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13:Take up too much room

 ロイドがその部屋の中へと吸い込まれたのは、彼がその影の姿を水中で確認してから、ほとんどすぐのことだった。

 ロイドの感覚では、自分が呆然としている短い時間の間に、隣では勝一郎が事態の危険性を認識し、足手まといのロイドを部屋の中へ匿ったとも解釈できる。

 というよりもロイドはまさにそう解釈していた。実際事実として、ロイドはこの場での問題を解決するうえで必要になる戦力となれなかったはずだし、ランレイを回収して『あれ』から逃れなければいけないこの状況で、ロイドが外に出たままというのはデメリットはあれどメリットと言えるもの無いに等しいのだから、その解釈でも勝一郎の判断は妥当であるとも言える。もっとも、勝一郎は別にロイドのことを足手まといとまで思って部屋の中に入れた訳ではなかったのだが。

 ただ、事実として役には立たない。戦力としてもそうだが、己の震える体を自覚してしまっているロイドには、己の存在を足手まといと感じてしまうことに、なんの障害も存在していなかった。


「――く、ぁ……、なんだよ、なんだよあれ……!!」


 水浸しの床の上にへたり込み、震える体をどうにかおさえこもうと努力しながら、ロイドは先ほど見たあの生物にひたすら恐怖していた。

 それほどまでに圧倒的な存在感だった。見えたのは影だけだが、それだけでも絶望できるでたらめな巨体。勝てはしないと、本能が確信できる生物としての絶対的な格差。あるいは自身の無力無能を、しっかりと思い知っていたからこそそんな直感が働いたのかもしれない。これで心に余裕があれば、ロイドはいち早く判断し動き出した勝一郎の能力の高さに嫉妬の一つも覚えただろうが、生憎と今のロイドにはそんな心の余裕は一欠けらもありはしなかった。

 あるのは、生物である以上逃れることもできない恐怖と絶望。


「――無理だ、ショウイチロウ……!!」


 振り返って閉まった扉に向き直り、ロイドは無意識にそんな言葉を口にする。口にしても意味はないとわかっていながら、心を折られたロイドにはそれを言わずには済ませられなかった。


「あんな生き物っ……、体を鍛えてどうにかできる相手じゃない……!!」


 言いながら、わずかに残ったロイドの理性が『じゃあどうするのだ?』と問うてくる。

 たとえこのマントの中に全員が逃げ込めたとしても、あの化け物はマントごと三人を胃袋の中に収めてしまうだろう。かと言ってここは水中。まさか泳いで逃げ切れるわけもない。もはやロイドたちには、あの化け物を打倒す以外には生存の手段が残されていないのだ。

 いかに深く槍を刺したところで、どうあがいても致命傷にはできないだろうあの巨大な生き物を相手に。


「無理だろ……、そんなの……!!」


 みずびたしの部屋の中で、ロイドは一人悲嘆にくれる。次の瞬間には自身が部屋の外に引きずり出されて、あの巨大な生き物に噛み砕かれるのではないかと、そんな未来に身を震わせて。






 一度は死に物狂いで泳いだものの、しかし早々に勝一郎は泳いでランレイに近づき、回収する道を諦めた。

 なにしろ己はヒレも水かきも持たない人の身である。ましてや手にマントを持ち、それなりに重い装備を纏ってどんなに体を動かしても、あの馬鹿げた水生生物に勝てる道理がない。先にランレイを目の前で食い殺されて、自身もあえなくその後を追うという展開が、予知能力がなくても目に見えている。

 ゆえに勝一郎は、ランレイの元へ駆けつけるという選択肢を諦めた。むしろここは逆に、“ランレイの方からこちらに来てもらう”。


『開け――、【開扉の獅子(ドアノッカー)】――!!』


 手にしたマントを先ほどロイドを放り込んだのとは逆の面を向けて構え、かつてないほどに大量の【気】を込めて扉を開く。

 扉の大きさはマントに作れる最大のものに。部屋に至ってはかつてないほど、何度か作った体育館並みの大きさよりもなお広く。

 自身の保有する【気】の量に物を言わせて、【開扉の獅子(ドアノッカー)】という力の自由度に頼りに頼って、勝一郎はマントの表面にできたスライドドアを、己の流す【気】の力によって、勢いよく下へとスライドさせた。

