23:Common Room
それから二日間の行軍は、海からこれまで、いや、それ以前の村の戦士たちと共に行動していた時と比べてさえ相当に平穏に進んだ。
ソラトの【客観視の千里眼】を利用した、周辺感知とそれによる経路の選択が、ひとまずは効を奏したと言えるだろう。
ソラトの話では、彼は自分の眼で見る視界以外に三つの視界をそれぞれ設定できるらしく、彼はそれを自分たちの上空に【鳥瞰視点】として設定し、さらに残る二つのうち一つを行く先に、もう一つを周囲を巡回させる形で移動させて、三重の警戒態勢を敷いていた。
おかげでこの方法をとってからというもの、危険な生き物は事前に察知して迂回することができたし、食料になりそうなものも何度か発見してくれたため、食糧事情にも一定の余裕が出始めていた。
「ああ、姉ちゃん。そこの後ろの気に果物みたいのがあるから、獲ってもらってもいい?」
「えっと、あ、あれね」
行軍に際して、大きな役割を果たしてくれたのはソラトだけではない。ソラトと一緒に一行に加わった少女、ヒオリの方も、その能力の汎用性の高さから一行の旅を手助けするのに一役買っていた。
ロイドの背中、彼が纏うマントの表面に作った部屋からヒオリが身を乗り出し、左手を伸ばしてその袖口から白い包帯を付近の木の上へと素早く伸ばす。
邪魔な枝葉を迂回して、五メートルはあったであろう果実との距離を一瞬で潜り抜けた包帯は、その先にあったザクロに似た果物を一度に三つほどむしりとり、そのままヒオリの手元へと戻ってきた。
伸ばした包帯が再び少女の袖の、彼女の腕へと巻き付くように収まり、ヒオリ本人は部屋の中へと戻って、採取した果実を壁の収納スペースへとしまいにいく。
「つか、ホントに便利なだなこいつらの能力。さっきの包帯とか、ほとんど自分の手みたいに操ってやがったぞ」
「まあ、姉ちゃんはほとんど生まれつきの能力者だからね。小さいころから普通に手足代わりに使ってたし、使い慣れた布なら下手をすると手先より器用だよ」
「便利でいいなそれ。付け替えのきいて遠くまで伸ばせる手とか役立ちすぎだろ」
ロイドやソラトとそんな会話を交わしながら、勝一郎は先頭に立って岩の増えてきた地面の上を歩き続ける。
現在勝一郎たちは、男衆三人が一列になって森の横の岩場を北西に向けて進んでいた。順番は先頭に勝一郎、真ん中にソラト、一番後ろにロイドと言う編成である。
理由は偏に三人の能力的な問題で、勝一郎は周囲の地形を一番観察しやすい位置がいいということと、前から来る何かにとりあえず対処できるからと言う理由で先頭に、ソラトは彼自身が戦闘能力を持たず、それでも外に出ていなければ周辺状況を監視できないという理由で真ん中に、そして最後に魔術による遠距離攻撃手段を持つロイドを、背後からの援護がしやすい最後尾に置いているという理由である。ちなみに、勝一郎とロイドの背中のマントにはそれぞれランレイとヒオリが乗り込んでおり、交代で背後を監視しつつ、背後から何かがくればランレイが弓で、ヒオリがその布を操る能力で対処する手はずになっていた。
(まあ、表向きはだけどな)
実際のところ、この理由はランレイはともかく、ヒオリに関しては彼女を納得させるための方便としての意味合いが強い。
二日前に目を覚まし、とりあえず怪我こそ治ったヒオリだったが、流石にあれだけの怪我では傷そのものは治っても、直すにあたって消耗した体力までは回復しきれなかったのだ。
それでも流石に傷も塞がって二日もたてばそれなりに体力も回復して来てはいるのだが、しかしそれでも流石に一日中歩かせられるほどに体力があるというわけではない。なんだかんだでロイドとて男であるし、それも【気功術】が使えないままあのハクレンの訓練をこなしていたような男だ。まだこの世界に来たばかりの、異質な能力があるだけの年下の女の子に体力で負けるほど軟ではない。
