第十七話 少年と少女の物語
重たいはずの鎧を着ておきながら軽々と行動するのはそれだけの筋力があるからだ。
マントを翻して突進して来るのだが、そのくせ決して走っているようには見えないという不思議な動きだった。
傍目には大股で歩いているように見える。
しかし一歩の歩幅が広い上に土煙が上がっていて、その速度は丁度馬が駆けているような早さだ。
恐ろしい。
目標とされた者に出来るのは竦んで待つ事ぐらいだ。
「おでかけならお供しましょうか?殿下」
「冗談でもやめてください」
恐ろしい早さで近付いて来たというのに、メランの目前でぴたりと止まったその様は優雅ですらあった。
そして柔らかく正式の騎士の礼を取り、彼女はメランに『殿下』と呼び掛ける。
痛烈な皮肉に他ならない。
「あ……」
しかし、彼女の物言いに反応したのはメランだけでは無かった。
ライカは驚いたようにその大柄な鎧の兵士を見上げると、なぜかはにかんだように微笑んだ。
「もしかして、ミアル?」
その瞬間、メランは文字通り仰天した。
王都に住む貴族たちですらミアルの事を知らない者も多い。
もちろん彼女自身ではなく、彼女という存在がある事はみんな知っているが、彼女個人がこういう人間であるという事を知る者は意外と少ないのだ。
「やあ、やっと出て来てくれたな。実はずっとうずうずしていてな。このままだとあの学院に押し入る事になりそうだった。ぎりぎりで悲劇は回避されたという事だ」
「押し入らないでください。っていうかミアル、は、ライカを知っているのですか?」
どの辺りまで明かしているのか分からないので、メランは慎重に言葉を選んだ。
ミアルはいわば理性的な破壊者だ。
一見冷静だが、その実腹の底では常に不満や怒りが火竜の喉の奥の火のようにくすぶっているのである。
むやみやたらと狼藉を働きはしないが、口実さえあれば他人の命を簒うことすら躊躇わないだろう。
「メラン、さっきほら、知り合った王国兵の人がいるって言っただろう。この人がそうだよ」
「ええっ?」
あまりの運命の転がりっぷりにメランは継ぐべき言葉を失って呆けてしまった。
そしてメランは理解した。
ライカはおそらく波瀾万丈に転がり続ける事を運命づけられた星の下に生まれた人間なのだ、と。
「あー、まあ、こんな広場の真ん中で兵士と塾生が立ち話をしていても目立つばかりだ。茶屋のテーブルに着こう」
「ああ」
メランの無難な提案に明るく応えるミアルの、その鎧の面覆いをひっぺがしてやりたい気持ちをメランは抑えた。
幼なじみである彼には今現在、彼女がその向こうでネズミをいたぶる猫のような顔付きをしているであろう事は容易に知れたのだ。
(どういう知り合いなんだ?どうも、名前も、性別すら知っているような感じだが)
本来有り得ない話だが、メランはライカと出会ってからもうそれなりに時を過ごしていた。
その間ずっと同室で顔を突き合わせているし、稀に講義が重なる事もある。
そうやって付き合っていく内に、メランは、ライカが全く普通ではない事に、当然ながら気付いていた。
というより、本人は普通に振舞っているつもりの事が、他人にはあまりにも突拍子もない事であるという事を理解していたのだ。
そして、かたや、ミアルは王家に連なる女性であり、型破りで、多くの人間に持て余されている者である。
彼の直感が告げたように、この取り合わせには面倒事の予感しかしない。
広場にはいくつかの屋台が出ていて、適当にテーブルと椅子が置かれている。
それぞれのテーブルや椅子は利用する人間が自分の都合の良い場所に都合の良い数だけ引っ張って行くので、その置かれている間隔はバラバラだ。
メランはその中の隅においやられて転がっていた小さめの木のテーブルを引き起こし、簡素な椅子を三つセットした。
二人をそこに座らせると自分は食べ物と飲み物を適当に買いに屋台に向かう。
そのメランの視界の隅に、異様にもじもじしているライカの姿が映った。
(まさか……まさか、な)
本当に、嫌な予感しかしなかった。
