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9:Sling a man out of the room

「……ふぅ、こんなもんか……」


 森の中に入り、半ば他の戦士たちから隠れるようにしながら、ロイドはようやく今夜煮炊きをするのに十分な量の薪を集め切った。

 通常より時間がかかってしまったのは、ロイド自身が意識的に時間をかけて集めていた結果である。

 サボり。もしも現在のロイドの行動を一言で評するなら、そんな身もふたもない言葉こそがまさに正しかっただろう。実際、ロイド自身、自分の行動が『サボり』にあたるであろうことを正しく理解していたし、理解しているからこそ自己嫌悪と焦燥感は時間とともに強まっていた。

 だがそれでも、ロイドはのろのろと仕事をし、少しでも訓練に割く時間を削ろうと画策してしまう。


(……そもそも、俺なんかが訓練したからってどうなるってんだ……)


 訓練に行かなければという焦燥を、しかしそんな無力感が重くのしかかり、その場に留めるようにロイドを押さえつける。

 【気功術】も使えない。魔術も戦闘向けのものはまるで知らない。有るのは不良のおふざけ程度の加害魔術と、中途半端に鍛えさせられた体だけ。

 こんな人間が訓練に参加して、いったい何になるというのか。実際最近はハクレンとの立会いも、明らかに以前より状況が悪くなっている。勝一郎の方は傍から見ていてもわかるほど腕を上げ始めているというのに、ロイドは足手まといになる機会の方が、むしろ増えているありさまだった。

 かと言って、この世界では男は戦う以外に道がない。

 いや、一応雑用くらいならば流石に仕事もある。現に今も火を起こし調理をするために薪を集める雑用を行っていたわけだし、そちらの方でならば、ロイドの世界では当たり前とも言える生活魔術のおかげでわずかながら活躍の機会があった。

 だが、当然ながら生活魔術などで些細な活躍ができたとしても、ロイドは少しも喜べない。どうやら魔術の存在しないこの世界では、彼らにとって有用な魔術はいくつも存在しているようだが、そもそもそんなものはロイドの生まれ育った世界の文明の力で、ロイド自身の力ですらない。それをまるで己の手柄のように喜ぶ人間がいたら、それはもう滑稽を通り越して憐みの対象だろう。

ましてやロイドのそばには、ロイドの魔術など足元にも及ばないほど役に立つ、不可解な能力を持つ勝一郎がいるのだ。いまだ魔力を使っていること以外よくわからない妙な力だが、あれが村へともたらした利益はこの遠征だけを見ても計り知れない。


「……戻んねぇと」


 意識的にそう口にして、ロイドは集めた薪を脇に抱えて歩き出す。

 ロイド自身、自分が抱いているのがくだらない感情であることは理解している。

 そう、くだらないのだ。どう考えてもくだらない、ちっぽけで醜い感情だと理解してしまっているから、だからこそロイドはそのくだらない感情にこうも憑りつかれている自分の姿に余計な自己嫌悪を抱え込む。


(この後、この薪届けて、火だけ起こしたら、その後ハクレンのおっさんのとこで夜までぶっ飛ばされて、それから――)


 息苦しいような気分だった。まるで丘の生き物が水の中に落ちたような、そんないるべき場所を間違えているかのような不快感。

 いや、そもそもよく思い出してみたら、ロイドがかつて丘の上にいたことなどあっただろうか。今感じている息苦しさは、そもそもこの世界に来る前から感じていたものではなかったか。


 ロイドの心中に、そんな漠然とした恐怖が忍び寄っていたちょうどそのとき、何やら遠くから強烈な“金属音”が聞こえて、続けていたマイナス思考が無理やり中断される。


「――!? な、なんだぁ……?」


 怪訝に思い、薪とは反対の手に握っていた槍の感触を確かめながら、ロイドは先ほど聞いた音の正体を確かめようと耳を澄ませる。

 この世界の人間は金属を使わない。これは長くこの世界に滞在する間に気付いたことだが、この世界の人間は基本的に道具を動物の牙や土、木材などから作っていて、鉄などの文明を築くうえで当り前のような素材をほとんど生活の中に使用していなかった。

