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36:Scattered room

 深呼吸一つついて部屋へと踏み込む。

 直前まで勝一郎がいたのとほぼ同じ、やたらと広く、白い部屋。


 とは言え、流石に今日の野営のために作った部屋と違い、村を出発する時から荷物を持ち込み、必要に応じて使用し続けていたその部屋は、やはり何というべきか、その部屋を使う者の色とでも呼ぶべきものが混じっていた。


 入り口近くに散らばる荷物類。その中には、いったい何に使ったのか器のようなものがいくつも置かれている。そうかと思えばそのすぐ脇には何かの葉っぱや茎など、植物の破片のようなものが何種類も集められており、真っ白だった部屋が使用する人間によって徐々に染められつつあることを感じさせた。


 そしてそうやって染めた張本人、勝一郎の目的の相手であるロイド・サトクリフ自身もまた、そのすぐ近くで毛布をかぶって眠っている。


「……フゥ。――ロイド」


 もう一度息を吐き、意を決して勝一郎は相手に対してそう呼びかける。出そうと思った声よりも幾分硬く、そして音量にかける声だったが、しかしそれでも相手の長い耳には届いたようで床に寝転がった人影が身じろぎをした。


「……ああ、んだよ。もう交代かよ」


 ぼやきながら、それでもロイドが勝一郎の声に起き上がる。

 眠そうにあくびをかみ殺し、近くに脱いで置いていた防具に手を伸ばしながら、しかしロイドは決して勝一郎の方へ視線を向けては来なかった。






 勝一郎がソラトと示し合わせて行動を開始したのは、二人が決意を固めてすぐのことだった。時刻はすでに夜中だったが時間を置くと決意が鈍ると、一応の行動予定だけを立ててすぐに行動することにしたのだ。


「とりあえず兄ちゃんは、ロイドとの見張り交代で呼びに行くときに話をするってことでいいか?」


「ああ。流石にこっちに見張りをおろそかにはできないからな」


 一つだけ困ったのは、一人一人が腹を割って話す機会を作ろうにも、それを同時にやろうとしてしまうと見張りをする人間がいなくなってしまうということだった。幸いこの竹藪では先日までの数日間何事もなく過ごせていたが、昨晩には竹藪を抜けた先の峡谷で【群盗竜】に遭遇しているし、それ以前には【細角竜】と【岩怠竜】にも襲われている。どんな竜がいつ襲ってくるかわからない関係上、どんな重大な用事を抱えていても見張りに立つ人間を最低一人は用意しておかなければならない。


「まず、見張りの交代で俺がロイドの部屋に入ってあいつと話す。その後ロイドが見張りに立っている間にソラトがヒオリと、俺がランレイと話を付けるっと」


「客観的に言うけど、かなり不確定要素の大きい予定だよな。腹割って話した結果によっては全体の予定が狂う可能性が高いし、途中で何か襲ってきたらそこで中断されて終わる訳だし……」


 改めて考えれば考えるほど、ずいぶんと皮算用の多い雑な計画だった。

 そもそも勝算をもって説得しに行くのではなく、出たとこ勝負でぶつかりに行くというのだから予定も何もない。極端な話ロイドと話を付けに行って、そのまま拗れて朝まで決着がつかない可能性だってあるのだ。


 それでも、勝一郎はロイドの部屋の扉を開けた。

 用意した言葉をかけるのではなく、生身の自分で相手の部屋へと踏み込むために。




「……つかよぉ、今日はなんか少し交代速くねぇか? つっても時計とかねえから時間わかんねぇんだけどさ」


「まあ、もしかしたらそうかもしれないな」


 竜の革から作った防具を装着しながらのロイドのぼやきに、勝一郎は少し含んだような言い方でそう応じる。

 実のところ、勝一郎達は見張りを立てる際、明確な時間というものを設定していない。というよりも、そもそもこの世界にはわかりやすい時計というものが無いため、時間を計るという行為そのものが不可能なのだ。ではどうやって交代までの時間を計っているのかと問われれば、実はそれは完全に個人の判断に依ってしまう。

 とは言え、勝一郎の場合は最近では見張りに立つ際大抵は基礎訓練を行っているため、訓練のメニューを一通り消化したころに交代を行うようにしていたりする。これはランレイなども同じようで、勝一郎達の装備品のメンテナンスなどを一通り仕事をこなして、切りのいいところで交代を行っているようだった。

