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31:Room of an end

 それの存在を察知できても、誰もすぐにはその場を動けなかった。

 【剣角竜】の襲来は昨日から何度となく行われていたが、ここまで近づかれる前にいつもソラトの察知で部屋の中へと逃げ込めていたのだから無理もない。

 地響きを立ててこちらへと向かってくるその巨体はさながらダンプカーのようでいて、しかし無機物のそれと違いみなぎる怒りとエネルギーゆえの迫力がある。

 そして、そんな【剣角竜】の姿に動きを止めていたのは何も勝一郎達だけではない。勝一郎達を襲い、分断していた【群盗竜】たちもまた、その場で全員が襲来する【剣角竜】を呆然と見つめ、唖然として立ち尽くしてしまっていた。

 どちらの行為も、この場ではとるべきではない最悪の愚行。

 故に双方が己のなすべきことに気付いたその時から、それぞれの行動が始まる。


「――ッ!!」


 呆然とする状態から我に返り、勝一郎はすぐさまこの場でどうするかを頭の中で選択する。

 最優先するべきは全員のこの場での身の安全。ロイドが打ち上げた光球はいまだ周囲をしっかりと照らしていて肉眼でも周囲が確認できる。

 ならば、今勝一郎がとるべき選択は逃げ込みの一択。その場合【開扉の獅子】による潜伏があの竜にばれてしまうことにはなるが、そもそもあの生き物に勝一郎の部屋の詳細が理解できるとも思えない。

 ならば勝一郎のとるべき行動は、他の四人を回収して素早く崖面に駆け寄り、扉を作って部屋の中へと全員を逃がすことになる訳だが、それをすぐにできるような状態でなかったのが先ほどまでの状況だ。


(こいつらをどうする――?)


 勝一郎が視線を走らせた先で、その視線に気付いたのか【群盗竜】が我に返ったように勝一郎の方へと意識を戻す。

 呆然自失としていたのならばその隙を突ければよかったとその時になって気付いたが、今になって気付いてもすでに後の祭りだった。

 勝一郎達を襲い、その隊列を分断して見せた【群盗竜】の存在。それを遥かに超える危機が迫る中で、しかしこの【群盗竜】こそが現状最悪の足枷だった。

 果たしてこの生き物が目の前にいて、【剣角竜】から逃げるためとは言えそれに背を向けるようなまねをするのは大丈夫なのか。

 なりふり構わず逃げようと背を向けた途端に、その背をこの【群盗竜】に狙われることは本当にないのか。

 冷静に考えるならば、相手だとて【剣角竜】の存在は脅威なのだから、この期に及んで襲ってくるということもなかったはずなのだが、先ほどまで交戦状態だっただけにそんな思考が勝一郎達の動きを縛る。

 実際相手も相手で同じ考えに至ってしまったのだろう。槍を突きつけ、飛び掛かれる態勢をとったまま、勝一郎と【群盗竜】達はこんな状況でわずかながらも膠着状態へと陥ってしまった。


 そんな状態の勝一郎達を現実へと復帰させたのは、やはりというべきかソラトの焦りを帯びた声だった。


「崖だッ!!」


「――な、え?」


「そっちの崖の方へ逃げろ早く――!!」


 自身も勝一郎達から離れるように対岸の崖に向かってヒオリの手を引き逃げながら、ソラトは反対の手で勝一郎達に全く逆の進行方向を指し示す。

 闇雲に逃げようとしていた思考を強引に修正し、勝一郎は示された通りにソラトたちとは反対側の崖の方向へと走り出す。

 そんなソラトの動きに触発されたのか、ようやく【群盗竜】達も獲物を諦め撤退しはじめ、両側の岩壁へと逃げた勝一郎達とは対照的に竹林がある峡谷の入り口方向へと一目散に逃げ始めた。


