39:Room scattered more
「…………屈辱だ」
しばらくたった後、白い天井を見上げたままの態勢で、ロイドはそう呟いた。
少なくともその声だけは、先ほどまでよりも若干落ち着きを取り戻している。
とは言え、あれだけ本音でぶつかって取り乱した後なのだ。その内心が取り繕った外側ほど穏やかでないことは想像に難くない。
「……ったく、なにやってんだ俺は。よりによってお前なんかに全部ぶちまけて。諭された挙句情けねぇ面まで拝ませて。……クソッ、みっともねぇにもほどがある」
「お前なんかとはずいぶんな言いぐさだな。大体、みっともないって言うなら、さっきの大泣きより、これまでのウジウジした態度の方がよっぽどみっともなかったぞ」
「テメェ……。随分とズケズケとモノを言うようになったじゃねぇか」
妙に軽い気分でそんな会話を交わしながら、二人そろって天井を見上げて寝転がる。
随分と、弛緩した空気が室内に漂う。良くよく思い出してみれば、ロイドと一緒にいてこんなにもリラックスするのはこれが初めてなのではないかと、そう思った。
とは言え、いくら気楽な、居心地のいい空気に満たされているからと言って、いつまでもこの部屋の中に居るわけにもいかない。
「そういや、あのガキに見張り任せっぱなしだったんだよな。しかもこっちは扉閉めちまってるから、外の様子がわかんねぇしよ」
「……そう言えばそうだった」
先ほどまでの逃げるための理由づけではない、純粋に大丈夫かと心配するような声色に、勝一郎も少しだけまずかったかと後悔する。
いくら見張りがいるとは言っても、見張って異常を感知しても肝心の勝一郎達にそのことを伝えられないのは問題だ。極端な話二人が外に出てみたらそこではすでに修羅場が展開しているという展開もありうるのである。
最悪の場合部屋の扉があるマントを破壊して部屋そのものを消滅させるという手もあるが、それをやると勝一郎達だけではなく部屋の中にある荷物も外に強制排除されるため、できれば取って欲しくはない最終手段だ。
「とりあえずいったん外出んぞ。あのガキの無事だけ確認して、とりあえず俺がガキと交代する」
「大丈夫なのかよ? なんだったらしばらくこっちで代わるぞ?」
「ハッ、つか、どうせお前とあのガキのことだ、俺とだけ話しつけてそれで終わりって訳でもないんだろう?」
「まあ、そうなんだけど……」
そもそも当初の予定でも、ロイドと話を付けた後はロイドが見張りを交代し、今度は勝一郎がランレイと、ソラトがヒオリと話をしに行く予定だった。
そう言う意味では、ロイドの申し出は予定通りのもので、スムーズに話が進んだその展開はありがたいものなのだが、しかしとんとん拍子に話が進みすぎると逆に不安になって来る。
「ああ、でも少しいいかよ?」
そんな不安を察したのか、あるいは最初からそんな条件を出すつもりだったのか、ロイドが交代にあたり、一つだけ勝一郎に依頼する。
「見張りは、部屋の外やらせてくんないか? 少し外の空気を吸いてぇ」
「いいけど、危なくはないか? このあたりは比較的安全とは言え、それにしたって夜のこの世界だぞ?」
「ヤバそうだったらすぐ部屋に戻るっての。……少し、一人でゆっくり考えてぇんだよ」
最後にぽつりとそんな言葉を漏らして、ロイドは今度こそ見張りを交代するべく立ち上がる。
勝一郎もそれに追従し、勝一郎にしか開けられない扉を開けて外に出ると、とりあえずは何事もなかったのか扉の前に座るソラトがこちらに気付き、声をかけて来た。
「よお、兄ちゃんたち。とりあえず話はついたみたいだな」
「うるせぇよクソガキ。テメェこそ、ここ代わるからとっととテメェの姉貴と話を付けてきやがれ」
まだ本調子とは言えないのか、あるいは心境の変化故なのか、普段より勢いのない憎まれ口でそう応じるロイドの姿を横目に、勝一郎はソラトと入れ替わるように扉に近づき、勝一郎にしか開けられないその扉を開けて外の様子を確認する。
