第六十八話 陽を遮るモノ
その日、一日を歩いて彼等の隊商はまだ森を抜けるに至ってなかった。
誰も慌てていない所を見ると、最初から数日掛かりで踏破する計画を立てるような、かなり広大な森なのだろう。
そんな森をもし道が無いままに通り抜けようとしたならば、彼等は迷っていたかもしれない。
いや、ほぼ間違いなく迷ったはずだ。
そう考えると街道という存在の偉大さが実感出来るとライカは思った。
道というものは本来なら自然に出来るものだ。
地に重さを残し、草を踏む存在が同じ場所を幾度も通るという条件があてはまれば、いずれそこは草の生えない通りやすい筋となり、通りやすいことで更にそこを通る者が増えてそこが道になる。
しかし人は逆に、自らが通りたい場所を道にすることを考え、実行した。
人というものが、群れ、集落を築き、更に他の集落と交流する生き物であることを考えれば、それがとても効率の良い手段だと理解出来る。
しかし理解と発想は違う。
それを国が行う仕事として考え付いた誰かは、驚く程沢山の物が見えていたのだろうと思えるのだ。
「道の脇にこうやって野営が出来るような広場があるのも偶然じゃないんですよね?」
不規則とはいえ木々に埋め尽くされた森の中に、時折ぽかりと忘れられたかのような広場があるのはよくあることではある。
しかしそれが道沿いに、となればそこに人の意思が関わっていると考えるのは当然だろう。
「そうだよ。この広場は森を横断する旅人の定番の野営地として作られたものなんだ。でも、道の脇に作った訳じゃなんだよ。本来はこの広場の方が先に作られたんだ」
エスコはライカにそう説明した。
「この森が通り抜けるのにやたら時間が掛かるのは、この道が森の外縁部に沿って作られているからなんだ。中心を突っ切った方が近そうに思えるだろうけど、森の深い所を突っ切るってのは想像以上に危険なことで、昔から旅人は森の奥にはなるべく入らないように森に沿って周り込むように旅をしていたんだ。だけど、森のもたらす恵みは不便をかこつ旅の上では重要になる。だからある程度はどうしても踏み込むことになるだろ?その微妙な距離を埋めるために森の中に飛び地のように広場を作って、ある程度の安全地帯を確保してから更にその先に踏み込む、みたいな流れが発生したのさ。それで出来たのがこの広場で、それを中継ぎにしてなるべく距離を縮めて作られた、森を抜けるための道がこの道って訳なんだ」
「へぇ、ということはこの広場はずっと長い間旅人が使ってきた場所なんだ」
ライカは感心したように周囲を見回した。
「と言っても、ここらへんはあんまり人が住む場所もないような僻地だし、そんなに頻繁に使われてた訳じゃないんだ。だからこういう場所につきものの井戸もないだろ」
「井戸が無いんだ」
「ん、だけど湧き水があるから水の確保は出来る。だからこそこの場所に広場が出来た訳だしね」
なるほどと、ライカが本には載ってない新たな知識に感心していると、
「おまえら!なにぐずぐずしてやがるんだ!早く薪を拾って来い!森にいる内になるべく集めておかなきゃならんから多目に拾うんだぞ!」
例によって隊商長に怒鳴られることとなった。
「はい!」「わかりました!」
下働きにのんびりおしゃべりしている暇は本来無い。
とは言え、ライカやサッズを含めた若者達の一団は、まだまだ好奇心が旺盛で、仲間と話したりするのが楽しい年頃だ。
なんとなく昼の休憩に続いて話し込んでしまっていたのである。
彼らはそんな風に追い立てられるように慌てて本来の仕事に就いたのだった。
薪拾いは頻繁に行われるが、それだけ重要な仕事だからだ。
村や街といった定住圏にいる時ですら燃料の確保は重要であったが、いざ生活圏を出て、助けのほとんどない場所を旅するとなると死活問題に変わってくる。
野営において、水と食料の次に火の存在は大きいのだ。
「あんまり乾いてなくても後から使う分に回すからいいんだって」
他人に近づくのを嫌うせいで今回の指示もまともに聞いてないサッズに、ライカは今回告げられた薪拾いの概要を説明する。
ちまちました薪拾いなど偉大なる竜族としては嫌がるのではないかという当初の心配は、幸いこの枯れ木の収集という仕事を思いの外楽しんでいるらしいサッズの様子に無駄に終わったが、元の姿を知っている者がいたとしたら微笑ましいどころではなかっただろう。
サッズ自身は、元の大きすぎる体では出来ないような経験ではあるので、下生えの草々を掻き分けたり、条件に合う枯れ枝を見つけたりする細かいやり取りが遊びのように思えているのかもしれない。
「ほう?」
ライカの言葉を受けて何故か上を仰ぎ見るサッズの目の中に怪しい動きを見て取って、ライカは用心深く言葉を重ねた。
「だからといって無理やり生木の枝を折ったりしちゃ駄目だからね」
「うっ」
動揺したということはそれを考えていたという証拠のようなもので、ライカはそれに更に目を半眼に閉じて冷ややかな視線を送り、駄目なことを強調する。
「生木が乾くのにはびっくりする程時間が掛かるんだからね」
おそらく旅の間には使い物にならないぐらいの。
祖父が伐り倒した木材を、いかに時間を掛けて乾燥させているかを知っているライカは、そう釘を刺した。
ということで、ライカもサッズも、もうすっかり馴染みになった薪拾い体勢で地面を見渡しながら森の中を歩き回ることとなったのだ。
そんな楽しいのか面倒なのか分からない仕事のさなか、サッズが唐突に顔を上げた。
表情が苦い。
『前に同じようなことがあったな』
心声で伝えられた言葉は表面が少なくても多くの情報を伴う。
サッズが伝えようとしたことは瞬時にライカに伝わった。
森に殺気が漂い、生き物が黙り込んでいる。
馬などを怯えさせないために普段は外気と自身を覆う空気とを隔絶させていて、そのおかげで気配に鈍感になっているサッズではあったが、害意が近くにある時には自動的に意識がそちらへと向くようにしているのだ。
今回引っ掛かったのは以前に感じたものとほぼ同じものだった。
『やっかいなのが来るな、いいかライカ、絶対あいつと意識を繋げるなよ?』
『頼まれてもやらないよ』
狂気を秘めた人間でありながら、この旅の守護者でもある。
用心棒という名の暴力が、深い森の中を闇に紛れるように、何かを探すように段々と近づいていた。
『それにしても何でこっちに来るんだろう?』
『俺にわかる訳がないだろ?』
空気がふっと歪むような気配。
発する感情の圧力だけで世界をきしませるその相手は、唐突に二人に顔を見せた。
「やあ」
毒を滴らせたような笑みを伴って。




