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29:Available Room

 白い壁の部屋の中を、重苦しい空気が包み込む

 部屋の中央に広げられたロイドのマントを中心に見つめ、部屋に残る三人、勝一郎、ランレイ、そしてソラトがそれぞれ壁際に座りこむ。


 夜になり、ヒオリの熱はいよいよ取り返しのつかないくらいに高くなっていた。

 昨晩とほぼ同じ、否、状況的にはそれよりもさらに悪いと言える状況である。

 そもそもの話、昼間【細角竜】と【岩怠竜】と言う二体の竜に襲われたあの時点で、ヒオリの熱こそ若干下がってはいたものの、決して動き回れるような体調ではなかったはずなのだ。

 だというのに、なにを考えたのか彼女は安静にしていることを拒み、それどころか服を操って無理やり体を動かした挙句、自身の能力と体を使ってランレイとソラトを緊急回避的に竹の幹から吊り上げるという無茶をやらかしたのである。

 当然、そのツケは体に返って来る。

 下がりかけた熱はぶり返し、高熱を出して意識を失ったヒオリは、現在ロイドのマントの中で絶対安静の危険な状態に陥っていた。

 そしてそんなマントの部屋の外。室内を満たす重苦しい沈黙の中、しかしその状況を見かねたのか『とりあえず』とまずランレイが口火を切った。


「事態が落ち着くまではしばらくこの場に止まりましょう。幸い食料には余裕が出てきているし、さっき勝一郎が仕留めた【細角竜】も解体すれば相当な量の肉が取れるから、しばらくは狩りをしなくても食料には困らないわ」


 暗い雰囲気の中、部屋の中に居るソラトと勝一郎に向けて、ランレイは自身の弓を手入れするようにいじりながそう告げる。特に相談もない、少々一方的な決定だったが、どのみち今のこのメンバーが、明日も普段通りに行動できるなどとは思えなかった。

 だからこそ、勝一郎はランレイの相した気遣いに感謝しながらその提案を受け入れる。


「そうだな。【細角竜】はこっちで解体しておくよ。あれだけの大きさなら結構な作業になるだろうし、このあたりなら少し足を止めてもそれほど危険はないだろう」


 ランレイの提案に同意して、勝一郎は視線だけを動かしてこの部屋にいるもう一人、壁に寄り掛かるように座り込むソラトの姿を盗み見る。

 とは言え、その二つの眼以外にも独自の視点を設定して物を見るソラトにとっては、そんな勝一郎たちの態度は見ていなくても見えていたらしい。


「……姉ちゃんの病気ってさ、別にたいしたものじゃないよな」


「え?」


 ソラトの言葉に、ランレイが驚いたような反応を見せる。

 だが今回ばかりはソラトも年相応に堪えていたのだろう。自身を安心させるための言葉が、客観性を欠いた言葉が、今回ばかりは溢れ出して止まらない。


「客観的に見てもさ、あんなの、ただの風邪だろ。熱は高かったけどさ、きつそうでは、あったけど。それでも血を吐いてたわけでもないし、もっとやばい病気の、症状が出てたわけでもないし。だったら、風邪なんて寝てれば少しすりゃ……」


 言っている途中で自身を客観視してしまったのか、ソラトの言葉が尻すぼみに消えていく。強がる笑いも楽観も消えて、再び部屋の中を重苦しい沈黙が支配する。


 もしもこの状況の一番嫌な部分をあがるとするなら、勝一郎達にはこの場で、ランレイのためにできることが何もないという点だ。

 これでもし、何らかの薬が必要でどこかに取りに行く必要がある、などと言う状況ならば、それがどんなに困難な試練だったとしてもいくらか気は楽だっただろう。その途中でどんな危険な生き物に遭遇することになっても、それでもできることがあるだけ、何かすることがあるだけ気分は楽だ。

 だが、現実には勝一郎達にできることは何もない。

 ただロイドのマントの中で眠るヒオリの回復を祈って、看病を請け負ったロイドに全てを託すより他にない。


(なんでだろうな……。この世界に来て、多少はましな人間になったと思ってたのに)