 ロイドはどうなのだろうと、ふと出入り口付近にあった器や植物を見下ろして考える。

 自分が村で教わった訓練を行っていたため、てっきりロイドの方もそうなのだろうと、勝一郎は今まで勝手にそう思っていた訳だが、しかし、少なくとも勝一郎はすぐそばの床に置かれている、この植物片や器の中身の存在をこれまで知らなかった。

 出入り口近くに置かれていたことを考えても、これらの器が扉の外から部屋の中へと直接しまわれていた様子がうかがえる。となると、これらの道具は外で何らかの作業を行って、その後部屋の中へ腕だけ突っ込むようにしてしまわれた可能性が高い。

 まるで隠れて行われていたような作業の痕跡。

 だとすれば、これらの道具や植物はいったいなんだと言うのか。


「……なあ、なんなんだ、これ?」


 会話の足掛かりにできるかもしれないと、勝一郎は床に直接置かれていた器、その中にある少しきついにおいのする液体を観察する。

 いや、よく見ればそれは液体ではなかった。確かにもとは液体だった形跡があるのだが、勝一郎が手に取った時にはすでにその器に入れられた何かはカチカチに固まっていて、とっくに液体としての性質を喪失していた。


「……別に、何でもねぇよ。ただの失敗作だ」


「失敗作……?」


 よく見れば、器の中の元液体はどれも微妙に臭いや見た目が違う。なにかを作ろうとして失敗したというのは、確かにこの痕跡を見れば納得できる答えだった。

 だが、だとすればロイドはここで、いったい何を作ろうとしていたのか。


「別に大したもんじゃねぇよ。なにより今さら、役に立つようなもんでもねぇ」


「役に立たないって、そんなの――」


「――うるせぇなぁ。俺はもう行くぞ。早くしないと、今見張り誰もいないんだろうが」


「ああいや、それについてなら、今はソラトが見張りに立っているから大丈夫なんだが……」


「あん? ソラト?」


 勝一郎の言葉に怪訝そうな顔をして、ロイドは部屋の入り口の扉へと視線を向ける。

 とは言えこの部屋の出入り口は外の部屋のそれとは違って外を見られるようには作っていなかったため、その行為自体に意味があったわけではなかった。

 ただ、それでも。

 予定にはない、本来は休んでいるはずのソラトが見張りを代っているというその事実に、ロイドの方も何か感じ取るものが有ったらしい。

 予感か、あるいはもっと確かな確信なのか。


「……あのガキが、ね。まあいい、んじゃあとっとと代わってやらねえとな。夜明けまでは俺が見張りに立つから、お前らはもうとっとと寝てろよ」


「――あ、おいちょっと――」


 引き止めようとする勝一郎を意に介さず、ロイドは防具の準備を終えると、器を眺めていた勝一郎のそばを通り過ぎてさっさと扉の方へと歩いて行ってしまう。

 このまま外に出られてしまっては話も何もないと、慌てて勝一郎は器をその場に置いてロイドを追いかけ、寸でのところで彼の肩へと手をかけた。


「待てよロイド。……折り入って、話がある」


「ああ? 話しィ?」


 不快そうな声を漏らし、そうしてようやくロイドがこちらへと顔を向け、その不機嫌そうな表情を見せるようにして少しだけ勝一郎の方へと振り返った。

 ただしその視線は、やはりと言うべきかこちらを向いていない。


「なあショウイチロウ。その話ってのは今じゃないとだめなのか? つか、お前だって疲れてんだろ。少し休んで、多少頭回るようになってからにした方がよかないか?」


 肩を掴む手を右手で払い、ロイドは勝一郎の目論見に気付かぬまま、そんな風に決意を鈍らせるようなことを言う。


――いや、違う。

気付いていないわけではない。それどころか、恐らくロイドは勝一郎が会話のその糸口を探っているそのことに、間違いなくすでに気付いている。

 気付いていて、しかし無理やりにでも知らないふりをしている。

 なあなあで済ませて、本心を隠して、それでどうにか表面上でだけは、勝一郎とうまくやって行こうと、そう考えている。

勝一郎がついさっきまで、自分自身でそうしていたように。

 会話の糸口を与えずに、勝一郎と自身の接触を、無難なだけの形で終わらせようとしている。


「とにかく、いったん俺は外へ出るぞ。あんなガキに見張りを押し付けるのも気分悪ぃしな」


 そう言って、ロイドは再び勝一郎の方へと傾けていた顔を背けて出口の扉の方へ行こうとする。

 その距離は、実にたったの三歩分。


(……これじゃあ、駄目だ)