 直後、勝一郎の思惑通り、広大な海の中にか細い、しかしやたらと流れの速い海流が発生する。


『――く、ぉお……!!』


 海の中に突然部屋が生まれ、その中に周囲の海水が先を争うようになだれ込む。部屋へと吸い込まれる水が一つの流れを形成し、その中にもうほとんどもがくこともできなくなったランレイの体を巻き込んで。


『そうだ、流れて来い!! 流れに巻き込まれて流れて来い!! あのでかいのに捕まる前に、こっちへ……!!』


 マントを掴んで、発生した海流を思い切りそれに受け止めながら、同時に勝一郎は自身が徐々に押し流されていることにも気づいていた。何しろ今の勝一郎は、生まれた海流をマントを広げた状態で、しかも踏ん張る地面がないままに受け止めているのだ。

 幸い、水の流れは大半が部屋の中へと取り込まれてしまうため、勝一郎を押し流す力はそれほど強くなかったが、それでも海流一つを受け止めてなお狙いをまっすぐに絞るのは【気功術】で肉体を強化していても相当に難しい作業だった。下手をすれば、今すぐにでもマントを構える勝一郎の体がきりもみ回転を始めてしまいそうですらある。勝一郎の体が後ろにどんどん流されているから逆にバランスには失敗せずに済んでいるが、それだって少しでも間違えたらこの流れにマントを持って行かれる。

 いや、その原因はわかっている。部屋を作るにあたってマントの面からスライドしたスライドドア。それがもろに海流のあおりを受けることになって、海流を真っ向から受け止める形になって、勝一郎にマントを構えるという行為を困難にしているのだ。ついでに言えば、勝一郎のもとにランレイが流れ着くのを遅らせる結果ともなっている。

 一応勝一郎としては水圧で扉が閉められなくなるという可能性も考慮して押戸開き戸ではなくスライドドアを選んだのだが、今回はそれが少し不都合を伴っている形だ。一概に裏目に出たとも言い切れないのはあの巨大な影からも気休め程度には距離が取れるからなのだが、それでランレイの回収が遅れて彼女が溺死してしまっては元も子もない。


『――だったら!!』


 扉に手を当て、勝一郎はもう一度同じように体の内で【気】を練り上げる。己の手の甲で輪を噛む獅子の烙印が発光し、その力を存分にこの世界に顕現させる。


『開け――、【開扉の獅子(ドアノッカー)】――!!』


 作り上げるのは今マントの面に作られているのとまったく同じ扉。ただし今度は先に作った扉のその表面に、部屋の内側にスライドする形でもう一つ扉を作る。

 結果として生まれるのは、先に作った扉が生み出すのと同じ、その勢いを倍加させるもう一つの海流だ。


(流れ込めぇっ――!!)


 扉を二つにしたことで吸引力を底上げし、受け止める海流の重さを軽減して、勝一郎はマントを支えたままその陰からこちらに流れてくるランレイの様子を観察する。

 すでに息が続かなくなってしまったのか、それとも勝一郎の意図に気付いて流れに身を任せてくれているのかはわからないが、こちらに流れてくるランレイの姿に動きはない。心配ではあったが、どのみち今はそれを気にできる余裕もないと割り切り、勝一郎も今はひたすらランレイを受け止めるタイミングを探り続ける。

 この後のことを考えても、ここでタイミングをしくじるわけには行かないのだから。


(もう少し……、まだ、まだ、もうちょい待て……!!)


 はやる心を押し殺し、流れてくるランレイとの距離を半ば感で計りながら、勝一郎はそのタイミングが来るのをじっと待ち続ける。

 扉を閉じて、水流を止めるタイミングを。こちらに流れてきたランレイを、部屋の中へと迎え入れるその瞬間を。


(――今だッ、――『閉じろ』!!)