 だからこそ、このとき響いた巨大な金属音にロイドは多大な関心を示したわけだが、結果的にその関心が彼の命を救うこととなった。

澄ました耳に聞こえる、危険で巨大な翼羽ばたきが、彼の長い耳に届いたことによって。






 その感覚をはっきりと感じられたとき、勝一郎は戦いの中にありながらわずかに安堵した。

 戦士たちが使う【気】の感覚よりかなり強い、ロイドの使う【魔力】の感覚。根源的に同じものでありながら明確に感じ方が違う間違えようもないそれが感じられたことで、とりあえず先ほどからの最大の懸念事項だったロイドの無事が確認できたのだ。


「どうやらロイド君も無事のようだな」


 同じことを思ったのか、勝一郎の隣でいつの間にかフォローに入ってくれていたハクレンが森へと視線を向ける。先ほどから戦士たちの中にも、ロイドが戻らないことに気付き、その安否を問う声が起こりはじめていた。魔術という様々な面で分かりやすい力を有する人間がいないのだから、その反応はある種当然と言える。一部の人間には誰かの部屋に匿ったのではないかという声も出ていたが、混戦の中ではいちいち一人一人にそれを確認することもできず、図らずも部屋の中に匿うことのデメリットが露呈した形にもなっていた。

 そんな中での、ロイドの魔術行使の気配である。安堵したのは勝一郎に限った話ではない。

 とは言え、いくらロイドの居場所が分かったからと言っても、それで戦士たちがすぐに彼の救出に向かえるわけではない。現状、戦士たちも襲来する【谷翼竜】への対処で手いっぱいだ。加えて、下手に少人数で動けば動いて孤立した者に狙いが集中してしまう危険がある。


「ロイド君にはこのままこちらまで逃げてきてもらうとしよう。どのみち我々も森の中に撤退するのだ。ロイド君には悪いが自分の命は自分で拾ってもらわねば」


 厳しくも、このシビアな世界ではある種当然の判断として、ハクレンは勝一郎にそうきっぱりと断言する。

 自分の命は自分で受け持つ。己の行動の結果には、どんなに悪い物でも基本的に己の力を基本に対処する。その心構えは、この世界の人間が生き抜くために叩き込まれる、ある種の基本原則だ。この世界では協力以前の前提として、戦士たち一人一人己の命に責任を持つことを求められている。

