第百八話 探索者達
王都の大通りを歩いていたサッズは、苛立ちを隠そうともせずに周囲を見回す。
その瞬間、集中していたいくつかの視線が逸らされるが、癇に障る探るような意識は一向に離れなかった。
「ったく、感覚のほとんどを遮断してるのにこれか」
吐き捨てるようにそう言うと、サッズは自分に向けられた意識の焦点を少しの間ずらしておいて、その間に自分の姿を見えなくしてしまった。
周囲の人間からすれば注目していた相手が突然消えたように見えたので、驚いたように視線を彷徨わせる人間が何人も出たが、そんなことを頓着するようなサッズではない。
「どうだ。セルヌイの奴のいかがわしいごまかしと違って、これなら絶対に見られることはないし、やっとこれで少しは煩くなくなるな」
そう得意げに言って、すぐにムッとした顔になる。
(ちぇ、口に出してしゃべるのが癖になってしまったな)
サッズは眉を寄せながら、都の所々を流れる上水路や自分の足下に目をやった。
(それにしても、人間ってのは思いも掛けないことをやらかす連中だな。土地を丸々作り変えてしまうとはな、恐れいったよ)
サッズはライカと話し合った通り、別行動で城へと向かっていた。
実を言うと、『話し合う』という前行動は、彼からすればやる必要があるとは思えないものだったのだが、ライカがやたら心配したので仕方なく話し合いに応じたのである。
自分の思うが儘に行動するのが当たり前という常識的な考え方は、人間の世界ではいらぬ騒動を呼ぶからと、何かをやりたい時にはライカに一々申告するようにと強く強要されていた。
「まぁ俺は兄ちゃんだからな、多少弟が変なことを言っても聞いてやるのが努めってもんだ」
サッズの中ではそういった様々なことが弟の我侭として処理されている。
竜の感覚と人間の感覚には差異があるということは頭では分かっているものの、家族であるライカを人間として考えることがなかなか出来ないのだ。
それにしても、と、サッズは思う。
人間の体は窮屈で、びっくりするぐらいチマチマと物事が進む。
一日単位で物を考えるなど人間の世界に来るまで考えもしなかったことだった。
「ん~」
思わず気だるげに息を吐く。
こちらの大地に来てからというもの、少しずつ自分の生気のような物が失われ、それがただ失われるだけで代わりになる物があまり補充出来ていないということにサッズは気づいていた。
そのせいで、サッズは人間で言うならば常に小腹が空いた状態で過ごしている。
そして、この状態のサッズには辛いことに、こちらの大地で、最も濃厚なエールの気配を持つのが人間であった。
人間が群れているとなんとなく目が向いてしまうのは、食欲が刺激されるせいでもあり、これはサッズの中に徐々に苛立ちと疲労として蓄積されていた。
サッズが人混みが嫌いなのは、やたら意識が強い人間が大量に思考をばら蒔いているというライカに語ったような理由ももちろんあったが、こんな風に油断すると人間を獲物と見てしまいそうになるという部分も大きいのである。
「っつっても人間食う訳にもいかないしな、適当に何かでごまかすのが一番だよな」
人混みの中で他人にかすりもせずにサッズは進み、途中、荷車に積まれた果物を何個か抜き取った。
少し考えて銅貨を三枚程そこに置くと、その皮の薄い果実を口に放り込んで咀嚼する。
ちなみに果物はサッズの手に渡ったと同時に不可視になり、誰に気取られることなく消え失せた。
果物は大してサッズの腹を満たしはしないが、その豊かな香りが飢えを忘れさせてくれる。
良い香りという物は彼等竜にとって、食欲に勝る大事な要素であった。
大きな道しか描かれていなかった地図を情報源としているため、サッズはずっと大通りを歩いていた。
いつまでも人混みから抜け出せないのはそのせいであり、人間の気配が薄い所で目的の相手、女性竜の意識の場である輪を探知しようと思っていたサッズにとっては、当てが外れて更に苛立つという悪循環になっている。
感覚を絞りながらも、ようやく微かに依り分けた気配の中に、確かにそれらしき物を見付けはした。
だが、それはかなり遠い物で、しかも竜の男達の気配がその周囲あちこちに漂っていて、中々目的の女性の気配だけを辿らせないのだ。
