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30:Invade a Room.

 勝一郎達が竹林を抜けたのは、次の日の昼頃のことだった。

 以前から存在のみをソラトから伝え聞いていた渓谷、その入り口を前にして、勝一郎達はひとまずそこで昼食をとる。


「それで、ソラト。この先の様子って言うのは大体どうなってるんだ?」


 肉を頬張りつつ、同じように食事をするソラトに対して勝一郎はそう問いかける。ソラトは特に能力に集中しているようには見えなかったが、しかし彼が何気ない、普段通りの振る舞いの中でも平然と能力を使えることはこれまでの行動の中でわかっていた。


「とりあえず、この先はしばらく広い渓谷が続いてる。少し行ったところで二股に分かれてて……、と言うよりも、少し行ったところにこっちと南からの、二股に分かれた渓谷と合流してる地点があって、そこから先ほとんど一本道になってるみたいだ。こっちに水は流れてないけど南からのルートとその先小さな川が流れてる」


「生き物はどうだ? ヤバそうな竜はいそうか?」


「……どうだろう。今のところそれらしい姿は見当たらないけど、俺の千里眼には客観視の制限があるからね。生き物の姿がはっきり確認できるほど近い視点では見られないし、渓谷そのものが曲がりくねってて死角も多いんだ」


「ってことは、実際に遭遇するまではどんなのが出てくるかわからないってことか」


「まあ、そうなるね」


 肩を竦めるソラトに、勝一郎はまあそれも仕方がないと割り切ることにする。そもそも今までだって森の木々のおかげで万全の索敵ができていたとは言い難いのだ。むしろここから先の道程は、今までよりも事前察知ができる分状況は良くなったと言えるだろう。

 もしも、勝一郎達の側で悪くなったと言えるものが有るとしたら、それはもっと別の部分だ。


「待った」


「どうしたの、ソラ君?」


「今この先で一匹見つけた」


 事実、その後ソラトはそれほど時間をおかずにその敵の存在を発見して見せた。

 全員の間に緊張が走り、勝一郎も急いで残っていた食事を口の中に突っ込み、飲み込みながらマントの部屋の中へと荷物を放り込み、いつでも部屋を作れるように谷の岩壁に平らな面を探しておく。


「さっそくお出ましか。どんな奴だ? 距離は?」


「この先に一体。……すごいな。かなり大きいやつだ。けどこっちが狙いって訳じゃないな。向こうの、谷が二股に分かれてるところの先で何かを追いかけてる」


「大型か」


 現在勝一郎たちが進む渓谷は、渓谷といってもかなり広い。崖の間隔は端から端まで学校のグラウンド並みの距離があるし、崖そのものの高さにしてもそこらのマンションにも劣らない、二十メートルはありそうなスケールだった。

崖があるために逃げ場はないが、大型生物が暴れるには困らない、そんないかにも相手にとって有利と言える環境だった。


「その様子だととりあえずこっちに来る様子はないって訳か。んでそいつは一体どんな奴なんだ、ガキ」


「えっと見た目は、さっきも言ったようにかなり大きな四足歩行の竜だ。額の両側に大きな角が二本、鼻に小さいのが一本あるのと、その後ろに大きな、えっとなんていうんだ? 扇状の角? みたいなものが付いてるんだが……」


「それってトリケラトプスのあれみたいなもんか?」


 なんと呼称すればいいか迷うソラトの証言に、勝一郎は知識の中にあるトリケラトプスの姿を漠然と思い浮かべる。

 正確にはフリルと呼ばれる頭の後ろのそれは、トリケラトプスと言う恐竜の最大の、この恐竜の知名度を上げる要因ともなっているわかりやすい特徴だ。

 勝一郎が勝手にそんなものを想像していると、ソラトはその部位を解説するべく勝一郎の想像通りの形を地面に描く。どうやら、ソラトの言う頭の後ろのそれは、勝一郎の想像していた形とそう大差が無いもののようだった。


