15:Dissector Room
たった三人では限界があることもわかっていたが、一応勝一郎たちは隊列を組んで行軍することにした。
とは言ってもその編成は非常に単純。方位を計ることができるロイドが先頭に立って先導し、それを背中のマントにランレイを入れた勝一郎がついていくという編成である。川沿いにまっすぐ進むなら方位を探る必要は希薄に思えるが、水場というのはどんな生き物が集まって来るかわからない場所である。昨夜の話し合いで、ロイドの【方位磁針】で方角に注意を払いつつ川から少し離れて進み、定期的に川の位置を確認しながら森の中を行くことに、三人の方針は決まっていた。
ちなみにマントは、先日谷翼竜と戦った時のように裏返し。マントの外側でランレイが身を乗り出し、後方の警戒と、勝一郎共々【気功術】の聴力強化による周辺の警戒を担当することとなっていた。
見晴らしがよく、【鯨蛇】を恐れて生き物が少なかった海岸付近ならいざ知らず、これから三人が挑むのはうっそうと茂る森林地帯である。何かの拍子に恐竜と出くわすなどという事態はできる限り避けたいし、それを避けようと思うならどうしたところで周辺警戒に割く人員を増やす必要がある。なにしろここにいるのは熟練の戦士たちには程遠い素人の三人組だ。ただでさえ手探りのやり方で行軍しなければいけない現状で、温存できる人員などないに等しい。
態々三人で進んでいるのもそれが理由で、進行速度の加速のために二人をマントの中に入れて一人が進むという行程を繰り返す案も出されたが、周辺への警戒がおろそかになるという理由で却下されていた。
「一応、風向きとかに注意して歩いたほうがいいのかな? 正直そんなことを言ってたらまともに歩けない気がするんだが……」
「臭いの話か? 確かにかぎつけられる可能性は高いっちゃ高いが、それならむしろカモフラージュを考えた方がいいだろ」
一応昨夜、三人はロイドの魔術によって一通り体を洗っている。とは言え、ロイドが使う魔術で洗う性質上特にランレイなどは服を脱ぐわけにもいかないので(脱ごうとしたが二人が全力で阻止した)、ロイドが作った巨大な水球の中に服を着たまま飛び込み、服ごと丸洗いされるという荒業によって一通り体を洗う形となった。まあ、こんな世界である。むしろ湯船に似た水の中にはいれて、しかも潮臭かった体を洗うことができたというだけで行幸だろう。濡れた服や体も水から出た途端に魔力から作った水が消滅したことであっさり乾いてしまったし、ある程度の体臭は消せて、強いにおいをばらまいて外敵をおびき寄せてしまうリスクも多少は緩和されたと思っている。
ただし、それではたして万全と言えるのかどうかはこの場の誰にもわからない。
「一応森の中に入ったら、その辺の草とかで匂いとかつけてみる?」
「なんとも言えねぇな。そもそも変に痕跡を残した方が危険って可能性もあんだろうし……」
「わからないことを考えてもきりがないんじゃない? そもそもこのあたりにいる魔獣が何を根拠に獲物を追ってるかもわからないんだから」
周囲を警戒しつつ、そんな言葉を交わしながら、勝一郎たちは川沿いに浜を歩き、やがては森の中へと足を踏み入れる。
このあたりは勝一郎たちの知る森と違って木が疎らで、その分地上でも歩ける場所が多いようだったが、逆に言えば大型の竜でも活動しやすい地形となっているようで、周辺警戒は怠るわけにはいかないようだった。最も、視界が確保しやすいためその分警戒事態は難しくなかったのだが。
「そういやこの森って、村の前の森からずっと続いてんのかな? 植物の感じは海沿いなせいかだいぶ違うみたいだけど……」
「さあ……。一応戦士たちの話を聞いた限りではあの【カンゼツの谷】あたりまでは全部【レキハの森】だっていう話だけど、川の下流の方はどこまでがその扱いなのかは、そういえば聞いたことがなかったわね」
「案外、そのあたりまでしか森の限界を知らないのかもな。遠征で探索して、たまたま森が終わる箇所で行きつけたのがそこだけだったってことなのかも」
「ってことは、このあたりの地図は大体こんな感じになんのか?」
そう言って、振り向いたロイドが魔方陣を描く際に使うマーキングスキルで空中に手早く、簡潔な地図を描き出す。その様子はどこか手馴れていて、簡潔でありながら非常にわかりやすかった。
ランレイも一度部屋から出てきて、三人で周囲に気を払いながらロイドの空中地図を眺める。
「北にあるのが、俺らがいたレキハ村のある絶壁、西にあるのがカンゼツの谷とそこを流れる川か」
「この途中にあるグニャグニャした線はなに?」