とりあえず見回してみても危険な生き物はいないらしく、濃い闇の中で月の浮かぶ静かな夜が外の世界には広がっていた。
少しばかりホッとして振り向くと、なにやらロイドとソラトが二人で何かを話していた。
とは言え、その話もすぐに終わったのか、すぐにロイドが歩いてこちらへとやって来る。
いったい何を話していたのか、若干ながらソラトの方を気にしていたらしいロイドだったが、それでもこちらに来るまでにはそんな様子もなりを潜め、自分のマントを拾い、その表面に作った部屋から槍を取り出して外に出る準備を整えていく。
「……それじゃあ」
「……おう。……まあ、なんだ。見張りは任されっから、そっちは、な」
勝一郎達がこれからやろうとしていることを考えると先ほどのことを思い出すのか、ロイドは若干気恥ずかしげにそう言って扉の外へと一歩を踏み出した。
それを勝一郎も見送ろうとして、ふとロイドが一瞬だけ足を止めて振り返る。
「あの女」
「え?」
「ランレイは多分、俺と同じ側の人間だ」
少しだけ驚く。
まさかロイドの方から、このタイミングでこんな発言があるとは、勝一郎はまるで考えていなかったのだ。
「ああ、いや。同じ側って言うと少し違うんだが……。同じような感想を抱いてるってか、けど、俺とは決定的に違うとこもあってだな――」
「……わかってるよ」
うまく言葉になっていない、しかしロイドの確かな気遣いのようなものに笑って応じて、勝一郎は感謝を込めて短くそう答えた。
その一言で、ロイドもある程度満足したらしい。
「ならいい」
一言そう言って、今度こそ扉の外の闇の中へと一歩を踏み出した。
ここから先は、きっとロイド自身が明かりをともすべき場所なのだろう。
部屋の出入り口、大きな岩の側面に作られた扉を細く開けて閉め、勝一郎は振り返ってそこにいるソラトと視線を合わせる。
「それじゃあ、俺達も行くか」
かけた一言にソラトが頷く。夜はまだ半分も過ぎていない。ようやく折り返し地点に差し掛かったかどうかという状態だ。
それでも、進むと決めて二人、別々のマントの扉に手をかける。
特に合わせた訳でもないのに同時に扉を開けて、そのまま次の対決の相手の部屋へと一歩足を踏み入れた。
ランレイと言う少女について考えてみる。
勝一郎にとって、彼女と言う存在がどんな意味を持つのか、そんなことを今さらのように改まって考える。
異世界に放り出されると言う、勝一郎のこれまでの人生のなかでもトップに入る大事件にあって、そのさなかに始めて出会った異世界人の少女。
最初に会ったときの格好や、そのあとの彼女の行動などもそりゃあ印象的、と言うより衝撃的だったものだけれども、しかし正直に言えばランレイという人物に対する勝一郎の印象は、第一印象よりもその後に培われたものの方が大きくなっている。
男女平等が叫ばれて久しい勝一郎の世界と違い、この世界の人間社会では男女の間で明確な職の棲み分けがなされている。
男はもっぱら戦士として竜を狩り、女は狩られた竜や採取された材料から生活に必要なものを生産する。
ここで特筆するべきは女の仕事の中に村の中での行政が含まれているため、この制度が一概に男尊女卑の一言では片づけられないということなのだが(味方によっては男が社会的に女の尻に敷かれている)、しかしそれでも明確に男の仕事、女の仕事というのが区別されているため、互いの仕事に手出し口出しすることが一種のタブーとなっているということだ。
女の仕事に男が手を貸すくらいならば、力仕事になる場合もあるためまだありうるが。
逆に男の狩猟、もしくは戦闘に女が参加するというのは、実際この世界ではいい顔をされない。
肉体的特性の違いからくる合理性の面でも、また男たちの美学に反するという精神性の面でも、どうしても女が戦いに臨むことには周囲から反発を招く。
反対され、諭されて、正される。
だからこそ、ランレイが自らの意思でそんな周囲に抵抗しながら、弓の訓練をしているのだと聞かされたとき、勝一郎はその姿が酷くまぶしく思えた。
