第三十話 それ真の将なれば、戦いは行う前に決着を見る
今回はミアル様のターンです。
ミアル様、会話少ないしライカもメランも出て来ない…。
ミアルの知っている『家』とは、いつも静かでひと気のない場所だった。
彼女が部屋などを適度に散らかしても、出掛けて戻って来れば綺麗に片付いていて、食堂に行けばあまり間を置かずに侍従が食事か軽く摘む物を用意する。
ミアルの方から指示を出す時以外は会話もない。
身支度は子供の頃こそ小間使いの女達がやってくれたが、ある程度成長した後はパーティや参内など特別な時を除いて自分でするようになった。
理由はミアルももう忘れたが、彼女達が鎧の装着の仕方をよく分からなかったからかもしれない。
ミアルは朝の水浴びから戻ると、姿見の中の自分の全身を眺めた。
お世辞にも美しいとは言えない骨太の男のような体格だが、しかし、男とは明らかに筋肉の付き方が違う体、特に胸の膨らみや張り出した尻は彼女にとって忌々しい物でしか無い。
戦いにおいて体にウエイトはあった方が良いのは間違いない。
だが、それらは不安定でバランスが悪い存在だった。
しかし無い物ねだりも存在する物を嘆くのも彼女の性質からすると相応しくないもので、それらは嘆きとなる遥か以前にため息と共に打ち捨てられる。
むしろ男のようにあからさまな急所が無い事を喜ぶべきかもしれないとミアルは思っていた。
月の巡りと共に訪れる血の障りは最も忌むべき物だったが、それも仕方のない事だと諦めている。
だが、
「女であるからこその強み、か」
出会ったのはもう一年を過ぎるだろうか?とミアルは思った。
ゴロツキに絡まれて身ぐるみ剥がされようとしていた少年を気まぐれで救った。
いや、救うという気持ちはあの時の彼女には無かったはずだ。
単に気晴らしがしたかった。
人間と戦いたいというのがあの頃の彼女の渇望で、その為巡回という名目で血なまぐさい現場を求めていたのだ。
そしてどうも救われた側にも救われたという気持ちは無かったようだった。
ミアルはあの時の予感めいた胸のざわめきをどう表現したら良いか今でも分からない。
この相手こそ、自分が求めていた相手だと感じたのだ。
しかし、相手はどう見ても戦う術も知らない弱々しい少年だった。
だからこそ苛立ち、相手を挑発したのだが、結局の所、ミアルは自分では見付けられなかった道を、あの少年との出会いで見付ける事となった。
ライカに男と女の体の違いを聞かされた後、ミアルは誰よりも人間の体に詳しいであろう者に会って話を聞いた。
彼らは死した者を生前のままに眠りにつかせる事が出来る埋葬人だ。
ここらの地域ではあまりその埋葬方法は普通ではないが、北の山岳地方では出来るだけ生前の姿に近いまま埋葬する事が大切とされている場所があり、その地域から戦火を逃れてここいらに流れて来ている技術者がいるのである。
彼らは現在は城の治療院に在籍して、解剖学なるものを教えていた。
その彼らによると、確かに男と女では体の作り、筋肉の付き方が違うのだと言う。
ミアルは新たに仕入れたその知識によって、自分の戦いの型を変化させていた。
鎧も作り変え、得物も変える。
それは今ままで作り上げた物を一度壊して再築するような途方も無いやり直しだったが、幸いにもミアルは繰り返しの鍛錬や、細かい見直しが苦にならない性格だった。
と言うより、彼女には、自分と向き合って己を鍛えあげる以外の生き方は存在しないのだ。
幼少の頃の彼女は、王家の者らしい基本的な教育は受けたものの、その後の人生に向けての教育については、両親ともに彼女の在り方について無関心だった為に教師が寄越される事もなく終了してしまった。
そして、基礎の学習を終えてからは自由という名の放置状態だった彼女は、異母兄弟である兄たちや遊び友達として付けられたメラース達の学ぶ授業に一緒に参加して学ぶようになり、誰もそれを咎めなかった。
