35:Elephant in the Room
「これで、俺と母さんとの話は終わりだ」
いつしか落ち着きを取り戻し、淡々と自身のことを語るようになったソラトは、自身の身の上話をそんな言葉とともに締めくくった。
「いや、終わりってお前……」
「終わりなんだよ。俺と母さんはそれ以降、一度も顔も合わせてない」
「――ッ」
それは、確かに勝一郎でも理解できる話ではあった。
なにしろソラトと母の関係は、自分を虐待する母をソラト自身が突き出すという最悪の形で決裂しているのだ。ソラトの母が今何を思っているかは知りようがないわけだが、それでもその決裂は再開をためらわせるのに十分な最後である。
「……まあ、そんなわけでさ。もうわかったと思うけど、俺と姉ちゃんは本当の姉弟っていう訳じゃないんだ。俺と姉ちゃんはさ、同じ施設で暮らしてる、児童養護施設の子供なんだよ」
「……」
それに関しては、勝一郎の方でも多少予測していた話ではあった。
姉弟であると名乗りながら、苗字も顔立ちも違うヒオリとソラト。血縁に関係なく、三十人に一人しか目覚めない能力に、二人そろって目覚めているというその事実。
深く踏み込まないようにしてきたがゆえにそれは予想でしかなかったが、しかし彼らから得られるそれらの情報は、勝一郎にそうした予想をさせてしかるべきものだった。
だから驚きはしなかった。
とは言え、驚きはなかったがショックではあった。
聞くべきではなかったのではないかと、そんな躊躇を、今さら勝一郎が抱いてしまうくらいには。
「俺さ、結局のところ母さんのことを何も知らなかったんだよな」
「……え?」
そんな勝一郎の内心を知ってか知らずか、ソラトは若干の未練が残る表情で、そんな言葉を口にする。
「なにも知らなかったんだよ。母さんが何でおれを能力者にしたがってたのか、なにがあってそう思うようになったのか、もしかして俺の父さんのことが関係してるのか、そういう大事なことを、結局俺は、母さんに何も聞けないまま、話をしないままで終わっちゃったんだよ」
ちゃんと話をしていれば別の結末に至れたかもしれないと、そう思ってしまうのはきっと今だからこそ言えることなのだろう。
現実には当時のソラトは能力に目覚めて自分を客観視するまで母の所業に疑問すら抱いていなかったし、話ができたところでどう変わったとも思えない。
実際には根本的な解決にはつながらなかったかもしれない。
けれど、糸口になった可能性はある。
直接その結末を変える要因にはならなくとも、その糸口にはなったのではないかと、ソラトはそう考えているのだろう。
それくらいならば、勝一郎にも想像がつく。
そう、想像はつくのだ。だからこそ。
「俺にいったい、何をしろって言うんだ……?」
たまらず勝一郎は、ソラトに対してそう問いかける。
いや、実際のところ、それはもはや問いかけですらない。
「さっきお前は俺に、共犯者になれって言ったな。あれはどういう意味だ? お前が姉ちゃんと話を付けるのを手伝ってくれって意味か? それとも――」
それとも、勝一郎もあの二人と、ロイドやランレイと話を付けろと、そう言っているのだろうか。
そう、実際のところそれは問いかけですらなかった。
勝一郎自身すでに気付いてるのだ。ソラトが自分に何を求めているのか、問うまでもなくその答えを。
だからこそ。
「それは……、だめだ」
「兄ちゃん」
「俺は……、なにも言えない」
「それは兄ちゃんが、あの二人の劣等感に気付いているからか?」
投げかけられた言葉に、反射的に勝一郎はソラトの方へと落としていた視線を戻す。
返事など、その反応だけで十分だった。
そもそも最初から、目の前に座る少年は勝一郎の葛藤に確信を持っていたのだ。
「やっぱりな。やっぱり兄ちゃんも気づいてはいたんだ。ただ気付いてないふりをしていたって言うだけで……。兄ちゃんって結構そう言うところあるよな。あんまり人の内面とか、事情に踏み込まないっていうかさ」
「……なら、なにを言えって言うんだよ」
知ったような口を利くソラトに対して、いよいよ勝一郎の口調に乱暴な力がこもる。冷静になるならばみっともないことこの上ない態度だったが、しかしそんなことを見失うくらいにはこの時の勝一郎は苛立ちを覚え始めていた。
「なあソラト、お前は俺に、あいつらに何を言えって言うんだよ……」
だから、もう無理だった。隠しておくことなどできなかった。
「俺はさぁ……。この力を得るために、何の努力もしていないんだよ……!!」
留守勝一郎がずっと抱え続けてきた、自身の傲慢な劣等感を。