 ただし、余裕があるなら他人の命も拾ってやれと言うのも、この世界の人間の基本的な考え方だ。


「トドモリ君、隙を見てさっきの音でこちらの位置を知らせてあげたまえ。あのやたら大きな音と君の【気】の感覚があれば、ロイド君もこちらの大体の位置がわかるだろう」


「あっちでエンロンさんが耳を押さえて『げッ!?』って顔をしてますけど……」


「彼は格別耳がいいからな」


 と、ハクレンがある意味非情な決断をあっさりと下したちょうどそのとき、二度目となる魔術行使の気配が勝一郎の感覚に対して、一度目よりもさらに強い形で訴えかけてきた。

 どうやらロイドもこちらに向かって逃げているらしい。


「周りにも注意したまえよトドモリ君。他にばかり気を取られていると撤退のタイミングを逃すぞ」


「あぁっ、はい!!」


 言われて、飛来する【谷翼竜】に隙ができたのに気付き、勝一郎は慌てて森の方角へ、岩場を飛び越えた先にある若干平らになった地面へと足を急がせる。

 背後ではハクレンが横合いから迫っていた【谷翼竜】を槍で牽制しながら、自身も勝一郎が足を止めた場所から二メートルほど離れた場所で足を止めた。

 現在遠征メンバーは、襲い来る【谷翼竜】を掻い潜りながら崖近くの森林地帯へと少しづつだが撤退を進めていた。

 他の戦士達から離れすぎないように一定の距離を保ち、できるだけ自分が襲われた際に対応しやすい地形を選んで少しづつ森へと近づいていく。

 戦士たちが森を目指す理由は単純だ。樹木がうっそうと茂る森の中なら、空を飛ぶ【谷翼竜】の動きも相当に制限されるからである。

 もちろん、障害物が多くなれば勝一郎のように長い得物を使う人間にも動きの制限は発生するが、未熟で槍しか使えない勝一郎と違い、他の戦士たちはその場に適した得物の使用が可能だ。加えて森での戦いにも慣れており、者によっては樹から樹へと飛び移り空中戦をやってのけるとんでもない武人もいるのである。木登りやその上での移動は勝一郎たちも基礎くらいは習っているが、あの域に達するまでにはどれだけかかるか見当もつかない。


「【開扉鎚(ドアハンマー)】――!!」

 

 飛来する【谷翼竜】を地面に作った扉の開扉運動でたたき返し、わざわざ槍を伸ばしたハクレンが、すれ違いざまに飛んでいく【谷翼竜】の首を跳ねるという離れ業を行うのをその目で確認しながら、勝一郎は周囲の戦士たちの様子に若干ながらも安堵を覚える。

 先ほど一人、【谷翼竜】の爪で手傷を負うものこそ現れたが、現状ではまだ人間側には誰一人として死者の類は出ていなかった。

 やはり【開扉の獅子(ドアノッカー)】という規格外の力が要因としては相当に大きかったのだろう。

 通常こういった場合、【谷翼竜】は弱そうな個体や群れから離れた個体を狙うのが常なのだが、今回戦士たちの集団から離れてしまったのはロイド一人のみで、しかもその場所は【谷翼竜】が比較的襲いにくい森の中。弱そうな者の筆頭である戦闘力の無い女性陣は部屋の中へと姿を消してしまっているうえ、先ほど出た手傷を負った戦士すらも部屋に引っ込んでしまい狙えなくなってしまっていた。結果として【谷翼竜】側はねらい目と言える相手がいなくなってしまい、高い実力を備えた戦士たちに真っ向勝負を挑まざるを得なくなってしまっている。このままいけば、【谷翼竜】達は夥しい数の死者を出しながら獲物が取れないという、ある種の完全敗北を喫するのは時間の問題であるようにも思えていた。

 だがそんなとき、


「ショウイチロウ、こっち――!!」


 ハクレンの参戦でやることが無くなり、仕方なく勝一郎の背中側の警戒に視線をのぞかせていたランレイがそう声を上げる。

 勝一郎がその声に振り向くのと、少し離れた場所で森の中から飛び出したロイドが、三度目となる魔力行使を行ったのはちょうど同時のことだった。


「ぁぁあああッ――!! クソッ、来るなァッ!! 近づくんじゃねぇッ!!」


 右手で魔術による放水をまき散らし、左手で槍を振り回しながら茂みを抜けてきたロイドは、すでに三羽の【谷翼竜】から襲撃を受けていた。単独で襲われたせいかやはり負傷は免れなかったらしく、深い傷こそないようだがあちこち傷だらけで、同時に精神的にも相当追いつめられているようだった。


 だが彼にとっての悪条件はまだ終わらない。

 魔術をまき散らし、声をあげての派手な登場。しかも他の戦士たちからわずかながらも離れた場所に現れてしまった彼の姿に、空を舞う【谷翼竜】達が一斉に反応したのである。


「――いかんッ!!」


「――ッ!!」


「援護を!!」


 ブホウやエイソウの声が飛び、ハクレンと勝一郎、そして幾人かの戦士たちが同時に動き出す。

 まずいことにロイドはどんどん谷の方、その絶壁の間近まで追いやられていた。

 【谷翼竜】という竜には狩りの習性として、谷川へと獲物を追い落とし、転落死した獲物を回収して餌とする性質がある。要するにその爪やくちばし、あるいは歯だけではなく、谷という地形そのものさえ獲物を仕留めるための武器として使用する生き物なのだ。それゆえ勝一郎たちも襲われた際、できるだけ谷に追いやられないように、谷から遠ざかるようにと動くことを原則としてきた。

 だが今、ロイドは状況故に冷静さを失い、その原則を忘れている。いや、この状況では覚えていてなお谷の方へと追いやられずにはいられなかっただろうが、それでも踏みとどまることすらできずに闇雲に谷の方へと近づいているというのが致命的だった。

 このままでは、ロイドの命はあと一分と持たない。


(なんとかロイドと合流して部屋に逃げ込まないと、――!!)