「……これって」


「あん? どうしたんだよ、ランレイ」


「あと、これが一番危険な点だと思うんだけど、首のその角の後ろあたりから全身に、びっしり長い棘が生えてる」


「棘?」


 なまじトリケラトプスを思い浮かべていただけに、新たに浮かび上がった特徴に勝一郎のイメージが混乱をきたす。

 ひょっとしてトリケラトプスではなくステゴサウルスなのだろうかと、もう一匹メジャーな恐竜の姿を思い浮かべていた勝一郎だったが、ある意味のんきな勝一郎よりもその証言に機敏に反応したのはランレイの方だった。


「待ちなさい。今棘って言ったわね? その棘ってどんな? ひょっとして“体から剣を生やしているような奴”?」


「え、剣?」


 更なる疑問符を浮かべる勝一郎だったが、しかし体から剣と言う表現には依然聞いた話で覚えがあった。


「それって、もしかして【剣角竜(けんかくりゅう)】のことを言ってるのか?」


「おい待てよショウイチロウ。【剣角竜】って確かおまえ……」


 同じ話を聞いて知っていたロイドも、その名前には相応の反応を返してきた。実際知っている人間には、その名はかなり警戒の対象となる名前なのだ。


「なんなんだよ、その【剣角竜】って言うのは?」


 この場でその名を知らぬのは、先日新たに一行に加わったソラトとヒオリの二人のみ。

 そんな二人にランレイは、硬い口調で答えを返す。


「……三年前、うちの村の戦士たちが遠征に出た際に、一匹の竜とかち合って甚大な被害を出したの。何人も怪我人や死者が出て、私が当時装備の面倒を見ていた戦士もその時死んだ」


 以前にも一度聞いたことのある、ランレイが(カタキ)と狙い、弓を向けようとしている相手。

 彼女が村の者達の反対を押し切り、危険な森の中にこっそり踏み入ってまで弓を学ぶ、その理由。


「それが【剣角竜】。村の戦士たちですら仕留めきれなかった、村の戦士たちですら敗北した、文字通りの意味での怪物よ」








 厄介な奴に出くわしたと、そう勝一郎たちが理解するまでに、そう時間はかからなかった。

 谷へ初めて足を踏み入れたその翌日、今度こそはとばかりに出発した勝一郎達は、しかし三十分も進まないうちにソラトの警告によって部屋へと飛び込み。谷の奥から現れる【剣角竜】から隠れてやり過ごす羽目になった。

 【剣角竜】。

 現れたその竜の姿形は、案の定トリケラトプスのそれに形状としては近かった。

 額の両側にある二本角と鼻の先についたサイのような鼻角の計三本の角。そして特徴的な首周りのフリル。ただしフリルはトリケラトプスのイメージと若干違い可動式らしく、遠目の観察で微妙に角度を変えるよう動かしているのが確認された。

 そしてそのフリルの向う側。首の付け根から尻尾に至るまで、びっしりと鋭い棘が、もっと言えば剣のようなものが生えている。その形状は恐竜のそれと言うよりも、どちらかと言えばヤマアラシの棘に性質は近い。

 体長は十メートル前後。以前であった【咬顎竜】と比べてもほぼ同程度と言えるが、体つきの問題を考えると重量はこちらの方が上かも知れない。

 そんな竜が、勝一郎達が移動を始めるとすぐさま反応し、隠れたその場所までやってきて、勝一郎達を探してうろつきまわる。首周りのフリルを開閉させながら暫く居座り、ようやく諦めて谷の奥へと去って行ったころには、すでに隠れてから二時間近くが経過していた。