彼女のやっていることの意味や、彼女に対する周囲の反応を見たのは、そのずっと後だったけれども。
それ以前から、周囲の反対を押し切って自分の目指す道を歩む彼女に、勝一郎は羨望にも似た感情を覚えていたのだ。
勝一郎には、自分がこれまでひどくいい加減に、ちゃらんぽらんに生きてきたという自覚がある。
何者かになりたいと思いながら、何かに手を出すことに躊躇し続けて、結局これまで何物にもならずに生きてきたという自覚が、確かにある。
それだけに、勝一郎にはランレイの姿がまぶしかった。
けれど、だからこそその時は考えもしなかったのだ。
自分にはない強い目的意識に目がくらんで。ランレイ自身の思いも、ランレイの行動に反対する周囲の思いも、そして何より、彼女の目指すものを考えた時に、絶対に無視してはいけなかった、重大な要素でさえも。
考えもしなかった。
考えるべきだった。
もしもあの時、そこまで考えが及んでいたならば――。
「ランレイ……?」
部屋へと踏み入って、まず飛び込んできた光景に勝一郎は息をのむ。
同じように勝一郎が作っているだけに、マントの中の部屋がやたらと大きいのは他の部屋と同じだ。そうなると当然、その部屋を各部屋の持ち主たちが使いきれずに、一定の範囲だけを使うことになるという事情もこの部屋には同じようにあてはまることになる。
ただし予想外だったのはランレイの部屋のその散らかり方が、他の部屋と比べるべくもないくらいに尋常ではなかったということだ。
そこら中に散らばった、武具の材料と思しき竜革や牙、その他の材料類。
恐らくは作りかけなのだろう防具や、それを作るのに使ったと思しきいくつかの道具の数々。さらにその向こうには、洗った着替えを干したのか、それとも作った衣服を吊るしているのか、木材を組み合わせた物干しのようなものまで存在していて、そこに多種多様な衣服がいくつも干しっぱなしになっている。
元々、ランレイは今回の遠征に際して、村で余っていた様々な材料の中から、少々過剰な量の物品をこの部屋に持ち込んでいる。加えて、遭難してからも仕留めた獲物からを解体して、結果として素材として使えそうなものもいくつか採取されているため、その物品量は決しておかしいものというわけではないのだが……。
けれど、それでも酷い散らかりようだった。
ロイドの部屋もそれなりに散らかってはいたが、それでも物の少なさも相まってか、ロイドの部屋はここまでではなかったように思う。
(これは……、また)
実のところ、勝一郎は村での準備の時にこの部屋を作った時以来、このマントの部屋にだけは入っていない。
その時だとて彼女が部屋の中でこっそりと弓の練習ができるように、部屋の壁に矢を跳びこませるための、的代わりの部屋をいくつか作ってやっただけだったのだが、まさかその後この部屋がここまで乱雑な環境へと変貌を遂げるとは思っていなかったのだ。
扉の周囲だけとは言え、足の踏み場もないその現状にランレイという人間への認識を改めながら進んで行くと、ふと散らばる物品が、いつの間にか二種類のものに限定されて行っていることに気が付いた。
(……これは)
見れば部屋の奥の物干しと思しきものの手前に、散らかった各種道具類の列が、途中から種類が減って、弓と矢だけに変わりながらも続いている。
いつもランレイが使っているものと同じ、しかし大きさや形などがまた違う、様々な弓。そしてこちらもまた散乱している、同じように微小な違いのある大量の矢も。
「ランレイ?」
見つからない相手を探して歩を進める。
目指すのは、散乱する弓矢の先の、衣服の干された物干しのその向こう。
広い部屋の中、一か所だけ死角となっているその場所の向こうへ、求める相手を探して勝一郎が視線を走らせて――。
そうして、勝一郎は見つけることになった。
大量の弓と矢のその中心で、見覚えのある人影が、まるで倒れたかのように横倒しになっているその光景を。
――だからあの時に、そこまで考えておくべきだったのだと、そう思わされるだけの現実を。




