17:Emergency Room
さて、なんとか猿のような生き物の猛追から逃れ、部屋の中へと逃げ込んだ勝一郎達であったが、それで胸を撫で下ろせるというわけではもちろんなかった。
なにしろ、部屋の中には先ほど重大な怪我を負った負傷者が運び込まれているのである。むしろ問題はこちらの方がよほど切実で、リスクはともかく難易度という意味では戦闘よりも治療の方がよほど高い壁だった。
「とりあえず、俺とランレイの【気功術】で治療してみるか? 【血】の【気功術】を使えば怪我の治療ができたはずだ」
日頃酷使した肉体の回復に使っている【血】の【気功術】だが、これは本来けがの治療などにも使える優れた技術だ。人間の自然治癒力を強化していると思しきこれを使って行われる治療の効果は、以前勝一郎が自身の体で実際に体験したことさえある。
だが一見名案に思えるこの意見に対して、意外にもロイドが反論を示した。
「確かに【気功術】を使えば治療はできるだろうが、碌に消毒もせずに【気功術】で片付けようとしてんじゃねぇ。【気功術】使えるハクレンのおっさんが、何のために治療に薬なんか使ってると思ってやがる。あの薬、傷の治りを良くするってだけじゃなく殺菌消毒用だぞ」
言われてみれば、確かにハクレンの治療を受けた際、治療の前と後に何やら薬を使われた覚えがあった。勝一郎としては後に塗られたやたらとべたつく軟膏の方が印象に残っていたが、どうやらロイドはその薬の効能をハクレンに聞いて確認していたらしい。
「【気功術】ってのは、下手にかけると傷口に着いた雑菌の増殖まで助けちまうことがあるみたいなんだよ。とは言っても、ハクレンのおっさんはそもそも細菌ってもんを知らなかったみたいだから、症状からの勝手な憶測になるが……」
「お前……、医療の心得でもあるのか?」
「別に、医者やってたジジイからの聞きかじりだよ」
言いながら、ロイドは服の袖をまくり、自身の腕の肘から先をバレーボール大の水球の魔術に突っ込んで洗浄すると、青ざめた表情でナイフを取り出し、少女の血でべっとりと濡れた服の袖を裂きながら、苦い声で初期対応を引き受けた。
「とにかく、こいつの止血と消毒は俺がやる。というより、ジジイに習ってたのはあくまで応急手当だけだから、俺にできるのはそこまでだ。後はお前ら二人の【気功術】でどうにか治療を試みるしかねぇ」
どんなに泣いても嘆いても、今この場には治療を押し付けられる医者は存在していない。何しろここは異世界で、しかも勝一郎たちはこの世界の人間社会からも離れて遭難中なのだ。そんな状況である以上、今はなけなしの知識と能力を総動員して治療にあたるしか手段がなかった。
猿の牙によって痛々しい穴がいくつも穿たれた少女の腕が露わになる。
見たところ骨こそおられてはいないようだったが、血液があふれ出し、肌も紫に変色した傷口は傍から見ても酷いありさまだった。
そんな怪我の箇所に息をのみながら、ロイドが手近な布で傷の上あたりを縛り、手元に新たな術式を展開してすぐさま水球を作り上げる。
「そういや、なんか包帯の代わりになりそうなもんが有ったら用意しといてくれ。なるべく清潔な布がいい」
「ああ、それならたぶん姉ちゃんの荷物にあると思う」
と、ロイドの要望に対して、そばで不安げに少女の様子を見守っていた少年が唐突にそう言って立ち上がる。
勝一郎が少年に付き合う形で勝一郎がそれについて行ってみると、少年は先ほどまで少女が腕代わりに使っていた、やたらと大きく長い布を手に取り、その先をほどいて中から少女のものと思しき学生鞄を取り出した。
どうやら先ほど逃げてきていた際、目の前の少年と一緒に荷物を布にくるんで運んでいたらしい。
「姉ちゃんって、見て分かったと思うけどああいうのう能力の持ち主だからさ、細長い布を持ってると何かと便利だからっていつも包帯を何本か持ち歩いてるんだよ」
まるで当たり前のことでも語るかのように、少女のカバンをあさりながら、目の前の少年が背後の勝一郎に対してそう教えてくれる。
だが当然、それを聞く勝一郎の方は内心穏やかではいられなかった。なにしろこの物言いでは、まるで彼女がかなり前からあの布を操る能力を持っているかのように聞こえてしまうのだから。
「客観的に見て――」
と、唐突に、勝一郎のそんな内心の動揺を見透かしたかのように、目の前の少年が振り返り、何やら話を切り出した。
その様子はどこか困ったような表情で、そして同時にやたらと大人びているようにも見える。
「――そう、客観的に見てさ。最初に見た時、他の二人はともかく、兄ちゃんは俺たちと同じなんじゃないかと思っていたんだけど――」
「同じって……、それって」
「――でもなんだか、兄ちゃんも少し違うね。なんていうか、俺の言うことがわかってないみたいだし……。さっき助けてもらった時の扉や今いるこの部屋も、なんだか俺たちの知る能力とは違う気がする」
「俺たちの知る、能力……!?」
考えながら、少しづつ放たれるそんな言葉の連続に、ようやく勝一郎も一つの確信へとたどり着く。
(……この二人は、違う)
最初に見た時、勝一郎は服装や顔立ちなどから、二人が同じ世界、すなわち同じ日本からやってきた異世界人なのではないかと予想した。同時に少女が手足のように布を操っていたことについても、勝一郎自身がそうだったように、この世界に来た際何かのきっかけで手にしてしまった力、勝一郎が得たような『烙印の力』なのではないかと、そう予想していたのだ。