「そのあたりは省略だよ。川を流されて海まで行ったってのはわかっけど、その間に何があったのか、どんだけ距離が離れてたのかはわかんなかったからな」
「そして北の絶壁と南の海、西の【カンゼツの谷】とそこを流れる川以外は全部森か……」
「村近くにある川を忘れてるわ。あっちはあっちでカンゼツの谷とは別方向に流れてる川だから、今はあまり関係ないかもしれないけど」
そうして意見を出しながら、わかる範囲で地図を埋めていく。
とは言え、三人が知るこのあたりの地理的情報はあまりにも少ない。そもそも今朝までいた海の場所も、ロイドの【方位磁針】の魔術で漠然と南方と判断してはいたが、川の流れによっては単純に南ではなく、【カンゼツの谷】から見て南西や南東方向に流されている可能性は十分にあった。
「そういや、川を遡れば【カンゼツの谷】に着けるなんて漠然と考えちゃいたけど、途中で川が枝分かれしてたらどうすりゃいいんだ?」
「んなことになってたらもうお手上げだよ。少なくとも俺にはどうにもできねぇから、それこそそっちでなんとかしてくれ」
「そんな無茶な……」
「つうか今の段階で、んなもしもを言っててもしょうがねぇだろうが」
勝一郎の言葉にロイドがそう応じ、呻く勝一郎をしり目に、話を終わりと感じたのかロイドは掌を閉じるように地図を消し去った。
その様子は見たところ、いつものロイドと変わらない。
少なくとも勝一郎が見た限りでは、変わったところは何もないように見える。
(けどなんか……、いや)
感じる違和感を頭の中から振り払い、勝一郎は周囲の警戒へと意識を戻して引き締める。
実際全て、今は考えても仕方がない事なのだ。この先にあるものも些細な違和感も、わからないのなら無理に考えずに今生き延びることに意識を集中させた方が明らかにいい。
そんなあまりにも正しい判断に準じて、勝一郎は他の二人と共に先へと進む。
ちなみにこのとき、三人はもちろん知る由もなかった。今しがた三人があっさりとできないものと断じた、“遠方の様子を見る”というまさにそんな力を持った人間が、勝一郎たちの元へと命からがら向かっているなどとは。
最初に出くわしたのは、意外にもすでにこと切れた二つの死骸だった。
海から離れたせいか、木の密度が上がり始めた森を歩いていて異臭を感じ、相談の末に三人、周辺環境に最大の注意を払いながら、その異臭の元へとたどり着き、見つけたものである。
大きさは馬ほど。二足歩行で、頭に丸っこいポニーテールのようなおかしな形の突起のある恐竜。そんな生き物の死骸が、半ば腐りかけの状態で二体、ころがっているのを見つけたのである。
その凄惨な光景に、思わず三人とも息を止める。
いや、息を止めたのは単純に腐敗臭がすごかったからでもあるのだが。
「……酷いな。もう腐りかけてる。……胸が悪くなってきた」
うめき声をあげながら、勝一郎は見つけた死骸からわずかに距離をとる。いくら殺し殺されの弱肉強食の世界に慣れてきたとは言っても、ここまでひどい状態の死骸を見るのは初めてだ。今までは仕留めてすぐの、言ってしまえば新鮮な死骸ばかりとの遭遇だっただけに、よく見れば蟲まで湧いているこの現状は、思わず生理的な恐怖を呼び起こされる光景である。
だが、そんな死骸に対して、マントから外に出ていたランレイは一歩近づいていた。
さすがに口元を押さえ、顔を青くしているが、それでもその死骸に近づくのをやめようとしない。
「おい、なにする気だよお前。臭くてかなわねぇんだ、臭いの元がわかったんだし早く離れようぜ」
「……まだよ。まだこいつが、なんで死んだのかわかって無いもの。なにが原因で知っておいても、この先損はないわ」
離れようとするロイドをそうたしなめながら、臭い対策なのか一昨日勝一郎が渡しておいた【息継ぎ部屋】の手拭いを口元に巻き付け、ランレイは顔をしかめながらも注意深くその死骸へと近づいていく。
対して、残された勝一郎たちは一度だけ顔を見合わせると、別れて周囲を警戒しながらランレイの観察が終わるのを待つことにした。
ついでに勝一郎は、いざという時に扉を設定できそうな面も探しておくことにする。
「だいぶ内臓を食べられてるわね。でもその癖他の部分はあまり口をつけてない……。しかももう一匹の方は明らかに殺しただけに見えるわ」
「……確かに、殺したくせに喰った様子があんまねぇな。ウェ……、虫には大分喰われてるみてぇだけど……」
聞こえてくる会話に胸を悪くしながら、勝一郎は周囲を警戒しつつ、恐る恐る死骸の方へと視線を向ける。