 勝一郎の意思と【気】を受けて、二枚のスライドドアが閉まって元のマントへと瞬く間に回帰する。それをじっと確認するヒマすら惜しいとマントを水中で翻し、裏返してそこにあるもう一つの扉をランレイの方へと向けなおす。


『開け――!!』


 再び部屋を解放。その扉が勝一郎の意思を受けて押し開かれ、中にロイドがいる部屋へと向けて、ランレイの体がそのまま流れ込む。

 考えてみればこの水の中、水圧があってもこの扉は問題なく閉まっていたことになるのだが、今はそれもあまり問題ではない。中に入ったランレイが無事に呼吸を始められるかも心配ではあったが、そちらに関しては中にいるロイドに全てを任せるよりほかになかった。

 今勝一郎がすべきことは、それこそ今、目の前に山のようにある。

 それこそ山のような相手が、そこにいる。


(……でかい!! いったいこいつ、何メートルあるんだ……!!)


 距離が近づき、ようやく相手のその姿がはっきり見えてきたことで、改めて勝一郎はその大きさに圧倒される。

 いや、この感覚は圧倒という表現とも少し違う。

 単純にゾッとした。

 本能のレベルで恐怖した。

 実際にその姿を目に焼き付けて、生物としての格の違いを思い知らされた。


 仮に名前を付けるとしたら、定めしそれは【鯨蛇】といったところか。


 暗闇の向うから現れたのは、仮名通り鯨と蛇を足して二で割ったような、そんな奇妙に長太い生物だった。

 鯨とみるには妙に長い体をしているが、胸のあたりにヒレのようなものはしっかりと見える。かと言ってそれだけで泳いでいるわけではないようで、まるでウミヘビのように体をうねらせて泳いでくる。大きさからいってクジラの一種かと、『蛇のような鯨』なのかとも思ったが、どうにも爬虫類的な印象の方が強く、どちらかといえば『鯨のような蛇』とでもいうべき生物だった。

 その大きさは、少なく見積もっても二十メートル以上。のたくっていて目測では測りにくい上に、尾の方がまだ闇の中にあるため判別がつきにくいが、どうかすると三十メートルを上回るかもしれない大きさだ。勝一郎の知識では、地球上で最大、また過去にさかのぼってもなお最大の大きさを持つ生き物というのは体長三十メートルを超えるシロナガスクジラであるという話だが、この相手は体長だけならばそれにも匹敵するかもしれない。そんな生き物がこんな近海にいたというのもまた驚くべき話なのかもしれないが、どうやらこのあたりの海は日本の整備された海岸と違い、割と近海で水深が深くなっているらしい。少なくとも、今勝一郎がいる場所はこの化け物が泳ぐにも十分な水深があった。


(シロナガスクジラみたいに、食事はプランクトンや小魚で満足できる、って相手じゃねぇよなぁ、どう見ても。口の構造とか、鯨っていうよりもワニみたいだし……)


 口の構造を観察すれば、その生き物が普段何を食べているかは大体わかる。その点で言えばこの生き物は、間違いなくぶっちぎりの大型肉食獣だった。かつて勝一郎が命からがら倒した【咬顎竜】というティラノサウルス型の恐竜すら、この生き物にとっては食いでがあるだけの格好の餌かも知れない。

 そしてこの姿を見れば、先ほど勝一郎たちを海へと引きずり込んだ大波が何だったのかもわかろうというものだ。海を歩いていたとき、海岸にやけに生き物が少なくて疑問に思っていたところだが、恐らくその理由は、この生き物が海岸に近づいた生き物を片っ端から海に引き込んで捕食していたからなのだろう。なんのことはない。勝一郎たちはこの化け物の狩場を、思わぬ安全地帯だと思って油断しきっていたわけだ。


 圧倒的な化け物。絶対的な頂点生物。

そんな相手を前にして、しかし勝一郎には、マントを掴み、その陰に隠れるように体を丸めることしかできなかった。

自然界においても、危機に陥った生き物には体を丸めて身を守ろうとするものが多いが、今の勝一郎の姿は傍から見ればまさにそんな弱者のありさまだった。


 当然、そんな弱者を見逃すほど、この頂点生物は甘くない。


 目の前にいるのはこの生き物にとってはただの餌でしかない。当然のように一咬みで命を奪い、一飲みで胃に収めるべく、【鯨蛇】はその奈落の底のような口を開けてちっぽけな獲物めがけて食い掛かる。

 矮小な餌に対する、頂点生物説いての当然の対応。

 だからこそ、このときこの巨大生物はまさか思いもしなかっただろう。目の前で体を丸める矮小な餌が、その巨大な口の中に自身が納まる瞬間を、虎視眈々と狙って待っていることなど。


(喰うために、齧り付けるように海の中に引きずり込んだんだろうが、こっちも海の中でもなければお前は殺れなかったぞ……!!)