「いや、ってかショウイチロウッ、これじゃあのガキたちと余計に分断されちまうぞ――」


「――いや、今はこれしかない。なにも言わずにとにかく走れ!!」

 慌てたように叫ぶロイドにそう言い返し、勝一郎はロイドとランレイを連れて壁面までの距離を必死の思いで走る。

 とにかく今は躊躇している時間はない。初期の対応が遅れた影響で闘争が遅れ、すでに【剣角竜】はすでに間近にまで迫っている。


「ブルォオオアアアアアアッッッ!!」


 地響き。そして大声量の咆哮が夜の谷間を反響する。

 急ぎ退避し、地面へと倒れ込んだ勝一郎のその背後を、迫っていた【剣角竜】が通り過ぎて駆け抜ける。

 狙いはその先の前方。剣角竜へと背を向け逃げる【群盗竜】の群れだった。


「――!!」


 それを横目に見て、改めて勝一郎はソラトが崖の方へ走れと言った理由を理解できた。

 走り来る【剣角竜】に対して、勝一郎達と【群盗竜】の群れは三つに分かれる形でバラバラに逃げた訳だが、勝一郎達のグループが【剣角竜】に対して左右に分かれて広がるように逃げたのに対して、【群盗竜】達はとにかく距離をとろうと真っ直ぐ進行方向上に逃げてしまっていたのである。

 結果、【剣角竜】は己の突撃状態から最も狙いやすい【群盗竜】へと突撃し、そして双方のスピードを比べた際、体格が大きく歩幅も大きい【剣角竜】の方が足は速い。


「ギャン――!!」


 最初に犠牲となったのは、六匹の群れのうち一番後ろを走っていた一匹だった。

 右背後から脇腹を鼻先の角で一突き。たったそれだけの、巨大な頭を動かしただけのようなそんな動きで、先ほどまで勝一郎達を追い詰めていた狼型恐竜は血と臓物をまき散らし、夜の谷間を高々と舞ってそののち地面へと墜落する。

 凄惨な光景に息をのむ暇もない。続けて剣角竜はひときわ大きな地響きを響かせて大地を蹴ると、その二本の前足で手前にいた二匹の【剣角竜】を同時に踏みつぶした。


「――う、わ……」


 ショッキングな光景は、しかし離れて見ている勝一郎達よりも間近で晒される【群盗竜】たちの方が受ける衝撃は大きい。残る三匹のうち、二匹はそのまま走り続けていたが、一匹はすくみ上ったのかその場で足を止め、ただ茫然と目の前の巨体を見つめる愚挙を侵してしまった。

 当然、そんな相手に対して遠慮するような神経を【剣角竜】は持ち合わせていない。

 額の二本角のうち右側の角をぶつけるように振るって瞬く間にその一匹を薙ぎ払い。派手なホームランで【群盗竜】の体を崖面にぶつけて肉塊へと変貌させる。

 残るは二匹。どうやらその二匹は多少は知恵もまわったらしく、固まっていてはやられると悟ったのか、左右に広がるように逃走経路を微妙に変更させてどうにか逃げ切りを図っていた。

 だが、そんな些細な抵抗などで、この竜の巨体は止まらない。

 別れた二匹のちょうど中央。ちょうどその位置を狙うようにして、【剣客竜】がその巨体に似合わぬ速度で駆け抜ける。

 たったそれだけで左右に分かれた二匹は等しく前進を切り刻まれていた。

 【剣客竜】の胴体部。頭部の角とはまた別に伸びた、まるでヤマアラシのような全身の棘が追い抜きざまにその両側を抉り裂き、棘の軌道上にいた【群盗竜】の全身をなますに切り刻んだのだ。

 当然そんな状態で息などあろうはずもなく。ほんのわずかな時間のうちに、あれほどの脅威だった【群盗竜】の群れはあっさりと壊滅させられた。


「……ヤバい。あの生き物、本格的にヤバい……!!」


 目の前で起きた凄惨な蹂躙劇に、勝一郎は戦慄しながらこの現状への対処法を探る。

 こうなった以上、もはや残る四人を回収し一刻も早く部屋の中へと逃げ込まねばならない。崖面へと後退り、できるだけこちらの存在を思い出させぬように手ごろな面に触って、勝一郎はすぐさま気を流して扉を作る。