「何の努力もしていない。【開扉の獅子】も、【気功術】も俺があいつらに嫉妬されるような能力を得るのに……。何の努力も、代償も、苦労も何も支払わないままに、俺はこんな、すごい力を手に入れたんだよ……!!」
そう、勝一郎とて気付いている。気付かないふりをしてきたけれども、実際のところは知っている。勝一郎がこの世界に来る前から弓の訓練を重ねていたランレイや、同じ時期に一緒に訓練を始めたロイドよりも、はるかに強くなってしまっているというその事実を。そしてその事実によって、ランレイとロイドに強い劣等感を植え付ける結果になっているという現実を。
もちろん、強さの尺度など非常に不確かな代物だ。勝一郎達が感じる強さの比較なんて、特定の一面から見ただけの、非常に限定的なものに過ぎない。
けれどそんな言葉がごまかしにしか感じられないくらいには、自惚れではない客観的な事実として、勝一郎は自分が二人よりも強い戦士であることを自覚している。それどころか、遭難し、村の戦士たちから引き離されたこの現状、勝一郎はこのメンバーの最大戦力だと言ってもいい。
だが、そんな勝一郎の強さを決定的に支えているのは、二人との間に確たる差を生み出しているのは、【開扉の獅子】と【気功術】という二つの異能だ。
異世界に来て、いつの間にか習得していた二つの力。努力し、苦悩する二人を差し置いて、ただ運良く手に入れてしまった、そんな力だけで、勝一郎は今の強さを手に入れた。
「実際、この力はすごいよ。【気功術】があるのとないのとじゃ運動能力が段違いだし、【開扉の獅子】なんて使えば使うほど桁違いの力だ。正直手に入れた時は、こいつがこんなすごい力だなんて思わなかった。
なあ、わかるか? 俺はそんな力をさ、努力してる二人を差し置いて、何の苦労もなくッ、運だけで手に入れちまったんだよ……!!」
本当はずっと後ろめたかった。
二人の苦悩を垣間見るたび、なぜ自分なのだろうとそんなことすら考えた。
だって不公平ではないか。
こんな何の努力もしてこなかったいい加減な奴が、運良く手に入れただけの力で、努力してきた奴を瞬く間に追い抜いてしまっているなんて。
「こんな俺が、あんな二人にいったい何を言ってやれる……?」
「……」
勝一郎の問いかけに、しかしソラトは答えない。
今この瞬間を客観視しているならば、ソラトには勝一郎の言葉が酷く身勝手で、下らない言い訳のように聞こえているだろう。
けれどそう思っていても、勝一郎はもはや自分の言葉を止められない。
「なにも言えないよ。俺に言えることなんて何もない。少なくとも俺なら、こんな奴に何も言われたくなんかない。だってそうだろう。もしも俺なら、こんな奴に何か言われたらムカつくよ。何様のつもりだって、そう思う……!!」
「だから兄ちゃんは、二人が自分で、自分の中で解決するまで待つつもりなのか?」
ソラトの指摘に、勝一郎は今度は笑いがこみあげてくるのを感じた。そこまでわかっているのなら、むしろ話が早いじゃないかとそう思った。
「……ああ、そうだ。俺は何も言わずに、あの二人が自分で決着をつけるのをここで待つ。なんならこれから先の荒事を、全部俺一人で請け負ったっていい。俺が楽に手に入れたものを考えるなら、むしろ俺はそれくらい引き受けるべきなんだ」
二人が答えを出すまで時間がかかるというのなら、それまでの時間は勝一郎が自分で稼ごう。まるでインチキのような経緯で強くなった自分は、それくらいのこと進んでするべきなのだ。そうでなければ、得てしまった力に見合うだけの働きをしなければ、帳尻が合わないではないか。
沈黙が室内を支配する。
勝一郎の告白に、一体ソラトは何を思っていたのだろう。
わからない。きっと彼にしてみても、内心は複雑だっただろうに、それを推し量るだけの根拠を勝一郎は持っていない。
だが次にソラトが放った言葉は、何も知らない勝一郎であってもソラトの決意を推し量るには十分なものだった。
「さっきさ、俺、姉ちゃんと話しをしたんだよ」
「……話を、した……?」
「……いや、違う。あんなのは話したなんて言えないな。ただこっちが勝手に頭にきて、好き放題に言いたいことを言っただけだ。言うだけ言って、姉ちゃんを傷つけただけだ」
「……」
その言葉に、勝一郎は先ほどマントの部屋の中から飛び出してきたソラトの姿を思い出す。
随分と取り乱していたように見えた彼の姿はそう言うことだったのかとそう思って、しかし勝一郎はそれとは別に新たな疑問に見舞われた。
「――だったら、なんで……。傷つけたって言うなら、それこそ――」
「――ああそうだ。俺は姉ちゃんを傷つけた。酷いことを言った。姉ちゃんに見たこともないような表情をさせちまった……!!