 走りながらそう心に決める勝一郎に対し、しかしその足止めを計るように上空から【谷翼竜】が襲来する。

 最初の襲撃は勝一郎の右手、さらに少し時間差をつける形で左前から。隙あれば仕留める。無くとも足止めする意図を持ったその襲撃に、勝一郎は己がうちですぐさま【気】を動かすことで応じて見せた。


(【瞬気功】――!!)


 体を思い切り前へと倒し、ほとんど倒れ込むような姿勢で地を蹴り、強引に前へと加速する。

 右上から迫る【谷翼竜】から逃れるためだけのヘッドスライディング。当然そんな動きをすれば勝一郎の体は地面へと倒れ込み、立ち上がるための一瞬が左前から迫る二羽目の【谷翼竜】にとっての絶好の隙となる。

 否、確かに絶好の隙となっていたはずであろう。 “地面そのもの”が、“倒れた勝一郎を乗せてスライドしなければ”。


「【開扉滑走(スライドダッシュ)】――!!」


 地面が扉へと変わった際生まれた取っ手を掴み、やたらと長く作られた扉に乗って二羽目の襲撃を真下を通り抜ける形で回避する。

 二羽目の【谷翼竜】が空振りする羽音を背後に聞きながら、勝一郎は掴んだ取っ手に力を込めて身を起こすと、扉が開き終わって止まると同時にその勢いに乗って飛び出した。


(【瞬気功】――!!)


 再び足に勢いよく【気】を打ち込んで初速を稼ぎ、その後【錬気功】で全身を強化して速度を維持し、ロイドを襲おうとする谷翼竜の群れをすり抜ける。

 幸いこちらに背を向けていたため今回は楽だった。背中から襲えば勝一郎でも仕留められそうなほど隙だらけだったが、生憎と今はロイドの回収が優先だ。すでにロイドは谷から転落する寸前まで追い詰められている。あと一歩、後退させられるだけで足を踏み外しそうなありさまだ。

 いや、すでに遅かった。勝一郎が谷翼竜の隙間からロイドを認識した次の瞬間、遂にロイドの右足が崖の淵を踏み外したのだ。


「――あ」


 体が傾く。槍で【谷翼竜】を振り払い、少しでも距離をとろうと後退したそのままの姿勢で。悪かったロイドの顔色が事態を認識して蒼白になりその目が絶望に染まるのが一目でわかる。

 だから、


「ロイドォォォォォオオッ!!」


 絶叫し、繰り返し練習させられた三連続の【瞬気功】を足へと叩き込み、【谷翼竜】の隙間を貫いて勝一郎がロイドの方へと手を伸ばす。ゆっくりと傾いていたロイドの手がわずかにこちらに伸びる。救いの求めに応じて、勝一郎がなんとかその手を掴もうとした、その寸前。


「ショウイチロウ、右――!!」


 背中から掛けられたランレイの警告に、体は無意識に反応していた。

 右後ろから爪を構えて滑空してきた【谷翼竜】のその爪に振り向きざまに右手の槍を合わせて防ぎ、そしてそれが致命的な失敗となった。


 翼開長約八メートル。体長一・七メートル前後の巨大鳥。

 そんな生物の体重は決して軽いわけがなく、空から勢いをつけて飛来したその運動エネルギーは絶大で、少なくとも前のめりの態勢になっていた勝一郎を谷間に突き落とすには十分な威力を持っていた。