 強い気の感覚にロイドとランレイが我に返り、彼らが振り向く中で後はソラトとヒオリをどうにかして呼び戻さねばと、そんなことを考えながらガチャリと扉を開いて。


「ブロロ……!!」


 まるでその音に反応したように、ゆっくりと速度を落とし、立ち止まっていた【剣客竜】がこちらを振り向いた。


「なッ――!!」


 素早い、もう一組いたのを思い出したと言うよりも、なにかを感知して振り向いたとでも言うようなそんな動き。

 一体なぜと、そんな疑問を胸に抱いて、直後に勝一郎はその理由に思い当たる。


(あの、首周りの角……)


 トリケラトプスのそれによく似た、フリルと呼ばれる首周りの謎の部位。トリケラトプスのそれが威嚇に用いられるものと言われているのは知っていたが、しかしトリケラトプスのものと違い若干ながら稼働するらしいそれを小刻みに動かす【剣角竜】の動きが、このときふと勝一郎には別のものに似て見えた。

 たとえばウサギ、いや、この際もっと身近な犬猫などが、周囲を探る際に耳を動かしているような、そんな動きに似ているような。


「――まさか」


 思わず口にした声に反応するように、【剣客竜】がフリルを動かしながら己の体の向きを後ろへと変える。

 勝一郎にはそのフリルの動きが、まるで集音器の役割を果たす耳介の動きのように見えていた。


(――まさかこいつ、音で周囲の生物を探ってるのか!?)


 だとしたらまずいと、勝一郎は改めて周囲の環境に戦慄する。

 この場は音が反響しやすい崖に囲まれた峡谷だ。これまでだとて決して音に注意を払っていたわけではなかったが、しかし取り立てて大きな音を発していたという訳でもなかった。

 だというのに、この竜はこちらの動きを的確に察知して、こうして襲撃をかけてきている。

 今回襲撃に来るのがやけに早かったのも、ロイドが光を打ち上げる前のどこかの段階で、足音か何かで勝一郎たちの存在に気付いていたからだろう。

 だとしたら。この峡谷を通り過ぎようとする限り、【剣客竜】の襲撃は免れない。

 どんな些細な音でもいずれは聞き取られ、この竜の襲撃を受けてしまう。


「来る……、来やがるぞ、ショウイチロウ……!!」


「部屋に入るのよ早く――!!」


 ランレイの言葉に慌てて踵を返し、勝一郎は今しがた作ったばかりの部屋へと二人を押し込み入り込む。

 扉をくぐって白い部屋の中へと入り込んで一瞬安心しかけた勝一郎だったが、しかし直後に背後から迫るプレッシャーを感じてすぐさまそれではまだ終わっていないことに気が付いた。

 同時に、勝一郎の前で別の理由で振り返ったロイドが、慌てた様子で勝一郎のいる扉の方へと飛んでくる。


「――ッ、なにやってんだショウイチロウ、早く扉を閉め――!!」


「駄目だロイドッ、扉から離れろ――!!」


 開きっぱなしの扉を慌てて閉めようと駆け寄るロイドに対し、勝一郎は慌ててそれに飛びつくと、すぐさま扉の前から逸れるように己の身を投げ出した。

 直後、地響きのような音と共に扉の外から大量の棘が部屋へと入り込み、先ほどまで勝一郎たちがいた空間を諸共串刺しにする。


「――グ、うわ……!!」


 間一髪、勝一郎に引き倒されたことで、ロイドは棘によって全身を刺し貫かれる事態を免れた。

 だが迂闊に扉を閉めようとしていたら危なかった。間に合わなければそのままこの棘によって串刺しにされていたし、間にあったら間に合ったで扉を閉じた面がただの土の壁面へ戻り、そこを棘に抉られて三人がまとめて外に放り出されていた。