「くそ、感覚を開放出来たらな。だが、ここでやったら吐く、絶対酔う自信があるぞ」
ライカがいれば呆れそうな自信を語り、サッズはとうとう人間らしく移動することを諦めた。
そもそも姿を消している現在、何をしようが人間達に騒がれる訳もないのだとようやく気づいたのだ。
ふわりと体を浮かし、一気に周囲の建物の上に位置する高さまで上昇し、城を目視する。
「なんだ、ありゃあ」
サッズにとって城といえばアルファルスの伴侶たる西の街の領主の住む場所だったが、今、彼が目にしているのはそういう種類の城ではなかった。
全体な高さだけを見れば西の街の城に比べればむしろ低いだろう。
だが、それは小さいという意味ではない。
高低差のあるいくつもの建造部分が複雑に合わさって一つの巨大な構造物を作り上げていた。
背の低いアリ塚を何個も並べてくっつけたような、そんな印象の建物だ。
サッズは知らないが、その城の造りは、どちらかというと砦に近い。
しかもその背後一面を囲う崖となっている岩場にまでその城に溶け込んでいて、合わせてそれ自体がもはや山のようにすら見えた。
美しさなど全く考慮せず、機能一辺倒で作られたその城は、だが、無骨だからこその雄大さを備えている。
「まぁ、何でもいいか」
もういい加減、細かいことは色々とどうでも良くなったサッズは、そう呟くと、猛スピードで城へと迫ったのである。
― ◇ ◇ ◇ ―
一方の、別行動中のライカは、広大な王都の探索に、既に目を回していた。
「ええっと、さっき道を聞いた時は市場はこっちの方だって言われたよな」
サッズがいないおかげで周囲からさして注目されることもなく、気楽に移動してはいたのだが、尋ねるごとに違う場所を教えられ、無駄にぐるぐる回ってしまっていたのである。
おかげですっかり喉が乾いて、見掛けた上水路を辿って水場に着いた時に、なんとはなく話を向けたそこの管理者に、この王都では大きな市は時間ごとに開く場所を変えるという、この王都の市場の独特の仕組みをやっと教えて貰えたのだ。
道理で尋ねる人ごとに教えられる場所が違ったはずだった。
彼等は自分たちがよく利用する時間帯の市場しか知らなかったのだろう。
「まぁ慌てても仕方ないしね」
脱力をしながらも気を取り直したライカは、一番上にある水棚から水をすくって少し飲むと、ついでに顔も洗った。
「それにしても、この水場は料金が掛からないんですよね?それなのになんで管理の人がいるんですか?」
「ああ、上水の水を汚されないように見張っているんだよ。水は確かにタダだが、水路の水を汚したりしたらとんでもない罰金を取られるぞ」
初老の管理の男はそう言うと冗談めかして自分の手で首を斜めに遮る。
「下手すると処刑だ」
「ええっ!」
驚愕したライカが、ぱっと水場から飛び離れると、男は声を上げて笑った。
「ったく、余所者をからかうのが好きなんだから。ここではほら、ここに顔を出してる水路にだけ気を付ければいいんだよ」
ライカと同じく、水場で一休みしていたらしい荷車の傍らに座った男が説明を付け加え、水場の上部脇にある水取り口を示す。
この水場は大きく三つに分かれた棚状になっていて、一番上が飲水、中間が野菜等を洗う場所、一番下が衣服の洗い場として使われていた。
その一番上の棚の脇に水路があり、そこから仕切り板の上げ下げで水場に水を供給出来る仕組みになっている。
つまり、肝心なのはその取り水用の元の水路という事なのだ。
「それにしても良く出来た仕組みですね」
「そうだろそうだろ、何しろ精霊の加護深き先王様のご偉業であらせられるからな。さすがは聖別の乙女をお娶りになっただけのことはある」
「それは凄いですね」
何か大仰な話に相槌を打ったものの、ライカにとっては人間の王様という存在はどこかぼんやりしていて、そういえば以前街に王様来てたなぁというぐらいの感覚でしかない。
王という名を冠していても、別に竜のように存在自体が変化する訳でもないらしいと理解したからだ。
とりあえず疲れも少し取れたので、ライカはその場にいる人たちに挨拶をすると、教えて貰った午前の市のある場所を目指してその場を離れたのだった。




