第十三話 実技教練
教練所の建物の西側に小さな森があり、そこを抜けた先に馬場がある。
この馬場はやたら広かった。
何しろ馬と竜を同時に走らせてパニックが起きない広さが必要なのである。
厩舎は寮の右手奥、竜舎は治療所の左手奥にあり、どちらも馬場には直接行ける場所なのだが、その間にはかなりの距離が開いている。
これはお互いの気配を感じさせない為の措置だ。
もちろんいざ戦ともなれば騎馬と騎竜は共に戦う事になる訳だが、普段からお互いの気配を感じていては落ち着かないのは当然の事だ。
戦馬は竜や大きな物音に怯えないように訓練を積んでいるが、本来は捕食される側と捕食する側なのだからやはり常にそばにいられては心身が持たないのだろう。
この日の実技訓練は始めて実技を行う塾生のみが集められていた。
とは言え、全員が同じ未熟なひよっこかと言えば、決してそうではない。
武門の家柄の子供はほんの幼い頃から騎馬や騎竜の訓練を行っている。
しかも、この授業は自分達の愛馬や愛竜がある場合は持ち込みが出来るのだ。
最初から大きな格差がある授業なのである。
メラン達が馬場に降りると、居並ぶ馬の様子がどうもおかしかった。
どこか落ち着かないようにいななきを交わし、足踏みを繰り返している。
「どうどう!落ち着け!」
実技指導には危険が伴うので、指導者が五人程いる。
生徒に一人、馬に二人、竜に二人だ。
最も恐ろしいのは馬や竜が暴走する事で、その為そちらの担当が多いのである。
「まだ竜を寄せてないのにどうした事だ?風向きか?」
「いえ、今の時間はこっちが風上です。知らない人間が大勢いるので興奮しているんでしょう」
「まったくデリケートな奴らだな」
馬の担当員がなんとか宥めて馬は落ち着いたようだった。
「生き物相手は予想がつかない事が起きるからな。注意しろよ」
メランがそれを眺めながら、馬に乗るのは初めてだと言うライカに忠告する。
そのライカはやたら難しい顔をして居並ぶ馬を見ていた。
「やっぱり馬は無理だと思う。竜もいるんだよね?」
「そりゃあいるが、騎竜兵ってのはちょっと特殊な感覚が必要なんだ、いきなり新人を竜に乗せたりはしないと思うぞ。今日は側に近付いて慣れるぐらいしかやらせないだろ」
「特殊っていうと?」
「う~ん、竜って言っても早駆け竜は実は馬より軽いんだ。その分身軽で立体的な動きが得意だ。極端な話、空中で宙返りしたりする。これに感覚が付いていかない騎手だと鞍から真っ逆さまって事だ」
「なるほど」
ライカは素直にうんうんと頷いている。
だが、そもそも竜と家族のように暮らしていたと言っていたライカにとって、その辺は大して問題にならないのかもしれないとはメランも思っていた。
馬より竜が良いというのならそれはそれで稀有な才能だ。
だが、問題としてはそれを行うと馬鹿みたいに目立つという事が予想された。
どこの領でも竜の保有数は少ない。
ましてや騎竜として乗りこなせている者など、王都にいる騎竜兵ぐらいのものだろう。
とは言え、ライカの義父の英雄ラケルド・ナ・サクルは、その二つ名に竜騎士を冠する者だ。
意外性というならばむしろ低いのかもしれない。
それに、英雄殿の駆る翼竜はともかく、騎竜兵の駆る早駆け竜はそこまで特別視はされていない。
攻撃の際には重さが無いという事で、正規の兵士にはあまり好かれていない部分が多い。
メランはここでライカが馬ではなく竜を選ぶメリットとデメリットを秤に掛けて、どう周囲の意識を誘導すべきかと思いを巡らせた。
「あ、ポリュボテスだ」
ライカが声を上げる。
メランはちょっと呆れた。
友人でもなんでもなく、逆に疎ましがられているのに、その相手の家名ではなく名を呼ぶとはどういう感覚なんだろうと思ってしまう。
今更ではあるが、メランにはライカという少年があまりにもエキセントリックに感じられた。