「無事!? ショウイチロウ、ロイド――!?」


「ああ、二人ともなんとか――、うおぉッ!?」


 棘の向うに避けていたランレイの声にそう答えると、直後に再び地響きのような音が室外から響いて、扉から突き出していた棘が一瞬外へと出て、再び部屋の中へと突き込まれる。

 どうやら勝一郎たちの声を聴いて部屋の中へと追撃をかけたつもりらしい。ひょっとすると勝一郎の作った部屋を他の生き物の巣穴か何かと勘違いしているのかもしれない。幸い、どんな衝撃が襲おうと扉を開けている限り破壊不能の部屋はびくともしなかったが、外で崖面を襲っているだろう衝撃が音として室内まで聞こえてくる。


「――く、このぉッ!!」


 繰り返し棘を部屋の中へ落とし込む【剣客竜】に対し、ランレイは弓に矢をつがえてその棘の向うの体に狙いをつける。再び棘が部屋の中へと押し込まれた瞬間を狙い、棘より長い射程の矢がまさに一矢報いるべく放たれる。

 だが。


「あいつ、弾きやがった――!!」


 やはり動く棘の隙間を掻い潜るのは至難の業だったというべきか。放たれた矢は室内を抉ろうと動く棘にあっさりと叩き落され、その向こうにある皮膚へも届かなかった。どうやらこの棘は見た目通り相当な強度があるらしい。


(いや、そもそもコイツ、どうやって攻撃したらいいんだ――!?)


 矢を弾き飛ばす棘の動きを目の当たりにして、ふと勝一郎はそんな致命的な事実に気が付いた。

 この竜の棘はそうとうに長い。流石に勝一郎の槍と同程度とまでは言わないものの、それでも下手な剣と比べても遜色のない長さだ。

そんな棘の生えた体、下手に武器で斬りかかろうとすればどうなるか。逆に棘によって斬りつけられ、刺し貫かれる可能性はそうとうに高く思える。唯一刺が生えていない場所として頭部と体の下があるが、体の真下は踏みつぶされる危険が高すぎてまず論外。頭部は鼻先と額に計三本の角がある。下手にそちらに近づけばそれこそ角で突かれて返り討ちに合いかねない。


 攻撃できる箇所がない。村の戦士達が犠牲を出してなお打倒し得なかったと言うのも頷ける。武術で戦うこの世界の戦士たちにとって、この相手は最悪と言っていい相手だった。


(どうすりゃいいんだこんな奴……!! 攻撃するだけでも危険を伴うって言うのに、致命傷まで与えることなんてできるのかよ……!!)


 しかもただ攻撃を当てればいいという話ではない。殺そうと思うなら、否、たとえ殺さずに追い返すだけにしても、勝一郎達は必然的に相手に対して一定以上の傷を負わせなければいけない。たとえ攻撃できたとしても動くのにまるで支障がないような掠り傷を負わせただけではほとんど意味がないのだ。たとえ致命傷まではいかなくとも、一定以上の重傷を与える必要がある訳だが、そもそも大型と言う時点でそれは相当に難しい問題になって来る。

 体の大きさが違うということは、それはすなわち与えなければいけない傷の深さも違うということだ。人間が相手ならば骨まで断てるような一撃でも、ここまで巨大な相手ともなると肉を裂くだけでも至難の業だ。