 無力感が全身を満たしていく。この世界に来て、少しはましな人間になれたと思っていた勝一郎だったが、しかしそれは単純に腕っ節を手に入れたというだけで、こういう事態に対してはひたすら無力なままだった。

 いや、その腕っぷしにしたとて、結局のところ勝一郎は村の戦士たちの足元にも及ばない。

 師であるハクレンには結局一度も勝てていないし、単純な技の技量などを比べても、村の戦士たちは年下の者達でさえ勝一郎の遥か先を言っている。【開扉の獅子】と言う変わり種の手札があるがゆえに村では重宝されてきたが、しかしそれをとったら結局勝一郎はただの弱い中途半端な男のままなのだ。


(ああ、畜生。そうだった……)


 いったい何を思い上がっていたのかとそう思いながら。一方で勝一郎は全く逆のことも心に思う。


(それでも……)


 それはあまりに皮肉で残酷な現実。


(それでも、俺は……)







(俺ぁ、いったい何やってんだ)


 目の前で眠る少女の、弱々しい呼吸を聞きながら、ロイドは座り込んだ態勢のままそんなことを考える。

 症状から見れば、ヒオリの病気は本当にただの風邪のように見える。

 これはそれ以外の難病に直面する確率を考えても高い確率のように思えるし、実際ヒオリの症状は重症化こそしているものの風邪に似通った症状だ。ロイドだとて自分の世界で風邪を引いたことくらいは何度もある。それくらいならある程度自分の経験で推測することはできていた。

 だが結局のところそれはロイドの推測でしかない。

 ヒオリの病気が本当は何なのかは、結局のところ今のロイドには特定のしようがないのだ。これが風邪に似ているだけのもっと危険な病気であったり、この世界にしかない未知のウイルスによるものであったとしても、ロイドの知識でそれを知ることは、きっとこの先何が起きても叶わない。

 ましてや、ここまで重症化してしまった症状を収める方法など、ロイドの知識の中には頭の中をひっくり返してもありはしなかった。


(……ああ、くそ……。こんなことならジジイにもっと何か聞いておけば……)


 この世界に来てから、何度目になるかわからない後悔がこみ上げる。

 思えばいつだってそうなのだ。知識の幅はそれなりに広いはずなのに、ロイドの知識は肝心のところにいつも行き着けない。

 かつて立ち止まってしまったそこまでで、ロイドの行いはあっさりと行き詰る。

 今だとて、ロイドにできるのはやり方があっているかもわからないただの看病で、根本的な治療など何一つできはしない。


「……ん、……ぅ」


 そうしているうちに、目の前でヒオリが苦しげな息遣いと共に微かながらも身じろぎし、ロイドの意識が目の前の少女へと戻される。

 どうやら目を覚ましたというわけではないらしいが、しかしうなされているような苦しげな表情を浮かべ、何やら聞き取れない呟きがその口から洩れている。

 その言葉を聞き取ろうと、ロイドが何となしに耳に意識を向けたちょうどそのとき、ロイドの腕に何かが巻き付くような感覚があった。

 見れば、ヒオリにかけられた、何枚もの毛布代わりの布の一枚が、他の布の隙間から這い出して、ロイドの腕に巻き付いて弱々しくもロイドを拘束していた。

 振り払おうと思えば簡単に振り払ってしまえそうな弱い力。だがそんな布の端を、露出したヒオリの小さな手が掴んでいるのを見てしまったら、もうそれを振り払うことなどできそうもない。