 三か月訓練を受けた勝一郎だったが、これほど大きな相手に効く攻撃など全くと言っていいほど習得していない。【開扉鎚(ドアハンマー)】や【開扉昇打(ドアアッパー)】といった、【開扉の獅子(ドアノッカー)】を応用した攻撃技もあるにはあるが、それはこんな海の中で使えるものではないし、そもそも敵が巨大すぎて扉の重さという威力が足りない。

 だがあるのだ。勝一郎の手には必殺の武器が。この海の中だからこそ手に入った、先ほどランレイを救助した際に、彼女を引き寄せるため、“部屋の中へと取り込んだ莫大な量の海水が”。


『これを期に、食事はプランクトンにでも切り替えろ!! 強制排出(リリース)――【開扉の獅子(ドアノッカー)】――!!』


 直後、海の中で起こったその現象は、一言で表すなら巨大な爆発だった。

 扉の消滅による強制排出には一つの特性として、内部にあるものが順次排出されるのではなく、内部にあったものすべてが消滅の次の瞬間に、部屋の中にあったのとまったく同じ状態で扉の前の空間に排出されるという性質がある。

 これは武器や道具などをしまい、取り出す際には特に問題にはならない特性なのだが、今回排出されたのは莫大な量の海水だ。突如出現した海水はもともとそこにあった外の海水をいっそ暴力的とまで言える力で押しのけ、急激な勢いで押しのけられた海水は衝撃波となって周辺目がけて拡散する。


 それ故に、起きた現象は正しく爆発だった。


 莫大な量の水が出現したことでまるで魚雷でも炸裂したように水柱が斜めに上がり、数瞬後に猛烈な雨となって海面を一斉に叩き打つ。

 発生した衝撃波と海本来の波がぶつかり合い、まるでかき回されたように一体の海が激しく荒れ狂う。

 大容量の海水によって演じられる、スケールの違う圧倒的暴力。当然、そんな現象が目の前で起こればそれを起こした勝一郎とてただでは済まない。


『グ――、ウ、ガァァァァッ!!』


 途中でマントの中に逃げ込む暇などまるでなく、むしろ荒れ狂う流れにマントを攫われそうになるのを身の内に抱え込むことで必死にこらえて、勝一郎は爆発による水圧の嵐の中を必死に耐え忍ぶ。

 身を襲う激流は先ほどの津波に飲まれた時と比べてもそん色がない、どうかするとそれ以上とさえ言えるだろう猛烈なものだ。当然すぐに上下の区別がつかなくなり、まるで洗濯機の中にでも投げ込まれたような状態で、荒れ狂った水の流れに滅茶苦茶にもてあそばれる。

 それでも 部屋の消滅による強制排出に、一定の指向性があったことが幸いだった。強制排出は中のものを問わず扉のあった面からその正面に対して発せられるため、勝一郎自身が受けた衝撃はその反動だけで済んだのだ。そうでなければいかに体を丸め、【気功術】で肉体を強化していたとしても、脆弱な人間の体ではその衝撃波によってバラバラにされていただろう。