 体が大きいというのはそれだけでも圧倒的な耐久力を体の主へと与えるアドバンテージなのである。


「は、はは……、おい見ろよ、諦めやがったぜ」


 どうにもならないと敵の巨大さに頭を抱える勝一郎をよそに、扉から入り込んでいた棘が外へと退いて、安堵したロイドが顔を引き攣らせてそんな笑みをこぼす。

 だが部屋から棘が引き抜かれ、足音が部屋の前から離れていく音が聞こえてくると、直前に生まれかけた安堵の空気はすぐさま新たな危機感へととってかわられた。


「おい、あいつどこ行くんだ?」


 笑みを消し、どうやら勝一郎と同じくそれに気付いたらしきロイドがそう問いかける。

 答えなど返すまでもない。この場で勝一郎たちが抱いた危機感は、三人の間でたがい用もなく共有されている。


「ショウイチロウ、あいつソラトとヒオリのところに向かうつもりよ!!」


 ランレイの言葉に、慌てて勝一郎は気功術を発動させ、外の状況に注意しながら扉の前へと走り寄る。

 だが外に広がっていたのは一面の闇。どうやらロイドが先程打ち上げた光球はすでに時間切れで消滅してしまったらしい。勝一郎も気功術で多少の暗視能力を発揮できるが、しかしそれで見渡すことができるのはせいぜい足元程度。この闇のなかではソラト達を探すことはおろか【剣角竜】の位置を探ることも難しい。


「っ、ロイド、俺が出ていって少ししたらもう一度明かりを打ち上げてくれ。そのあとはまた部屋の中に逃げ込んで待機だ」


「明かり兼囮ってことだろ、わぁったよ」


 それだけロイドにたのみ、勝一郎は二人の救援に向かうべく闇の中へと走り出す。【剣角竜】のいるだろう、地響きのする方向を迂回するように移動して、明かりがうち上がったあと、【剣角竜】の注意が向くだろう方向からまずは全力で移動する。

 音だけで相手の位置を把握しては知るのは神経を使ったが、しかしそんな時間もそれほど長くは続かなかった。

 再びロイドの明かりが打ちあがり、峡谷の底をまばゆい光が照らして周囲の光景が露わになる。


(頼むから気付いてくれるなよ……!!)


 足音で探知される可能性を考えて、勝一郎は自身が【剣角竜】の死角になる位置にいることを確認して一度足を止める。

 とは言え剣角竜もいきなり打ち上げられた光球の方が興味の対象としては優っていたのか、そちらへと視線を向けて峡谷の中ほどで足を止めていた。


(後はどうやってあいつより先にソラトたちを見つけるかだが……)


 できるだけ足音を立てないように走りながら、勝一郎はどうにか【剣客竜】を出し抜く方法を考える。

 体格の関係上、【剣客竜】の移動速度は気功術を使用した勝一郎よりも早い。動きはそれほど速くはないが、やはりと言うべきか歩幅が圧倒的に違うのだ。それでいて重量もあるというのだから、大きいというのはそれだけでも十分に凶器である。

 願わくばもうしばらく足を止めていてくれと願う勝一郎だったが、しかし願い虚しく【剣客竜】は光を脅威にならないと判断したのか、直前まで向かおうとしていた向こう側の崖の方へと視線を戻して。


 直後に一本の矢が後ろ足へと突き刺さってその足を強引に押しとどめた。


 巨体故に、刺さった矢の傷はそれほど深くない。だが流石にそれなりの痛みは覚えたのか、【剣客竜】は憎々しげな唸り声をあげてその巨体を背後の崖面、その下にいるランレイへと向けなおす。


(――今だ!!)


 その瞬間をチャンスととらえ、勝一郎は気功術を全開で行使してひたすら崖面へと走り出す。

 先ほどまでソラトたちの位置を知る方法も考えていたが、しかしよく考えてみればそんなものはそもそも必要ない。ソラトの能力を考えれば、彼らの方が勝一郎を見つけて合流しようと近づいてくるはずなのだ。

 ならば、今勝一郎がするべきは一刻も早く崖までたどり着くこと。

 今も【剣客竜】の気を引いてくれているランレイの行為に報いるために。


 一矢、再び放たれたランレイの矢が、今度は角か何かにあたったのか硬質な音を立てるのが耳へと届く。

 剣角竜も無視できないと悟ったのか再び元の崖面へと角先を向けてそちらの方角へと地響きとともに走って行く。

 好都合な展開だった。後は適当なタイミングで部屋へと逃げ込み立てこもり、決して壊れぬ部屋の中で剣角竜が諦めるのを待てばいい。

 続けざまに放たれる第三矢。そして第四矢、五矢、六矢、七矢……。


(――あれ?)


