第十二話 お茶の時間
懸念とは違い、ライカとメランの周囲は表面的には静かだった。
相手は大貴族中の大貴族、なにしろ王都の守りの要である。
さすがにいくら気に食わないとは言え、下位の相手にやっきになったりはしないのだろう。
だが、取り巻き達は確実にライカを意識していた。
以前は私的な事はともかく授業ではさすがに普通に相手にしていたどっちつかずの生徒がライカとの問答を避けるようになった。
それぞれの派閥筋からライカに関わるとまずいと、それとなく忠告があったのだろう。
その一方で国王派、もしくは保守派と目される連中が距離を縮めようとして来ていた。
実際に彼らのどちらが危険かというと、実は保守派の一派が一番危険なのだった。
保守派と呼ばれる者達は自分たちの為の盾となる人物を探してその相手を目立たせて、その裏で巧妙に自分達の派閥を増やし、やがて盾が攻撃を受けだすと打ち捨てるというしたたかな輩なのである。
この派閥の構成員は、主に王城に務める文官の家の者が多い。
だが、一概にそれだけとも言えない、なかなか全容が見えない集団なのだった。
「ふう、面倒な話だな」
思わず王都の派閥リストに目を通しながらため息を吐いたメランだったが、
「どうした?具合が悪いなら薬があるけど」
「……いや、別に」
メランにとって目下一番の問題は当のライカが全くその状況をものともしていない事だった。
しかも単に鈍いというだけならともかく、ライカは妙に積極的なのが始末に負えない。
グループ問答への参加を断られると、理由を確認する為により積極的に関わって行くし、知らない相手からいきなり何かを贈られると、理由が分からない物はきっぱりと断る上に、しつこく理由を聞いた。
どれだけ嫌味を言われてもそのほとんどが空回りしているし、あの手この手の買収はことごとく失敗してしまっていて、保守派はどうも意地になっている節がある。
そもそも貴族的な定番の言い回しや、慣例が通じないのだからやりにくいのは当然だった。
メランからすれば彼らの行いは滑稽ですらある。
なまじ社交においても組織としても経験の少ない子供ばかりである事がこの空回りっぷりに拍車を掛けている感じがあった。
「これ、良かったら飲んで」
「あ、ああ」
顔を上げると、ライカが茶用のカップを持って机の上に置いて行った。
ふわりと香るのは爽やかでほのかに甘い匂いだ。
この香りをメランは知っていた。大地の林檎と呼ばれるハーブの一種のはずだ。
林檎と名が付くが、林檎とは何の関係もない。
ただ、香りが少し林檎に似ているのである。
メランは念の為、銀のスプーンをカップに入れてしばらく置く。
「まぁ俺に毒を盛ったって意味がないんだけどな」
幼い頃から身に付けさせられた習慣はいかんともしがたいものである。
メランは自分の行為にやや後ろめたさを感じながらも、そのハーブティーを口にした。
柔らかい香りと独特の味わいが口の中に広がり、なんとなくほっと肩の力が抜けるのを感じる。
どうやら自分で思っていた以上に気が張っていたらしいとメランは感じ、ふと、その香りに治療所の周りにあるハーブ園に咲く、白い可憐な花を思い出す。
「あんなみすぼらしい花なのに、人の病を治すんだから凄いよな」
「あ、うん、メランもそう思うよね!このハーブもそうだけど、普通にそこらに生えている目立たない草の中にも人を助ける事が出来る物もあるんだよな。メランはさ、そういう強さってどう思う?」
「なんだ、俺に問答を仕掛けてるのか?お前本当に問答好きだよな」
メランは呆れたように応えた。
ライカは教師と仲が良いが、特にあの隠者とまるで師弟のように話をしている場面を良く見掛けられるようになっていた。
既に塾内では『隠者のお気に入り』という呼ばれ方をされている。
それは良い意味でも悪い意味でも囁かれる言葉だ。
そんな周囲の勘ぐりを他所に、ライカは彼の指導の元、問答合戦を良く行うようになっていたのである。
「先生が、物事の本質を知るにはとことん問答をする事だって。でも、今のは単に聞いてみただけだよ。前に他の人から強さについてちょっと聞かれた事があってさ、その時はちゃんと答えたつもりだったんだけど、あれで良かったのかな?とか思う事もあるんだ」
「ふ~ん」
メランは興味なさそうに返事をしたが、とりあえずライカの問いには答えた。
「お前が言っているのはあれだろ、どんなに取るに足らないものにでも役割があり、それぞれの在り方でしか解決出来ない事がある。それを理解して活用出来る者こそが真の強者だ、ってな」
