第八話 王女は笑み、愚者は踊る
王女殿下は少し前から雰囲気が変わったようにメランは思っていた。
一言で言うと女性らしくなったのだ。
元々粗野な兵士そのもの、女性にはまず使われないガサツという言葉がぴったりな女性だったのだが、およそ半年程前ぐらいから身だしなみに気を使うようになった。
それに笑顔で他人に声を掛ける事が増えて来たと評判となっている。
幼い頃からの付き合いであるメランは彼女が何か良からぬ事を企んでいるのではないか?と逆に怪しんでいたぐらいだ。
なにしろこの少女は、一筋縄で行くような相手ではないのである。
「しかし、お前は本当に我が身を顧みないな、塾の中以外は魑魅魍魎の跋扈する危険地帯だというのに」
「バカバカしい、庶子の俺を誰が気に掛けると言うのですか?」
「ふん」
王女はそのメランの言葉を鼻で笑ってみせた。
「お前の両親は意見が違うと思うぞ。そしてお前の父は貴族たちに絶大な影響力がある紋章院のお偉いさんだ。紋章院を敵に回せば結婚すらままならないのだからその影響力は計り知れん」
「それこそバカバカしい話ですね。父の後継は別にいますよ、俺はあの家から援助は受けていますが、それだけです。俺の為に何かをするなどという事を一族が認めるはずもありません」
「やれやれ頑固だな」
兜の下から覗くニヤリとした口元がメランの苛立ちを刺激する。
三つは年下のはずなのにどうにかすると彼女の方がはるかに年上のような雰囲気すらあり、それは何も体格だけの話ではなかった。
年下の女の子に小さな子供をあやすように扱われているという現実は、実はプライドの高いメランには我慢がならない事だったのだ。
しかし、だからと言って怒鳴り散らすような大人げない真似も出来ないのが、メランのプライドのやっかいな所だった。
だが、それでも、
「貴女は少し変わりましたね、例え相手が俺だからといって、そんな風に心情を吐露するような事は今までありませんでした」
「ふふん、優しくされると戸惑うだろ?お前にはそれが一番効くからな」
「この……」と、思ったメランだったが、その一方で彼女のこの変化には少々ほっとしている部分もあった。
以前の彼女は二人の兄の事、母とその一族の事が重なって、あまりにも頑なだったのだ。
男にしか見えない格好と、男のようにしか聞こえない言動、それは上の兄達からしてみれば痛ましい物であったらしく、事あるごとに相談されていたのである。
(俺にどうこう出来るはずもないのに)
そう思いながらも、彼女に誰かが影響を与えたのだとしたら、その相手が羨ましい、いや、妬ましいと思ってしまわざるを得ない。
「俺は心が狭い男だからな」
「ふん、自分でそう言う奴は信用ならない。いつの間にか我が身をすり減らして裏で工作をしているかもしれんからな」
「はいはい、お姫様には敵いませんよ」
語る内に塾の表門が見えて来て、メランは王女に一礼をすると、そちらへ向かう。
「ん?」
門の向こう、馬場のある方へと向かう小径に見知った琥珀色の髪が見えた。
数人の青年達に囲まれている風だったと、その光景を判断したメランは慌てて門番に身分を示す記章を示すとその影を追う。
だから、彼は知らなかった。
彼の背後からその様子を見ていた王女殿下が何かいわく言いがたい表情で同じ光景を眺めていた事を。
「良い事をすると良い事があるという神官の言葉もまんざら偽りでは無いようだな」
彼女はニィと凶悪な笑みを浮かべて門番達の心胆を寒からしめると、しかし、無理にそこを突破する事なく踵を返した。
メランは目当ての相手を探しながら、なんとなく自分の行為をおかしな事だと感じていた。
ほんの数日前に同室になっただけの相手、しかも相手の住む地は西の彼方の僻地だ。
塾を出たら関係などなくなるに違いない。
そんな相手を気にかけたとて、得は何もなく、損は山盛りであるに違いないのだ。
「まぁ良いか。得をするより損をする方が慣れているし、人間慣れている事をするのが一番だ」
言い訳にならない言い訳をしつつ、先ほど見た相手を探す。
と、厩舎の裏手、干し草を天日に干している場所から物音が聞こえた。
「秩序を乱すなと言っているのだ。お前の言動で我らが盟主が迷惑を被っている、少しは申し訳ないと思わないのか?」
