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38:All-purpose Room

 ずっと言ってやりたかったことがある。


 無遠慮に踏み込んで、そのことで傷つけて、後悔した今となっても、それでも、なお。

 ずっと言わないようにしてきた言葉が、そして先ほど、歳下の少年の激励を受けてようやく言うと決めたそんな言葉が、確かにあるのだ。


「まだ、終わりじゃないぞ。俺にはまだ、言いたいことも、言わなきゃいけないことも、残ってる……!!」


「……ああ?」


 目の前でロイドが、誰の目で見てもわかるほど不愉快そうな声を漏らす。

 それはそうだろう。つい今しがた、突き放したつもりだった相手が、なおも引かずに自分を引き留めてくるのだから。

 けれど。


「お前の言いたいことはよくわかったよ。正直結構堪えもした」


 身勝手で、傲慢で、相手のことなど考えてたら、とても言えないようなそんな言葉。


「俺になにかの才能があるとか、正直言って考えたこともなかったけど……。けどまあ、お前が言うなら、たぶん“それ”はそうなんだろう。お前に才能がないって言うのも、そうなんだろう」


「……」


 こんなことを言っても何にもならないと、相手を怒らせるだけで終わるのだと、ずっとそう思ってきたけれど。

 けれどそれでも、勝一郎にだって、ずっと言ってやりたいと、そう思っていた言葉くらいあるのだ。


「――けどな、ロイド」


 だから今、勝一郎はそんな言葉を口にする。


「お前の言う才能って奴が、何でも解決してくれる素晴らしいものだなんて思うなよ」


 怒りと、傲慢と、そして溢れんばかりの嫉妬を込めて、ようやく勝一郎はうちに閉じ込めていたそんな言葉を口にした。






「……ああ、んだとぉ?」


 勝一郎が見せた表情と言葉を受けて、ロイドは怪訝そうな表情でどうにかそんな反応を見せる。

 予想もしていなかった、と言うような顔だった。それはそうだろう。羨むばかりで、己を無価値と決めつけていたロイドには、勝一郎が抱く思いなど百年かけても予想できまい。


「お前はずいぶんと買い被ってくれてたみたいだがな。まさかお前だって、俺が毎回、才能とやらに任せて楽勝で切り抜けてたなんて思っちゃいないだろう?」


「……」


 勝一郎の問いかけに、ロイドは言葉を返さず、ただ細めていた視線をさらに鋭くする形でその返事とする。

 どうやら流石に、勝一郎の言うような楽勝をしていたとまではロイドも思っていなかったらしい。


「ギリギリだよ。いつも一歩間違えれば死ぬような状況で、毎回ギリギリの綱渡りでどうにか生き残ってきたって言うだけだ」


「はっ、それがどうした。それでもちゃんと生き残れてんだ。それで何の不満がある?」


「……ああ、そうだな。不満なんざねぇさ」


 そう、不満などない。

 どんなにギリギリでも、危険な状況であっても、それでも勝一郎はどうにかこうにか、自分以外の犠牲者を出すこともなく生き残ってこれたのだ。

 これで不満を言うなど、何より生き残るために勝一郎が屠ってきた、あの命たちに失礼というものだろう。

 だから不満などない。


「―-けど、不安なら、ある」


「不安?」


「なあロイド。想像の一つもしてみろよ。俺はつい数か月前まで、【開扉の獅子】やら【気功術】やらの力も、お前の言う才能って奴とも無縁に生きて来たんだぜ? 俺にとってここで発揮してる力は、つい最近まで未知のものだった、最近になってはじめてお目にかかったような、そんな力だ」


 実際、客観的な事実として。

 この世界で勝一郎が発揮することになった力の数々は、総てこの世界に来て、初めて得ることとなった力だ。

 唯一才能についてだけはその例外と言えるかもしれないが、しかしそれとて今まで磨いてこなかったという点では同じようなものである。むしろ磨かれていないというその事実が、そのまま勝一郎という人間の人間性を物語る。

 だってそれは、今まで勝一郎が何もしてこなかったということなのだから。


「付け焼き刃なんだよ。俺の力なんてのは、全部。

なにもしてこなかった人間が、ヤバい状態になって初めて必死になって、それでようやく、申し訳程度に身に着けただけのそんな力だ。なにができるのかどこまでできるのかもまるで未知数、【開扉の獅子(こいつ)】に至っては原理すら定かじゃねえから、いつ消えてなくなるとも分からねぇ。