「しまっ――!!」


 失敗を自覚したときにはもう遅かった。ふり向いた拍子にロイドの手をつかみ損ねてしまった勝一郎の体は、まるで彼の真似でもするように谷底へと背中を向けて落ちていく。

 『仕留めた』という確信を、その目に宿した【谷翼竜】に見送られる形で。


「――う、ォォォオオオオオオッッッ!!」


 落ちる。落下する。転落する。墜落する。


 現状を認識する言葉だけが脳裏にこだまして、背筋を凍らせる恐怖だけがその精神を塗りつぶす。

 急速に遠ざかる崖上に、ハクレンやエイソウといった数人の戦士たちが姿を現すがもはや彼らの救助は間に合わない。ただ転落して、己の死体がこの黒い巨大鳥の餌になるのだという未来予測だけが勝一郎の脳裏を支配し――、


「ショウイチロウッ!! 呆けてんじゃないわよ!! ロイドを回収、部屋に逃げ込むッ、早く!!」


 そんな状態の勝一郎を現実に引き戻したのは、聞きなれた少女の叱責と己の髪を引っ張られる感覚だった。

 背中の部屋から身を乗り出し、無理やり勝一郎を現状へと引き戻したランレイが、簡潔な指示だけを出すと、すぐに部屋の中へと身を引き戻す。

 捉えようによっては、自分だけが安全な場所に逃げ込んだようにも見えるその行為。

 だがその行為だけで、勝一郎はランレイの言わんとすることを瞬時に理解した。

 すぐさま首元のひもを解き、空中でマントを脱いでそのふちを左手で掴む。


「ロイドォォォォオオッ!!」


 幸いなことに、手を掴み損ねたロイドは勝一郎のすぐ近くを落下していた。

 さすがに手を伸ばせば届くほど近い距離ではなかったが、“マントを伸ばせば何とか届く”。もしもその“マントから手を伸ばしてくれる人間がいれば”なおさらだ。


「掴まれぇッ!!」


 【錬気功】で左手を強化して、マントから再び身を乗り出したランレイを重石の代わりにして無理やりマントを振り回す。

 降り抜かれたマントがロイドへとかかり、同時にそこから身を乗り出したランレイがロイドの手を掴んだことで、今度こそ勝一郎はロイドとの合流に成功した。

 自身の体を気功術で強化し、無理やり部屋の中にロイドを引っ張り込んだランレイが、今度は勝一郎めがけて声を張り上げる。


「ショウイチロウ!! あんたも早く中に――!!」


 勝一郎に空を飛ぶ力はない。それゆえ以下にロイドを回収できたとしても、自分たちはこのまま落下するしかない訳なのだが、しかし落下するのが人間ではなく、布でできたマントならば話は別だ。

 そう、勝一郎には確かに翼はないが、逃げ場なら有るのだ。軽いマントの部屋の中に逃げ込んでしまえば、あとはマントが風に乗りながら軟着陸を決めてくれる。

 先ほど背中で、部屋に一時身をひそめたランレイを見て、瞬時にひらめいた生存の手段。

ただしそれは、マントが無事に地上に降りられることが絶対条件となる手段だ。


「――いや、駄目だ!!」


 気配に気付いて上を見上げれば、勝一郎達の逃げ場に爪を立てうる存在が、勝一郎達を追うように落ちてくる。


「ゲェェェェッッッ!!」


「くそッ、追って来てやがる!!」


 見上げるその先に存在する、翼を広げた一羽の【谷翼竜】。あれだけの数がいた中で追ってきたのが一羽だけというのはある意味では幸運のうちに入ることだったのかもしれないが、しかしたった一羽でも追ってきているというだけで状況は最悪だ。例え勝一郎たちがマントの中に姿を消しても、この谷翼竜は残るマントに襲い掛かるだろう。

 そして、もしもこのマントがその爪で引き裂かれるようなことがあれば、部屋の消滅と共に三人の命運は今度こそ尽きることになる。マントの破壊による強制排出で空中に放り出されたら、もうどうあがいても絶命を免れない。