確かに、よく観察してみれば二体の死骸は、一方こそ腹を食い破られているものの、もう一方はほとんど手を付けた形跡は見られなかった。ただ、それでも無傷で倒れているというわけではなく、それどころか鱗に包まれた体は他にもあちこち傷が刻まれていた。
「多分これが致命傷だったのね。血も派手に出ているし、この場所なら確かにどんな生き物でも絶命するわ」
そのうち、喉首につけられた歯型のような傷をいつの間にか拾っていた枝で指して、ランレイは二人に向けてそう断言する。
確かに、見ればその場所には何かの歯型のような傷跡が、夥しい量の血の噴出口として存在していた。
「歯型の大きさからみても、それほど大きな生き物じゃないわね。体中に傷があるし、小型の生き物が群れで襲い掛かったのかも」
「つか、そうして襲って殺しておいて、なんでこんな腐るまで放置してたんだ? 群れで襲ったにしては食った量が少ないしよぉ」
「食べるのが目的じゃなかった、とか……?」
思い付きで口にした勝一郎の意見に対し、ランレイは顎に手をやりながら『そうね』と短く答えて首肯する。
勝一郎としてはその可能性というのは自分で口にしていながらも予想の範囲外だったため、ランレイのその様子には少し驚きだった。人間ならいざ知らず、まさか野生動物に食べもしないのにこの大きさの生き物を襲う何かがいるというのは、どこか受け入れた弱肉強食と対立するような気がして少々飲み込み難い感覚がある。
とは言え、受け入れがたい事実であっても受け入れていかなければ、この世界で生きていくのは難しい。
「まあ、一応食べてはいるということは全く肉を食べない生き物というわけではないのでしょうけどね……。ただ、やっぱりこのありさまを見るとついでだから食料にしたっていう線の方が強いかも」
「だとしたら、襲われた理由は迂闊に縄張りに踏み入ったから、とかか? だとしたらヤベェんじゃねぇか? この死骸がここにあるってことは、ここらはもうその生き物の縄張りってことになっちまう」
「……そうね。たぶんこいつら、相当に凶暴な魔獣よ。今からでも避けられるものなら避けて動いた方がいいかも……」
周囲を警戒し、神経を尖らせるロイドに対して、ランレイも冷静なままでその意見に同調する。
そして二人のそんな意見に対しては、勝一郎自身も特に異論はない。むしろ手放しで賛成したいくらいだったのだが、しかし賛成したとしても現実的には大きな問題が一つあった。
「けどさ。実際どうやってこいつらを避けて通るつもりだ? まさかこいつらの縄張りの境界線がどこかに敷かれてるわけでもないだろうし、迂回しようにもどう迂回すれば避けられるかもわかんねぇぞ」
勝一郎の問いかけに答えを返せず、ロイドとランレイが二人そろって黙り込む。
もしかしたら見るものが見ればフンや足跡などの残留物で縄張りの判断ができるのかもしれないが、ここにいるのは素人同然の知識しかない三人だ。どう考えてもそんな判断はできそうにない。
「しかたないわね。これまで以上に注意して、ここから先も進むしかないわ。……もしも群れで襲ってくるのなら、仲間同士で連携をとるために声とかを使うかもしれない。ここから先はショウイチロウも聴覚を強化して、周囲の警戒に意識を裂いてちょうだい」
とりあえず次善とも言える方針をその場で固め、勝一郎たちは死骸に背を向け歩き出す。
とは言え、このときもしも三人が周囲をもう少し調査していれば、地面に残る足跡の形でこの相手がどんな生き物化に気付けたかもしれない。
まるで人間の子供が、拳を地面に押し付けて作ったようなそんな足跡。その足跡の主と三人が遭遇するのは、そこからさらに数時間が経過した後のことだった。
おまけの用語解説
【魔力の属性回帰現象】
あらゆる魔術は術式によって魔力に様々な方向性を与え、その方向性に即する形で魔力がその性質や形を変化させることで発動する。ただしこうして与えた変化は一過性のもので、【魔力の属性回帰現象】というのは制限時間を超えた魔力が、術式によって与えられた方向性を失い元の【全属性】の魔力に戻るという性質のこと。
ここでいうところの制限時間は術式によってまちまちで、エレウテリオスという学者が発見した八文字からなる術式を組み込むことで劇的に使用時間が伸びた例も有るが、それでも伸びて得られた時間はせいぜい十数分程度が限界だった。
ロイドの世界ではほとんど常識と言ってもいい原則なのだが、勝一郎の作る扉や部屋はこの原則にぶっちぎりで違反しており、勝一郎が【開扉の獅子】を使うたびにロイドはその非常識っぷりに毎回頭を抱えている。そういう意味では、ロイドから見た際、勝一郎の方がよっぽど魔法使い染みていると言えかもしれない。




