第二十六話 存在意義を問う
「貴族の特権は統治の為にあり、統治はすなわち王の御心で地を満たす為にこそある。すなわち貴族はその家名に誉れはなく、その行いによって誉れとなす」
朗々とした教師の声が響き渡る。
弁舌の才も学者の能力の内の一つなので、大体の教師はこのように聴衆に訴え掛ける声や抑揚を研究していて、言葉が耳の奥に届くような強いイメージを持って語られるのだ。
その教師の教えを受けて、学生の一人が立ち上がって発言する。
「自らの民と地を持って王に従った藩王はそれに含まれないのではありませんか?藩王の名にはその地の主としての誉れがあると思われます。初めから臣下として上げる頭の無かった者共とは違います」
発言したのは地方の族長から王国に帰順して領主となった一族の、いわゆる譜代の家臣という家柄の少年だ。
こういう家柄の人間は王国の臣下であるという意識が低く、どちらかというと同盟者のような感覚でいる事が多い。
近年は彼のように戦争が激しかった時に寄らば大樹と王国に合流した、小国だった領の領主達とその代々の家臣達の不満が多く聞かれるようになったと言われている。
差し迫った危機が無くなった途端に、他人に頭を下げるのが嫌になったという訳だ。
とは言え、一度帰順したものを嫌になったからやめたという事は出来ない話である。
だからこそ不満が収まらないのだろうとはそれを遠目に眺めているメランにも理解は出来た。
「それは謀反を起こすという宣言か?」
それを受けてうっそりと立ち上がり、低く短い言葉を発したのはポリュボテス、要塞都市ウーロスの次代の長たる青年だ。
決して激している訳ではないその静かな言葉に、しかしその場に緊張が走った。
「そのような事を言っているのではない。下僕精神の抜けぬ者達と同列に語られたくないだけの話だ」
最初の発言者もかなり肝が座っているらしい。
ウーロスの若君の威圧に臆する事なく堂々と反論した。
「そもそも王もそうお考えになられたからこそ騎士などという古臭い制度を廃止なされたのだろう。今の時代は強固な自治による地域の安寧こそが利に適っているのだ」
騎士制度の撤廃は、いわば騎士領であったウーロスにとっては忘れ得ぬ悪夢のようなものだった。
そこを突いて来るとはこの地方貴族の青年はなかなかの論客なのかもしれないと、メランは考える。
最も、それは相手を激高させるという点においての話だが。
ビリリと、傍目にも分かる程その場の圧力が上がった。
「王は平和を願いたもう。我らはそれに準ずるのみ」
しかしウーロスの若君は激高する事はなかった。
しずかにそう告げると自らの発言を終える合図に腰を下ろす。
「はっ、騎士など奪う事しか知らぬ者達が大手を振って偉ぶっていたのがそもそもの間違いよ。弱き民を斬り捨てるしか知らぬ狂犬のくせに」
だが、その地方の貴族は引き際を誤った。
と言うよりも、言ってはならない事を言ってしまった。
すっといつの間にか立ち上がっていたポリュボテスが、誰一人、気付く事も阻む事も出来ぬままに、その青年の首を片手で掴み、釣り上げていたのである。
今の今まで座っていたはずの彼の姿に、誰もが己の目を疑い、そして息を飲んだ。
「おやめなさい!ウーロス卿、自らの名誉に傷をお付けになられるおつもりですか?」
教師の叱責に、ポリュボテスはちらりとその教師の顔を見ると、手に掴み、泡を吹いて顔色を無くしている青年を無造作に通路の壁に投げた。
ドゴン!という冗談のような音が響き、青年の体がまるで投げ捨てられたおもちゃのように力なく倒れ伏す。
「失礼いたした。授業に水を差した責を持って退出いたす」
ポリュボテスはそちらを見る事もせずにそう言い捨てるとその場を後にした。
それを数人の彼の取り巻きが追う。
中の幾人かは倒れ伏した青年とその仲間に明らかな嘲笑の笑みを投げて。