 ――一歩。


 そんなロイドに対して、そんなロイドに勝一郎が抱いたのは、これではだめだというそんな感覚だった。

 ロイドの意図は明白だ。ロイドは勝一郎との会話をうまくやり過ごして、無難なままで逃げおおせてしまいたいのだ。

 無難にやり過ごして、自分の弱みを一切見せないまま、しかし内心では勝一郎への劣等感に苛まれて、どんどん卑屈になっていく。

 そんな自分を、ロイド自身は放っておいてくれと、そう思っているのだろう。

 他人に面と向かってそれを指摘されることを、ロイドはきっと今何よりも恐れている。


(これじゃあ、駄目だ――!!)


 ――二歩。


 回りくどく会話の糸口など探っていたら逃げられる。適当に答えをはぐらかされて、そのまま何もできないまま終わってしまう。

 きっとロイドは、勝一郎との腹を割った話し合いになど応じない。

 頑なに自分のプライドを守ろうとして、あらゆる言葉を尽くして勝一郎が諦めるのを待つだろう。

 無難に話を進めようとしていたら、きっと勝一郎はロイドの本心を取り逃がす。

 ならば、今勝一郎がやるべきことはいったいなにか。


「……逃がすかよ」


「―-あ?」


 ――三歩目の、その直前。

 不意に勝一郎が口にした言葉に、ロイドが振り向いたその瞬間、勝一郎はロイドと、そしてその向こうで今まさに彼が触れようとしていた扉に距離を詰め、まるで貫き手による突きでも繰り出すように腕を伸ばしてロイドの顔のすぐ真横を通過させる。

 勝一郎の突然の行動に目を見張るロイドをよそに伸ばした手が扉に触れて、出入りできるように開いたままとなっていたその扉が、勝一郎の【気】を受けて勢いよく閉ざされる。


「――なっ!?」


 振り返り、ロイドが閉じた扉に気付くがもう遅い。

 勝一郎が作る部屋の扉は、基本的に勝一郎以外には開けられない。それが閉じられるということは、それはすなわち部屋の中に居る人間が脱出の手段を奪われ、閉じ込めれるということだ。

 流石のロイドも、勝一郎が強硬手段に出たことには気づいたのだろう。

 こちらへと視線を戻し、その直後には目の前の勝一郎めがけて勢いよく掴み掛る。


「おいテメェ、いったい何のつも――」


 胸ぐらをつかまれ、怒声と共に引き寄せられたその瞬間、勝一郎は迫ってくるロイドの顔面目がけて、容赦なく頭突きを叩き込んだ。


「――んげッ!!」


 突然顔面、それも鼻面に受けた衝撃に、ロイドがつぶれたような悲鳴をあげてのけぞり、よろめく。

 同時に勝一郎を掴む手の力が緩み、それを察知した勝一郎は瞬時に手を払いのけ、逆にロイドの服の胸ぐらをつかんで一気に引き寄せた。


(――気功術、発動――!!)


 瞬時に五体を気の力によって強化して、強くなった力に任せて引き寄せたロイドをそのまま背後へと投げ捨てる。

 柔道のような技などない、完全に肉体の性能任せの強引な力技。それによってロイドの体を、物理的にも目の前にある扉のそばから引きはがす。


「――ぐ、ア……。テ、テメェ……!!」


 村での過酷な訓練のたまものか、ロイドの方も反射的に受け身を取っていた。

 すぐさま体勢を立て直して立ち上がり、まだ痛むのであろう鼻を左手で押さえて勝一郎を睨み付ける。


「――おいショウイチロウ。テメェ一体何のつもりだッ!! 自分が何やってるか、マジで自覚してやがんのか――!?」


「……、ずっと気に喰わなかったんだよ。お前のそのいつまでもウジウジとした、根性腐ったようなその態度が」


「……ああ?」


 ただの挑発、という訳でもない。

 勝一郎が口にしたのは、言ってしまえば勝一郎がこれまで隠してきた、ロイドに対する本音の言葉だ。

 決して軽々しくは口にしないできたその言葉をもってして、今勝一郎はロイドにケンカを売りつける。


「いつまでもいつまでも、ウジウジグダグダと妬ましげな眼で見やがって。大体何だってんだ。自分だって魔術なんて便利極まりない力を持ってるくせに。俺の気功術やら【開扉の獅子】やらにあからさまに嫉妬しやがって。バレてねぇとでも思ってたのかよ。その程度のみっともない態度、こっちはハナからお見通しなんだよ!!」


