第二十一話 愛について
寮に戻ったメランはベッドに腰を下ろすと一つ息を吐く。
(俺を使って父を脅すとか……やっぱり意味が無いよな。母の本来の素性は外には漏れていないはずだ。どこからそんな考えに至ったんだ?母を囲った屋敷に父が毎日通っているからか?しかしそれならなんで今日だった。俺は定期的に屋敷に戻っているんだからその道中を狙えば良いはずだ。むしろその時ぐらいしか外出しないし)
今回の外出はメランにとってさえ予想外の事だった。
彼らが街で多少目立ったとしても、それに気付いて相手が襲撃計画を立てて行動する。それだけでもかなりの時間が掛かるはずだ。
彼らが外で行動して襲われるまでおよそ二刻あったかどうかという所だろう。
それを考えればぎりぎりやれなくは無いというぐらいの時間だ。
(ずっと見張っていた?いや、それは元の疑問に戻る。俺が屋敷に戻る日や時間は決まっているそっちの方が絶対に襲撃はし易い。って事はまさか)
メランはその可能性に思い至って、しかし信じ切れずに思わず首を振った。
「父が、あの人が俺の為に俺に気付かせないように行き帰りを護衛させていたとか、有り得るのか」
むしろ街で良家の子息らしき者達を見掛けた悪党の類が、貴族ならどこでも良いから身代金を取ろうと、無差別に襲ったと考えた方がらしい話だ。
しかしそうなると相手が彼を確認した事と理屈が合わない。
明らかに相手はメランを狙っていた。
メランの父は文官だが金銭や物を取り扱うような実務には関わっていない。
だが、ある意味、貴族にとってはどんな文官よりもやっかいな場所に所属している高官と言えるだろう。
メランの父は紋章官と言って、貴族の家柄の取りまとめ、貴族を王が裁く時の過去の判例との照合などを取り扱っているのだ。
つまり貴族同士の結婚の許可や貴族が罪を犯したと判断するかどうかは紋章官に掛かっていると言って良い。
しかもメランの父はその紋章府の長である。
おそらくは恨みを持っている貴族もかなりの数いるに違いない。
「俺は目を逸らしていたのかな?」
『お前の両親がどれだけお前を愛しているのか、知らないのはお前だけだよ』
ミアルの言葉がメランには痛い。
彼女こそが両親の愛を望んで得られなかった人間なのだ。
彼女の兄たちはまだ、男であったから良いだろう。
少なくとも母からは愛情を注がれた。
それが自己愛から来た愛情だとしても、大切にしたのは間違いない。
しかし、彼女は女に生まれたというただそれだけで母親から憎まれたのだ。
父である王は元より妻とその背後の貴族達を嫌い抜いているから生まれた子供に対してほぼ無関心だった。
ただ国を継がせるというその為だけに、王子達には父親としては接する事が無くても、ある程度王としては接している。
だが、娘に対しては、果たしている事すら知らないのではないかというぐらいの無関心ぶりだった。
ミアルに対して申し訳ないと思うのは違うとメランは思う。
彼はミアルを憐れむ事はない。
むしろ逆境の中で自己を確立していった彼女を尊敬してさえいる。
だが、彼女の前で愛情から目をそむけるような真似をしていたのだとしたら恥ずべき事だとは思ってしまう。
「でも、なぁ」
メランにとっては両親はお互いに歪な愛情を向け合う滑稽で哀れな家族だった。
「つまりはその滑稽で哀れな者に俺も含まれていたという事か」
「メランは凄いと俺は思うよ」
ふと、メランが気付くと、ライカが淹れてくれたらしきお茶をサイドテーブルに置く所だった。
「えっと、分かってないかもしれないが、お前、俺の家庭の事情に巻き込まれたんだぞ。怒って良い所だと思うけどな。それと、巻き込んで悪かったな、ごめん」
「メランが謝るのは変だよ。謝るって悪い事をしたからする事だろ。悪いのは親を苦しめる為に子供を襲うような連中だ」
「お」
お人好しで今回の件も気にしてなさそうだと思っていたライカがどうやら怒っているらしいことに気付いて、メランは意外に思って顔を上げた。