けど違うんだよ。俺はさ、たぶんもっと早くに、姉ちゃんに言ってやらなくちゃいけなかったんだ……!!」
「早くって……」
ソラトの言葉の意図がわからず、勝一郎は混乱のままに黙り込む。
だってそうではないか。姉を傷つけたとそう思っているその言葉を、言わなければとは思わず早く言っておけばと思っているなどと。
「姉ちゃんの生き方は、自己犠牲的だ」
「自己犠牲的……?」
「“兄ちゃんと同じだよ”。自分が年上だから、能力があるから、だから自分は他人の面倒を見なくちゃいけないと思っているし、自分は他人に尽くさなくちゃいけないと思ってる。……まあ、姉ちゃんの場合はそれだけって訳じゃないんだけど」
「……!!」
兄ちゃんと同じ。そう言われて、勝一郎はまたも内心でドキリとさせられる。
力があるから、強さがあるから他人に尽くす。実際に指摘されるまでもない、それはまさしく勝一郎が、先ほど内心で固めていた覚悟のようなものと同一の代物だ。
けれどそんな覚悟を、このソラトの姉も固めていたというのだろうか。
そしてそんな姉を、ソラトはずっと間近で見続けてきたのだと、そう言うのか。
「けどダメなんだよ……!! そんな生き方してたら。元の世界でなら、そりゃあまだ大丈夫だったかもしれない。良くはなかったかも知れないけど、それでもまだ俺達の世界でなら猶予はあったんだ。けどさ、この世界ではだめだ。この世界であんな生き方を続けてたら、それこそ本当に命に関わる」
実際、ヒオリはすでに明確な命の危険を経験している。怪我と病気に立て続けに襲われて、一時は高熱を出して生死の境さえさまよっている。
自分もそうなるのだろうかと、そんなことを考える。
そして実際にそうなったら、そのあと彼らはどうするのだろうとも。
「本当は、俺にだってこんなことを言う資格はないのかもしれない。俺はずっと姉ちゃんの世話になってきた人間だから……。本当は姉ちゃんに男でもできて、そいつが姉ちゃんの生き方を変えてくれた方がいいのかもしれない。
けど、そんな奴はいないから。だから俺は、もう一度姉ちゃんにちゃんと言うよ。さっき勢いだけで言っちゃったことと同じことを、ずっと言いたかったことを今度はちゃんと言う。
だって俺は、姉ちゃんに死んでほしくないから」
「ソラト……」
もはや止めることはできないと、勝一郎はこの時確かにそう思った。ソラトは共犯者を求めて来たけれど、もはや彼の覚悟の前にはそれすらも必要ないのだと。
むしろ必要なのは。
「なあ兄ちゃん、兄ちゃんはどうする?」
「俺は……」
言葉にならない。拒絶が出てこない。さっきまで確かにあったはずのその感情が、今はなぜだか痺れたように沈黙してしまっている。
「兄ちゃんがそんな資格はないって言うなら、それは確かにそうかもしれないよ。他ならぬ兄ちゃん自身がそう言ってるんだから、それは確かにそうなのかもしれない。
けど、本当にあのままでいいのかよ? 何も言わなくていいのかよ――?」
「――」
「二人に対して、言ってやりたいことがあるんだろう……?」
「俺は――」
ずっと踏み込まないようにしてきた。
資格がないから、言える言葉が無いから、だから勝一郎は二人の問題に見て見ないふりをして、ずっと踏み込まないように距離を置いて来た。
けれどそれは、決して配慮などと呼べるものではなかった。
だって勝一郎自身もわかっているのだ。今のこの現状が決してあの二人にとっても、好ましい状況ではないことくらい。
だからこれは、決して配慮などではない。勝一郎がしていたのは結局のところただの遠慮だ。
踏み込むのが怖くて、意気地が無くて、ただ踏み込まないように遠ざかっていただけだ。
「……いいのかよ。言っちまって……」
言わない方がいいのだとそう思っていた。
「すごく勝手な言葉になると思うんだ。あいつらのことなんて、何も考えてないような、そんな言葉に……」
言ってはいけないのだと、そう自分に言い聞かせて来た。
けれど確かにあったのだ。胸の中につかえているものが。呼吸を圧迫し、息苦しさを与える、そんなものが。
「それを、言っちまっていいのかな。俺は、あいつらに……!!」
「……良くは、ないんだろうな」
勝一郎の問いかけに、ソラトは苦笑するようにそんな当たり前の言葉を投げ返す。
そうだ。良くはない。今自分たちがやろうとしていることが、決していいものではないことは勝一郎自身がわかっている。
下手をすれば決定的な仲間割れになるかもしれない。状況的にもこんな場所でそんなリスクを冒すなど愚かの極みだ。それで解決するとわかっているならいざ知らず、そんな確証もないままのこの行動は決していいものではないはずだ。
けれど、それでも――。
「――それでも、だからこそ俺は、兄ちゃんに俺の“共犯者”になって欲しいんだ。俺の悪事に、加担して欲しい」
「……ああ」
踏み出す勇気は彼女にもらった。
ならば今度は、踏み込む勇気をこいつと掴もう。
「……わかった。踏み込もう。あいつらの部屋に、土足のままで。踏み荒すような真似を覚悟して、部屋の中のあいつらに会いに行こう」
精一杯に答えて、勝一郎とソラトは、どちらともなく手を差し出して、互いの手を握り合う。
向き合うべき扉は全部で三枚。数も形もそのままで、勝一郎達の目の前にあった。