野太い男の声だ。
おそらくは最終学年の塾生だろう。
全員が恵まれた体格でいかにも貴族的な、それなりに武術を嗜んでいる者のように見えた。
「ええっと、きちんと説明をしていただければ俺が間違っている場合は謝りますけど、その、何が悪かったか分からないと、それを直す事も出来ませんよね?」
その、三人程はいる、自分より遥かに体格の勝った相手に対する、いかにも小柄な少年の言動には、しかし、一片の怯えも見えない。
心から不思議そうに自分に対している青年達に問い返していた。
この塾では生意気な後輩に先輩が活を入れる、すなわち教育的な懲罰という物は良くある事だった。
同じ年代の人間が集団になれば当然その中からはみ出す者がいる。
それを良しとしないおせっかいな馬鹿は古今東西どこにでもいるのだ。
「貴様、生意気だぞ!」
激高する上級生に対して、今正にリンチを受けようとしている少年、メランの同室者であるライカは、困惑しているように見えた。
いきなり連れ出されて文句を付けられたのだろうが、その理由が良く分からないのだろう。
普通は理由を知ろうとする前に怯えるものだが、この少年はどうやらどこまでもふてぶてしく怯えに縁がないらしい。
そういう態度がまた上級生を煽るのだと、メランは思う。
とは言え、メランは迷っていた。
今ここで自分が止めたとして、事は穏便に収まる事は無いだろう。
上級生は尚更納得出来ない思いに駆られ、暴力はエスカレートする。
そう考えたメランは、とりあえず、厩舎の中の板の隙間から事の次第を覗き続ける事にした。
「そもそもあなた方とは初対面ですよね?初めてお会いしたと思ったのですけど」
「俺たちはお前の顔は知っている。何しろ目立つからな貴様は」
「そうだったんですか。それで俺の何がいけなかったんでしょうか?」
「お前の選択している授業に、星の座の若君がいらっしゃるだろう!」
「ええっと……」
結構な無茶ぶりだが、彼らの言う事も分からないでは無かった。
星の座と言えば、王族に続く高位貴族であり、その服装や所作、周囲が向ける言動も全く違う。
当然、見ただけで高位貴族と誰もが判断出来て当然だと思うだろう。
しかし、メランはその理屈がライカに通じない事を知っていた。
「星の座って?」
「な、何を言ってるんだ!」
「おいおい、そこからかよ」
さすがにメランでさえ小声でツッコミを入れてしまう。
英雄殿はこの養子の少年の教育をどうしているのだろう?とすら思った。
いや、自分で教育しないからこそこの塾へ寄越したのかもしれない。
それにしたって常識ぐらい教えるべきだ。
「星の座と言えば、大きな都市を纏め、王家に匹敵する軍を持つ事を許された家格だぞ!この塾に来ていて知らないはずがないだろうが!」
「おい、そいつのペースに巻き込まれるな、これは奴の手だ」
まぁそう思うよな、と、メランも思う。
まさか本当に知らないとは考えもしないだろう。
しばらく彼の言動を間近で見て来たメランだからこそライカの言が本当だと分かるのだ。
段々と上級生が可哀想になって来たメランだった。
しかし一人の青年が樫の木の棒を掲げた瞬間、メランは怒りを覚えた。
それは一般的に貴族が家畜や使用人を躾ける時に使う棒である。
仮にも同じ貴族相手に使うような代物ではなかった。
その青年貴族は勝ち誇った顔をするとその棒を振りかざしてライカに殴りかかった。
「自分の愚かさを反省しろ!」
ひゅっと風の鳴る音が聞こえる。
「しまった、今からじゃ間に合わない」
メランは厩舎の中にいた事を悔やんだ。
とは言え、出て行ってどうなるものでもないのは確かだ。
メランとて体術はあまり得意な方ではない。
と、厩舎の馬が急に騒ぎ出した。
ガン!ガン!と、身体を柵に打ち付けて怯えたようにいななく。
「ど、どうしたんだ?」
メランはぎょっとしたものの、今はそれどころでは無かった。
慌てて表に出ると、現場に急いだ。
が、彼はそこで異様な光景を見る事になったのである。
とある方にご指導いただき、序章を少し(だいぶ)書き換えました(追加しただけ)ので、良かったら読み返してみてください。
ほぼ丸々一話分増えています。




