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10:Breathing room

 騒乱の過ぎ去った後のカンゼツの谷の上で、ハクレンは一人谷底の河と、その川下を睨んでいた。

 周囲では他の戦士たちが人数の確認と、足りない者達の捜索を始めている。

 とは言っても状況が状況だ。周囲をくまなく探すことなどとてもできはしない。できることと言えば、ハクレンのように付近を【気功術】で強化した視力でもって見渡すのが限界で、行方不明となった三人を見つけられる公算は限りなくゼロに近かった。


 あの時、ハクレンは崖淵にたどり着くのが一瞬ではあるが遅かった。

 不運もあった。ハクレンの場合は三羽の【谷翼竜】にほとんど続けざまに足止めを食らったし、他の戦士が打倒した死体が走る道筋の途中に落ちて、それを飛び越えるのに一瞬だが時間を浪費してしまった。そんな、他の戦士たちからしたら限りなく少ない一瞬の積み重ねが、ハクレンの手元から二人の弟子とその面倒を見る少女を同時に取りこぼさせる結果へとつながった。

 結局できたのは、落ちた三人を追おうとする【谷翼竜】を、四羽から一羽に減らすことただそれだけ。それとてほぼ同時に駆け付けたエイソウと協力して、しかも一羽は取りこぼしている。その取りこぼした一羽が三人の命を脅かした可能性も相当に大きい。


「ハクレン」


 呼ばれて振り返ると、自分と同年代の、見知った巨漢の姿がそこにある。

 物心つくころからこの年になるまでの付き合いだ。言葉にされずとも彼が言わんとすることはすぐにわかった。


「出発か」


「そうだ」


 短い、そんな言葉の応酬だけで、ハクレンは弟子の落ちた崖に背を向ける。

 遠征はいまだ終わっていない。【谷翼竜】の住処からここはほど近いし、先ほどの戦闘で周囲の獣たちにハクレンたちの居所は感知されていることだろう。早くこの場を離れなければならないのは、長く戦士として生き続けてきたハクレンが誰よりも知っている。

 自分たちには行方不明になった仲間を探す余裕も、立ち止まって帰りを待つ余裕もないのだ。

 できるのはただひたすら目的地である拠点をめざし、安全なそこで彼らの到着を待つことそれのみだ。


「ハクレン。己の教え子を信じろ」


「……信じているさ」


 ブホウの言葉に、ハクレンは一切表情を変えることなくそう答える。

 幸い、勝一郎達が落下した後、崖下から勝一郎のものと思われる強い【気】の気配が連続で発せられている。どんな状況になったかは想像するしかないが、それでも時間的に考えて勝一郎が落下直後も生きていたことは明白だし、最後の気配はここより川下、つまりは流されながらも状況打開のために『扉の力』を使った公算はかなり高い。勝一郎が生きていたとなればその背にいたランレイも生存しているだろうし、ロイドについても似たような状況で生存していたこともある男だ。勝一郎とともに落ちていることも考えれば、生存はそれほど絶望的ではない。

 後は三人が、無事こちらに追いつき、合流できるかどうかだ。


「信じるさ。基礎だけだが生き延びる術は教えた。ロイドとトドモリには彼らだけが持つ力もある。ランレイも必ずや守り切ることだろう。今私がすべきことは、帰ってきた彼らが今度は逸れないですむように訓練項目を考えることだけだ」


「……ハハハ、それはそれは。あやつ等が真に恐れるべきは帰る過程ではなく帰った後か」


 虚勢で笑って、二人の戦士は喪失の不安と後悔に背を向ける。目的地へ向けての重い一歩を、それでも軽く見えるように歩き出す。

 この先でまた会うのだという、これまで幾度も挫かれてきた希望を、それでも信じて捨てることなく。






 扉を開き、その向こうにある水の中へと躊躇なく飛び込む。

 すでに三度目ともなると、流石に勝一郎も慣れというものを覚えてきた。

 マントに作られた扉の向う、いまだ存在する水中に身を躍らせると、部屋の中から扉を閉められてただのマントに戻ったそれを掴んで重力に身を任せて身を回す。

 どうやらマントは出入口を下にする形で水中を漂っていたらしい。視界が一八〇度回転し、天地がはっきりしたところで周囲を見渡す。


『……視界良好。水深は、三メートルくらいか? とりあえず泳ぐのに支障はなしっと……』


 顔の下半分を覆うように巻きつけた手拭い、その表面に作られた【息継ぎ部屋】の中に口を突っ込み、その中に向けて勝一郎はそう独り言ちる。

 外の水は水質がいいのか透明度が高く、地上ほどではないもののかなり遠くまで見渡せた。


『って痛った……!! なんだこの水、目に染みる!!』


 周囲を見渡す中で襲い来る痛みに慌てて目を細めながら、周囲を見渡し浮かび上がることへの安全を確認する。

 水中には勝一郎の腕程のなかなか大きな魚がいるが、付近に危険そうな生き物はいない。砂で覆われた水底にもこれと言って大きな影は見られず、水上に大きな生き物が浮いているという事態もなさそうである。