「………か……いで……」


 ましてや、ヒオリがか細く、なにを訴えていたのかを聞き取れてしまったらなおさらだ。


「……ないで、……か……で、……行か……でよぉ……!!」


「……別に、どこにも行きゃしねぇよ」


 うなされるヒオリにそう声をかけ、ロイドは手を引く布の力に従って自身の手を成されるがままに差し出してやる。

 指先で触れる弱々しい力をその手に感じて、ロイドは何もできない暗い気分でその場に留まった。


「どうせ俺には、そばにいてやることくらいしかできねぇんだから」






 その後、ヒオリはほとんど目を覚ますことなく、二晩の間苦しげに眠り続けた。

 他の四人がほとんど何もできず、彼女の体力に任せるしかない中で、たった一人で生死の境をさまよった。

 そして、その状態が終わったのは、三日目の朝のこと。

 全員が快方を祈る中、その朝を迎えた時、彼女は――。






「よお、おはよう兄ちゃん」


「ソラト、居ないと思ったら外に出てたのか」


 竹林の隙間から朝日が差し込む河原で、岩に座って自分の視界で水面を眺めていたソラトは、背後の岩、その表面にある扉から出てきた勝一郎に振り向きながら声をかけた。

 ソラトにしてみれば態々振り向かなくても自分の上にある視界を移動されば相手の顔も見えるのだが、そこはまあちゃんと顔を合わせる意味である。

 槍を携え、しかし竜革のものと思しき鎧を身に着けずに出てきた勝一郎は、ソラトに視線を向けた後、気にしたように周囲に視線を走らせる。


「ランレイの姉ちゃんなら向こうだよ。あっちで一人で弓の練習してる」


「ん、ああ。よくわかったな」


 ソラトの指摘に、勝一郎は一瞬驚いたような顔をする。

 とは言え、ソラトにしてみればそれくらい表情を見ていれば大体わかることだった。これは何も勝一郎に限った話ではない。


「そういやランレイ姉ちゃんから伝言、夜のうちに装備の手入れをしておいたから、後で確認をして置いてって」


「ああ、それなら今しがた確認したよ。ホントにあいつには頭が下がるな」


「まあ、本人は寝ずの番をしている間の暇つぶしみたいなことを言ってたけどね」


 勝一郎の部屋のおかげで、一応の安全は確保できているソラトたちではあったが、しかしそれでも念のためにと、夜は常に一人だけ寝ずの番を交代で立てていた。昨晩はそれをランレイが担当していたのだが、どうやらその間に彼女は勝一郎とロイドの装備をあらかた手入れしてしまったらしい。

 いや、装備の面倒を見てもらっているのは、なにも二人だけではない。


「さっき一応俺もこいつをもらったよ。こんなナイフでもないよりはいいだろうってさ」


 そう言って、ソラトは腰の後ろに差したナイフを勝一郎に向かって見せてやる。

 一応これまでも何か武器があった方がいいとは言われていたのだが、様々なごたごたで用意に時間がかかってしまっていたのだ。金属ではなく、恐竜の牙か何かで作られたナイフが、鞘に収まってベルトでソラトの腰に固定されている。


「これだけいろいろやって、まだ弓やってるってんだからな……。俺も少し訓練するかな」


「槍の?」


「ああ。あと、村で練習してた新技をな」


「新技?」


 初めて聞く話題に、ソラトは興味を惹かれて勝一郎に問い返す。

 思い返してみれば、勝一郎は自身の扉を使ってかなり多彩な技を使っていた覚えがある。どうにも見ていると状況に合わせて即興で編み出しているものが多いようなのだが、それだけにその勝一郎が習得のために長いこと練習している新技と言うのは少し興味深いものが有った。


「ああ、いや。別に大した技じゃないんだが。こんな事態になっちゃって長いこと練習できてないし、掴みかけてたコツもどれだけなくなってるかわかんねぇし……」


 ソラトの視線に、勝一郎は視線を逸らしてそんな言い訳を口にする。

 だがやがてそんな言い訳をする自身をそれこそ客観視でもしたのか、一つため息をついて観念したように背を向けた。


「んじゃ、俺中で部屋作って訓練してるわ。その様子だと危険は見えてないみたいだけど、何かあったら呼びに来てくれ」


「……兄ちゃん」


 言いながら、岩の扉へと戻ろうとする勝一郎に、ソラトはついそう呼び留める。

 言わなくてはいけない。指摘しなければいけないとそう思っているのに、結局口から出たのは『いや、何でもない』と言うごまかしの言葉だった。

 結局何も言わずに、ソラトは部屋へと戻る勝一郎の背中を見送った。

 自身の目でふたたび水面を見つめて、同時に飛ばした視点で自分の周りを俯瞰して、ソラトは言い知れぬ不安感を溜息に乗せる。


 結局、ヒオリは倒れてから三日目にあたる昨日の朝どうにか意識を取り戻した。

 その後は熱も下がり始め、一時期の危険な状態はとりあえず脱したと言えるまでには回復している。この調子ならば、今日一日でさらに体調も回復し、ヒオリの体は快方に向って行くだろう。

