25:Walk about the Room
メリークリスマスです。皆様。
一方、ヒオリの隔離によって部屋の外へと追い出された勝一郎、ランレイ、ソラトの三人は、相談の末残る三人で警戒しつつも行軍を続けていた。
三人の中にも、ヒオリとロイドの二人が戦線を離脱している現状、状況が改善されるまでひとところに止まるべきではないかと言う考えもあったのだが、しかし勝一郎の【開扉の獅子】のおかげで二人を部屋の中に置いたまま進める現在の状況と、ソラトが勝一郎達が通ってきた道に不審な獣が徘徊しているのを目撃したことなどから、三人だけでもできうる限り移動する形で話がまとまったのだ。
ソラトの言によれば、見つけた獣は犬に似た四足歩行の爬虫類だったそうなのだが、もしもこの生き物が勝一郎達のにおいをたどって追って来ているとなるとあまりひとところに止まってもいられない。一応その時は数時間歩いたら姿が見えなくなったようだが、また同じように臭いで追って来る生き物がいればそれに追いつかれてしまう可能性がある。【開扉の獅子】の力があれば部屋の中に身をひそめてやり過ごせる可能性もあるが、部屋の前で待ち伏せでもされたらそれこそ部屋の外に出られなくなってしまうためあまり得策ともいえない。
(まあでも、とりあえずソラトがいれば最低限危険からは逃れられる。問題は、やっぱりヒオリの方か)
結局、ランレイにヒオリを着替えさせた後、感染拡大を防ぐべくロイドだけがヒオリについて自分が着ていたマントにこもることとなった。たまに勝一郎が氷や食事などの差し入れをする以外は極力他の三人との接触を避け、出入りする際も彼が持つ消毒用の魔術を使用する徹底ぶりだ。おかげで今のところヒオリの風邪は誰かに移ることもなく、外の三人も移動に専念できている。
「二人とも、そろそろ見えてきたよ」
そんなことを考えていると、不意に後ろを歩くソラトから、そんな言葉をかけられた。見れば、目の前に事前に聞かされていた、進むうえで問題となる場所が広がっている。
「驚いた。本当に竹藪なんだな」
言いながら、勝一郎は前方に無数に生える植物、勝一郎自身もよく知る竹の林に近づき、実際に手で触れながら観察する。
「事前に聞いていたとはいえ本当に驚きだ。この世界にも竹ってあるんだな。世界もそうだけど気候や風土も違うから、同じ植物なんてないだろうと思ってたのに」
「まあ、実際似ているだけで別の植物かもしれないけどね。そもそも一口に竹って言っても、その種類は俺の世界でも何百種類もあったし。」
ソラトのそんな話を聞きながら、確かにと勝一郎は目の前の竹と自分の家の近所の竹藪の竹の相違点をいくつか発見する。詳しくなるほど見ているわけではないが、この竹は勝一郎の近所に生えていたものより若干太く、色が少し薄いようにも思える。言われなければ分からない程度の違いではあるが、やはり品種が違っているのかもしれない。
「二人ともいいかしら。そろそろ今後のことについて一度話し合っておきたいんだけど……」
ともあれ、そんな益体もない考察をいつまでも続けているわけには行かない。植物の専門的な知識があるならいざ知らず、所詮ここにいるのは素人の集団だ。この世界の植生を調べたところで得られる利益などたかが知れている。
むしろ今考えるべきことは、この竹林を前にして今後どう行動するかと言うことだ。
「そうだな。ソラト、やっぱりこっから先は視界が効きそうにないか?」
「ああ。軽く見てみたけどやっぱり無理そうだ。上の笹の葉が邪魔をして上空からじゃさっぱり見えない。一応、上に視点を設定しておけば、葉っぱの隙間からちらっと俺が見えて一瞬視界が開けるってこともあるとは思うが……」
「それじゃあまり意味がないわね。それでも、この先に進むためにはこの竹林を抜ける必要があるんでしょ?」
