第四十一話 夜の回想
追い出すように送り出され、しぶしぶ夜空に飛び立つサッズを見送り、ライカは昼間の竜舎での出来事を思った。
竜舎の奥の、頑丈な柵に囲まれた運動場へとゆったりと移動するアルファルスを見送り、竜相手にはいささかどころかだいぶ頼りない柵を開き、手早く寝藁を取り替えつつ掃除をする。
ライカに任されたのはそういう仕事だった。
もちろん一人でやれる事ではないので後二人程一緒だ。
ライカはその移動を見送る際、アルファルスの見せた表情に嘆息した。
酷く、楽しそうだったのである。
「さすが魂の伴侶同士、似てるよな」
思わずぼやいたのは仕方あるまい。
そもそも、こんな事態に陥っているのは領主のせいでもあるのだ。
「おう!新入り!ぼさっとするな!いいか?運動場とここには仕切りがない。どういう事か分かるな?」
「ええっと、アル……領主様の竜がいつ戻ってくるかわからないという事でしょうか?」
「そうだ、気に食わんことがあったらおっそろしいスピードで戻ってきてお前をガブリ!といくぞ」
「新入りを脅かすな、手を動かせ」
木の皮で編まれた大ぶりの手箕に藁を乗せ、定量が乗ったら紐で引いて外まで運び、その古い藁を広げて悪くなった物を選別して廃棄し、残ったものを日に干して乾燥する。
この辺りに穀物など作っている農地は無く、わざわざ遠くから取り寄せられている藁はかなり貴重品なので使用済みの物とは言え疎かにはできないのだ。
大まかな藁を出したら、今度は枠付きの板に柔らかい土場(排泄場らしい)に溜まった排泄物を積んで、外に掘られた穴に捨てに行く。
それが終わったら丈夫な細い葦のようなもの(ライカはその材料を知らなかったし、他の人に聞いたら怒鳴られた)を束ねた箒で、アルファルスの部屋を丁寧に掃き清めるのである。
そして既に乾かして保存してあった気持ちの良い藁を敷き直し、香りの良い生のハーブを撒いて一通りは終わりだ。
勘違いから始まった仕事ではあったが、ライカは興味津々で手順を聞き、重労働で息切れしながらもとりあえず真面目に働いた。
手順のまだまだ最初のほうで一度休憩が入り、水と干果が振舞われる。
聞いてみると、こうやってちょくちょく休憩を入れないと故障者が続出して仕事にならないのだそうだ。
「ほぉ、中々頑張るじゃないか、新入り。流石は自分から名乗り出ただけはあるな」
「それは勘違いです。俺はこの仕事を望んだ訳じゃありません」
「はあ?ちゃんと上から話は通ってんだ。きついからって今更言い逃れとか見苦しいとは思わねぇか?」
「言い訳じゃありませんよ。でもちゃんと誤解は解いてもらう予定なんで、いいんですけどね。確かにこの仕事は重労働ですね」
ここでライカが言い張ると領主の命令を否定するような受け取られ方をしてしまう。
そもそも相手に聞くつもりがなさそうなので、ライカは領主が来てくれるまであえて強固に抗わないことにしたのだ。
「そうだろう、竜舎勤めからすりゃあ厩舎の仕事なんか遊んでるようなもんよ。こちとら常に命がけでもあるしな。竜なんてもんは何で気分が変わるかわからんし、もし暴れられたら軽く撫でられただけでも俺らの命なんか吹っ飛ぶぜ。だがだからこそ竜舎勤めってのは人気があるんだ。貴族が多いのも名誉を重んじる連中にとって名声を上げる手っ取り早い方法だからさ」
「竜って本来人間の言うことを聞かないものですよね?ここの竜は真の竜騎士である領主様のだからいいとして、前に王都から来たみたいな普通の騎竜ってどうやって育てているんですか?」
ライカは以前知り損ねたことを丁度いいのでここで確認しようと思った。
竜族というものは、例え地上種であろうと家族以外の言うことには従わない。
ならば物心付く前から人間がその手で育てるしかないが、竜の母親は決して子供に他者を近付けないはずだ。
ライカは飼育竜というものの存在を知ってからそれが気になっていたのである。
「そりゃ卵の時に母親から引き離すに決まってんだろ?」
「でもそんなことをしたら絶対に母親は卵を取り戻そうとするはずですよね?」
「ほう、よく知ってるな。そうだ、やつらは特に子供を守ることに執着する。だからな、ここを使う訳だ」
男は指で自分の頭を叩いてみせた。
「母親を殺すのですか?」
「あほう、そんなことしたら一匹の竜の子を得る為に必ず死人が出る羽目になるだろうが!卵をな、入れ替えるのさ」
「卵を入れ替える?」
「そうだ、まず夜に巣の入り口で催眠効果のある煙を流す。そして母親が寝ている隙に卵を偽物と入れ替えるわけだ。まぁ野生のはそうそう上手くいかないことも多いが、飼育竜なら問題ない。そうやって卵の時分から竜専用の調教師の手で育てられて人間に忠実に育つってわけさ」
「そう……なんですか」
人間とはなんととんでもないことを考え出す種族なんだろう。と、ライカは驚嘆する。
それと同時に決して孵らない偽物の卵を抱く竜の母親のことを思った。
実際には、ライカは竜の母親の狂おしいまでの我が子への愛情を実感としては知りはしない。
なので想像するしかないのだが、男でしかないライカの家族達ですら、子供に対する愛情の強さは人間であるライカには時折息苦しく感じられる程であるのだ。
孵らない我が子への母の嘆きはいかほどのものなのだろう。
「だから俺らは雌竜の扱いには特に注意するんだ。人間への絶対の信頼を持たせないと色々危険だからな。それにそいつらが卵を産んでくれるおかげでうちの領主様みたいに竜と生死を共にしなくても竜騎士になれるってわけだ」
「生死を共にする?」
ふと、彼の言葉に引っ掛かりを覚えて、ライカは聞き返した。
「ああ、そうかあんまり知られてないことだからなぁ。真の竜騎士ってのは竜と一心同体になれる人間だってのは知ってるよな」
「ええ」
「文字通りの意味さ。死ぬも生きるも一緒ってやつだな。まぁ竜のほうがちっと長生きではあるが、契約するのは大概大人の竜だ。さしてそこを気にする奴もいねぇみたいだな」
「そうなんですか」
「おい!お前ら!休憩は終わりだ!作業に戻れ!」
竜手頭のタイティルの怒鳴り声で短い休憩時間は終わり、残りの藁の片付けに掛かる。
ライカはその話で、真の竜騎士、魂の伴侶という意味が明瞭に理解出来た気がした。
確かにライカもサッズや家族からその身に血を受けてもいるし、家族であるから強い繋がりを持っている。
しかし、竜騎士の繋がりは、それとは全く違う意味合いを持つのだ。
肉と魂を繋ぎ、正しく一つに結ばれる。
一つ間違えれば呪いにもなりかねない契約だ。
だがこれは、天上種族と人間の間でも可能なのだろうか?
