第十六話 外出
色々と周囲の耳目を集めたライカの騎竜とのやりとりだったが、結果としてそれで評価が上がった訳ではなかった。
ライカが竜に言う事をきちんと聞かせられない為だ。
それで誰かが怪我をする訳ではないとはいえ、いわば軍事教練に近いこの授業では想定内の時間に全ての事をやり終える事が評価に繋がるので、手間取ればその分評価は落ちるのである。
「でもまぁ、お前は楽しそうだよな」
「ん~、弟が出来たような気分かな」
「あれはこの塾の預かりの竜だから最終的には部隊配備になるんだぞ、あんまり情を掛けるなよ」
「そうだよね」
それにしても、と、メランは思う。
普通は塾に教習用に配備される馬や竜は現役を退いた引退したものなのだが、ライカが世話をするようになった個体は明らかに若すぎた。
おそらく訳ありなのだろうと思われる。
「そう言えばお前こっちに来てあんまり街に出てないんじゃないか?この中ばっかりだとものの感じ方がおかしくなってしまうぞ。明日から休講日なんだからどこかへ外出したらどうだ?」
「ああ、それなら治療所の手伝いと青の世話があるから大丈夫だよ」
「今の俺の話でなんでそれで大丈夫だと思ったか教えろ」
ライカの答えにメランは頭を抱えた。
塾では大体三十日授業を行うとその後六日は休講になる。
主に六の六の日は安息日とする神殿の教えを守る者の為の措置だが、塾としてはこの期間に教師達が自分たちの研究を発表したり問答を戦わせたりするようにしているのだ。
教師とて、一人の学者である者が大半なので、自分の研究や思考をじっくりと行い成果を出したいと思うのは当然で、その為の時間が必要なのである。
中にはフィールドワークとして、この期間に王都の外に出る者も多い。
寮住みの学生の大半も王都の屋敷に戻って、この期間のみに行われるパーティなどで顔を売ったりするという貴族としての活動もあった。
「だって勉強は治療所でも出来るし、他の分野は塾にいる先生達に質問すれば良いだろ。それに青の世話は今は俺がやらないといけないし、そう言えばメランも担当の馬の世話があるんだよね?」
「休講期間はみんな塾が雇っている馬手や竜手に任せるんだよ。元々彼らが世話をしていて、俺達は単に訓練で世話の仕方を学んでいるだけなんだからな。俺たちの世話に不足がある場合は彼らが補っているんだ」
「ああ、そうか、そうだよね」
メランの説明にライカも納得した。
そもそもが常識の話である。
ここで今更納得するような話でもない。
「とにかく一回外に出ろ、勉強ばっかりやってて王都の事はわからないとか、笑い話にもならないぞ」
「え?いや、王都には以前来た事あるし、ちゃんと見たよ」
「何日滞在したんだよ。そういうのは眺めたって言うんだよ。普通地方の領地から王都に勉強に来た跡継ぎ連中は、せっかくだから領地の特産品を販売したりする為の繋ぎを作ったりするもんなんだぞ」
そう言ったメランの言葉に、ライカはハッとしたように顔を上げた。
「特産品を販売する為の繋ぎって?」
その予想外の食い付きに戸惑いながらも、メランは説明した。
「王都にはいくつか市場があって、それを日替わり、時間替わりで持ち回りで開いているんだけど、それぞれの市には顔役がいて、その市場で出店する品物を選定する役割を負っているんだ。地方の売り手はそういう顔役との繋がりが無いから、中間業者に安く買い取られてそれに中間手数料を上乗せした売値で市場で売りに出される。それなら直接市場で販売出来るようになった方が得だろ?」
「王都で地方の物が凄く高いのはそれが影響しているの?」
「もちろんそれだけじゃない。地方から王都に運び込む手間を考えてみろ。その料金を加えないと、損をするだろ。だから王都で地方の品物を売るとただでさえ高くつく訳だ」
「なるほど、メランの説明は分かりやすいな」
「いや、普通だろ、こんな話は」
妙な所を褒められて、メランは逆に困ったように顔をしかめた。
そもそも話の大本がずれている。
「そんな訳だから、街をちゃんと見て、色々覚えるのも地方の領地持ちには大事な仕事なんだよ」
「分かった、よろしくお願いします」
「ん?」
ライカによろしくお願いされて一瞬メランは首をかしげた。
単にライカを外出させるつもりだったのがなぜかお願いされている。
これはもしかして自分が街を案内する流れなのだろうか?と、思い至ったのだ。
実はライカに偉そうに言ったものの、メランは自分が生まれ育った王都の街にあまり詳しくはない。
せいぜい出入りの職人の家や、自分の屋敷で雇用している者の家、それと取引業者の店程度しか行った事がないのだ。
後は興味本位で覗いてみた『王都の庭』と呼ばれている花街ぐらいか。
その思考が花街の女性達に及んだ時に、メランは顔をしかめた。