「だぁぁぁああっ、ったくよぉ!! 昨日からあいつのせいでほとんど進めねえじゃねえか」


「まるでだるまさんが転んだみたいだな」


 思わず呟いたそんな言葉が、今の現状を端的に表していた。

 初めてこのこの竜と遭遇してから、勝一郎達がさせられているのはまさにだるまさんが転んだそのものだ。その存在を感知して勝一郎たちが部屋へと隠れると、遅れてやってきた【剣角竜】が勝一郎達を探して扉の近くをうろつきまわる。ようやく立ち去ったと思って部屋を出て歩き出すと、しかしたいしてかからないうちに再び戻ってきて、勝一郎達は部屋の中へと隠れなければいけなくなる。

 おかげで勝一郎たちはさっぱり前へ進めない。本当にほとんど先に進めないまま、遂には竹林を出てから一晩があっさりと経過してしまった。


「そもそもなんであいつ毎回俺らが動き出すたんびに気付きやがんだよ」


「まあ、例のごとく匂いだろうな」


「だろうね。客観的に見ても、風の流れがもろに谷の奥の方へ向かって流れてたし」


 厄介なのは、ここが両側を絶壁に囲まれた崖の底で、風上以外のところに回り込むということができないという点だった。

 これでは風上から逃れることはおろか、あの巨大な竜を避けて通ることすら難しい。


 男三人が床に座り込んで唸っていると、ランレイとヒオリが準備した食事を持ってくる。

 外を【剣角竜】がうろついている間は何もできないからと用意しに行ったものだったが、どうやら【剣客竜】を見ながらの食事にはならずに済んだようだった。

 安全地帯から自分たちを探す外敵を眺めての食事と考えるなら、それは確かに贅沢なものだったかもしれないが、しかしその贅沢を味わうには勝一郎たちは昨日から煮え湯を飲まされ続けている。ましてやランレイに至ってはあの竜こそが敵と狙った不倶戴天の敵だ。勝一郎など内心、【剣客竜】を退治して先に進むべきと、そう言われはしないかとヒヤヒヤしているくらいである。普通に考えれば危険が大きすぎるのは明白だし、それは誰よりもランレイがわかっているはずとも思っているのだが、やはりこれまでのランレイの努力と執念を見ていると一概にその恐れを捨てきれない。


(まあ、とはいっても、思ってたよりは落ち着いてるみたいだが……)


 最初に【剣角竜】を見た時こそ動揺していたらしきランレイだったが、しかしその後彼女は割と早いうちに落ち着きを取り戻している。少々腑に落ちない部分はあったが、それでも勝一郎としてはありがたい部分ではあった。


「それにしても、この後は本当にどうするんだよ。客観的に見て、俺達の元にある食料の量だったらある程度の持久戦はできるかもしれないけど、このままいつまでもここに釘づけにされるのは流石に不味いと思うぞ」


「えっと、道を変える、とかはできないんでしょうか? この前までの竹林や、森に戻って、そこから別の方に回り道、とか……」


 ソラトとヒオリのそんな言葉に、勝一郎もその選択肢を真剣に検討する。だがその選択肢は選択肢で、やはりそれなりに問題があるものではあるのだ。


「確かにその方法だったら【剣角竜】は避けられるかもしれないけど、どこに行っても竜がいるのはこの世界じゃそう変わらない。森や竹林の中だとどうしても俺の【開扉の獅子】やソラトの【客観視】は使いにくい。こっちのルートは、今のところ【剣角竜】の襲撃は全部感知できているし、隠れる場所にも今のところ困ってないから、安全面ではそれなりに充実してる」


「けどよぉ、それで進めないんじゃ意味がねぇぜ?」


「そうね。いくら食料の備蓄に余裕があると言っても、それはあくまで数日なら狩りをしなくても持つという、それだけの話で、流石にそれを過ぎると狩りをしないわけには行かなくなるわ。ソラト、このあたりって、【剣角竜】意外に生き物がそんなにいなんでしょう?」


「まあね。一度遠くで【剣角竜】が何かを追い回してるっぽいのは見たけど、崖が影になってて相手がどんな生き物だったかは見えなかったよ。でも少なくとも、その時以外に生き物がいた形跡ってなかったから、やっぱり狩りの獲物として探すのは相当に難しいんじゃないかな」