 そこまでを確認し、ようやく勝一郎は目の痛みから解放されるべく、水上へ向けて泳ぎ始めた。

 幸い、今回は着込んでいた鎧どころか、上半身に来ていた服も脱いで部屋の中に置いてきている。おかげで今回は体も軽く、泳ぐのはそう苦にならなかった。


 輝く水面。そこを抜けると、待ち望んでいたまばゆい太陽の光が勝一郎の顔へと降り注ぐ。


『ふぅ……』


 水上に顔を出したことで癖のように一度息をつき、まだ続く目の痛みをこらえながら周囲に視線を走らせる。とりあえず危険な生き物は見受けられない。陸地も視線を巡らしただけでそれほど苦も無く見つけられた。

 ただ予想外だったのは、その陸地の反対側に、向こう岸とも言うべきものがなかったことである。


「……おいおい、まさかここって……!!」


 口元の手拭いを外し、口と鼻を外に出しながら勝一郎は思わずそう言葉を口にする。

 鼻に届くのは、もはや間違えようもないほど強い潮の香り。

 先ほど目に水が染みたのも、考えてみれば当然だったと言える。


「なんてこった……。俺たち海まで流されちまったのか……」


 目の前で、どこまでも続く(ソラ)(ウミ)。二色のアオを視界に収めて、呆然と勝一郎はその光景を受け入れる。

 どうやら勝一郎たちの遭難は、行き着くところまで行き着いてからのスタートとなったようだった。






 そもそも、話とマントが海にまで流れ込んでしまったのにはそれなりの理由がある。

 流れのはやい川に落ち、そこからマントの面に作った部屋へと緊急避難してから都合二回、海に着いた勝一郎が最後に陸地まで泳ぎ着くその前に、二度ほど勝一郎は外へと出て、岸に泳ぎ着けないかと試みたことがあったのだ。

 だが、その二回は二回とも周囲の状況から一度マントの中に戻らざるを得なくなった。

 一度目は川岸で何やら大きな影が動いたのを見て危険と判断し、二度目に至っては外に出た時すでに夜となっており、暗闇で動くことの危険性から岸への泳着を断念した。なにしろ、自分が今までいたマントすら見失いかねない暗黒である。明かりを確保する手段もないではなかったが、夜行性の獣をいたずらに呼び寄せてしまう危険性も相まって夜明けまでマントの中に退避することとなったのだ。

 思えばこのとき、マントを近くの何かに引っ掛けておくだけでもこの結末になるのは避けられたのだろうが、それは今さら言っても後の祭りである。部屋の中から外の様子がうかがえず、それゆえどんどん流されていくことへの危機感が薄かったのも要因としては大きかった。もしもガラスなどを使用した、外の様子がうかがえる扉にしてあれば、また話は違ったのかもしれない。


 とは言え、なにを言ってももはや後の祭り。今は目前の海である。

 人間の勢力がほとんど広がっていないため、水質から周辺環境に至るまでまったく人の手が入っていない海。日本にいたころは整備された海岸しか見たことがなかった勝一郎には、泳ぎ着いてみたその光景はちょっとした感動を覚えるのに十分な代物だった。


「おお……」


 こんな状況なのに思わず声が漏れる。泳いでいるときにも気付いたが相当に水がきれいで、白い砂浜との組み合わせはまさに自然が生んだ芸術のようだった。この光景をあちこちで失わせてしまっていのだとしたら、確かに地球人類は罪が深い。


「なに、これ……、すごい……」


 と、勝一郎が感動に立ち尽くしていると、すぐ隣でもう一人別の声がさらに強い感嘆の声を漏らす。

 見れば、浜へと泳ぎ着き、すぐに開けておいたマントの扉から、ランレイが這い出して同じように海を見つめていた。

 いや、ランレイの場合、受けている衝撃は勝一郎以上のものだっただろう。


「向こう岸が見えない……。こんな大きな川、見たことない……」


「向こう岸って……、そうか、ランレイは海を見たことがないのか」


「ウミ……?」


 言葉としてすら知らないらしきその反応に、勝一郎はいよいよ自身が抱いた考えに確信を持つ。

 どうやら村の人々は、海というものを言葉の上ですら知らないらしい。これまで海の近くに人が近づくことがなかったのか、単にレキハ村の人々の記録から海という概念が忘れ去られてしまっただけなのかはわからないが、どちらにしろ内陸部を中心に活動していたレキハ村の人々が海を知らなくとも、たいして驚くことでもないように勝一郎には思えた。


