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34:Child’s Room

 サツマソラトの家庭は、彼が物心つくころにはもう母子家庭だった。父親に関しては母親が頑なに語らなかったためわからなかったが、少なくとも母親がどういう人物かについてはソラトは己の身をもって知っていた。

 良く言えば教育熱心。悪く言えば過干渉。

 あるいは勝一郎などに言わせれば、『教育ママ』という言葉を選んで使っていたかもしれない。

 どうしてそうなったのか、その理由は今もって不明だが、ともかくソラトの母はお世辞にも恵まれているとは言えない経済状態でありながら、ソラトの教育に惜しげもなく財産をつぎ込んでいた。

 幸い、と言っていいのか、ソラトは非常によくできる子供だった。勉強を始め、様々な習い事をそつなくこなし、運動にも秀でた非常に優秀な子供だったと言える。

 もしもソラトが勝一郎と同じ世界の、地球の日本の常識の中で生きていたならば何も問題は起きなかったかもしれない。彼は厳しい環境の中でも己を鍛え上げた秀才として、ある意味では問題なく人生を送っていたことだろう。

 ただ、ソラトの住んでいた世界ではそれだけでは済まない事情が一つだけあった。

 勝一郎の世界にはない異質な要素、つまりは【能力】の存在である。


「やっぱり能力が無くてはダメね。なんとかしてこの子に能力を目覚めさせないと」


 ソラトたちの世界において、【能力】と言うのはなじみ深いものではあるけれど、実のところその発現理由というのがよくわかっていない。脳の一機能であることまでは解明されているのだが、それが実際にいつ何をきっかけに発現するのかはあまり研究が進んでおらず、どんな能力が発現するかも目覚めてみるまでは未知数だ。

才能と言ってしまえばそこまでだが、当事者たちの実感としては運と言う印象の方が強い。当然、能力を意図的に発現させる術などどこの国でも解明されておらず、ソラトの母の目論見は根本から破たんしていたと言ってもいい。

 だが。


「【能力】が無いとだめだわ。いくら人間として優秀だったって、【能力】の有無一つで周りの評価なんて簡単に覆されてしまう……!!」


 いったい何をもってそう考えるに至ったのかはわからないが、ソラトの母はそう考え、息子を【能力者】にすることに固執した。

 高名な学者の研究発表を聞きに行き、能力の開発に効果があるという怪しげな教室を訪ね、ありとあらゆる手を尽くしてソラトを能力者とする方法を探し求めた。

 厄介なことに、ソラトの母のような事例は決して珍しいものではない。三十人に一人と言う、多くはないが決して少なくない、“現実的にありうる”確率で発現する【能力】というものの存在を、自分や自分の子供に持たせたいと願う人間はソラトの世界にも相当数存在していた。

 実際、能力者であるかどうかでできることの範囲や社会的待遇が大きく変わる訳であるから無理もないのだが、しかしそれだけ事例が多いとソラトの母のような存在が行き着いてしまう結論と言うのもかなりのおのずと決まって来る。


「やっぱり、この方法が一番確率が高いのね」


 ところで、発現のきっかけについてはわかっていないことが多い能力についてだが、実は発現したあとの、能力の成長の要因については過去の能力者達の経験によってかなりはっきりしている。

 例えばヒオリなど、幼い頃はあまり大きな布は操れなかったし、布で持ち上げることのできる物の重さも今より軽量の物しかできなかったが、今では能力も成長し昔に比べればその性能は飛躍的に向上している。

 そういった成長の要因として主にあげられるのが、まずは能力の反復使用。ヒオリなどがまさにこのタイプで、幼い頃から手足のように能力を使用した結果として、ヒオリの能力はその性能が大幅に向上し、今のレベルにまで成長しえいた。


 そしてもうひとつ。反復使用と並んで、能力を強烈に成長させる要素として知られていたのが、能力者自身が感じる強烈なストレスの存在だった。

 脳の一機能であるがゆえに情動の変化をもろに受けるのだと考えればいいのか、特に強いストレスを抱えた能力者ほど能力が劇的に強化される傾向があったのだ。

 紆余曲折の末に、ソラトの母が至ったのはこれらの性質に期待した方法だった。


「【能力】を持つのよソラト、そうすればあなたは完璧な子になれる」


 ソラトの母が採用した方法は二つ、まずは自身に能力があると仮定して、その能力をひたすら“使おうとし続ける”。要するに自身に【通念能力(テレパシー)】があると仮定して思念を発するよう念じ、【空間移動(テレポート)】があると仮定して特定箇所に移動するイメージを繰り返し、【念動力(サイコキネシス)】があると仮定して目の前の物体を浮かそうと努力する。そうした、発現もしていない能力をそれでも繰り返し使おうとすることで、あるかもしれないその能力を成長させて発現まで持って行こうというのがまず第一の方法。

 そして第二の方法は、第一の方法で何の成果も出せなかった際、結果の出せなかったソラトに強い(ストレス)を与えるというものだった。


「今日も何も起こせなかったのね、ソラト」


 毎晩そう言って、ソラトのは母ソラトに対して壮絶な罰を与える。

 初めは頬と張られる程度だったが、母が己の考えに入れ込むにつれて与えられる罰もどんどん過激になり、日常的に殴る蹴ると言った暴力が繰り返されるようになり、ソラトの体は徐々に痣や生傷が絶えなくなっていった。

 毎日のようにありもしない能力の使用を繰り返させ、それがうまくいかないと怒って母の暴力にさらされる。


「なんであなたはまだ能力を持てていないのよッ!! 私があなたのためにどれだけ頑張っていると思っているの!!」


 実際のところ、ソラトに試されていた方法と言うのはそれなりに筋が通っているようにも見えるが、現実には科学的な根拠は全くと言っていいほど存在していない。

 と言うよりも、長い歴史の中で様々な実験や調査が繰り返され、結局効果なしと判断されていたのがこの方法だったのである。言ってしまえば、ソラトはすでに無駄だと判明していた方法を、そうとは知らないままに試させられていたことになる。