ランレイの問いかけに、ソラトは自身の上空を、その先に設定した自身の視点を見ながら首肯する。
なにも勝一郎達とて、見覚えのある植物に惹かれてこんな場所を訪れた訳ではない。この竹林までやってきたのは、この先に進むにあたり、どうしてもこの場所を避けることができなかったからだ。
「この竹林の先に峡谷があって、そこを通り過ぎれば一面草原地帯が広がってるんだ。たぶん姉ちゃんたちの村の戦士、彼らの遠征先って言うのはここだと思う」
「んでもって、そこに行きつくためにはどうしてもこの竹林を避けられないと」
「厳密には避けられない訳じゃないけど、ここ以外だとどうしても森の中を突っ切るコースになっちゃってかえって危険だと思う。距離的に考えてもかなり遠回りになるし……」
ソラトの参入で、これまでは山裾の比較的【鳥瞰視点】からの視界が効くあたりを進めてきていた勝一郎達だが、しかしやはりというべきか、このまま危険の少ない場所ばかり進むことはできないらしい。やはり地形の関係などで、どうしても避けられない場所としては出てきてしまう。
「まあ、とはいえ、普通の森の中を行くよりはいいと思うよ。特に兄ちゃんの場合、この竹林なら地形は割と平らで【開扉の獅子】も使いやすいだろうし、巨大な生き物が入り込む余地もそんなにないしね」
確かに言われてみれば、笹が日光を遮っているせいなのか地面には植物が少なく、竹も地下茎を地面の下に広げているため地面は平らだ。ここならこれまでの地形に比べても【開扉の獅子】を使う上での制約は幾分軽いだろう。相変わらずどんな生き物がいるかがわからないのは痛いが。
「ああ、それとね。一応さっきヒオリさんを着替えさせたとき、ロイドにここのことを話したんだけど、進むかどうかの判断はあんたに任せるそうよ。まあ、あの様子じゃ暫く部屋を出られないから妥当だとも思うわ」
「……そっか。まあ、最初から答えは決まってるようなもんだしな。それじゃ、今日はここで野営にして、明日にでもこの竹林を突っ切るとするか」
勝一郎の決断に、ソラトとヒオリが頷きで答える。
こうして、メンバー五人のうちの二人を欠いたまま、それでも勝一郎たち三人は先へと進むことを決定したのだった。
そうして次の日、勝一郎達は問題の竹藪へと足を踏み入れ、警戒しながらも着実に旅の行程を進めていた。外に出るメンバーは昨日と変わらず、勝一郎、ランレイ、ソラトの三人である。例のごとくロイドはヒオリについて自身のマントの中におり、そのマントは今ランレイが代わりに羽織っている。
とは言え流石に一晩越えたこともあってか、ヒオリの容体は昨日に比べれば若干落ち付いてきたようだった。いまだ熱は高く安静が必要な状況だが、それでも一時期よりは熱も下がり、容体も徐々に安定してきているらしい。
「今度こそ一安心、と言っていいのかな」
「客観的に見るなら、まだ安心するのは早いと思うけどね。昨日に比べればましにはなったようだけど、まだ他の誰かが感染する可能性もあるし……」
「この世界にマスクなんてないからなぁ……。ロイドが使える殺菌消毒術式が唯一の頼み……、いや……」
話しながら、ふと勝一郎はマスクのイメージから自分の能力で作る【息継ぎ部屋】の存在を思いつく。あれはもともと水中で呼吸するため、部屋を作った際に一緒に生まれる室内の空気を使って呼吸するというものだったはずだが、あれならばもしかしてマスクの代わりになるのではないかと考えたのだ。室内の空気がどんな成分なのかは調べる術がないが、しかし普通に考えて勝一郎の能力で空気中の雑菌まで生み出しているとは考えにくいし、だとすれば【息継ぎ部屋】の中の空気で呼吸する限りは風邪の感染を予防できるとも考えられる。
「ねえ、あんた達の世界ってさ……」
「……?」