 耳に届く屋の音に、流石におかしさを感じて勝一郎は走りながらも振り返る。

 もはや完全に矛先はランレイたちに向かっているのに、なぜまだ部屋へ入ろうとせずにまだ矢を討ち続けているのか。いくらなんでもそろそろ逃げなければ危険なのではと、その疑問が頭をよぎり、まさかと言う危機感が勝一郎の背筋を震わせて。


 直後に【剣客竜】が崖面目がけ、二度目となる全身の体当たりをぶちかました。


 直前まで聞こえていた第八矢の音を掻き消す轟音で。


「ランレェェェェイッッッ!!」


 逃げてくれるだろうと、まるで疑っていなかったが故に衝撃も大きく、思わず勝一郎は驚きに叫ぶと言う愚行を犯す。

 当然そんな行動を聴覚に優れた竜が聞き逃してくれるはずもなく、唸り声と共に【剣角竜】がその角先を勝一郎へと向け直した。


「――ッ!!」


 慌てて口をつぐむがもう遅い。こちらへと向かって走り出す【剣角竜】を見て、慌てて勝一郎もきびすを返し、崖の方向へと向かって走り出す。

 だが単純に速度を比べてしまったら【剣角竜】と勝一郎では圧倒的に【剣角竜】に軍配が上がってしまう。

 ならばどうするか。足りない速度の分を、他のなにかで無理矢理にでも埋めるしかない。


「セ、セットッ――、【開扉の獅子(ドアノッカー)】」


 全力疾走で駆け抜けながら、勝一郎は自身が走る地面を作りうる最大サイズの扉に変える。

 さらに体内で気を練って右手の甲の輪を噛む獅子の印に込めると、扉の上を走り抜けると同時に足を止め、迫る剣角竜を迎え撃つべく身構える。


「振り抜け(スイング)――」


 叩き込むのは、先日【岩怠竜】をも退けた扉を使った全力の打撃。


「【開扉槌(ドアハンマー)】――!!」


 勝一郎の気に命じられ、地面に作られた扉が強烈な打撃力を伴って起き上がる。ダンプカーにも匹敵する巨体へめがけ一枚の巨大な金属扉が、それに真っ向からぶつかり、迎え撃つ。


(――ぐ、ぅう――!!)


 谷間に響く轟音。思わず耳を塞ぎたくなる、そんな音と共に【剣角竜】の巨大な前足が浮き上がり、一歩、二歩と後ずさりをして、そしてそれだけで【剣角竜】は勝一郎の最大威力に耐えきった。


「バッ――」


 そんな馬鹿な、と、反射的に勝一郎は心のなかでそう思う。

 【開扉槌】が巨大な敵に対して効果が薄いのは知っていた。だからこそ、勝一郎は【岩怠竜】との戦闘に際して扉の作成と開扉を二行程に分けることで、開扉の力を最大の威力で相手にぶつける手法を編み出したのだ。

 だからこそ、まさかそんな一撃を録なダメージもなく受けきられるとは思っても見なかった。ましてや今の一撃は【岩怠竜】にぶつけたときよりさらに威力をあげている。相手の勢いによってはノックアウトもできるかもしれないと、そんな甘い見積もりすら抱いていたのだ。

 だが現実には【剣角竜】は小揺るぎもせずにそこにいる。どうやら倒れはしなかったもののそれ相応に痛みは感じたのか、頭を降るって額の角を扉へとぶつけ、衝突して直立していた扉を勝一郎のいる方へと閉じ倒した。