 事なきを得たと、とりあえずは安心していい状況だ。まだ油断はできないが、それでもヒオリは危機を脱して一命をとりとめた。

 だというのに、ソラトの中の不安はいつまで立っても晴れてこない。


「……なんでだ」


 俯瞰する視界の片隅で、弓を引くヒオリがわずかに映る。

 汗を散らし、繰り返し弓を引く彼女から感じるのは、明白なまでの焦りの感情。


 ヒオリが倒れた四日前から、ロイドはソラトが知る限りほとんど寝ていない。今日何事もなければ看病も交代すると約束はさせたが、そうするまでロイドはまるでその役目を奪われるのを恐れるかのように、つい最近会ったばかりのヒオリのそばから離れようとしなかった。


 そしてヒオリ。昨日目覚めて、わずかに会話する機会のあった彼女の表情が、ソラトの脳裏からどうしても離れない。

 やつれて、こけて、それでもこちらを安心させようとする、完璧なまでの姉の笑み。

 完璧すぎるそんな笑顔が、ソラトの中で言いようのない不安を余計に掻き立てる。


「……なんでだよ」


 最悪の事態は避けられたはずなのに。誰一人命を落とすことなく、危険な森を生き抜いてこられたというのに。すぐこの先に、目指す場所も近づいているはずなのに。


「なんでこんなに、不安な気分が消えねぇんだよ」



おまけの用語解説(前回忘れてた)

細角竜(さいかくりゅう)

 額にイッカクのような角を持つ、鱗のあるユニコーンのような外見の竜。大きさは馬ほどだが、恐竜らしく二足歩行で、一般にダチョウ型恐竜などと呼ばれている小型竜。基本的におとなしい竜だが、生憎と人間が遠征をおこなう時期とこの竜の繁殖期がもろ被りで、この時期の細角竜はオス同士がその角でメスを取り合ったり、それに勝ったオスが何体かのメスと群れを作って子育てをしており、非常に気が立っている。そのため、外敵とみられる生き物が近づくと容赦なくその角で突きかかり、下手をするとその鋭い角で串刺しにして殺してしまう。

 ちなみに子供やメスには角がない。大きさをわかりやすく馬に例えたが、実際の生態は馬よりもむしろ鹿などの生き物の方が近い生き物である。


岩怠竜(がんたいりゅう)

 ワニをカバと足して二で割ったように太らせて、後ろ足をウサギのような形に変えたような体つきの中型竜。体の大きさもカバ程度で極端な大型とは言えないが、体表がほとんど岩に酷似していて蹲っているとまるで見分けがつかない。狩りの仕方もその外見を利用したもので、生き物が来そうな餌場や水場の近くで蹲り、岩に化けて獲物が通りかかるのをひたすら待ち続けるというもの。

 気配や存在感を消すのが恐ろしくうまく、呼吸すらほとんどせずにひたすら獲物を待ち続ける。動きは鈍く移動速度はたいしたことがないが、後ろ足がアンバランスに発達しているため相手に飛び掛かる瞬間だけは恐ろしく機敏で、丸めて体の真下にしまい込んだ尻尾と二本の後ろ足を使って獲物に食い掛かり、ワニのデスロールに近い動きを相手に飛び掛かりながら行うことで、喰らいついたその肉、あるいは首などを回転の力を利用して強引に食いちぎる。

 ちなみにこの竜、普段はとにかくものぐさで動かない。狩りの前後に獲物を食べるために動くことや、狩場を変える時などにたまに動く様子が見られるが、それ以外で動くことは稀中の稀。エネルギーの消費を抑えるため、餌となる生き物が来るまではほとんど寝っぱなしのような状況でじっと蹲っている。


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