むしろ問題になるのは、最年少でありながら勝一郎達に付き合っているソラトの方である。
「ショウイチロウ、そろそろ一度休みを入れるわよ」
「うい。まあ、そろそろだろうと思って場所を今探してる。……このあたりでいっか」
背中から聞こえるランレイの声にそう返事を返しつつ、勝一郎は岩を飛び下り、下にあった少し開けた場所で背後の二人へと一声かける。
二人もうなずいてそれぞれがそれぞれの方法で周囲の様子を確認すると、そうしてようやく安全を確認し終え、二人が同時に腰を下ろした。
それと同時に、ヒオリとランレイがそれぞれ男二人の背中から姿を現す。
「お疲れ様、ソラ君大丈夫? 疲れてない?」
「だからこの程度なら余裕だって姉ちゃん。そんなに心配しなくてもそこまで無理はしてねぇよ」
ソラトを気遣い、問いかけるヒオリに対し、ソラトは若干照れくさそうに、視線を逸らしてそう宣言する。
実際今のところはまだ体力に余裕がある様子のソラトだったが、普通に考えても最も体力的な負担が大きいのがこのソラトだった。
いかに態度が大人びているとは言っても、それでもソラトは実際には十二歳の少年である。それなりに運動能力は高いようだが、それでも体力に関してはこの年齢の少年のレベルを逸脱するわけではないし、そもそも手足の伸び切った他の二人と違い彼の場合は歩幅も小さい。加えて言うなら、なんだかんだでロイドと勝一郎はこの三か月、死ぬんじゃないかと言うほど扱かれて、三途の川を見ながら肉体改造を受けてきた改造人間である。二人と比べてしまったら、どうしても常識レベルの体力しか持たない十二歳の少年は若干見劣りしてしまう。
「本当は私もみんなと一緒に歩けたらよかったんだけど」
「いや、姉ちゃん、姉ちゃんが歩いたところで俺外に居なくちゃ能力使えないから、単純に歩く人間が増えるだけなんだけど……」
「でも、私だったら【羽衣】でソラ君をだっこしながら歩けるから――」
「――姉ちゃんの中には年頃の男子への気遣いってあるかなぁっ!? って言うかロイドォッ、なに悪人面歪めてニヤついてんだ子供が見たら泣くぞ?」
「ああん!? その子供ってのはおまえのことかぁ? そら、そんなに泣きたきゃそこにお姉ちゃんいるんだから遠慮なく泣きつけよ、あぁあん?」
目を丸くしてオロオロするヒオリをよそに、ロイドとソラトは額を叩きつけるような状態でにらみ合い、一体何度目になるかもわからない喧嘩を繰り返す。
いったいどういう訳なのか、最初に会ったその日から、なぜかこの二人は折り合いが悪かった。見ているとどうやらロイドの方から仕掛けている部分が多いようなのだが、そのせいで印象が最悪だったせいか、ソラトの方も年齢相応に大人げない挑発を返して何度も衝突している。もっとも、二人の間で何らかの共通認識でもあるのか、暴力沙汰には全く発展せず、いかにして相手の神経を逆なでするかを競っているようなきらいがあるのだが。
今回も一通りにらみ合ったところでランレイが二人に拳骨を振り下ろし、すでに恒例となったやり取りはあっさりと収束する。
「まったく、いつまでも下らない喧嘩してないで、休めるときに休みなさい。ソラト、あんたは足出しなさい」
「――っぅぅ……。痛ってぇ……。もうちょいお手柔らかに頼むよ、ランレイさん」
ぴしゃりとランレイにそう言いつけられ、ソラトは若干躊躇しながらも、おとなしく石の上に座って足を出す。このあたりの問答は時間の無駄であることを、すでにここ数日の間にソラト自身も学習していた。ランレイは自身もソラトの近くに腰を下ろすと、ソラトの片足をとってそのふくらはぎをおもむろにマッサージし始めた。
「痛ってぇ!! ランレイさん、強すぎ、強すぎっ!!」