だが今、勝一郎が抱いた『違う』という確信が、その考えを根本から否定する。
その確信を裏付ける論理的な根拠も少し考えればすぐにあげられそうだったが、それ以前の問題として、この少年とは互いに抱える価値観が全く“かみ合っていない”のだ。
「お前ら、いったい……」
「それについては俺たちもいろいろと聞きたいところなんですけど、でも、先に姉ちゃんの手当て、済ませてからでもいいですか?」
「え? あ、ああ……」
言われて、ようやく勝一郎もそれどころではなかったことに気付き、半歩身をずらしていつの間にか行く先を塞いでいた我が身をどける。
対して少年も、勝一郎に対して目礼だけすると荷物の中から取り出したいくつかのものを抱えて残る三人の元へと向かおうとして、
「ああ、そうだ。サツマソラトですから」
「え?」
「名前、俺の名前はサツマソラトです」
そこにいったいどんな意図があったのか、少年はそれだけ告げると、今度こそ治療を受ける少女のそばへと戻る。
それを見送る勝一郎の方は、相変わらず外でやかましくがなり立てている猿達の方を注意しながら、心の中でこの三か月間なかった決定的な変化が訪れているのだと感じていた。
自分とロイド、ひいてはレキハ村の者達も関わることになっている、この世界の問題とはまた別の、異世界にまつわる決定的な変化が。
いかに【魔術】だの【気功術】だのと言う異世界の技術を持ち込めたとしても、医学的知識の乏しい勝一郎たち一行にできる治療法など、やはりたかが知れている。
結局少女の治療は、止血を行ったうえで傷口をロイドの【魔術】によって洗浄し消毒。そののち少女の荷物にあったガーゼと包帯を巻いて一応の手当てを行い、その後ランレイが【血】の【気功術】をかけて治癒を促進するという非常に大雑把な形に落ち着いた。
ちなみに、【気功術】をかけるのは勝一郎でもランレイでもどちらでもよかったのだが、先ほど部屋に逃げ込んだ後も外で猿達が騒いだりうろついたりしていて一応の警戒が必要なこと、そして何より同性であることなどの理由でランレイに決まった形である。正直なところどちらも【血】の【気功術】に特別秀でているわけではないため、言ってしまえば、手を開けておいた方がいい勝一郎からランレイが仕事を掠め取った形になる。
「とりあえず、これでできる手当は全部だろ。見たところ他に大きな怪我はしてねぇようだし、あとは目を覚ますのを待ってもう一度痛むとこがないかとかを聞いてみよう」
「それしかないな。一応受け身らしきものはとってたみたいだけど、骨にひびでも入っていたらことだし……。後心配なのは、頭を打って脳にダメージがいってないかってことだけど」
「んなことになってたらいくらなんでもお手上げだよ。聞きかじりの知識しかない素人に脳手術は手に余る。せいぜいたんこぶくらいで済んでいることを祈るしかねぇ」
少し離れた視線の先で用意した布の上へと横たわり、ランレイの膝を枕にして眠る少女の表情を眺めながら、勝一郎とロイドはひとまず今できる治療の終結を確認する。
ちなみに、目の前で繰り広げられる女同士の膝枕という以外にレアな光景には、一応本人たちなりの、というかランレイの方に理由があった。何ということはない、気功術をかける上で接触が必要となり、枕にできるものがすぐに用意できなかったためこの形に落ち着いたのである。実際ランレイの左手は、今も包帯を巻かれた少女の腕へと気功術をかけ続けている。
現状できるのは、やはりというべきかこの場にいる人間ではこれが限界だった。
「さて、と。俺としちゃ、気になってることが目白押しだから、そろそろそっちのガキに話とか聞きたいんだが」
残る治療をランレイに任せ、ロイドが血で汚れた自分の手を魔術で洗いながら、少し離れたその場所へと腰を下ろす。
当のソラトの方も当初こそ少女を心配していたようだが、勝一郎の無言の誘いを受けて自分にできることはないと割り切ったのか、一度目を閉じた後二人にの方へと移動して腰を下ろした。
「いいですよ。こちらもいろいろと聞いておきたいことがあるし。でも、俺の名前はサツマソラトです。できればガキはやめてほしいんですけど」
「じゃあ聞くけど、おまえとそっちの女、歳いくつだよ」
「俺が十二、姉ちゃんは十五になったばかりですけど」
「はっ、俺はもうすぐ十九だ。年の差考えたらガキで充分だろ」
なぜか大人げなく、ソラトに向けてそう言い放つロイドの姿に、そばで見ている勝一郎は思わず頬を引き攣らせる。
異世界に来てこのかた、ロイドとは長く寝食を共にしてきたわけだが、彼がこんな態度をとるところは勝一郎も初めて見た。
そしてそんなロイドの姿に、大人っぽく先に折れて見せたのはやはりというべきか歳の割にしっかりしたソラトの方だった。彼は一つ諦めたようにため息をつくと、
「わかりました。それならガキでもいいですよ、“悪人面”の“おじさん”」
と臆することなくそう言い切った。
自然、何かがちぎれたような幻聴が耳へと響き、部屋の体感温度がわずかだが下がった、ような気がした。
(なんてことを……、俺だって今まで思っても言わずに来たのに……!!)
