしまう。
ミアルはニヤニヤしながら上目遣いでその顔を見上げた。
「ミアル様、からかうのもいい加減にしてくださいよ。こいつ結構うぶなんですから本気にしちゃいますからね」
「まったく、お前はつまらん男だよな。色恋沙汰の一つもした事がないくせに我らの事をとやかく言うとはな」
「俺の色恋沙汰と友人が精神的な暴力を受けるのを防ぐ事とはなんの関係性もないでしょう、あなたはもうちょっと本気で話をするべきだと思いますよ」
「おや、私が冗談で誘いを掛けているとでも思ったのか?」
「当然でしょう。物心ついた頃から武術の鍛錬を続けて来たあなたに挑まれて喧嘩すらまともに出来ないライカが勝負になる訳がないでしょう、これは弱いものいじめですよ姫君」
「私から言わせると分かっていないのはお前の方だけどね。まぁ良い、その件はまた今度だ」
「また今度ですか」
ライカはミアルの言葉に少しがっかりしたようだったが、すぐに首を振って、思い直したようにふわりと笑った。
「じゃあ、今度は俺の方も覚悟を決めておきます」
その笑顔は、メランから見てもはっとするような少し大人びたものだった。
ミアルは何を思ったのか目を細めただけで、それに応じる事はない。
「とにかくその全体演習でしばらくこちらに来れなくなる。お前たちが寂しくなるだろうが、まぁ許せ」
「いや、頭痛の種が一つ減って喜ばしい限りです」
「俺は寂しいな」
飄々といなすメランと、真顔で寂しいと告げるライカに、ミアルはいい笑顔で告げた。
「まぁ今回の演習では私も思う所がある。せっかくの機会だからな、動きやすくさせてもらうさ」
「お手柔らかにしてあげてくださいね」
「メランは馬鹿者共にも優しいのだな」
「うん、メランは優しいよね」
「お前ら、俺をからかう事に呼吸を合わせるのをやめろ」
そんな会話をして十数日が経ち、ミアルの参加する演習について大々的な発表があり、季節が変わってすぐにその演習が始まると、その大体の日程も決まった頃、塾内で妙な動きが目立つようになった事にメランは気付いた。
辺境組とメランが密かに呼んでいる連中がなにかと集まってヒソヒソと話し合っているのである。
中には酷く深刻そうな顔をしている者もいた。
「こりゃあもしかしてもしかするか?」
メランはひやりとしたものを感じて眉を潜めた。
彼の考えが正しければ、やっかいな事が起こるはずだ。
メランはそれからはひそかにイアース王子の周辺に注意を払った。
彼がなるべく一人にならないように、そして辺境組とのみ同じ場所にいる事がないように配慮したのである。
「殿下、我が屋敷にて行われる晩餐会への招待をお受けいただきありがとうございます」
事が動き出したのは、ついに大演習が始まった直後だ。
辺境領の中でも大規模な北の山間部の領地を持つ領主の息子が自分の誕生祝いの晩餐会に王子を招待したのである。
さすがにこれは王子も断れないし、メランが潜り込む事が出来ない催しだ。
そもそもメランが共に行っても何の力にもなれないだろう。
そこでメランの施した事前の策が効果を現した。
古参の貴族達、特にウーロス卿の取り巻きに辺境組の少年達が何やら怪しげな動きをしている事を悟らせたのである。
実際、本当の事なのでちょっと分かりやすく誘導するだけで彼らは彼らで行動を起こした。
「それで、その晩餐会に私も招かれるのでしょうな?ナグゥ卿」
ふいに彼らの会話に割り込んだのはそのウーロス卿である。
「殿下をお招きするにあたり、他の高位貴族を招かないというのであれば、あらぬ疑念を呼び起こす事になるが、それでよろしいのか?」
「確かにウーロス卿の言は理にかなっている。私も私だけとなれば許可が出ぬかもしれぬ。どういたしますか?」
他人の主催する晩餐会に自分も招けというのはあまりにも横暴で型破りな言動だったが、それに王子が賛同した事でウーロス卿の立場は守られた形になる。
と言うよりも、ああ言われてしまうと王子もああ言わざるを得ないという事だ。
これにはナグゥ卿もやや顔色を悪くするが、なんとか表情を変えずに持ち直した。
「ごく私的な催しなので、内々の会にするつもりだったのですが、そうも言われてしまっては、我が家の名折れ、いえ、皆様方をご招待出来るのなら逆に我が家の誉と言うべきでしょう。ならば、ウーロス卿と、それに殿下の親しい方々を幾人かご一緒に招待させていただきます」
にこやかにそう切り返し、お互いの体裁は守られた形となった。
さすがに辺境領でも大物の貴族家だけあると、メランは感心する。
おそらくは素早く計画の変更を組み立て直したのだろう。
「大変な時は寄らば大樹の影と集まって来て、危険がなくなって上が煩わしくなると結んだヒモを切りたくなる。身勝手と言えば身勝手だが、まぁそもそも人間ってのはみな身勝手なものだからな、責めるのもどうかと思うが、俺の数少ない友人が巻き込まれるのは困る。まぁこれだって俺の身勝手だがな。身勝手と身勝手の争いなんだから恨みっこ無しで頼むよ」
メランは密かにそう呟いて嘆息したのだった。