「――ッ、ヤバイ!!」


 落ちてくる扉に慌ててきびすを返し、勝一郎は再びソラト達がいるだろう崖へと向かって走り出す。

 閉じる扉が巻き起こした風圧に背中を押され、再び聞こえだした特大の足音に危機感を刺激されて悲鳴をあげる。


「――グ、の野郎ッ」


 再び足元に扉を作り、相手への足止めもかねて次々と開いて、勝一郎は連続で剣角竜へと扉の打撃を浴びせかける。

 正面から打ち込む【開扉槌】のみならず、所々で下から顎を撃ち抜くように【開扉昇打(ドアアッパー)】繰り出してなんとか剣角竜を足止め、願わくば倒してしまおうと扉の打撃を連続させる。

 だが届かない。どれだけ扉を叩き込んでも、その巨体は平然と扉を跳ね返し、踏み潰し、地面をもとの形へと戻しながら勝一郎の後を追ってくる。

 背中に感じるプレッシャーがどんどん大きくなり、足止めすらもほとんど効果を発揮しないといやと言うほど思い知らされて、


「兄ちゃん――!!」


 ちょうどその時、勝一郎たちと合流するべく、崖にそって走ってきてくれていたソラトの姿を発見した。


「ここだ、早く――!!」


 肩で息をするヒオリの手を引いて、崖面のちょうど平らになった部分を指し示してソラトは走る勝一郎を出迎える。

 背後の巨竜はもはや間近。一刻の猶予もない状況で勝一郎は足元の地面へと渾身の気を叩き込み、


「開けェェェェッッッ!!」


 足裏で開く扉の勢いにのって一気に加速、ソラトが指し示す壁へと飛び付いてすぐさまそこに逃げ込めるだけの部屋を作った。


「姉ちゃん早く――!!」


 ソラトとヒオリがすぐさま飛び込み、直後に谷間に巨大な質量がぶつかる音がする。

 重量過多、武装過多な圧倒的な強敵を前に、勝一郎達弱者は尻尾を巻いて、どうにか部屋の中へと逃げ込んだ。








 間一髪。ロイドに引きずり込まれ、放り出されるように扉から離されて、ランレイはどうにか部屋の中へと退避していた。

 真っ白な床の上に転がり、手にした弓を胸に抱き締めて天井を見つめていると、そばに倒れていたロイドがこちらをにらみながら起き上がる。


「……お前、なに考えてんだよ」


 低い声で、唸るような口調で、そして問いかけと言うよりも責めるような視線で、転がるランレイに対してロイドがそう言葉をかける。

 何を考えていたのかと問われれば、最初にランレイが考えていたのはただの陽動だった。

 ソラトとヒオリの元へと向かっているだろう剣角竜を自分達の元へと引き付け、適当なところで部屋へと隠れて、その間に勝一郎が二人を救出する。ロイドや勝一郎がそう読み取ったように、最初はランレイもそんな意図のもと第一矢を【剣角竜】へと放っていた。

 第二矢も同様だ。今度は剣角竜も無視できないように、首の回りのフリルを掠めるようにと、あくまで注意を引くべく矢を放った。

 だが第三矢放つとなった時、浮かんだ考えで欲が出た。こちらを向いて突っ込んでくる【剣客竜】を見て、今ならば棘に守られていない顔を狙えると気付いてしまったのだ。

 とは言え、ランレイとて顔を狙えば仕留められるなどと己惚れていたわけではない。いくら棘に守られていないと言っても、巨竜の鱗は難く、その肉は分厚いのだ。まともに矢で狙っただけでは、流石に致命傷は狙えないことくらいわかっていた。

 だから狙ったのは、最も無防備な眼球。

 どんな生き物でも共通して脆いその場所ならば、たとえ命を奪えなくても相応の損害を相手に与えることができる。ひょっとすると目を狙われた段階でこちらの存在を危険と思い、逃げ出す可能性すらあるとそんなことすら考えていた。

