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27:The room is untidy

 特に生物学に明るくない人間でも、『擬態』と言う言葉を知らない人間と言うのはかえって珍しいのではないだろうか。

 『擬態』。自身の体を生活する周辺環境に合わせて、周囲の風景に溶け込むように進化させることで、捕食者や獲物と言った他の生物に気付かれないように隠れる能力。生物の世界ではあまりにも一般的で、相当数の生物が行っているこの体機能は、しかし実際に目の当たりにすると相当に高度な潜伏方法だ。

 ここにいるぞと言われて探せばなんとかわかるが、通りすがりで見かけただけならまず区別がつかない。その生き物が動いて初めてそれが生物であったことに気付く、そんな擬態は、特に相手が捕食者であった場合、気付いた時にはもう終わりと言う場合がほとんどだ。すでに相手が捕食体勢に移っていて、不意を打たれたこちらは一瞬後には自身の命運が尽きる。そんな悪夢のような状況を作り出す機能こそが、この『擬態』と言う能力なのである。

 実際この時も、気づいた時にはもうそんな状態に陥っていた。


「ソラ君――!!」


 ランレイの背中から響いた予想外の声が、巨大な布と共に割り込んでこなければ。


「ヒオリ――!?」


 驚くランレイの背中、そこに背負ったマント表面の扉が勢いよく開き、中の部屋から現れた長大な布がその先にいたソラトを絡め取る。

 【細角竜】との戦闘を支援するべく、ランレイが勝一郎のいる方を向いてソラトに背中を向けていたのが幸いした。

 間一髪、引き戻された布がソラトの小柄な体をその場からかっさらい、襲い掛かる“巨岩のような何か”がきりもみ回転しながら砂利の地面へと勢いよく墜落する。

 超重量が地面をこすり抉る鈍い音があたりへ響き、同時に布によって引き戻されたソラトがランレイの背中へと激突する。


「なわぁっ――!!」


「んぎ――!!」


 突如背中に受けた衝撃を殺しきれず、ランレイはぶつかったソラト共々その場へと倒れ込む。


「なんだ――!? いったい何が起きてる!?」


 突然乱入者が二つも現れたことで、勝一郎の脳内が一気に混乱に包まれる。部屋の中で寝ていたはずのヒオリが布だけとは言え突如参戦したことにも驚かされたが、まず一番に驚くべきは目の前で飛んだ大岩だ。

 否、それはもはや大岩ではない。外見こそ岩に近い見た目をしているが。地面へと転がった大岩は緩慢な動作で、しかしまるで何事もなかったかのように立ち上がり、のそのそとこちらへ向けて体を回している。


「……なんだこいつ、カバ……、いや、ワニか?」


「……岩のような外見で、近づくと突然襲ってくる中型竜……。聞いたことがあるわ。たぶんこいつが【岩怠竜(がんたいりゅう)】よ。村の戦士が以前一度だけ遭遇したことがあるって聞いたわ」


「【岩怠竜】……!!」


 ランレイの情報に、勝一郎はもう一度件の【岩怠竜】の外見を即座に観察する。第一印象でそう感じたように、外見的にはカバとワニ、その二つの生き物を足して二で割ったような生き物だった。

 カバのようなずんぐりとした体にワニの口を付けたような体つき。ただ一つ違っていたのは、後ろ足がカバのそれよりよりかなり発達していて、先ほど飛び掛かる際の、体全体を飛ばす脚力がここからきているのだと伺わせるものだということか。肌の色や質感はどう見ても岩で、【客観視の千里眼】と言う能力を持つソラトが見破れなかったのも理解できる外見だった。


(――、くそ、迂闊だった。見える敵にだけ注意して、隠れている、“見えない敵”への警戒を怠った――!!)


 幸いにも、ヒオリのおかげで最初の攻撃からはソラトも難を逃れたが、しかし現状は決して楽観できる状況ではない。

 無理な救出によってソラトとランレイは折り重なって身動きが取れなくなっているし、それにこの場にはもう一体。


「ショウイチロウ、よそ見しないで、【細角竜】が――!!」


 この場にはもう一体、十分に危険な竜がいるのだ。


「――っ!!」


 倒れたまま注意を促すランレイの言う通り、視線を戻せば、目の前では強靭な脚力を持った【細角竜】が、その鋭い角先を勝一郎に向けて突っ込んできている。

 どうやらこの期に及んでも、この【細角竜】は退くつもりがないらしい。それどころか勝一郎が【岩怠竜】の登場に気を取られている隙を突き、その角によって勝一郎を串刺しにしようと迫ってきていた。


(瞬気――、【開扉の獅子(ドアノッカー)】――!!)