 当然、そんな爆発をマントの正面で、それも口の中にもろに喰らった【鯨蛇】はただでは済まなかった。


 閉じられようとしていた巨大な顎は爆圧によって無理やりこじ開けられ、それだけでは済まずに首の半ばまでを一気に引き裂かれ、そのまま頭部が丸ごと上下に吹き飛んだ。

 喰いつかんとした次の瞬間に起こった一瞬の破壊。当然こんな被害に生命が堪え切れるはずもなく、頂点に立っていたはずの生物はそうと意識する暇もなく絶命する。

 縛圧によって海上まで高々と打ち上げられた胴体が海へと倒れ、追加の水しぶきを上げながら残る屍を海へとさらす。

 あまりにもあっけない、しかし圧倒的なスケールのその姿を、勝一郎はどうにか水上に浮かび上がりながらどうにか視界に収めていた。


「……ハッ、……ハッ、……ハァッ。や、やったぞ……!!」


 反動による激流が収まった海の上に、ダメージによって身動き取れぬままどうにか浮き上がった勝一郎は、それでもその最後の姿だけはしっかりと目に焼き付けていた。

 頭部を失い、泳ぐ力をも喪失した巨大な体が、徐々に水に飲まれて、海の底へと沈んでいく。

まるでその命の喪失を見送るように、空に打ち上げられて輝いていたロイドの魔術が光を失い、その高度を徐々に下げてまるで後を追うように消えていく。

 儚く淡い、光が落ちつつ、消えゆく最後。その様子に後ろ髪を引かれながらも、しかし一方で勝一郎は、明かりがあるうちに確認しておかなければいけない最後の事項確認するべく、その様子から一瞬目を離した。

 自分が戻らなければいけない、先ほどまでいた海岸の方向を確認するために。


「ああ、やっべぇ……、もしかしてあそこまで、自力で泳がなきゃいけないのか……?」


 遠く見える陸地を見て、反動によるダメージが抜けない体で、ぐったりと水面に浮きながら、勝一郎は次なる試練の予感にがっくりと起こした頭を水へと漬ける。

 どうやら今夜は、まともに陸地で眠りにつくことはできないようだ。

 泳ぎ通しになる未来を予想して消えそうになる意識を繋ぎ止めながら、勝一郎はそうしてしばらく海上を浮遊していた。

 






 勝一郎自身は意識していた訳ではなかったが、しかし客観的な事実として、彼と【鯨蛇】は非常に派手な形での激突だった。

 なにしろ空中にロイドが光源をいくつも打ち上げた状態で、その水中で爆発染みた現象を起こして巨大生物を打ち取ったのである。客観的に見てもこれほど目立つ、派手な戦闘はあるまい。

 ただしそんな派手な戦闘も、勝一郎自身が意図して行ったわけでは間違ってもない。繰り返すようだが彼に派手な戦いをしようなどという意識はかけらもなかったし、それ以上に派手に戦うことで、他の天敵たりえる生き物に嗅ぎつけられたのではないかと、後になって勝一郎自身がビクビクしていたくらいである。


 だからこそ、当然のように思いもしなかった。

 まさか先ほどからの戦闘を、それも通常では有り得ない距離から見ていた人間がいるなどとは。


「ねぇソラ君、いったい何が見えたの? いい加減お姉ちゃんにも教えてよ」


 遠く離れた内陸、それこそ海まで、森を歩いて数日はかかるのではないかというそんな場所で、一人の少女がそう声をかける。

 彼らがいるのは、あたり一帯でもひときわ高い木の幹の上。人が乗ってもギリギリ折れないくらいの、そんなきわどい枝の上に立って、しかし下を見てその高さにおそれることすらなく、少女はひたすら上に上ったもう一人のことを気にかけていた。


 背格好だけを見るならばランレイとそう年も変わらない、すなわち十五・六の少女のようだった。だがもしもここに誰か、この世界の者にしろそうでないにしろ人がいたならば、彼らの格好にまず注目したであろう。

 少女が着ていたのはこの世界の人間の格好とはまるで異なる、勝一郎などが見れば一発で分かるようなセーラー服。明らかにこんな世界の、こんな森にいることに違和感を覚えるようなそんな服装の上に、なぜか彼女は引きずるほど丈の長い布を首元に巻き付けるようにして風にはためかせている。布の巻き方を考えればマフラーやショールをイメージしそうだが、それにしては布面積が異様と言っていいほどに大きすぎる。普通に考えれば邪魔にしかならないであろうそんなファッションを、しかし少女は着なれた様子で何の違和感もなく着こなしていた。

