第十一話 理由
塾には付属の治療院がある。
これは城でもない特定の施設としては破格の事なのだが、実の所不思議な話ではない。
つまり授業の一環として薬学と人体学が存在する為、それを教える為の施設と教師が必要となり、必然的に出来上がった施設が治療院としての機能を有するようになったという、必要と必然の結果なのだ。
治療用の薬の中には光や温度変化を嫌う物も多く、治療院はレンガの上に漆喰塗りの造りとなっていて、塾の中にあっても異彩を放っている。
その周囲に開けたハーブ園があるという所も塾の中で異質な雰囲気を持つ理由だ。
「先生!」
その治療院のハーブ園に人影を見付けて元気に声を掛けて手を振ったのは、怪我を危ぶまれる当人のライカだった。
その姿を見て、怪我人と思う人間はいないだろう。
この場所に来た意味が見出だせない光景に、結局付き添って来てしまったメランは「ふう」と溜息を吐いた。
「おお、サクル殿いらっしゃい。今日は何を聞きにいらしたのかな?それともまた薬草を集めて来てくださったのかね?」
「いえ、今日は教室の段を踏み外して落ちたので、一応診てもらうようにと言われて来ました」
ライカの言葉にハーブの世話をしていた療法師は驚いたように手を止めた。
「それはいけない。早く中に行って助手のだれかに診てもらいなさい。直後は調子が良いとしても後から症状が出る事もあるからね」
「はい、ありがとうございます」
ライカは深々と礼をすると院の方へと向かった。
それに付いて行きながらメランはライカに問い掛けた。
「お前、随分先生と親しいようだけど、授業取ってたのか?」
「あ、うん。俺、薬学も人体学も取っているよ」
「そうだったのか、凄いな、お前」
薬学や人体学は専門的な学問だ。
特に薬学は、ほとんど療法師や治療士になろうという志を持つ者しか取らない授業なのだ。
とは言え、自領に療法師を望む領主は多いので、一定の数の生徒は集まるのだが、メインに考える者以外は選ばないので極端に人数が割れる授業となってしまう。
「地元にいた時に療法師の先生から色々教わっていたから、どうせならちゃんと学ぼうと思ってね」
「へえ」
ライカの地元の領地は王国の中でも僻地中の僻地だ。
そもそも王国の領地とされたのがここ十年程の話だったはずである。
メランの知識では英雄に与えられた領地としての認識だったが、それ以前に勝手に集落が造られていた事からその領民保護の為の領地化という記録を見たような記憶がメランにはあった。
あまり重視していなかった所ではあるが、ライカとの今後の付き合いによっては詳しく調べておく必要もあるだろうとメランは思う。
「地方の領地に療法師がいるというのは凄いな。さすがは英雄の治める領地だ」
「うん、先生も領主様がいらっしゃるのを知って来たって言ってたよ」
「なるほど」
有能な人間が才ある者の元に集まるのはよくある事だった。
メランは事情に納得する。
同時にライカが養子となってこの塾に寄越された理由も見当が付いた。
どこの領地でも療法師は引っ張りだこだ。
才能がある者が平民で教育を受けられない状態だったら養子縁組してでも勉強をさせようとするだろう。
「ん?いや、そうか領地に既に療法師がいるのならそっちに弟子入りすれば良いだけだよな」
「どうしたの?」
足を止めてぶつぶつ呟いていたメランをライカが心配して振り返る。
「いや、気にするな、早く行け」
「うん、ありがとう」
ライカが治療院の扉を軽く叩いてそっと開くと、扉に吊るされた金属片がチリリと柔らかな音を立てる。
周囲からはハーブの花の香りが漂い、この場は塾の中にあってある意味隔絶された空間だった。
「この辺にはあまり来る事も無かったけど、悪くない場所だな」
ハーブ園は美しく整えられていて、ちょっとした花園のようだった。
中央広場のいかにも人工的な休憩場所という雰囲気とはまた違った良さがこの場所にはある。
ハーブや治療院などという場所に対して、陰鬱な印象を抱いていたメランにとっては少し意外な発見ではあった。
結局、ライカは異常なしと認められて授業復帰を許可された。
先の社会学の先生に連絡をしておかなくてはいけない。
「先ほどのウーロス家の嫡男だが」
メランは今度は資料準備棟へと移動しながらライカに話し掛けた。
資料準備棟は教師が授業の準備をする場所だ。
「う?ん」
ライカはメランの言葉に不思議そうに顔を向けた。
(こいつ、もう忘れたんじゃないだろうな?)