「あの竜他の生き物を追い払ってるのか……」


 よほど縄張り意識が強いのか、どうもあの竜、谷を通る生き物を片っ端から襲い、追い出しているらしい。

 不思議なのはこの谷がそこまでして守る価値のある場所に見えないことだ。谷の底は全くの更地というわけではないもののやはり影になる部分が多いせいか植物もそれほど多くない。見たところあの竜は一応草食のようだが、どう見てもあのサイズの生き物を養えるだけの餌はないはずなのである。


「んで、結局どうするんだ? どっちにしろこのままじゃ先には進めねぇ。迂回できない以上は進むか退くか。どっちを選ぶにしても具体的にどうするかを考える必要がある」


「……一つ、提案があるんだけど」


「何か思い付いたの、ソラ君?」


 ロイドの問いかけに、ソラトが考えた後手をあげて発言する。


「現状進むとしたらあの竜をどうにかやり過ごさなくちゃいけないわけだけど、やり過ごすだけならいくつか方法がある」


「方法、って、どんなのよ?」


「俺たちがすぐに見つかる原因として、さっき風上にいるから臭いを嗅ぎ付けられるんじゃないかって話があっただろ。だったら風向きが変わったところを狙えばあの竜も気づくのが遅れて多少は距離が稼げるはずだ」


「けど、そんなに都合良く風向きなんて変わるか?」


「……いや、一応可能性はあんだろ。例えば夜とかになれば海沿いなんかだと風向きが真逆になる。この辺りもそうかは調べねぇとわかんねぇけど、ためしに今夜風向きを調べて、行けそうだったら行って見るってのも一つの手だろ」


 『どうせあいつに見つかっても部屋ににげこみゃいいんだしよ』と、ロイドはどこか投げやりにそう笑って、それでも一つの解決策を全員に提示する。

 ロイドの物言いは少し気になったが、それでもしばし考え込んだ後、残る三人も頷いて結局その案が採用された。

 最終的には、今晩それを試してみて、その是非によって今後の進退を決めることとなったのだ。







 ほとんど思い付きのような、試してみて成功するならそれでよしというような、そんな、こう言ってはなんだがいい加減な発想で始めたにしては、この夜の行軍と言うのは意外といい手だったかもしれない。

 そう勝一郎が考えたのは、その日の夜、実際に外に出て夜の谷を歩き始めてすぐのことだった。

 部屋を出たその時点で、風向きが変わっているのは確認できた。

 ならばと、ためしに歩き出してみてもう一時間ほど。今のところ【剣角竜】が現れる様子もなく、夜中の行軍は順調に進んでいる。

 考えてみればあの【剣角竜】と言う生き物にしたところで眠る時間と言うのはある訳で、昼に活動していたことを考えればその時間が夜である可能性は低くない。あるいは単純に夜目が効かず、ろくに動けないという可能性も十分にある。

 ならば、夜は確かにチャンスだ。闇の中が不得手と言うのは人間も同じだが、幸い勝一郎達には一応その解決策というものが有る。

 その一つ、【気功術】による視力強化を己の両目に施しながら、勝一郎は背後を進んでいたランレイとソラト、そしてロイドの方へと視線を向けた。

 今回、外に出て歩く四人はそれぞれが闇の中を進むにあたり、何らかの解決策を持っている。ランレイは勝一郎同様気功術で視力を強化すれば闇の中でも多少ものが見えるし、ソラトは肉眼でこそ周囲を捕らえられないものの、能力による視力ならば多少は闇の中でも物が見えるらしく、昼間と同様周辺の警戒に視界を割いている。