業者のもてなしに興味本位で着いて行ったメランだったのだが、花街の女性達を見て、ふいに自分の母親を思い出し、そこで思い出してしまった事に嫌悪感を抱いてしまって、花園で遊ぶどころではなくなってしまったのだ。
自分を潔癖症とは程遠い人間だと理解しているメランだが、そういう不意打ちの精神的な弱みの暴露には、自分自身で苛立つ事があるのである。
「まぁ、今後必要になる店とかもあるし、案内しておいてやるよ」
結局、なぜかせっかくの休みの日にこの田舎出の少年の案内をする羽目になってしまったメランなのであった。
― ◇ ◇ ◇ ―
塾は位置的には王城の城郭に含まれる事になっている。
しかし、実際には城壁の外であり、貴族の屋敷が立ち並ぶ通りの奥にあった。
これは、王城の城壁が一枚ではない事が関係している。
それにしても塾はこの王都で少し異質な位置を占めていた。
貴族街を通り抜けないと街に降りる事が出来ないのだ。
俗に言う貴族街は、色とりどりの壁と、偶に見える門と門を守る兵士を見掛けるばかりの静かな佇まいが続く場所である。
行き交うのは基本的には貴族の屋敷で働く使用人で、それも私語をほとんどせずにしずしずと動くのでまるで人が誰もいないと錯覚する事すらあった。
壁ばかりで目印が少ない為に、ここで迷ってしまう者も多いのだ。
実際にこの通りは貴族の子弟が行方不明になる事が多く、別名隠れ道と呼ばれているぐらいである。
(まぁ、道に迷って行方不明になっている訳じゃないんだろうけどな)
メランは貴族の中ではしがらみの少ない方だ。
だからそれほど警戒する必要はないが、かならずしも選んで行方不明とされている訳ではない事も多い。
退屈を紛らわす為に、単に遊び相手を探している貴族もいるのだ。
そしてその『遊び』の内容は穏やかでない事が多い。
「ライカ、この辺りはあまり一人では通るなよ。あと、明るい時はともかく、暗くなったら絶対に通るな。どうしても戻れないようなら街で宿を取ってしまえ」
「う~ん、メランもそう言うんだ」
「メランもってどういう事だ」
「前に王都で知り合った、王国兵?の人もそんな事言ってたから」
「王国の正規兵と知り合いなのか?それは頼もしいな」
「知り合いっていうか一度会っただけなんだけどね」
「それは全然頼れないな」
威圧的な壁の間を抜けると、坂道があり、坂道の先には広場があった。
ここは城の布告が行われたり、いざという時に本営地とする為の場所で、馬の水飲み場とする為の水路があり、普段はここで野菜を洗ったりする者の姿もある。
暑い季節にはここで涼を取る者も多く、出店も出て賑わう所だ。
「うちのお城の前にも水路があるよ。これよりずっと深くて広いけど」
「それはおそらく元々の用途が違うんだろうな」
広場のやや外れた場所に、羽を広げた翼竜と、それに跨った立派な鎧の青年の石像がある。
「これが英雄の像、お前の父上のサクル卿の像だ」
「えっ!」
驚いてライカはしげしげとその像を眺めた。
ラケルドに関しては微妙に似ているとライカは判断したようだが、竜が似ていないと文句を言った。
メランは笑う。
そもそも竜は勇壮で恐ろしげであれば良いのであって、似ている必要を誰も感じなかったのだろうと説明した。
それに不満そうなライカにまたメランは笑った。
その石像の足元には花や食べ物などが供えてあり、まるで慰霊碑のような扱いになっている。
どちらもまだ生きているのに王都の民にとっては既に過去の英雄として祀られてしまっているのだ。
「あのお供えもそう単純な物でもないんだ。直接支援出来ない家無しの者達への施しの意味合いもある」
見ている内に痩せた子供が供えられた食べ物を持って行く。
見張りの兵達はそれを見てみぬふりをしていた。
「一日に持って行けるのは一人一個だけという決まりがある。まぁ一見平等な決まりだな」
この辺りでは外縁部のようなやせ細った路上の物乞いはいない。
宿なしは宿なしでもある程度組織化してその組織でなんらかの仕事をしている者達がこの辺りのナワバリを牛耳っているのだ。
つまり先ほどの子供もその一員で、自分が食べる物を持ち帰っている訳ではない。
ただ、組織同士が互いに牽制して、この辺りでは逆に平和になっているのは確かだった。
そんな関係で、この辺では足早に歩く者はそういった特殊な組織に属している者が多く、逆にのんびり歩いているのは貴族関係の者が多い。
しかしどこにも例外はいるものだ。
鎧で身を包んだ一人の兵士が、颯爽と身を翻すと、彼らの方へと駆けて来たのだ。
平和な広場の静寂を思いっきり乱すその姿は、一級品の鎧で覆われていて、見ただけで明らかにお偉いさんだと分かる。
広場を守っていた兵士は、まるでその鎧姿の何者かが見えていないとでも言うように振る舞っていた。
「やっかいごとが猛スピードでやって来る」
メランはそう疲れ果てた声で呟いた。