「―-!! ショウ、イチロウ……!!」


 ロイドの眼が大きく見開かれ、その視線に宿る感情が怒りに染まる。

 本来であれば、勝一郎はロイドに対して、もっと穏当に話を進めるつもりだった。

 専門のカウンセラーを気取るつもりなど毛ほどもなかったが、しかしどうにか事を荒立てずに話を聞き出して、相談に乗るようなそんな展開に持って行くつもりだった。

 けれどそれはもうやめた。

 あくまでロイドがシラを切りとおし、勝一郎に本音を見せないというのならもはや是非もない。

 できもしないスマートな方法など部屋の外へと放り出す。

自分と開いてしかいないこの部屋の中で、自分にできる唯一の、荒っぽくて無様な、そんな強硬手段に訴える。


「表には出るな。というか出さない。言いたいことがあるんなら、今この場所でそのまま、拳で語れ」


「――ショウイチロウ。テメェ正気か――?」


 この期に及んで、まだロイドは理性に縋り付いた、そんな言葉を口にする。

 実際ロイドはそう言う人間だ。悪人面で、どこかチンピラ臭さを纏ったこの男は、しかしそんな外見と言動に反してかなり理性的で、それゆえ随分と臆病だ。

 恐らくは、後者の方が素なのだろう。ただの推測に過ぎないが、勝一郎は何となく、ロイドの普段の態度がどうにも作っているもののように思えていた。

 軽薄で乱暴なチンピラ染みた仮面をかぶっているだけで、ロイド・サトクリフという男の本性は非常に理知的で、そして何より争い事を好まない。


 けれどそれでは困るのだ。いつまでも理性的に、話し合いの余地など探られていたら、細かいことなど考えさせていたらいつまでたっても話が、否“喧嘩が前に進まない”。


「来ないって言うのなら、こっちから行くぞ」


「―-ッ!!」


 自身の本気を示すように、狼狽えるロイドめがけて、勝一郎は一気にその距離を詰める。

 打ち込むのは、ロイドの顔面を狙った右フック。村では武器を使わない格闘戦は教えてくれなかったため、勝一郎のパンチングは言ってしまえば素人のそれだが、それでもヒットすれば今の勝一郎の身体能力ならば十分すぎる威力が出せる。

 ロイドの方もそれはわかっていたのだろう。とっさに腕を盾にして、迫る勝一郎の拳をどうにか受け止める。

 だが。


「――ご、あぁっ――!!」


 ロイドが勝一郎の右こぶしを受け止めたその直後、勝一郎が繰り出した左手のボディブロウがロイドの腹へと容赦なく突き刺さっていた。

こちらも訓練のたまものか、とっさに腹筋を固めるくらいの対応はしたようだったが、それでもロイドは体をくの字に折って、よろめきながら後退る。


(どうだよ、来いよ――!!)


 なれない挑発は十分すぎるほどした。危険な一線は勝一郎の方から踏み越えた。

 喧嘩は十分すぎるほど売ったはずなのだ。

 これでも駄目だとなってしまったら、今度こそ勝一郎は完全に手詰まりになってしまう。


(いい加減――、来いよ!!)


 内心で祈るような思いでロイドを睨む。

 腹を押さえて、体を折ったまま下を向いていたロイドは、果たして――。


「ああ、そうかよ。テメェそう言うつもりかよ」


 怒りに満ちた、殺気にさえ満ちた目を勝一郎へと向けてそう呟いた。

 直後、ロイドが自身の両手を左右に広げて、その手の先に魔方陣が展開される。


「ふざけやがって。どこまでも舐めた真似しやがって……!! ……ああいいよ。買ってやるよその喧嘩!! 俺にだってテメェに、わからせてやりたいことが山ほどあるんだ!!」


(そう来なくっちゃ……!!)


 勝一郎が内心でほくそ笑んだその瞬間、魔方陣を浮かべたロイドの右手が突き出され、それを合図に二人の喧嘩の火ぶたが切って落とされる。

 逃げ場のない白い部屋の中で、逃げ続けていた喧嘩がようやく始まる。


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