 唯一ロイドだけはそうした視力は持っていなかったが、そこは勝一郎が彼の掌に扉を作り、中の部屋から漏れる光を懐中電灯代わりに足元を照らす形で代用させた。

 彼の場合魔術を使えば周囲を照らすことも容易だったのだが、それをやるとあたり一面に光をまき散らすことになり、どうしても派手になりすぎてしまうということで、それは今回最後の手段と相成った。つまりは、何らかの不測の事態が起きた際、ロイドが魔術によって視界を確保する役割を負っているということである。とは言え、それは何かあった際の最後の手段。なにもない内は、勝一郎が作った部屋の明かりを目立たぬように使って行動する手はずになっていた。


 ちなみに、唯一この場にいないヒオリ。彼女の場合は体調のことも相まって今回もロイドのマントの中である。例のごとく自分も何らかの役目を負おうとしていたのだが、やはり例のごとく全員に止められて、仕方なくロイドの背中の部屋から顔を出す形で妥協することとなった。

 幸い部屋から漏れる明かりは彼女の能力で操る羽衣で隠すことができるため、勝一郎達は最低限の光だけで峡谷を歩くことができている。


「ソラト、奴の様子はどうだ?」


「とりあえず、今のところそれらしいものは見えないよ」


「ってか、ほんとに大丈夫なのかよ。この暗さでほんとに見えてんのか?」


「まあ、明るくはないから昼間ほど見えないのはそうなんだけどさ。それでもあの大きさの生き物が動き回ってればさすがに見逃さないよ」


 ソラトのそんな断言に、勝一郎は内心で少し安心して列の先頭を歩き続ける。

 村の戦士の中には夜でも昼と変わらずはっきりとものが見えるという戦士もいたが、勝一郎の気功術と視力ではかろうじて足元が見えるくらいで限界だった。外敵の接近には、恐らく相当に近づかれるまで気づけないと見ていい。

 もっとも、そのおかげで真上の星空はやたらと綺麗に見えていたが。


(……そういえば、星空の一致の問題も結局よくわかってないんだよな)


 以前同じように夜空を見上げた際、気づくことになってしまった星空の一致。

 どう見ても地球では有り得ないこの世界で、しかし地球と同じ星座が見えてしまうというその矛盾の答えを、勝一郎達はいまだに見いだせずに来ていた。

 と言うよりも、最近は特に日々を生きるのに必死で、あまり異世界遭難関係のことについて考えられなくなってきているように思う。

 今だとて、元の世界に帰るためにはレキハの森で世界間転移魔方陣の発生を探した方がいいはずなのに、勝一郎達はそれどころか、村の戦士たちと合流するために森から離れて行っているというありさまだ。

 このままでいいのかと、そんな焦燥が胸の内に確かにある。

 日々を生きるこうしたふとした瞬間に、そんな感覚が唐突に去来する。


(……いや、焦るな。俺)