 だが、実際に狙っていた矢は眼球には届かず、額から生えた角によってあっさりと叩き落された。

 【剣角竜】が狙って叩き落としたというわけではない。ランレイが突進によって激しく動く【剣角竜】の眼球を狙いきれなかったのだ。

 そしてそれは、続く第四矢、第五矢でも結果は同じ。

 ランレイとて、弓の腕にはそれなりに自信があった。

 訓練した期間は短かったとはいえ、その命中率は非常に高い物だったし、それゆえどんなに難しい的であっても必ずや撃ち抜くつもりだった。

 だが、動き回る角の動きを掻い潜り、その向こうの眼球を狙うことは結局できなかった。

 近づいて来れば狙いやすいはずと思い放った第六の矢は今度は鼻先の角によって弾かれ、祈るような気持ちで放った第七の矢は目の僅か下に当たったものの、角度が悪く硬い鱗に傷を負わすことも叶わなかった。

 そして、いよいよ至近距離まで近づかれて、それでも放った第八の矢は、しかし狙いすら逸れて夜空の彼方に跳んでいった。

 隣にいたロイドから罵声を浴びて、無理やり部屋の中へと引きずり込まれたことで、狙いが完全に逸れてしまったのだ。

 だがもはや、ランレイにロイドを責められるような気力はもはやない。


「自分なら、なんとかできるとか思ってたのかよ」


「……」


「それとも、自分が何とかしなくちゃとでも思ってたのか……?」


「……」


 投げかけられるロイドの言葉に、しかしランレイは何の答えも返せない。

 自分の力不足など百も承知のはずだった。一流の戦士たちと同じ働きができるなどとは夢にも思っていなかった。

 だがしかし、ここまで何もできないなどとも、やっぱり思っていなかったのだ。

 自分の努力は、それでもなにがしかの助けにはなるはずだと信じてきていた。


「馬鹿野郎が……」


 すぐそばで、こちらを見るロイドの顔が険しく歪む。


「お前なんかに……、俺達なんかにッ、あんなのがどうにかできるわけねぇだろうが……!!」


「――ッ!!」


 一方的な物言いにも、それでもランレイは何も言い返せなかった。

 反論しなくてはならないとそう思う。否定しなければいけないとそう思っている。なのに、口から出てきたのはそれとは全く逆の言葉だった。


「――知ってるわよ、そんなこと……!!」


 熱を持つ目をきつくつぶり、ランレイは目に映る全ての景色を拒絶する。






 その日、勝一郎たち一行はたった一匹の竜に完全なる敗北を遂げることとなった。

 結果だけを見れば、死者は出ておらず、それどころか怪我をした者もいなかったわけだが、それでもこの日、勝一郎達は決定的な何かを失った。


おまけの用語解説


群盗竜(ぐんとうりゅう)

 大きさは狼程度の四足恐竜。姿形も狼に近く、オオカミを爬虫類化したような姿で、似たような生き物を知っていると結構気持ち悪い生き物。

 群れで生活する肉食竜だが、その生態はむしろ狼と言うよりもハイエナのイメージに近く、他の生き物の獲物の横取りはもちろん、子供や卵などを積極的に狙って餌とすることが多い。

 群盗竜と言う名前もその際の手口から付いた名前で、何匹かが相手の気を引いている間に獲物や卵、子供をかっさらうというような手口はこの生き物の常套手段である。

 ただし全く自分で狩りをしないというわけではなく、自分たちで獲物を仕留められそうな場合はきっちり自分達で狩りをする。とは言え、この世界の生き物は草食でもこの生き物より大きく強い生き物と言うのが結構ざらにいるため、狙う生き物は必然的に自分より小さいか、幼い子供となってきて、上記のような生態の生き物に仕上がったと言う事情もある。卑怯と言うなかれ。彼らとて生きるために必死なのだ。


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