「さすがに死にはしなかったらしいんだが、相当な重症だったらしくて、相手は未だにベッドから起き上がれないって話だ」
メランは自分が見た一部始終をライカに話すと、いかにも興味が無さそうなその様子に最初から分かっていましたとばかりにうなずいて見せた。
「まぁ興味は無いだろうけどさ、ウーロス卿の敵はお前の味方になるかもしれないんだぞ?」
「敵とか味方とか、同じ塾の仲間だろ?それよりさ、ミアルがこれからちょくちょくここに来るような事を言っていたんだけど、それって毎日会えるって事かな?」
政治より色気か!とメランは呻いた。
しかし彼らの年頃ならそれは当然と言えば当然の話ではある。
「お前ね、ウーロス卿に睨まれてるのをもう完全に忘れてるだろ。ってかミアル様とすっかり仲良くなったんだな」
「そんな、仲良くなったなんて、まだこれからだよ」
分かりやすく照れている同室の少年、ライカに、メランは呆れを通り越して諦めの視線を送った。
「しかしミアル様も塾の修練所が使いやすいからって塾に入り込むとか、ここは次代の貴族の当主の見本市みたいな状態なのに。あの豪傑ぶりがバレたら嫁の行き先が無くなるぞ」
「えっ、嫁!」
メランの発した言葉にライカが激しく食い付く。
メランはやや引き気味に応じた。
「あの方のお家は周囲に対する影響が大きい。触れたくない腫れ物であろうと、いつまでも放置という訳にはいかないからな」
「じゃ、じゃあ、俺が申し込んでも良いよね?」
「えっ!ってかなんでそこでじゃあになる?お前彼女の家を知っているのか?」
「あ、ううん、まだ家族に紹介してもらってはいないけど」
「いやいや、まだとか、う~ん、この際はっきりさせておくが、ライカ」
メランはライカに部屋の中央のテーブルに着くように促す。
明日の授業の準備か、鉄鉱石の塊を削っていたライカは、それに首を傾げながら応じた。
「お前、ミアル様がどういう立場の方か分かっているか?」
「英雄志望の綺麗な女性」
「いやいやいや」
何かとんでもない言葉を聞いて、メランは両手を振った。
そのままちょっと疲れたように顔を覆う。
「えっ、そんな話したの?てかミアル様何言ったの?」
しばしそのままがっくりとうなだれていたが、すぐに復活した。
メランも段々自分の周りの非常識に慣れてきたようだった。
「この国において、女性というのは家の、ひいては家長の庇護下にある」
「うん」
「つまり女性の人生はその家の家長が決める事になっている」
「うん?」
メランは不思議そうなライカへと水を向ける。
「どの辺が疑問だ」
「うちの街では男性が求婚して、それを女性が選んでたよ。家とか関係なく」
「へえ」
メランの方はメランの方で、庶民の感覚が今ひとつ分からない。
庶民にはそういう習わしがあるという事は知識では分かっていても、今ひとつピンと来ないのだ。
「まぁ庶民はあまり家柄にこだわらないからな。しかし貴族とか王族とかいうのは違う。彼らにとって大切なのは歴史だ」
「歴史?」
「ああ、つまり、どことどこの家が繋がりがあって、どこの貴族が王族と血縁だとかそういう事が代々積み重ねられて、それによって立場が強くなったり弱くなったりする訳だ」
「ああ、うん、そっか、その一族が何を成して来たかとか、どういう系統の属性かとかって事だね、うん、確かにそれは大事だね」
「そうそう、で、それの力関係のコントロールをするのがその一族の当主なんだ。つまり貴族にとって結婚ってのは血統のバランスを考える極めて政治的な問題になる」
「それってさ、結婚してからバランスを取れば良いんじゃないの?」
「んん?」
「足りないならそれだけの力を付ければ良いって事だよね?」
ライカの言葉に、メランは虚を突かれたように絶句した。
それは言うなれば先に褒美を貰って後からそれに相応しい活躍をするという事である。