とは言え、彼女に対して課題が出される事もなく、彼女は単なる見学者の域を出なかったが、それでも学ぶ事は王子達の学ぶべき事を学んだのである。
彼女は課題が無い分、自己学習や自己鍛錬を自らに課して成長したのだ。
それが今の彼女、ミアル・エルデ、王家のただ一人の姫の現状であった。
ミアルは服を身に付けないまま姿見の前で幾つかの彼女なりの型を行ってみる。
元々は男の為の剣術の型を女性用に組み替えたものだ。
筋肉の動き、体の軸のブレ、それらを細かく修正しながらある程度汗を流すと、布でそれを拭ってそこでようやく服を纏う。
以前は適当に結わえていた髪も、苦労して覚えた女性らしい編み込みで纏め、纏う服も男性のそれから女性物に切り替える。
その衣装に剣帯を巻いて普通の剣より細身に作らせた剣を下げる。
ただし、女物の長衣の下にスカートではなくズボンを着るというかなり怪しい着方だったが、完全に男物だった以前よりはマシというものだろう。
その姿で王城の近衛の詰め所へと出仕した。
ほとんどの同僚が彼女を無視する中、一人の男が近付いて来る。
一年程前に近衛隊に配備された王都からやや北に位置する山地を自領に持つそこそこの歴史ある貴族の次男坊だ。
「おはようございます。本日もお美しいですな」
ミアルはその男をじろりと一瞥した。
彼女が「お美しく」ない事は誰もが知っている常識だ。
だが、貴族的な社交辞令としては慣用句に近い言葉なので彼がそれを使うのも仕方がない事ではあった。
「なにか?」
「いえ、姫君におかれましては久々に鎧姿ではないお姿を拝見し、真に光栄であるかなと」
「見苦しくて申し訳ないな」
「まさかそのような、そうやっていらっしゃると正に我が近衛隊の勝利の女神然とされていると思いまして」
「王族は神から地を委ねられし一族とはいえ、自ら神を名乗るほどおこがましくはないぞ」
「そのような公式なお話ではありません。言うなれば我らの士気の問題ですな」
「ほう?女のような私の姿が兵の励みになると?」
「それは、なにしろ男たるもの、常に剣を捧げる女神を求めている生き物ですからな。むさ苦しい男どもよりも華やかな女性の方が剣を捧げるに喜びがあります」
「おもしろい見解だな。だが、承知した。そういう事なら出来るだけ女装をして練兵の場へ赴こう」
「おお、素晴らしいご見識です」
古参の兵達はミアルが男よりも男らしいがさつな性格であり、またそういった行動ばかりであった事を長い記憶に残しているが、この男のように最近入って来た者は、ミアルを一応女性として扱うようになりつつあった。
それは侮られているという事でもあるのだろうが、男でもなければ女でもないというそれまでの毒蛇を扱うような接され方よりはマシと考えるべきだろう。
これもまた、ライカの言葉を参考にしたものだった。
そして、家に務める古参の侍従に確認した所によれば、男は本能的に女性に良いところをみせようとする生き物だというライカの話の裏付けも貰えた。
こうして会話が成り立つようになったという事は、彼らの教えが事実であったという事の証明であろう。
近衛隊の中でのミアルの地位は、大将補佐となっているが、その補佐すべき大将は個人ではなく、大将全般であり、実質は権限のない相談役のような宙ぶらりんの地位となっていた。
決して下位ではないが実権は無い。
そんなあからさまなお飾りの存在だ。
そして、彼女と剣で打ち合いたい者もいない。
女と戦って本気は出せない、勝っても負けても不名誉にしかならないのだ、誰がそんな戦いを、例え模擬戦であろうとやりたいだろうか。
そんな環境にあってもミアルが近衛隊に居続けるのは軍という組織の中に席があるという事が一つの可能性を開く鍵でもあるからだ。
それに、対人で戦えずとも、実力を見せるやり方はある。
ミアルは不敵にニヤリと笑うと、自らの不遇を気にもしない軽やかな足取りで将兵の詰める軍議の間へと赴くのだった。