 頭をよぎりかけた思考を、勝一郎は無理やり頭の中から振り払う。

 今自分たちが考えなければいけないのは、今この瞬間をどう生き延びるかと言う問題だ。

 少なくとも今は、それ以外のことを考えるだけの余裕はない。なにより前に死んだら終わりと、とにかく今はこの谷を突破することを考えようと思い直したちょうどそのとき。


「ん?」


 背後で突然足を止めたソラトに気付き、ふと勝一郎はそちらを振り返った。


「ソラト?」


「ああ、いや。今そこで何かが動いたような気がしてさ」


「ああん?」


 ソラトの言葉に反応しすぐさまそちらに手のひらの部屋明かりを向けようとするロイドを、しかしソラトはとっさに引き留める。

 代わりに勝一郎の方へと視線をやり、


「兄ちゃん、肉眼では何か見えないか?」


 どうやら明かりを向けて、居るかもしれない相手を刺激するのを避けたいらしく、そう問うてきた。

 すぐさま勝一郎も気功術で強化した視線を向け、闇の中を見渡そうと目を凝らす。


 つられてランレイやロイドも目を凝らし、ほぼ全員の視線が一点に集中した、次の瞬間。


「――後ろだ!!」


 この場でただ一人、視点を複数持つソラトがそう叫び、同時に背後からソラトめがけて何かが飛びかかって来た。


「――な!?」


 全員が振り向くなか、狙われたソラト本人だけが、自身を客観視していたゆえにどうにか飛び掛かるそれに反応できた。

 振り向く余計な動きを最初からせず、斜め前へと勢い良く飛び出し、地面へ身を投げ出して飛びかかって来たそれの爪と牙を掻い潜る。


「――ロイド、明かりだ!!」


 続けて反応したのは勝一郎。事前に決めていた対処をすぐさまロイドに要請し、同時に手にしていた槍を構えてソラトの救援に向かおうと走り出す。

 だが。


「左だ兄ちゃんっ、一匹じゃない!!」


 ソラトの声に反射的に反応し、勝一郎は練っていた気をとっさに地面へと叩き込む。

 言われた左側で地面から扉が跳ね上がり、真上にいた何かが頭上めがけて放り出される。


 闇の中、地面に開いた部屋から漏れる光が、見上げた先に相手の姿を照らし出す。


「――狼!?」


 闇の中で目を爛々と輝かせ、四つ足で着地したその生き物の姿に、勝一郎はまず狼を連想する。

 とは言え、やはりこの世界の生物だけあって爬虫類から進化した生き物のようで、体つきこそ狼のそれに酷似していたものの、全身の毛は羽毛のような質感で、顔つきもどこ爬虫類染みていた。


(ひょっとしてこいつら、何日か前に俺達を付けていたって奴らか?)


 以前ソラトが千里眼越しに見かけたという、狼のような竜の目撃情報が頭をよぎる。だが生憎と、その真偽を確かめるような時間は勝一郎には無いようだった。

 目の前の一体に槍を構えようとしたその直前、背後から再び気配が発生し、反射的に飛び退いた勝一郎の肩をかすめて別の個体が現れる。

 すでに現れた相手は、先ほどの一体を含めて計三体。


「――ッ、いったいこいつら、何体いるんだ!?」


「おっさん、早く明かりを打ち上げて」


「やってるッ!! 急かすんじゃねえ焦らされッとこっちもうまく――」


「――ソラ君ッ!!」


 必死に術式を操るロイドの背から悲鳴が上がり、止める間もなくヒオリが部屋の中から外へと飛び出した。

 すでにその服は能力の制御下、弱った体を能力で無理矢理駆動させ、同時にヒオリは身に纏う羽衣を伸ばしてからだごとそれを振り回す。

 後先を考えているとは言いがたい行動だったが、しかしこの場に限ってはその判断が功を奏した。

 今まさにソラトへと飛びかかろうとしていた狼竜が空中で羽衣に絡め取られ、羽衣の力によって勢い良く別の方向へと投げ出される。

 ただし全てが全てうまくいったとは言えなかった。狼竜を投げ飛ばした羽衣が最後の最後で相手を手放し損ね、狼竜の体重と羽衣に引かれてヒオリの体がバランスを奪われ倒れ込む。


「姉ちゃんッ!!」


 一拍遅れて飛び起きたソラトが腰のナイフを引き抜いてヒオリの方へと向かう。

 とはいえ、刃物をもったからと言ってソラトにできることなどたかが知れている。いかに特殊な力を持っているとしても、ソラト自身はこの場では最年少の、何の訓練も受けていない弱い子供でしかない。


「お前ら、明かりだ!!」


 ロイドが明かりを打ち上げるのとほぼ同時に、勝一郎は瞬気功を用いて一気にソラトへと迫る狼竜の一匹へと距離を詰める。突然の光に驚く狼竜へと槍を振るい、ギリギリ届いた穂先が狼竜の胴を真横から引き裂いた。


「ギャンッ!!」


 だが与えた傷は思うより浅い。

 勝一郎の槍はギリギリ狼竜へと届いたが、しかし横から相手の皮を浅く裂くに留まり、致命傷を負わせるには至らなかった。現に勝一郎に斬りつけられた個体は傷を負い、血を流しながらも、憎々しげな眼でこちらを睨み、唸り声を上げている。