「塩の味……。すごい、もしこの水が全部そうなら、塩には永遠に困らない」


「ああ。実際、この水を煮詰めたりして蒸発させれば、本当に塩を作れるんだ。俺の世界では岩塩よりも、むしろこっちの方が一般的だった」


 現在のところ、村での塩の供給は村のはずれにある洞くつから採掘される岩塩に依存している。村の巫女たちの住居でもあり、宗教的儀式の場でもあるこの洞窟は中でアリの巣のようにいくつも分岐しており、その中に一か所、岩塩が採掘できる場所があるそうなのだ。先日聞いた話を統合すれば、そういう条件もそろっていたから彼らはあそこに村を作ったのかもしれない。


 二人並んで、雄大な自然を前にしばし立ち尽くす。

 見える光景はあまりにも圧倒的で、自分たちに起こったちっぽけなことなどすべて忘れ去ってしまいそうだった。


「いや、忘れてんじゃねぇよ。俺が言うのもあれだけど、俺ら今それどころじゃねぇだろ」


 呆然と立ち尽くす二人に向けて、ためらいがちながらもそれなりに強いツッコミの声が入る。

 振り返ると、同じようにマントの部屋から這い出したロイドが、砂浜に座って何とも言えない表情でこちらに視線を向けていた。

 同時に振り返り、ロイドの姿を見て二人が同時に我に返る。


「そ、そうだった。っていうかやべぇよ。この現状って言っちまえば、海を知らない人間たちからはぐれて、海まで流されちまったってことじゃねぇか!!」


「そ、そうよ。ロイドに言われるのは癪だけど、確かに今は見とれてる場合じゃやないわ!!」


「………………悪かったよ」


 慌てる二人に対して、ロイドは視線を落とし、弱々しい声で謝罪の言葉を口にする。その表情は場違いなほど蒼白で、まるで世界滅亡のスイッチを自分が押してしまったかのような悲壮感が漂っていた。

 わからないわけではない。何しろこうなった要因のかなり多くの部分を、ロイド自身の行動が占めてしまっているのだ。めぐりあわせの悪さや運の問題も絡んでは来るだろうが、彼が責任を感じるだけの理由は確かにある。

 だが、それに対するランレイの対応は、訓練を受けた勝一郎でもほれぼれするほどの、それはもう見事な回し蹴りだった。


「――いつまで、うじうじしてんのよ!!」


 側道部に蹴りをもろにくらい、もんどりうって倒れるロイドに向けて、ランレイはビシリと自身の人差し指を突きつける。


「あんたのどうしようもない無様な失敗についてなら、昨日部屋の中でさんっざん蹴り飛ばしてあげたわよ!! 状況は切迫してるんだから、いつまでも引き摺ってないで行動を改めなさい!!」


 ちなみに彼女の言うことは事実である。マントの中で一夜を過ごすこととなった昨夜、部屋の中で特にできることもなかったため、あの場でのロイドの行動の事情聴取と、それに対する苛烈な折檻がランレイの足技によって行われていた。

 ちなみにその時、勝一郎の方も彼女から一発悶絶するくらいにはいい蹴りを入れられている。

 どうやらランレイたちを無理やり部屋の中に押し込んで、単身で【谷翼竜】との絶壁ダイブバトルを敢行したのが相当に逆鱗に触ったらしい。

 勝一郎としては間違った判断をしたとも思っていなかったが、なまじランレイの意見を扉によって封殺し、独断でかなりの無茶をやらかしていたため甘んじてその蹴りを受けておいた。


「とにかく、早く村のみんなと合流しないと。状況にもよるけど、遭難したときは基本自力での合流よ。さっさと動き始めないと追いつけなくなるわ!!」


「……ならとりあえず、まずは川を探すか。現在位置がどこだかわからないのが痛いけど、とりあえず川を流されてきたことは確かなんだ。川をたどっていけば、とりあえず元のところには戻れるはずだ」


 ロイドを助け起こしながら、勝一郎はランレイに対し、とりあえず思いつくままにそう提案を行う。

 実際表には出さないようにしていたがまずい事態だという自覚はあった。

 なにしろ危険な生物跋扈する大自然の中で三人きり。それも手練れと言える人間はだれ一人としていない、最弱の三人だけでこんな状況に投げ出されてしまったのだから。


おまけの用語解説


【息継ぎ部屋】

 勝一郎が作る部屋の中には、どういう訳か最初から空気があり、そのためできたばかりの部屋に入っても特に呼吸に不自由することがない。

 【息継ぎ部屋】は【部屋」のこの性質を利用した応用法で、手のひらや布などに小さな扉を作り、そこに口や鼻などを押し込んで中の空気を吸い込むことで、水中でも呼吸を可能とする応用法。

 なにげにロイドなどからすれば信じがたいような使い方で、本来ならば成立しえないおかしな応用技なのだが、どういう訳か水関係の災難に遭いやすい勝一郎は頻繁にこの技を使っている。

 ぶつけられた魔術は水、川に落ち、海に流され。彼には水難の相でもあるのだろうか。


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