 対して勝一郎は、回避運動に移る時間も惜しいと【瞬気功】を用いて地面に気を叩き込み。瞬時に扉を開いて強引に自分の足元を傾ける。

 どこかサーフボードの上にでも乗るような態勢で開く扉に乗って勝一郎の体が左に傾き、それによって角先から逃れた直後に、突進する細角竜の体が跳ね上がった扉と地面の間に割り込んだ。


(今だ――、“閉じろ”――!!)


 開いた扉と地面で挟み討つべく、勝一郎が扉を蹴り飛ばして扉による打撃を送り出す。

 だが時すでに遅く。扉は何物をもとらえることなく地面へと閉まり、扉から数メートルは離れた位置で獣が足を止める音がした。

 なんと言うことはない。扉が閉まるその前に、【細角竜】がその強靭な脚力で扉と地面の間を走り抜けたのだ。


(……速い。しかも扉を開いた場所は部屋の穴があったはずなのに……。こいつ部屋穴手前の地面一蹴りで、あれだけの距離を飛び越えたのか……!!)


 話には聞いていた、しかし実体験としては知らなかった相手の速さに驚きながら、勝一郎は焦りと共に周囲の状況を確認する。

 先ほど参戦したもう一体、ランレイから【岩怠竜】と呼ばれた竜は、どうやらあまり素早くは動けないらしいらしかった。特に方向転換が苦手なようで、あちらはいまだ地面に激突した状態からのそのそと獲物のいる方向へと自身を移動させている。

 対して、獲物として狙われているランレイとソラトは、いまだ地面に倒れたまま動けずにいた。ソラトを引っ張った際に使った布がいまだソラトをつかんで離さず、ソラトがランレイの背のマントに張り付いたまま動けなくなっているのだ。


「とにかくこれじゃ動けない。ソラト、とにかく早くそこをどいて部屋の中へ――」


「わかってる。けど布がほどけてくれないんだ。姉ちゃん!! とにかく今はこれを解いてくれ!! ――姉ちゃん? どうした、聞こえてないのかよ姉ちゃん!!」


 外でもがきながらソラトが必死に呼びかけるが、しかし部屋の中の、すぐ背後に居るヒオリからは何の反応もない。

 それもそのはずだ。なにしろこのとき、ヒオリはソラトを救出した直後にその場で膝をつき、強烈なめまいで意識の混濁にさえ陥っていたのだから。







 最初ヒオリは、自分が床を見ていることに気付くまで、己の異常に気付けなかった。


(――あ、れ……? なんで、私……しゃがみこんだりなんか……)


 さっきまで立っていたはずなのにと思いながら、ヒオリは壁に手をついてどうにか体を支え立ち上がる。

 おかしい。さっきまでどうやって立っていたのだっけと思い出し、そうして初めてヒオリは、さっきまで自分が服に能力を行使して動いていたのだと思い出した。

 改めて服に能力を行使して無理やり立ち上がる。途端に耳鳴りのような、意識気が遠くなるような感覚が襲ってくるが今はとにかく立たなくてはいけない。


(……あれ、どうして、立たなくちゃいけないん、だっけ……?)


 自分の着ている服に吊り上げられたような、そんな操り人形のような状態で、ヒオリは先ほどからの出来事を必死で思い出す。

 そう、確かソラトや他の人たちの役に立たなければと、部屋の外に出ようとしていたのだ。


(……そう、だ。なんだか、岩みたいな生き物に、ソラ君が食べられそうになってて、それで――)


 散り散りになってうまくまとまらない思考を必死に働かせてそこまで思い出し、直後に朦朧とした思考が外から聞こえる一つの声を捉える。


「姉ちゃん――!! 早くコイツを。あいつが来る――!!」


 珍しくも焦ったような声。否、この世界に来てからは何度か聞いたことのある声の調子。命の危険が迫っているとき、危険な生き物が迫っているときに聞こえるそんな声だと思い出し、ヒオリは慌てて扉の外へと自分の背負った羽衣を押し込んだ。


(逃がさ、ないと……!!)