メランが答えると、ライカは「おおっ」と、感嘆の声を上げ、やたらキラキラした目付きでメランの顔を見る。
「メランは凄いな」
「何言ってるんだ、お前が振った話だろうが」
「いや、俺はそういう風にきちんと纏められなかったよ。メランってさ、あれだよね。物事の本質が分かるっていうか、先生とはまた違う感じに頭が良いよね」
なんだこいつとメランは思って心の中で後退った。
メランはいつも思うのだが、ライカの賞賛はあけすけすぎてそのまま受け取るのはキツイのだ。
(これはあれだな、ひとすくいの水が欲しい時に滝に頭から突っ込んでしまったような感じ)
面映いとか、そういう可愛いものでは無い。
人というのは他人と接する時には良くも悪くもその想いを加工して示すものだ。
間違っても自分の心をそのまま他人に見せ付けたい人間などいないだろう。
だがライカという人間は、その加工をする事を忘れているようなのだ。
貴族だ平民だという前に、それこそがライカを他人から浮いた存在としている大きな要因なのだとメランは感じていた。
「まぁうちは文官の家系だからな、ある程度頭が回るのは当然の話だ」
「へえ」
(でもまぁ、それぞれの在り方という意味で言えば、こいつぐらい強烈な存在はあれだな、毒にもなれば薬にもなるって訳だ)
塾の中はこれでも割合平和だとメランは思っていた。
王都の社交界において、様々な醜聞や言葉のやりとり、時には本物の武器や、更には薬によって人と人が殺し合っている事をメランは知っている。
その悪辣さはまだ学生であるこの塾の中のひな鳥達に考えの及ぶ世界ではない。
その最も激しい動きがある箇所が派閥の重なる所と、逆に派閥に含まれない所だ。
それらのど真ん中、渦の中心にいる王とその子供達は一見穏やかな生活を送っているが、物事の結果を全て被らなければならない事を既に覚悟している。
そしてメランは外でも中でもない自分の立場が嫌いだった。
だが、メランは今、ライカに答えた事で逆に気付かされた事がある。
それは自分の立ち位置だからこそ出来る事があるという事だ。
「俺もいつまでも他人ごとというのは子供の我儘だよな」
「そっか、メランも文官になるんだ」
「へ?」
ライカの言葉にメランは首を傾げた。
「あれ?そういう話じゃないの?」
「ああ、うん、いや、そういう話なのかもしれないな」
ライカにしろ王家の友人たちにしろ、何か力になるのなら確かな後ろ盾が必要となる。
今まで見ないようにして来た将来の事について、メランも真剣に考えるべき時が来たのかもしれない、そう思ったのだ。
「ところでお前、明日から実技教練に参加するんだろ?大丈夫なのか?剣も馬も習った事無いんだろ?あっと、竜には乗れるのか?」
「う~ん、剣はきっと無理だと思うな。でも鎧はカッコイイよね」
「アホか、剣も振れないやつが鎧なんか着れるか。あれがどんだけ重いと思ってるんだ」
「ええっとね、重いのは割と平気」
「お前ほんとに突拍子もないよな」
ふうとメランは首を振った。
正直ライカは放っておいても勝手になんとかしてしまいそうではある。
だが、放っておくと益々一人で浮いてしまい、最後にはどこかの派閥の抗争に巻き込まれて罪人かなにかに仕立てられてしまうような危うさをも感じていた。
それに、メランは実の所、ライカを心配して色々動きまわる内に、自分がそれを楽しんでいる事に気付いたのだ。
調べれば調べる程面倒くさい事になっている人間関係は、複雑であればあるほど、ちょっとした事で揺らぎを見せる。
そこを突付いてやれば、他人の事に気が回らなくなってライカに集中していた意識が分散するのだ。
ライカ程あけすけであればこういう姑息な手段はなかなか通じないのだが、それぞれに隠し事や思惑がある連中は面白いようにこれに引っ掛かる。
メランはリストの皮紙を綺麗に纏めるとトントンとそれを揃えてケースに入れた。
「まぁあれだ。考えてみると俺は人間って結構好きかもしれないな」
「あ、俺も。人間って凄いよね」
にこやかに笑い合う二人の『好き』は微妙に違うのだが、それに言及する者も、違う事で二人が困る事もない。
「お、そうだ。茶の礼に実家から届いた果物の蜂蜜漬けを分けてやるよ」
「あ、それならお茶を淹れ直すよ」
そんな訳で、周囲のごたごたとは関わりなく、いや、周囲がごたごたしていたからこそ、この二人は同室者としてすっかり馴染んで仲良く過ごすようになっていたのだった。