 ただし、効果があるわけではないが、かといって逆効果かと言えばそうでもない。そして逆効果でないのなら、ソラトが能力を獲得する確率はいまだ通常と同じレベルで残っていることになる。

 その確率、約三十分の一。そして、同じ方法を試す人間が三十人いれば、単純に考えてそのうちの一人は能力を獲得できてしまう計算になる。


「なんだろ、これ、……何か見える」


 根拠のない方法。裏付けのないデマコギー。そんなものを頼りに能力を求められていたソラトが、何の因果か本当に能力を発現させてしまったのは、“それ”が始まっておよそ半年後のことだった。


 結果だけを見るなら、母親の目論見は大成功だった。なにしろ能力を発現させようとして、本当に能力を発現させたのである。例えその方法が、歴史上でも何度も失敗した、実際には何の因果関係もない本当にただの偶然だったとしても、実際に発現してしまったという事実にソラトの母は手を叩いて喜び、ソラト自身もそんな母の様子を心の底から喜んだ。

 ただしそんな喜びも、やはりと言うべきか長くは続かなかった。


 幼いソラトが発現させたのは、【千里眼(セカンドサイト)】と呼ばれる、自身の任意の場所に視点を設定する能力。確かに便利な能力ではあるのだが、しかし実は現代における社会的な需要で言えば、それほどこの能力の重要性は高くない。

 必要とされない能力ではないのだが、しかしあまり華々しく使われる印象はない。

 能力のイメージが地味なのもそうなのだが、勝一郎の世界ほどではないにしろ科学が発達したソラトの世界に置いてはどちらかと言うと監視・のぞき見のイメージが強く、はっきり言ってあまり誇れる使い方がされないイメージがこの能力には有ったのだ。


 加えて、ソラトの能力には発現した当初から『自分が視界に入っていなくてはいけない』と言う致命的な制限があった。むしろ制限は今よりもはるかに厳しく、遠方に視点を設定するような使い方も当時はできなかったため、本当にほとんど自分しか見られない能力だったのである。

その制限は、一応先に上げた【千里眼】と言う能力の負のイメージを否定する対論にはなったのだが、しかし【千里眼】の性質を考えた場合、その有用性をも否定する制限であったのは確かである。


「なんなのよこの能力、こんなもの一体何の役に立つって言うのよッ!!」


 望んだ【能力】と実際のものとの差異に母親が怒りを露にするまでに、それほど時間はかからなかった。

 怒って、そして再び暴力に訴える。

 なまじソラトが暴力によって能力の獲得に成功してしまっていただけに歯止めが効かなくなっていた。なにしろソラトに対して暴力を振るうその行為に、ソラトの能力を成長させると言う大義名分と、それが正しいと信ずるだけの根拠がついてしまったのである。


 あるいは、ソラトの母はソラトにさらなる能力をめざめさせようとしていたのかもしれない。


 【能力】は一人につき一系統しか発現しない。一つの能力に目覚めた人間は、その能力を成長・発展させることはあっても別の能力に目覚めることは決してない。それはソラトの世界において誰もが知っている常識であり、例外など一度も起きたことの無い絶対のルールだったのだが、このときの母はそのルールすらも見失ってしまっていた。

 それほどまでに、このときの母は自分がなした偉業と、そこから感じられる可能性というものに酔っていた。

 それほどまでに自分を見失っていた。


 対するこの当時のソラトには、母のそんな狂気に抗うすべはない。

 彼の発現した【千里眼】には直接的な暴力から身を力などなかったし、それどころかこの時のソラトは母の行為に対して疑問すら持っていなかった。


 ただし、それはあくまでこの時までの話である。


 ところで、現実の暴力に対しては全くもって無力だった【千里眼】だが、しかし【能力】が全くこの状況に影響を与えなかったのかと問われれば、実はそうでもなかった。

 自分しか見えない【千里眼】。当時まだその制御もうまくいっておらず、突然脳裏に映る第二の視点を持て余していたソラトだったが、しかし時折脳裏に映るその光景の中に、彼にとって無視しえない光景があった。

 一人の女が、同年代と思しき子供に暴力を振るう姿。

 誰だか知らない子供が蹲る背中に、誰だか知らない女が遠慮容赦のない蹴りをくれている。最初にその光景を見た時に、ソラトが抱いたのはそんな程度の印象だった。

 当然、最初は『おいおい、やめてやれよ』とそう思った。蹲る少年に心の底から同情し、いったいこの二人は誰なのだろうと本気で思った。


 よくよく見れば自分だった。

 蹲る子供は変わり果てた姿の自分自身で、暴力を振るうのは見たこともない顔をした母だった。


 気付いて、そして一気にさめた。

 冷えるように冷め、それと同時に目が覚めた。


 自分しか見れない【千里眼】という能力は、たしかに能力としては決して優秀なものではなかったけれど、しかし自分の姿を文字通りの意味で【客観視】できるこの能力は、常人の視点以上にその持主に現状を正しく突きつける。


 厳しい目つきで、しかし口元に隠しきれない笑みすら浮かべてソラトを打ちのめす母の姿をしかと見せつけ、傷と痣にまみれて、変わり果ててしまった自分の姿をソラト自身に自覚させる。

 そして自覚してしまったら、もうソラトは従順な子供には戻れない。


 結局、ソラトはその日のうちに、母が寝ている隙に家を抜け出し、自分で警察に足を運んで保護された。

 まるで他人の助けでも求めるような口調で、ソラトは自分の母を警察へと突き出した。


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