 狙うは扉の外、ソラトの体とドア枠の隙間に見える竹の幹。伸ばした布が空中を斜めに走り、目指した幹をつかみ取るのを感じ取ると、ヒオリは布に力を込めて一気にそれを引っ張った。


「――え、ちょっ、姉ちゃん!!」


「――なっ、ちょっと待ちなぁああああ!!」


 狙い通り、扉の外でソラトと、彼を背負う形になったランレイの体が浮き上がり、引っ張られてしなった竹の幹に吊るされるように空中へと持ち上がる。

 外でソラトとランレイが悲鳴を上げているが、しかし中に居るヒオリの方もそれどころではない。なにしろソラトとランレイ二人分の体重を釣り上げようとしているのだ。部屋の中に居るヒオリたちの重さは加算されることはなかったが、外にいるソラトとランレイの体重が羽衣にかかり、当然それは布を体に巻き付けたヒオリの方へも襲い掛かる。


「――う、ああっ!!」


 持ち上げようとする二人の体重が、扉の外へと引っ張り出そうとする強烈な力となってヒオリに襲い掛かる。対してヒオリは、戸枠にしがみつくようにして必死にとどまり、同時に体に巻き付けた羽衣が強烈な力でヒオリの体を締め上げる。


「……う、あ……、ぎ――」


 部屋の外へと引きずり出そうとする体重に抗うべく、ヒオリは自身の着ている服に能力を行使し、体を大の字に広げて戸枠の淵へと体をひっかける。

 はたから見れば、扉のある位置に磔刑に処されているような状態だが、ここでヒオリが外に放り出されてしまうわけには行かない。なにしろ今外の二人は、部屋の中からヒオリが伸ばした布によって空中に退避している状態なのだ。仮に今ヒオリが外へと放り出されてしまったら、ヒオリが羽衣で直接つかんでいるソラトはともかく、ランレイはマントから出ていた羽衣と言う命綱を失い、危険な地上にもう一度落とされてしまうことになる。


「……んん……、んだよ、いったい何の騒ぎだ?」


 部屋の外だけではない、室内まで届くようになった騒ぎはさすがに耳に届いたのか、部屋の隅で壁に寄り掛かって眠っていたロイドがうめき声をあげる。

 そんなロイドの姿にヒオリが抱いたのは、『ああ、しまった、起こしてしまった』と言う場違いな後悔だった。

 二人分の体重と羽衣で胸を締め上げられ、自身の能力で壁に磔刑にされているというこの状態で、この期に及んでヒオリはそんな場違いな感慨に囚われる。


 そんなヒオリに比べれば、周囲の様子を認識したロイドの反応はよっぽど常識的だっただろう。


「――おい、何やってんだお前――!!」


 目の前で起きている少女の磔刑姿に血相を変え、足元の器などをひっくり返しながらロイドは慌てて出入り口付近まで走り寄る。

 実際彼にしてみれば訳のわからない状況だっただろう。うたた寝して起きてみたら、看病していたはずの少女が壁に磔られているのだ。これに混乱しない人間がいたら、その方がよっぽど異常である。


「おい、何なんだこの状況。いったい何がどうしてこんなことになってやがる――!!」


「その声、ロイドか――!! 何でもいい。とにかく今は早く姉ちゃんにこれをやめさせてくれ!! さっきから部屋の中を“客観的に”見てるけど、こんな無茶、姉ちゃんの体が持たない!!」


「……っ、だ、め……!! 今私が辞めたら、ランレイさんが、下に落ちちゃう――!!」


「そんな心配してるんじゃないわよ!! まだ勝一郎が地上にいるのよ。いくらあいつでも、竜二体の相手なんて荷が重すぎる!! 私も参戦するわ、私を放して!!」


「おい訳わかんねぇぞどうなってんだ!! 誰か早く状況を説明しやがれ――!!」


 扉一枚を挟んだ外と中で、四人の人間の混乱が他を置き去りにして加速する。

 それぞれの最善がぶつかって、誰にとっても望まぬ状況へと転がり落ちるように進んでいく。



 勝一郎を含む三種類の生物が、文字通り三つ巴の戦いを繰り広げるそのそばで。


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