どうやらソラトの方も大人びていただけで大人であるわけではないらしい。
頬を引くつかせるロイドの表情に戦慄しながら、勝一郎は二人のやり取りに心の底から戦慄する。
そばで見ている勝一郎にしてみれば、なんでこの二人、初対面でこんなに衝突できるのかがつくづく疑問である。もしかしたら性格的な相性が根本的に悪いのかもしれない。
二人にこれ以上会話させることの危険を感じ取り、ロイドが何かを言い返す前に勝一郎は素早く二人の間に割って入る。
「そっ、そういえば名前、あっちの、お姉さんの名前の方はなんていうんだ?」
「ああ、あっちはハゴロモヒオリ、俺の……、まあ、姉ちゃんです」
(……ハゴロモ?)
姉といいながら違う苗字と言いよどむソラトの様子を怪訝に思いながらも、直後に勝一郎は深入りを避けて抱いた疑問を頭の中から振り払う。
実際今はもっと優先的に聞くべきことがあるのも事実なのだ。勝一郎たちにしても、今は余計な問題に踏み入れるほど余裕がある訳でもない。
「……はっ、そうかよ。まあ、せっかくだから俺らの方も名乗っとくぞガキ。俺はロイド・サトクリフでそっちがショウイチロウ・トドモリ。そっちの女がランレイだ」
そんな一瞬の沈黙を意図してなのか破ったのは、やはりというべきかそばにいるロイドの声だった。先ほどのやり取り故か若干高圧的になったロイドが自身と他の二人の名前を順番に紹介すると、ソラトの方も合わせていた視線を逸らし、ロイドの言葉に応じて三人の顔と名前を確認していく。
「これはこれは、ご丁寧にどうも“おじさん”。ロイド・サトクリフにランレイ、そしてショウイチロウ・トドモリ、ね。確認したいんだけど、そっちの兄ちゃんはショウイチロウの方が名前なんだよね」
「あ、ああ。俺の世界での名乗りだと留守勝一郎が正式な並びだな。たぶんそっち二人の名前もそうだろう?」
視線を合わせずに火花を散らす二人に若干あきらめの感情を抱きながら、勝一郎はもはや諦めて会話を進めることにする。
もしかしたら今は事務的に必要な会話だけを推し進めていった方が二人の衝突は少ないかもしれない。
それはもうあきらめに近いような考え方だったが、しかしそれが意外にも功を奏して、ロイドの興味を別の方へとひきつけた。
「つか、一つはっきりさせておきてぇんだが、お前らってさ、同じ世界の出身なのか? 見てっと随分共通する部分が多いみたいだが、様子見てるとどうにも違和感あるしよぉ」
思わぬところで放たれた核心的な質問に、勝一郎とソラトは互いに一度顔を見合わせる。
実際この問題は、二人とも否定的な回答を出し欠けてはいたものの、まだ確認作業を終えていない問題でもあった。情報のすり合わせを行うなら、まずはそこから入るのが一番かもしれない。
とは言え、これに関してはまだソラトの方が知識不足な部分もある。
「さあね。俺としてもその辺気になってるから、できればその『同じ世界』って言葉の意味から教えてほしいところなんだけど」
ソラトの要望に、今度は勝一郎とロイドが顔を見合わせる。
とは言え、別に隠しておくような何かがある訳でもない。むしろソラトとの情報のすり合わせは順番はともかくできうる限り行っておかなければいけない行程だ。
結果として、わずかな相談の末に、まずは二人の、この世界に来た前後のあらましから話をすることにした。