そんなことを考えていた勝一郎の背に、ランレイからやけに弱々しい言葉が投げかけられる。奇妙に思って振り向くと、声の主であるランレイはソラトを挟んで向こう側で、妙に思いつめたような顔をして立ち止まっていた。
「なんだ……? どうしたんだよ、ランレイ」
「あ……、えっと、その……」
歯切れの悪い、口にしたつもりもなかったというような反応に、問い返した勝一郎もさすがに訝しく思う。とは言え一度口に出してしまった以上取り消せないと観念したのか、ランレイはため息一つついて意を決し、抱えていた疑問をこちらに問うてきた。
「その、あんた達の世界ってさ、どういうところだったの……?」
「いや、どういうって言われてもな……」
この世界に来てこのかた、異世界人だと名乗るたびに村の者達から聞かれてきた質問だったが、しかし聞かれ馴れている質問だけに勝一郎は迷う。と言うのもこの質問、問われて答えたことは何度もあったが、この世界の人間が勝一郎達の返答を十分に理解できたことがほとんどないのだ。
はっきり言って、文明レベルが違いすぎるのである。これがある程度、もっと文明が発達していれば、ある種のSFなどと同じ感覚でこちらが語る言葉の内容が理解できたのかもしれないが、しかしこの世界の文明レベルは正直言って原始時代よりはましと言う程度で、とてもこの世界の人間がいきなり理解できるような文明ではなかったのだ。これは同じように話をしていたロイドについても同じことで、彼の文明について理解できたのは、異世界ファンタジーを文化として知っている勝一郎だけだった。
その上勝一郎たちの文明は、この世界との差異が大きすぎて一口に語れるものではない。いきなり『どういうところか?』と聞かれて簡単に答えられるほど、その差異は簡単なものではないのである。
ランレイ自身、自身の投げかけた質問の不備に気付いたのだろう。困ったように眉をひそめて、何と言っていいかわからず黙り込む。
そんなランレイに助け舟を出したのは、その様子を『客観視』していたらしいソラトだった。
「ランレイさんはさ、いったい何がそんなに引っかかったの? なにを見ていて、今言いたい何かを悩むようになったの?」
「それは……」
ソラトに促され、ランレイはもう一度頭の中を整理して自分の抱いた疑問を吟味し、やがて、思いついてように顔を上げる。
「昨日さ、ヒオリが倒れた時、あんた達の反応が少し気になったのよ」
「俺たちの反応……?」
言われて首を捻るが、勝一郎はそう言われても心当たりが浮かばない。だがそれはあくまで勝一郎の側の認識だ。勝一郎にとって普通のことでも、ランレイにとって普通でないことなど、それこそこの世界に来てから何度も遭遇して来た。
「あんた達は、ヒオリが病気にかかってもあんまり心配している様子じゃなかった。……いえ、彼女の身は心配はしていたけど、“命の心配はしていなかった”、と言った方が正確かしら」
「そりゃあまあ、ただの風邪みたいだったし、風邪ならおとなしくしてれば時期に治るだろうと――」
「それよ」
言いかけた勝一郎のセリフを、まるで逃がさないようにとランレイが引き留める。まるで彼女にとって一番欲しかった言葉が、それであったかのように。
「あんた達にとってどうなのかはわからないけど、少なくとも、私が知ってるあの手の病は、確かに治る場合こそ多いけど、だからって油断できるものじゃな無いのよ。体調や年齢によっては命を落とすことも珍しくない。実際シジョウ様だってそれで身罷られているわ」
「シジョウ……、例のリンヨウさんの前の、本来なら巫女になるはずだったって人か」
確かに、この世界の巫女と言う、最善の治療が行われたであろう人物ですら死んでいるとなれば、勝一郎達の反応の淡白さに驚くのも無理はない。ヒオリの場合年齢の問題もあるから死亡率はそれほど高くはならないと思えるが、しかし何人もの人間を殺している病気として見た場合、そんなものにかかった人間に対しては命の心配をするのが当然だっただろう。