 そしてもう一人、この世界では有り得ない、Tシャツと短パン姿という服装の少年が、少女よりもさらに高い幹の上でずっと遠方を眺めている。

 こちらの年齢は少女より低い、十二・三歳といったところか。年相応の活発さと、歳以上の利発さを併せ持ったようなそんな少年は、真下にいる少女の言葉を半ば無視する形で、ずっと遠方の闇の中を眺めていた。

 ここからでは絶対に見えるはずがない、遠く離れた海の方角を。


 長い沈黙。だがそんな時間も、少年がひときわ驚くような表情を浮かべた後、なにを見たのか一つ息をついて少女の方に視線を向けなおしたことでようやく終息する。


「……もう。いったい何が見えたのソラ君? わたしソラ君ほどいい目を持ってないから言ってくれないとどうにもできないんだけど……」


「悪かったよヒオリ姉ちゃん。結構衝撃的な光景っていうか、客観的に見ても驚くようなものを見てたからさ」


 そう言って頭を掻きながら、『ソラ君』と呼ばれていた少年は一切恐れることなく、この暗闇の中で『ヒオリ』と呼ばれた少女の隣の枝へと飛び下りてくる。一歩間違えば、地表まで一気に落下しかねない危険な行為。当然そばで見ている少女にとってはそんな行いは見過ごせない。


「もう、ソラ君っ!! そんな危ないこと軽はずみにしないの!! わざわざ飛び下りなくても、言ってくれれば私が下してあげるのに」


「いや、そこまでされなくても、これくらい客観的に見てもどうってことねぇよ。そんなことより、今何が見えたのか聞きたいんじゃなかったのか?」


 少女の過保護な心配にため息をつき、少年はその利発そうな顔を引き締めて、目の前の少女に自分が見た光景を告げる。

 少年がいたその位置からでは、決して見えなかったはずのその状況を。


「とりあえず、人を見つけたよ。まあ、向こうは向こうで客観的に見ても妙な集団だったけど、妙である以上にすごい集団だったけど、とりあえず合流してみる価値はありそうだ」


「……嘘……、人が……、人がいたの? 本当に?」


 少年の報告に、対する少女は信じられないという面持ちで、口元に手を当てて震える声でそう問い返す。

 その反応に対して、少年の方は何も言わなかった。なにしろ少年も少女と同じ立場の人間だ。彼女の反応は、客観的に見ても当然と言えるほどよくわかる。


「とりあえず、“ここにも一応人はいるみたいだ”。とりあえず今も“目は付けてるから“、夜が明けたらあいつらがいる方向に向かってみよう」


 日の出までまだ間がある夜のさなかに、二つの道が奇妙な縁で交差する。

 未だ帰る術なき遭難者たる彼らの、帰還を願って歩くその道が。


おまけの用語解説


鯨蛇(くじらへび)

 体長なんと二十メートル超。どうかすると三十メートル。ウミヘビと鯨を足して二で割ったような長太い体に、鯨のような胸鰭と尾鰭を特徴に持つ水竜。首の後ろ付近にある鼻から息継ぎを行う、超音波で周囲の状況を探るなど体構造や生態も鯨に近いが、実際には列記とした爬虫類で、表面には爬虫類の鱗がしっかりと残っている。

 巨大な体を持つが鯨のように広大な海を泳ぎ、深海に潜る能力はなく、もっぱら陸地近くの浅い海域で生活し、その鋭い歯で獲物を捕らえて喰らっている。

 非常に獰猛、かつ食欲旺盛で、陸地を歩く獲物を見つけるとその巨体で大波を起こして水中に引きずり込んで捕食する。こいつがいる以上この世界では海水浴はおろか、浜辺での日光浴も迂闊にできない。いや、こいつがいなくても別の奴がやって来るだけなので、それができる環境などないに等しいのだが……。

 ちなみに、鯨蛇という名称は遭遇した勝一郎が勝手に名づけたもの。通常魔獣の名前は発見した村の者達が付けているのだが、彼らは海にたどり着いたことがないためこの生き物については未発見であった。というか、これに遭遇していたらまず生き残れない。はっきり言って人間が体を鍛えてどうにかできる相手ではなく、その点レキハ村の戦士達との相性は最悪の一語に尽きる。いかな達人級の戦士がそろっていようとも全滅もありうる超危険生物である。


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