 いや、勝一郎達を睨む目は一対どころではない。

 ロイドが打ち上げた光に照らされて明らかになった敵の数は全部で六体。しかもそのうちの四体が勝一郎、ランレイ、ロイドの三人と、ソラトとヒオリの二人を的確に分断しており、勝一郎達がソラトたちへの救援に向かおうとしてもそれを妨害できる体制を整えていた。


「こいつら【群盗竜(ぐんとうりゅう)】よ。てっきりこの谷にはあいつ意外に生き物なんていないと思ってたのに……!!」


「【群盗竜】? ……おいおい、事前に聞いてた印象とだいぶ違うぞ」


 ランレイが口にしたその名前には、勝一郎も実は聞き覚えがあった。村で注意するべき魔獣について習った際、そのうちの一種として挙げられていたのがまさに【群盗竜】だったのである。

 ただ、聞いていた話とこの竜の印象には若干の差異があった。今直面している【群盗竜】はまさしく狼と言った外見と襲い方をしているように思えるが、聞いていた【群盗竜】の生態は獲物の横取りに注意しろと教えられた、どちらかと言えばハイエナのような印象が強い竜だったのである。

 そんな生き物がまさかこちらを直接獲物として狙ってくるとは、少々予想していなかった。


(……いや、考えてみればハイエナだって自分で狩りをするときはあるんだ。体の小さい子供を連れているのを見つけて、それを狙うなんて野生動物じゃ当然だったのに……!!)


 思いながら、目の前でこちらの前に立ちはだかる二体の狼竜改め【群盗竜】の存在に歯噛みする。

 なまじソラトが大人びて、こちらの生存の要となっていたがゆえに、彼が外敵からどう見られる存在であるかを失念していた。野生動物が弱い子供を狙うことなど、今時お茶の間の動物番組でも見ていれば簡単にわかったことの筈なのに。


(――どうする!?)


 まずいことはいろいろとあるが、一番まずいのはソラトとヒオリが勝一郎達から分断されて狙われているという点だ。彼らもナイフと羽衣をそれぞれ構えて応戦の構えを見せているが、ソラト自身は戦闘能力はほとんどないし、ヒオリにしても特殊な能力があるというだけでどこまで戦えるのかは未知数だ。そもそも今のヒオリ自身があまり体力が戻り切っていないという事情もある。

 恐らく【群盗竜】たちは最初から獲物を一人に絞って狙う算段だったのだろう。今にして思えば最初にソラトが見つけた一匹など、もしかしたら他がソラトに襲い掛かるために注意を引く囮役だったのかもしれない。

 この上は少々強引にでもソラトたちと合流しなければと、勝一郎が体内で気を練り上げたその時。


「――しまった」


 不意にヒオリと二人、背中合わせに【群盗竜】へと向かい合っていたソラトが表情を変える。

 いや、それどころではない。驚いたように勝一郎達が進もうとしていた方向へと視線を送り、危機感に満ちた表情でその先を凝視する。


「迂闊だった。こっちに気を取られすぎて……。けど、いくらなんだってこんなに早く……」


「おいガキ、なんだよさっきから。さっきから不吉極まりねぇぞなにがあった」


「生憎だけどロイド。もう見えてきたわ」


 ランレイの言葉に勝一郎も【群盗竜】に意識を指しつつその方向へと視線を向ける。

 とは言え、もはや見なくても何が起きているのかはすぐにわかった。

 視線を向けるその前から、勝一郎達の耳にはその地響きの音がその生き物の猛烈な存在感を存分にアピールしている。


「おいちょっと待て、何だってこんな時に……!!」


 打ち上げた灯りが照らす先で、巨大な竜が地鳴りと共にかけてくる。

 谷への侵入者に目の色を変えて、怒れる【剣角竜】が猛烈な勢いで突撃して来ていた。


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