「――やるしかない。ここであいつを仕留めないと、たとえ着水できてもあいつからは逃げられない!!」


「仕留めないとって――、そんなのこの空中でどうするつもりよ!? 私の弓だってこんな落ちながらじゃ、とても狙いなんてさだめられな――!!」


「いや、ここは俺がやる。悪い、時間が無い、――閉じろ!!」


 説明の時間も惜しいと扉を閉じて無理やり意見を封殺し、勝一郎は右手のマントを着込まず、代わりに帯のようにしっかりと腰に結び付ける。

 同時に己のうちに感じるのは、かつて味わったスイッチが切り替わるような決定的な感覚だ。

 命を狙う外敵と迫る危険。なにもしなければ死を待つばかりの状況が、勝一郎の中から『躊躇』の二文字を跡形もなく消し去り、殺るか殺られるか、喰うか喰われるかという極限の二択を目の前に突き付ける。

 かつて一度経験した、意識が焼けつくような極限の感覚。


「勝負だ鳥野郎!! 殺れるもんなら殺ってみろ――!!」


 落下する自身の隣、ほとんど並ぶように落下する【谷翼竜】へと視線を向けて勝一郎はそう啖呵を切る。

 恐らくは着水寸前に滑空し、川面と平行になるように飛んで先に落下した勝一郎の死体を回収するつもりなのだろう。

 物理法則と野生生物による完全なる挟み撃ち。絶体絶命のその危機を、勝一郎は空中で足に集めた【気】の持つ力によって迎え撃つ。

 同時に輝きを得るのは、右手の甲に輝く輪を噛む獅子の烙印。


「――開け、【開扉の獅子(ドアノッカー)】!!」


 着水のそのタイミングに合わせて、勝一郎は己の足を水“面”目がけて蹴りつける。

 瞬時に生まれる水面の扉。できたばかりの扉を勝一郎の足がそのまま蹴り破り、落下速度そのままの勢いで勝一郎は己が作り上げた広大な部屋の中へと落ちていく。


「――ッテェ!! やっぱ反動が――、くぅッ!!」


 蹴り破った足に返る痺れるような痛みと衝撃に、再び空中へと投げ出された勝一郎が思わず呻く。

 蹴りつけると同時に扉が開いたため、扉を蹴り破ったというよりも落下の途中で扉にぶつかったというような状況だ。【気功術】で足を強化し、ハクレンから文字通り体で教え込まれた受け身の技術を応用していなければ間違いなく足の骨が折れていた。

 もしもこの勢いそのままに水面、あるいはこの下の床面にでも激突していたら、自分の体がどんな末路をたどるかは想像に難くない。

 そしてその未来は、いまだ勝一郎の下で口を開けて待っている。


(このまま床まで落ちて叩き付けられりゃ、今度こそ着地もできずにお陀仏か。こんなことなら着水の方がましだったと後悔する羽目になるんだろうが――)


 ――決してそうはならない。と、己の計算を頭の中で反芻しながら、勝一郎は落下する身を空中でひねって己の態勢を上へと向ける。

 上空にあるのは、スーパーのバックヤードの入り口などに見られる、スイングドアなどと呼ばれる金属の扉。この扉の特徴は、どちらからでも押すだけで開き、押すものが無くなればあとは開閉操作がなくとも勝手に閉まるところにある。


 そう閉まるのだ。スイングドアは押す力が無くなれが勝手に閉まる。

 勝一郎の作る扉は開いている間は絶対無敵だ。どんなことをしても壊れないし、それゆえ盾として使ったこともある。

 だがその反面、扉は一度閉まってしまうと元の材質の面へと戻ってしまうという性質もある。そうなると途端に扉はその無敵性を失って破壊可能な物体へ戻ってしまうし、その状態で扉を作った面が崩れれば、部屋は消滅して中にあったものは外へと強制排出されてしまう。