「え? ああそう、強かったかしら。これくらい?」
「あ、ああ。それくらいならまだ……、いつつつ……」
歳が若いせいかマッサージを痛がりながら、ソラトはそれでもおとなしくランレイのマッサージを受けている。現在、ランレイが行っているのは、遠征の際にどうしても男衆より疲労に苦しむ女性陣が、お互いの疲労を抜くためにと編み出したというマッサージ法だ。他の肉体改造済みの二人についていくため、ソラトは休憩のたびに、ランレイからこのマッサージを受けている。
「あの、ランレイさん。なんでしたらソラ君のマッサージは私がやりましょうか? 私の布を使えば両足でもいっぺんにできますし……」
「生憎だけどね。これって【血】の【気功術】も併用しているから、異世界人のあなたじゃ無理なのよ。まあ、【気功術】なしでも効果はあるでしょうけど、効果はやっぱり使った方が高いでしょうし」
「そう、ですか……。な、なら、私にも何か、お手伝いできることはありませんか? ショウイチロウさんもロイドさんも、何かあれば私が」
「つってもなぁ。見張りはそのガキが一人でやっちまってるし、俺らは俺らでただ休んでるだけだからな」
革袋の中の水を飲みながら、ロイドが勝一郎の方へ何かないかと視線を向けるが、しかし現状勝一郎達ですら休む以外にほかにやることがない。もっとも、その休むという行為自体、二人とも気功術や水の魔術で回復を図っているため、普通に座っているよりも積極性の高い行為なのだが。逆に言えばそれらも自前で行えてしまうため、何か頼むようなことは特に思いつかなかった。
「つかよぉ。お前も特にやることなんてねぇんだから、休める間は休んどきゃいいじゃねぇか。いくらこの世界の【気功術】で怪我が治ってるっつったって、その分体力は持ってかれてんだからよぉ」
「で、でも……、お二人やソラ君にばっかり歩かせてて、私だけ何もできないのは心苦しいですし、ランレイさんにもいろいろと面倒を……」
言いながら、それでも徐々に小さくなっていくヒオリの声に、勝一郎は仕方がないと一つ助け舟を出すことにする。
「ああそうだ。だったら軽くなんか腹に入れようぜ。さっきとってた果物、確かその前のも含めれば人数分あっただろ」
「ああ、そういえばそうだな。ついでに言や、俺のマントの部屋ん中にある食料も、勝一郎のマントの部屋ん中に移しといた方がいいか。あっちの方が保管体制はきっちりそろってるしよぉ」
「わかりました……!!」
勝一郎の提案にロイドが同意すると、ヒオリはまるでホッとしたような表情でロイドのそばにある彼のマントの中へと入っていく。
「ったくよぉ。別にやることある訳じゃねぇんだから、おとなしく休んどけばいいだろうに」
「あんたと違って働き者なのよ。まあ、休めるときに休んでおくべきと言うのは私も思うけどね」
「まあ、姉ちゃんって自分が一方的に何かされるのを嫌う傾向があるからな……、って痛い!! 痛いってランレイさん!! なんで!? なんかいきなり痛覚が――アタタタタタ……!!」
「ああごめんなさい。間違えて【血】じゃなく【感】の気功術をかけてたわ」
「おいおい……」
肉体の回復能力を強化するべき場面で、感覚を鋭敏化させてのマッサージ。その効果によって悶絶するソラトの様子を見ながら、ふとロイドの様子を見ると、なぜか彼だけは視線をそばのマントの方へ移して何か考え込むような表情を浮かべていた。
「どうしたんだ、ロイド?」
「あ? ああいや、大したことじゃねぇんだが、あのヒオリって女、暑いんだったらあんなでかいマント、いや、【羽衣】だったか? あんなもん脱げばいいのにと思ってさ」
「ああ、あれのことか」