「最初は、あんた達があの娘の病を甘く見てるんだって思ってた。いえ、実際甘く見てるんだとは思うわよ。けどよく思い出してみれば、あのヒオリって娘が小型の魔獣に咬まれたとき、きちんと【傷の病】を防ぐ処置をしてた。
「【傷の病】……?」
「客観的に見て、たぶん破傷風なんかのこじゃないかな。確かに、あの時はロイドが傷口を良く消毒してたし、それに俺たちの国では予防接種が一般化してる病気だから、結局姉ちゃんは発症せずに済んだんだけ」
「破傷風……。何となく俺の世界でも覚えのある病名だな」
ソラトにそう言われ、勝一郎も自分の中にあるにわか知識でそれらしい病気にあたりを付ける。
破傷風と言うのは、ざっくりと言ってしまえば傷口から菌が侵入し、その菌が毒素を出すことで起こる病気だ。主に獣に噛まれたりした傷から起きることが多く、致死率も高く危険が大きい。
ただしこの病気、勝一郎が知るものと同じ病気であるならば、勝一郎自身にとってはあまり心配する必要がない病気だ。と言うのもこの病気、三種混合ワクチンと言う形で予防接種を受けていて、勝一郎の体はこの病気を予防するための抗体をすでに保有しているはずなのである。これについては一定レベルの世界には共通している事項なのか、ソラトたちの世界でも同じような状況らしい。
「あんた達が病を甘くみられるのは、もしかして病があんた達にとっては大したことの無い相手だったからじゃないの? それに、いま『予防なんとか』って言ったわよね? もしかしてあんた達の世界では病気にならないようにすることもできるってことなの?」
とは言え、そんな勝一郎たちの当り前もこの世界の人間にとっては驚きの対象だ。ソラトの言葉からその事実を推察し、ランレイは目を丸くして驚きの表情を見せる。
「信じられない。もしどんな病気にもならなくできるなら、私たちの村でも病で死ぬ人間がいなくなる。ねえ教えて。どうやってるの? もしも私たちの村でもできるなら、私は――」
「ちょ、落ち着けってランレイ。いくらなんでもどんな病気も予防できるってほど、こっちの世界の技術だって甘くはねぇよ」
「それに客観的に見ても、予防接種って言うのは俺らの世界でできたからってこちらの世界でホイホイ真似できるものじゃないよ。あれにはワクチンを作るための設備や技術が必要だし、俺たちの世界でだってその技術を確立するのに何百年、どうかすると何千年もかかってるんだ。俺たちのにわか知識だけで、ホイホイ真似できるようなものじゃない」
「……そう」
らしくもなく、落胆の声を漏らすランレイの姿に、勝一郎はわずかながらも違和感を感じ取る。
だがその違和感の正体を探るべきかどうか、勝一郎が悩んでいるわずかな間に、突如ソラトの表情が剣呑なものへと変わり、同時に彼の鋭い声が飛んでくる。
「――待った、兄ちゃんたち。この話はまた後だ」
「――!? どうしたんだ? 何か見つけたのか……?」
【鳥瞰視点】による上からの索敵は視界の悪さによってできなくはなったが、それでもソラトは周囲の警戒として、設定できる三つの視点を周囲に飛ばして周回させている。そんなソラトが警戒の表情を見せるということは、少なく見積もっても脅威になる“かもしれない”生き物が近くに現れたということだ。
「……方向は北東方向。数は一。敵なのかどうかはわからない。けど――」
槍を取り出す勝一郎に対し、見つけた生物の方角へと向いていたソラトが振り返る。その表情は実際に見ているからこそ分かる、相手の生き物への強烈な警戒心が浮かんでいた。
「けど、なんだ?」
「――さっきからコイツ、俺達を見てる」