ライカは酷く真剣で、怒っているというか憤っていると言った方が近い感じである。
「気に入らなければ本人と戦えば良いだろ。子供を苦しめる事で親を苦しめようなんて最低の考え方だよ。普通思い付きもしないだろ」
ライカの言うようにそれは最低の考え方ではあるが、最低だからこそ効果があり、いつの時代にも行われて来た復讐や攻撃だという事をメランは承知していた。
むしろライカのような考え方をする人間の方が珍しいだろう。
そこに憎しみがあれば人はより相手に大きなダメージを与えたいと思うものだ。
憎しみが無くても、それが効果的な弱点なら利用する。
そもそもが、この塾自体が王国が諸侯に対して行っている跡継ぎや子供を盾にした人質政策のようなものなのだ。
「弱点があればそこに付け込む。それを行う人間が弱ければ弱い程、どれほど卑怯な方法を使っても『仕方のない』事だと考えるものだ」
「弱いから?」
「そうだ。人は弱いほど形振り構わない。何をしても利を得る事が出来れば得をした方が賢かった、損をした方が愚かだったという事になるんだ」
「でもそれって強い人が同じように形振り構わずに得をしようとしたら意味がないよね」
「まあそうだな。とは言え弱者が何をしようと害される事の無い本当の強者がいたならその人間は決して愚かなまねはしないだろうな。する必要がないんだから。でも人間に本当の強者はいない。だからいつだって形振りなんて構っていられないのが本当の人間らしさなのかもしれないな」
メランの言葉にライカは眉根を寄せてしばし考え、
「う~ん、でもさ、それが本当だったら人間は今頃お互いに殺しあって滅んでいたんじゃないかな?俺の母さんがさ、ずっと俺に言ってたんだけど。人間は弱いから助け合って生きるし、助け合うから強いんだって。俺は母さんの言ってた事の方が本当のような気がする。だからメランを襲った奴らは弱いんじゃないよ、悪い奴らなんだ」
そう答えた。
メランは瞬きをすると、真剣な顔で自分を見ているライカを見返し、思わず吹き出した。
「なんで俺たち問答やってるんだろ。問答は気を付けないと極論になっちゃうからな。あ、お茶いただくよ」
「あ、うん。それ疲れを取るハーブティーだよ。今日は疲れただろ」
「うん、疲れたなぁ、だからちょっと考えすぎたかもしれない」
メランは独特の強い香りを持つハーブティーを口に含む。
鼻に抜ける香りがどこか心地良い。
「そうだな、あいつらは悪人だ。それははっきりしている」
「うん」
「愛情か、難しいよな」
「うん?」
思わず零したメランの言葉にライカは首をかしげた。
「愛情は難しくないよ。そばにいて居心地が良いならその相手に対して愛情があるって事だろ。それが強くなるともっと近くにいたくなる」
「ライカはシンプルだな」
「むしろ難しい愛情ってなんだよ」
「うーん、愛憎混じってたり?」
「それは距離が遠いからなんじゃないかな?」
「ほう?」
メランはライカの言葉に眉を動かした。
なかなか斬新な説だと思ったのだ。
「近くにいて欲しいのに手が届かない場所に行ってしまうと辛いだろ。その辛さに耐えられないとその距離の分愛情が裏返ってしまうんじゃないかな。俺が前に会った何もかもが憎いって言ってた人は、愛していた人達ともう会えなくなってそのせいで何もかもが憎くなっていたみたいだった。それは愛情が無くなったからじゃなくて、逆に愛情が強すぎていつまでも消えないから、その裏返しの憎しみも消えないって感じだったな」
「お前、意外と人生経験豊富だな」
ライカの言葉にメランは感心して呟いた。
ライカの言いようは極端だが、メランにも理解出来る部分はある。
それに距離という考え方はなかなか斬新で、それでいてしっくりと来るようにも思えた。
思い浮かぶのは、自分が離れると精神が不安定になる母の事だ。
「愛しているのに近付けない……か」
突き放されても誰も憎む事なく、ましてや愛する事もないというのは、ひどく寂しい生き方なのかもしれない。
ふと、メランはそう考えたのだった。