【羽衣】と言うのは、ヒオリが最初に出会った時から纏っている、幅一メートル、長さにして六メートルと言う長大な布のことだ。彼女は常にこの布を、学校の制服らしいセーラー服の上からたすき掛けのようにして体に巻き付け、それでも引きずるようにして垂れた布を能力で巻き取って背中に背負っている。
その上さらに制服の袖の中には先ほど果物をとるのに使っていた包帯を巻いていることを考えれば、確かに相当な厚着になっているはずだ。もっと言えば、彼らの世界ではまだ春先だったため彼女の来ている制服は長袖である。確かに、この温暖なジャングル染みた世界では相当に暑いはずだ。
「ああ、それならたぶん大丈夫だよ。姉ちゃんって、基本夏でもあの格好だから」
「ハァッ!? マジで?」
「うん。姉ちゃんって能力のせいか、ああしていっぱい何か着込んでないと不安になるらしくてさ。【羽衣】と包帯は基本的に標準装備。服装に関しては半そでになることもあるけどね」
「熱中症で死ぬぞ……」
呆れと、半ば本気で心配になって勝一郎がそう言うが、ソラトはそれに対して安心しろとばかりに首を振る。
「それが姉ちゃん曰く、服を動かして外の空気を取り込んで換気してるらしくて、実は服で全身覆ってた方が涼しく過ごせるんだってさ。それでも暑いときは【羽衣】を日傘の代わりにしたり、うちわ代わりに扇ぐのに使ってるみたいだし」
「……便利すぎる」
語られる能力の使用法に、勝一郎は呆れを交えながらも、本気で感心する。
そばではロイドが『お前だって相当便利な能力を持ってるじゃないか』と言わんばかりの視線を向けてきているが、勝一郎にしてみれば、同じように便利な能力を持っているからこそヒオリの能力の使い方に感心していた。
なぜなら、彼女のその服を動かして換気するなどの細かい使い方は明らかに付け焼刃ではない。本人に努力したという自覚はないかもしれないが、それでも思い付きだけでできるものだとは勝一郎には思えない。それに関しては多数の視点を同時に見て、そこから得られる情報を的確に処理しているソラトに関しても言えることだ。
ただ便利な能力を持っているだけの勝一郎とは一線を画した、能力を使いこなした人間の姿。年下ではあるが、ヒオリも、そしてソラトの方も、特殊な力を持つ人間としては明らかに先輩と言っていいはずだ。
少なくとも勝一郎には、そう思えるだけの積み重ねが彼らの言動から見て取れる。
「けどよぉ、だったらなんであいつ、あんなに大汗かいてんだ?」
と、そんな風に感心する勝一郎をよそに、ロイドがソラトに対して新たなる疑問をぶつける。
いや、新たなとは言えないかもしれない。なにしろ彼はその疑問を抱いたからこそ、ヒオリがなぜ着込み続けているのかを気にしていたのだから。
対するソラトの方も、ロイドの言葉にその表情を怪訝なものへと変える。
「大汗かいてた? いや、そんなはずは……」
「疑ってんじゃねぇよガキ。てか、疑うくらいなら自分で確かめろ。考えてみりゃこんなこと、本人に直接聞きゃぁ済むことだった……、っておい、どうした!?」
言いながら自身のマントを引き寄せ、中を覗き込んだロイドが、直後に驚いたように立ち上がり、マントの中へと飛び込んでいく。
周りにいた勝一郎たちもその様子にただならぬものを感じ、すぐさま立ち上がってマントの中を覗くと、中ではロイドに体を支えられたヒオリの姿があった。
「だ、大丈夫です。本当に、ちょっと立ちくらみがしただけですから」
「立ちくらみだぁ? って言うかお前、よく見たら少し顔色が」
言いながら、直後に何かに気付いたロイドがヒオリの額へと手を伸ばす。
原始的な体温の比較。それによってロイドの表情が確信と焦燥に染まるまでに、それほど時間はかからなかった。
「おいおまえ、熱があるんじゃねぇかよ!!」
ロイドの言葉に、ようやく残る三人が、新たな危機を認識する。
異世界において襲い来る危機と苦難は、なにも巨大な敵ばかりではなかったのである。