そんな風に思いながら、メランが示された方を見ると、なるほどそこにはポリュボテス・オル・ウーロスがいた。
とは言え、堂々とした鎧姿だったので、それがウーロスの若君と分かったのは主にその飛び抜けた体格ゆえであったのだが。
そう、そこには人馬共に武装をしつらえたポリュボテスの姿があった。
さすがに祭礼用の華麗な物ではなく実用一点張りの無骨な物なので、そこに豪奢な雰囲気はないが、綺麗に磨き込まれた黒銀の人馬の鎧はある意味豪華な刺繍などよりよほど壮麗とも言える。
「ウーロス卿が演武を行う、皆、注目するように!」
とっくに実技をバリバリこなしているはずの彼が、なぜここにいるのか?という疑問を一瞬感じたメランだったが、その教師の言葉で納得をした。
ウーロス家は武門の家の中でも完全な武闘派だ。
武門と言いながら軍隊を政治的に把握するのに必死で、机の上での仕事に太ももの肉を余らせている似非武家とは違う。
実技での『お手本』にされるのはなんらおかしな話ではない。
しかも授業のサポートを行うと半銀単位、つまり銅メダルを六個貰えるのだ。
やらないという選択肢は無い美味しい仕事である。
ウーロス家の次代の当主は、いわゆる突撃槍と呼ばれる太く長く重く、取り回しの悪い馬上槍を構えると、まるで重さを感じさせない出だしで駈け出した。
「さすがだな」
騎馬の強みは速度とそこから繰り出されるその攻撃の重さにある。
この速度と重さは比例していて、ちょっとでも躊躇いや位置にブレがあると効果的に発動しないのだ。
だからこそ、騎馬の兵は怖いもの知らずの戦士でなければならなかったし、かつて騎士が誉れ高いと謳われていた理由でもあった。
蹄の蹴る大地の立てる音にはいささかの乱れもない。
そしてその突進を受けて、的とされていた棒杭が軽々と宙を舞った。
「おおお!」
「うわあ!」
ざわざわと学生達が口々に感嘆の声を上げ、やがて片手を宙に突き上げてその力を湛えた。
「さすがだな」
「凄い!」
何も考えない単純さという物の強さを、メランは舌を巻いて賞賛した。
あれはもはや純粋な暴力だとメランは思う。
だからこそその力をコントロール出来る人格が大切なのだ。
しかしおいおいにして単純な暴力を振るう者はあまり理性を尊ばない傾向にある。
「これはあれかな、世の中の理みたいなもので、強さとは単純さであるという事なのか」
ぼやくメランを他所に、ライカは片手を突き上げてウーロスの次なる領主を湛えている。
お前あいつに突き飛ばされて段を転げ落ちたの忘れたのか?という気分でメランはその様子を窺っていた。
ふと、馬上で面頬を上げたポリュボテスの視線が彼らを捉えた。
感情の乗らないその視線はすぐに外される。
(ここで、『どうだ、見たか!』みたないアクションを起こすような奴なら可愛げもあるんだがな)
それにしても、と、メランは思った。
ここにポリュボテスがいるという事で、益々ライカの乗馬、及び乗竜の件が面倒になった。
いっそ馬から派手に落馬でもした方が相手の敵意は反らせるかもしれない。
しかし、落馬は本職の兵士でも下手をすると命を落とす危険な事故だった。
演技やノリでやるような物ではない。
考える内にも実技は進み、馬を持つ者は自分の愛馬に乗り、持たない者は塾の預かりの引退馬に割り当てられる。
とりあえず、馬に乗ってしまうのが良いだろうとメランは考えた。
どうせライカは馬に関しては素人なのだ。
何もしなくてもある程度失敗はするだろうし、そもそもポリュボテスに実技で敵うはずもない。
「ま、なるようになるさ」
そうメランは考えた。
それは彼にしては甘かったというべきだろう。
ライカという少年はそもそも彼の思惑から外れる事が当たり前なのだ。
「先生、馬が気の毒なので、俺はあっちの竜に頼んでみます」
その声に、それぞれ自分の事で手一杯だった者達がしんと声を呑み、その言葉を発した少年、ライカを注目したのだった。