「それは難しいな」
「どうして?」
「誰か一人にそれを許してしまったら、誰も彼もがそれを望むだろう。そして、先にもらうものだけ貰って、それに値するものを支払わない者も出て来るようになる。しかし既に支払ったものは取り返せないとするなら、それは払ったものの失敗だ。その判断は臣下に不信を抱かせる事になる」
「ようするに過去は見えているけど将来は見えていないから見えている方で判断するしかないって事?」
「そうだ」
ライカはしばし考えて、ああと頷いた。
「それで分かった」
「ん?」
「ミアルが言ってた事」
「ミアル様が?」
「ミアルは英雄になりたいって言ってた。手柄が欲しいって。それってさ、ミアルは過去に、自分がその存在として望まれた程の価値がないって思われてしまっていたから、その価値を自分は将来で支払えるって事を証明したいんじゃないかな?」
メランはライカの言葉にハッとした。
ミアルは王家の兄妹の中でも特殊な立場にあり、ずっとまるで無価値な存在として扱われて来た。
そんな中で彼女が考え付いたのが自らの価値を自らの力で証明する事だとしたら、それは到底貴族女性の考え方ではない。
周囲は単なる女だてらに剣を振り回す身の程知らずのように捉えているが、もしライカの考えた通りなら、ミアルと周囲はそもそもの感覚が違うのだ。
彼女は自暴自棄であのような行為をしているのではなく、極めて建設的に自分を鍛えていたという事になる。
「ああうん、なるほど、って事はミアル様にとってはそもそもが結婚するという事は自らの価値の証明にはならないのか」
メランは唸った。
ミアルの身分をそれとなく示してライカに諦めるように促すつもりだったが、ミアルがそのようにどこまでも前向きな人間なら、そもそもが恋愛など考えるはずがない。
少なくとも今は恋愛や結婚を考えている場合では無いはずだ。
そしてその中でライカの存在はなんだろう?と考えた時、メランは一つの答えに行き着いた。
彼女の行こうとしている先は、未だ貴族女性の誰もが辿り着いた事のない場所だ。
だからこそ、型破りなものの考え方をするライカを一つの道標として見ているのではないか?という考えだ。
「これはちょっと俺の手に余るかなぁ」
メランはテーブルに突っ伏した。
ミアルは恐らくライカに対して世間一般で言われるような恋をする事はないだろう。
しかし、下手をすると、それは恋愛よりも強い執着になる予感がした。
ライカの方だけを諌めても、ミアルの方がライカを離さないのではないか?というなんとも怖い考えに至ったのだ。
この無邪気な恋する少年と、まるで戦略を練るようなあの女傑の思惑が一致している場合、これは止めるべきなのだろうか?
メランにはその問いに答えたが見いだせない。
「大丈夫?疲れを取るお茶を淹れようか?」
「ああ、ありがとう」
ライカはライカでものの考え方が普通とは違う。
メランは彼をなんとか理解しようとしているが、互いの考えのすり合わせだけで精一杯の現状となっている。
この上貴族達の争いごとに巻き込まれるような事になったら、物事がどういう風に転がるのかさっぱり予想も付かない状況になるに違いなかった。
「おかしい、人付き合いってこんなに厳しいものだったのか?」
今まで自分が他人とは違う事に悩んでいたメランだったが、初めて出来た対等な友人や、幼馴染みの突き抜けっぷりに、既に自分の血統とか家族とかの事など、小さい事のように感じるようになってしまった。
そしてもしかすると、今まで一つの記号のように扱っていた貴族達も、自分が思っていたよりもユニークな存在なのかもしれないと考えるようになっていた。
「俺って人生をなめていたのかもな」
「大丈夫?俺の秘蔵の飴いる?」
そんな彼を心配して優しくしてくれるライカに、メランは心からのため息を吐いたのだった。