メランはうろんな視線でライカを眺めつつ話を続ける。
「あの男がお前を嫌う理由ならなんとなく推測出来る」
「えっ!」
ライカが驚愕したように目を見開いた。
「俺、彼に嫌われていたの?」
「……嫌いでもないやつを突き落とすと思うのかよ」
「え、いや、偶然かな?って」
「みんな座ってたろうが、どんな偶然でわざわざ立ち上がってお前を突き落とすんだよ」
言われて、ライカは驚きと納得をその顔に浮かべた。
貴族ならまず最初に疑うべき事を全く疑っていなかったこの呑気さにメランは少し苛立ちを感じた。
「それで、理由って?俺が何か悪い事をしたとか?」
恐る恐るという風にライカが尋ねる。
メランはよっぽど「何か心当たりがあるのかよ」と言ってやりたかったが、我慢した。
話が先へ進まなくなるのが目に見えているからだ。
「去年、だったかな。ウーロスでちょっとした事件が起こった」
「事件?」
「ああ、お前、ウーロスの砦を知っているか?ってか、この王都に入るには確実にあの砦の前を通るから知らないはずはないよな」
「あ、知ってる。いつも門を閉じている街だよね」
「まぁあそこは街というか砦だから門は閉じているのが当たり前なんだが」
「そうだったんだ」
実際、規模的には街と言って良いのがウーロスの砦だ。
王都へと続く丘と言って良い勾配地を利用した砦は王都の三分の一程の広さとなっている。
王都自体が広大な都市なのでウーロスは一つの領地としても十分な場所だった。
生産性は低く、穀物は育たないが、牧畜は盛んで、高所に掘られた井戸が豊かな水源となっていて野菜や果実類は収穫できるので、ある程度自給自足も問題なく出来るのだ。
「平民と砦の兵士が衝突してな。平民に多くの死者が出た」
「あっ」
ライカは何かに思い至ったように声を上げた。
しかしメランはそれには構わず話を続ける。
「そのせいでウーロスを治めるウーロス卿は陛下から叱責を受ける事となった。生粋の武人でしかも星の座の貴族としての誇り高い気質を持つお方だ。どれだけそれが屈辱だったか想像に難くない」
メランの話をライカはどこか感慨深そうに聞いていた。
そして少し息を吐く。
「とうとうそんな事になったんだ」
ライカのそんな言葉に、今度はメランが不思議そうに尋ねた。
「何か知っているのか?」
「俺、前王都へ来た時にそのウーロスの門の前で野営したんだけど、砦の騎士の人達と揉めちゃって。それに、門の前に町みたいな物があって、そこが火事になったり、色々あったんだ」
「そうだったのか。……って、まさか、その時ウーロスの嫡子に目を付けられたって事はないだろうな?」
「いや、それは無いと思う。揉めたと言っても商隊の一員としての話だし、その後、それどころじゃなくなったみたいだったから」
「ふーん」
メランはどこか完全に納得はしていない風にライカを見たが、話を続けた。
「つまりウーロスの次代の主としては、平民がみんな憎いと思っていてもおかしくは無いだろう。そんな所へ、いかにも平民上がりといったお前が貴族の居場所に堂々と乗り込んで来た訳だから、まぁそりゃあ腹が立つのは当然だな」
「えっ?それっておかしいんじゃ」
ライカはメランの話に疑問を感じたように声を上げた。
「だって、砦の兵士が平民を殺したんだよね、逆じゃなくて」
「ああ」
「なら平民に恨まれる事はあったとしても逆は変だよね」
「残念ながらそう考えないのが貴族というものだ。貴族にとって平民は家畜と同じ、その家畜が暴れて処理をしただけなのに主に叱られた。そうなると家畜を逆恨みしたくもなる、というのが貴族なのさ」
「まさか、嘘だよね?」
「本当だって、お前はさ、身分差ってものを分かってなさすぎるんだよ」
目を丸くして自分を見つめるライカを、メランは複雑な気持ちで見返す。
ライカがおかしいと思っている貴族に自分も含まれるのだという事から目を逸らす訳にはいかなかったからだった。