 ならばもし、水面に扉を作り、その扉を閉めてしまえばどうなるか。


 水面を構成するのは流動的な水、つまりは液体だ。その表面は簡単に乱れて流れてしまうし、ましてや作ったのが川面ともなればその結果は明らかだ。


 一度扉が閉じてしまったら、もはや元に戻った水面は一瞬たりともその形を保てない。

 そしてそうなれば、中に飛び込んだ人間に起きる現象はただ一つ。


「よう、また会ったな」


「――ゲェッ!?」


 川面の扉が流れて消えて、同時に部屋の中にあった勝一郎の体が川面の上、飛んでいた【谷翼竜】の前へと強制排出される。

 どちらにとっても、急に現れては対処しきれない絶妙な距離。だが急ぎ羽ばたき爪を構える【谷翼竜】に対して、勝一郎は部屋の中ですでに槍の構えを終えている。

 村でハクレンに徹底して叩き込まれた、槍による最大威力の突きを繰り出す構えを。


「【骨貫き】――!!」


 【気】の力で全身を強化し、身をひねり、全身の筋肉を連動させて、勝一郎は右手の槍を勢いよく目の前の【谷翼竜】の胸板へと叩き込む。

 その切っ先をも【爪】の気功術で強化された槍はあっさりと巨鳥の胸をぶち破り、その向こうの心臓を一撃のもとに突き破った。


「……ゲ、……ェ……」


空気の漏れるような断末魔。それに怯みそうになる心を必死に殺して、勝一郎はもう一度槍をねじり、同時に足で谷翼竜の体を蹴って勢いよく槍を引っこ抜く。

 直後、今度こそ勝一郎の体が真下の川面へと着水し、少し先に落ちた谷翼竜鮮血が川面を真っ赤に染め上げた。

 己の命を狙う敵の絶命。だがそれで安心できるだけの余裕は、まだ勝一郎には残されていない。


(やばい、川の流れが思ったより早い!! っていうか装備が重くてまともに泳げ――うおっ……!!)


 口に手を当て、手のひらに作った【息継ぎ部屋】で呼吸だけは確保しながら、なんとか川岸に泳ぎ着こうと勝一郎は己の手足をばたつかせる。

 だが流れが速すぎてまともに泳げない。それどころか、川底から突き出した岩が勢いよく腕をかすめて、勝一郎はようやくこの状況がすでにどうにもならないものとなっていることを悟ることとなった。

 もはや勝一郎では、この場に踏みとどまることも、戦士たちの元に戻ることも敵わない。

 残されているのは遭難は確実だが、唯一勝一郎の身を守ることのできる最後の手段だけだった。

 

(――ああっ、もうどうにでもなれ!!)


 ヤケクソ気味に意を決し、勝一郎は水中で濁流に翻弄されながら、腰に巻き付けたマントをほどき、【気】と意思一つでその表面の扉を開く。

 自力での移動ができなくなる代わり、外の危険から己を守れる最後の逃げ場。その中に周囲の水ごと飛び込む決意をしたその瞬間、勝一郎たち三人の遭難は逃れ得ぬ現実として決定した。


 おまけの用語解説


・【谷翼竜(こくよくりゅう)

 翼開長約八メートル。体長一・七メートル前後の巨大な鳥類。黒い羽毛を持ち、翼の構造など含め全体的に鳥類のような体つきだが、顔はどこか爬虫類的で、くちばしの間にはきっちり歯が生えそろっているため、印象としては大きさ以外始祖鳥に近い。

 名前の通り群れで谷川に住み着き、川の中を行く小型の水生生物を捕獲して喰う他、谷の上に現れた生物に襲い掛かり、状況によっては谷から追い落として転落死した獲物を回収して餌とする。

 カンゼツの谷が難所と呼ばれるその元凶で、レキハ村遠征団は毎年この【谷翼竜】と一戦交えてから草原地帯へ向かうこととなる。レキハ村の戦士たちの中でも初期にこのあたりを通った際に死者が出ており、戦士たちも【谷翼竜】を毎年何羽か仕留めていくため、お互いが毎年かち合う憎たらしい怨敵。

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