メランが香り野菜の焼き串と、片側を切り取って中身をジュース状にした瓜を買って戻った時にも、その場は彼が席を離れた時とそう変わらない状態にあった。
二人だけで何かを進行したりはしなかったらしい。
とりあえずその事にメランはホッとする。
「でも驚いたな、メランはミアルと知り合いだったんだね」
「いや、そのセリフは俺が言うべきセリフだからな。そもそも何がどうなったらこの、ううんっと、ミアルとライカが知り合うんだ?」
ミアルは面覆いを外して豪快に串にかぶりつくと二人の会話に我関せずとばかりに瓜ジュースを啜り、種を地面に吐き出した。
彼女に礼儀作法を教えた先生がその姿を見たら、世を儚みそうな有り様だ。
一方でライカは焼かれた玉ねぎを物珍しそうに齧っている。
「ミアルに助けてもらったんだよ。王都で狩りをしている人達がいて」
「狩り?」
「追い剥ぎの事だ」
「ああ、なるほど」
ライカの独特の言い回しに、現場にいたのであろうミアルが注釈を入れる。
つまりライカが追い剥ぎに襲われている所を彼女が助けたという事だろう。
ミアルは正規軍の訓練に混じってはいるが、当たり前だがなかなかまともに相手をしてもらえないようで、それなら実践で鍛えるべしという謎の考えに至って城下の危険な地域に足を延ばすようになったらしい。
普通は有り得ない話だが、彼女の立場は普通ではない。
なにしろ護衛すら付いていないのだ。
いっそどこかで野垂れ死んで欲しいという思惑が垣間見えるようでメランは酷く憤ったものだが、当の本人にしてみれば、そんな事で憤れる程に絶望は浅くない。笑って、却ってありがたいとばかりに自由に行動していた。
だからシチュエーションとしては十分に有り得る話だった。
「助けて貰って思わずときめいてしまったという事か?乙女かお前は!」
思わずメランはライカにツッコミを入れた。
「えっ?」
ライカは怪訝そうにメランを見た。
その不思議そうな様子にメランは眉根を寄せる。
好意をあれだけあからさまにしておいてなんでそこで疑問が来るのだろうと思ったのだ。
「いやいや、それは誤解だ、メラン殿。私と彼はその場でちょっとした言い争いをしてしまってな」
「えっ?」
今度は驚くのはメランの方だった。
少し前までの彼女は、自分に噛み付く相手を放置しておくような事はしなかった。
必ずその事を後悔させる、あるいは後悔すら出来ないようにする。
さすがに罪なき者を殺した事は無かったが、ひたすら苛烈に叩き返すのが彼女の信条だった。
「その後机上で論じ、一緒に飲み食いをして意気投合したという訳だ」
「ほう」
「ミアルは凄いよね。強いし!」
「ほう?」
どうやら二人は出会ってお互いに影響を受け合ったという事のようだった。
という事はミアルの変化にはライカとの関わり合いが少なからず絡んでいると思って良いのだろうとメランは気付く。
それまで鎧などの装備以外は身なりにあまり構わなかった彼女が小奇麗にするようになり、他人に丁寧に接するようになった。
それを周囲は驚きと警戒と、少しの喜びを持って受け止めていたのだ。
しかし、ほんの僅かであろう出会いで、人間はそんなに変われるものなのだろうか?という疑問が、メランの中に無い訳ではない。
瓜の皮を齧ろうとするライカに、下品だから汁だけ啜れと教えるミアルは心から楽しそうだった。
彼女との付き合いは長いメランだが、こんな風にあけすけな笑顔はほんの幼い頃ぐらいにしか見た事はない。
メランはふと、以前に隠者の言っていた言葉を思い出した。
『人はみな、自分を中心とした求心力という引っ張り合う力を持っている。その求心力の強さは人それぞれ違う。例えば王様の求心力は農夫の求心力より遙かに強いだろう。もちろんそれは立場の違いも関係しているがね。しかし世の中には立場に関係なく強い求心力の持ち主がいる。そういう人間は気付かない内に他人の運命さえ変える事があるのだ』
「他人の運命を変えてしまう力、か」
火に炙られて尚更香り高い青葉の、少し苦味のある味を噛み締めながら、メランは自分の友人たちを不思議な気持ちで眺めるのだった。