ライカの考えるに、おそらくそれは不可能だろうと思われた。
地上種族には天上種族の力は許容出来ない。
天上種族の力はいわゆる原始に命を編んだむき出しの根源の力というもので、それは常に変化を続ける力だ。
彼等の肉体はいわばその力を覆う入れ物に過ぎず、それゆえにあらゆる変化を受け入れる。
しかし、地上種族の力は肉体と強く結び付き、意味と限界を持っていた。
それゆえ後代の種族である地上種族は肉体を自在に変化出来ないのである。
『我等は個の限界を知らぬがゆえに代替わりと進化が遅く、地上種族は個の限界を持つが故に代替わりと進化が早い』
昔、セルヌイはそう言っていた。
ならば竜騎士とは、互いに限界を持つ身だからこそ現れた存在なのかもしれない。
「頑張っているな」
ライカが力仕事をこなしながらそんな物思いに囚われていると、正に今思い描いていた相手の声がふいに聞こえて来て、驚いて飛び上がった。
「なんだ、まるで水を掛けられた猫の子みたいな反応だな」
そこには領主が笑いながら佇んでいたのである。
「いや、おかしいとは思っていたのだがな。まぁいいかと」
「そのまぁいいかというのはどこから出てきたのかとても知りたいです」
領主が姿を現したのは丁度綺麗に寝藁を均したところで、仕事も終わりの段階だった。
狙っていたようなタイミングだ。
「だが色々勉強になっただろう?」
「領主様、わざとですか?わざとなんですね?」
「それは誤解だ。私はザイラックから聞いた要望をそのまま通しただけにすぎんよ」
「おかしいと思ったんでしょう?」
「思ったのは確かだ。それにどうやら期待させてしまったようで、竜舎の皆にも悪いことをしたな」
領主から事情を聞かされ、頭を下げられた親方のロダックと竜手頭のタイティルは、いささか失礼なことに領主の言葉に眉を寄せてみせると、ライカに「で、働かないのか?」と聞いたのである。
正直に言えば、ライカにとって他の竜の世話をするというのは抵抗感が伴う行為であるし、アルファルスにしてみても、今回は間違いであることを知っていたからこそ面白がっていたが、これが常時となればストレスとなるに違いなかった。
属する輪が違うというのは、竜族にとってそれ程絶対的なものなのである。
「領主様って、意外と大雑把ですね」
「意外だったか。それは嬉しいな」
にこにこと笑う彼の顔には一片の悪気も見えない。
だが、
「やっぱりわざとですよね?」
「さぁどうかな?しかし、何か知りたいことはわかったんじゃないか?」
ライカは心の中で嘆息した。
確かにあの竜舎の雰囲気では、見学に行って何かを尋ねても答えが返って来たとは思えない。
大体、しょっぱなからただの見学など受けてくれなかっただろう。
「領主様って、こう、色々わかり辛いです」
「ふむ、なぜだろう?よく言われるな。私はごく単純な人間なんだがね」
「もしかして本気ですか?」
「心からのね」
思い出して、ライカの口元に苦笑が浮かぶ。
竜舎の人達は見るからにがっかりしていたが、働き賃として竜用の貴重な香り玉をくれた。
これは隙間の多い丸い陶器で、中で固めた香油を燃やして使うのだという。
ライカは固めた香油なるものを持っていないが、飾り物としても綺麗だし、布にいれた乾燥ハーブを詰めれば十分香り玉としても使えるのではないかと思っていた。
「サッズはちゃんと挨拶出来たかな?」
ライカは気侭で他者の言うことを全く聞かない家族を想う。
竜は本来孤高なものだ。
だが、古の場所に留まらないことを選んだ以上、サッズはその存在の根本からの変化をも選ぶ必要がある。
本質が全く違うライカとサッズだが、家族という繋がりだけは変わらないのだ。
それならばサッズがこの世界について学ぶ手助けぐらい自分にも出来るのではないかとライカは思う。
そして、それは領主程に巧みでなくても良いはずだった。
「サッズが何かやらかしてもアルは上手くあしらってくれるだろうし、なんてったってあの領主様の魂の伴侶なんだもんな」
ライカが仰ぐ夜空の続く先、照らす細い月の下を、小さな人影が空を横切って飛んでいた。