そんなもんに命を預けなくちゃいけない奴の気持ちが、じゃあお前にはわかるのかよ……?」


「…………、はっ、贅沢な、悩みじゃねぇかよ」


「……ああ、確かにそうだ」


 そう、これはきっと贅沢な悩みなのだろう。

 勝一郎自身そうとわかっている。わかっているからこれまで口に出さずに、ずっと胸の内にしまってきたのだ。

 胸の内に隠して、そしてこっそり憧れて来た。


 村で戦士たちの訓練を見た。

 幼少のころから戦士となるべく体を鍛え、技を磨いてきた彼らの動きの精度は、素人同然の勝一郎から見ても相当に高い代物だ。

きっと彼らは、十回同じ条件、同じ状況に陥れば、十回とも寸分たがわず、最善の動きでその状況を突破してのけるだろう。

 積み重ねられた訓練と、それに裏打ちされた安定感は、積み重ねたものを持たない勝一郎ではどうあがいても手が届かない。


 勝一郎に許されているのは、ただその積み重ねの大きさに憧れることだけで。

 そして勝一郎はロイドの中にも、その大きな積み重ねの後を感じている。

 だから――。


「俺はずっと何もしてこなかった。だから俺にできるのはただ目の前の状況に必死になって、それでも場当たり的に、対応することだけだ。けど、お前は違うだろ?」


「……ああ?」


「お前にはちゃんと、積み重ねてきたもんがあるんだろうが」


 言われて、初めてロイドの表情に、苛立ちと不快感以外の感情が現れた。

 一瞬だけ虚を突かれたような表情が現れて、すぐに不機嫌な表情がそれを覆い隠す。


「……は、はぁ? なに言ってんだよお前。俺の話を聞いてなかったのかよ? そんなもんねぇよ、俺には。俺には何も残っちゃいない」 


 ロイドの自信への絶望は強固なものだ。

 なにも積み重ねてこなかった勝一郎と違い、積み重ねてなお届かなかったという事実があるゆえに、その絶望と失望は形成されている。


「全部捨てて来たんだよ。それまで培って来てたもの全部。投げ出して、放り出して、全部、全部――」


「だったら、今まで俺達を助けてくれてたもんはなんなんだよ――!!」


 だから突きつける。

 ロイド自身の敗北と同じく、彼が積み重ねてきた事実を、今ここに来るまでの現実を。

 そして何より、勝一郎自身が嫉妬した努力の跡を。


「飲み水を確保したのはお前だ。ヒオリが倒れた時に、それを看病したのもお前だ。それができたのはどうしてだ? 海に流されたときだって、お前は自力で魔術で浮かんできたな。あんな状況でそれができたってのは、お前がちゃんとあの魔術を身に着けていたからじゃないのか? お前が戦闘で使う魔術はなんだ? あれは自分で組んだって言ってたよな?」


「あれは――」


答えを返すのは、きっと簡単なのだろう。ロイドの知識や魔術など、結局のところ誰かに習ったものでしかない。

 医療系の知識は母方の祖父に習ったと言っていた。ロイドがよく使う、水流の生成・操作系の術式は父の仕事上の知識を吹き込まれたものらしい。海で浮かび上がってこれたのだって、泳ぎを習っていたというのなら、きっとその関係なのだろう。


 けれどそれは、かつて習って、学んで、そして捨てきったはずの代物だ。

少なくともそれを、ロイド自身は捨てて失ったと思っていた。


「捨てられてなんか、いないじゃねぇかよ」


「……!!」


 眼を見開いて、目の前のロイドが完全に言葉を失う。

 ずっと捨てたのだと思っていたのだ。意味などなかったのだと、無駄だったのだとずっとそう思っていた。

 自分が無駄にしてしまったのだと、ずっとロイドはそう思い込んでいた。


「お前にはちゃんとあるんだよ。お前自身が、積み上げてきたもんが。お前が挑んで、負けた数だけ、いざって時にお前自身を助けてくれる努力が、ちゃんとそこに――!!」


「――うるせぇ」


「確かにお前は、突出した取柄はないのかも知れねぇよ。才能だって、お前が無いって言うなら無いんだろうさ。けど、それでも――」


「――うるせぇよ」


「――それでもお前は、俺の知ってるお前は、どこへ行っても負け続けてきたって言うそんなお前は――。

――だからこそ、どんな時でも頼りになる奴だったよ……!!」


「――うるせぇって、言っでんのに……!!」


 そこまでで、もうロイドは不機嫌な表情を保てなくなっていた。

 両の眼から滴がこぼれて、漏れだす声に震えが混じる。


「――ああ? クソ、なんだこれ……」


 自身の中からあふれるものに気付いて、ロイドも慌てて腕で顔をぬぐうが、それだけではもうそれは止められなかった。

 溢れ出す滴がぬぐう袖をみるみる濡らして、遂にロイドは掌自身の目元を覆い隠す。


「クソッ、なんだよ、なんなんだよこれ……!! みっともねぇ、情けねぇ……、クソッ、クソォッ!!」


「……ロイド」


「うるせぇよ……、うるせぇ……」


 堪えきれずロイドは膝から崩れ落ちて、そして仰向けになって床に寝転がる。

 腕で目元を隠したままむせび泣くロイドに背中を向けて、付き合うように勝一郎も床の上へと腰を下ろす。


 胸につかえていたものが取れたような、そんなどこかすっきりとした気分で。



 こうして、無様でスマートさのかけらもない、言いたいことを言い合うだけのそんな二人の衝突が、白い部屋の中でひとまず終了したのだった。


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