8:Head room
【谷翼竜】という名の竜について、勝一郎は前日にハクレンから注意を受けていた。
なにしろ勝一郎たちがこれから渡ろうとしている【カンゼツの谷】が、戦士たちに難所と呼ばれる所以にもなっている竜である。訓練に追われて話を聞くのが前日にまでずれ込んでしまったものの、その外見や習性などはハクレンからキッチリと教授されていた。
竜の名を関してはいるものの、その体は羽毛に覆われ、その外見はほぼ鳥類のものに近い。
唯一鳥類にはない特徴として鋭い歯を持つ点が挙げられるが、勝一郎から見た印象は巨大な黒い始祖鳥というものであった。
本来ならば明日通ることになるこの谷のさらに上流、その壁面に住み着き、集団で狩をする竜である。谷を通る際に毎年必ず襲われるため、近年は先行した戦士たちが弓などを使って奇襲と牽制を行い、その隙に残るメンバーが上流にあるという滝の、その裏側を通って対岸に渡るというのがこの谷を越える毎年のプランだった。
ところが今年、そのプランは早々に崩れ去ることになる。
谷翼竜の生息域の移動、あるいは拡大という事態によって、レキハ村の戦士たちは逆に谷翼竜の奇襲を許すこととなってしまったからだ。
「女集は部屋へ戻れ!! 男たちは弓をとれ!! 射掛ける際は流れ矢に気を付けろ!!」
次代戦士長であるエイソウのその声が、勝一郎の耳へと届いたのはちょうど勝一郎がランレイと合流した直後だった。
見れば、周囲では男たちが次々と弓を持ち出し、逆に女集は彼らが着ていたマントの中に次々と姿を隠している。その姿はさすがにそつがないと評するべきか。勝一郎達とは違い純粋な実力で選ばれた戦士たちは、魔獣による奇襲にもさして動揺した様子もなく、並んで冷静に弓を引き絞り、迫る谷翼竜の群れが射程に入るのを待っている。
「ショウイチロウ、あんたは少し下がりなさい。どのみち弓が使えないあんたじゃ、ここにいても役には立たないわ」
「あ、ああ」
三か月ほどの間訓練に勤しんだ勝一郎だが、訓練期間の短さゆえに扱いを学ぶことができた武器はいまだ槍だけにとどまっている。こうした空からの奇襲のような、遠距離攻撃手段が求められる局面ではほとんど無力と言っても差し支えがない。
「あっちの、少し地面が平らになっている場所に行きなさい。この場は岩がゴツゴツしててあんたにはいろいろと不利よ」
「わかった」
ランレイからのアドバイスに従い、勝一郎は素早く戦士たちの少し後ろ、土の平らな地面がある場所まで移動する。
勝一郎の持つ【開扉の獅子】は便利な能力だが、扉はある程度平らな、勝一郎が面として認識できる場所にしか作れない。今回の場合、今いる足場は岩による凹凸が激しく、勝一郎が扉を作るには若干不向きだった。
「って言うかランレイ、おまえ部屋の中には入らない気か!?」
「この状況なら弓が使える分、あんたよりも役に立つわよ!!」
「いや、そりゃ返す言葉もねぇけどよ……!!」
そう言いながらも、勝一郎はランレイを止めるべきかでにわずかに迷う。
確かにこの状況なら、独学とは言え弓の扱いを学んでいるランレイの方がよほど役に立つ。むしろ勝一郎こそ部屋に隠れていた方が足手まといにならなくていいくらいだ。
だが一方で、【谷翼竜】に極端に接近されてしまった場合はどうだろうか。確かに弓の腕は確かなランレイだが、しかし独学で扱えるようになっているのは弓だけで、少なくとも勝一郎が知る限りランレイに接近戦の心得はないはずである。その上周囲の戦士たちの反発も考えれば、彼女をこのまま参戦させるのはリスクが大きい。
ならば、そのリスクを解消するにはどうすればいいか。
「待ったランレイ。やっぱり部屋には入れ。そんで“部屋の中から”弓を射掛けろ」
「部屋の中って……、ああ、なるほどそういうこと」
勝一郎がマントを裏返しに着て、いつもは内側に来るはずの部屋の入り口を外側に向けてランレイの方へ向けると、ランレイもそれで意味を理解したのか納得の声を漏らす。
ある種の妥協案とも言える勝一郎の提案に、ランレイは勝一郎の背中にかかる重みと共に言葉を返した。
「しかたないから守られてあげるわ。その代り背中は預かってあげるから、しっかりやりなさいよ」
「ああ。背中は任せた。俺もできるだけのことはするよ」
ランレイが部屋へと入ったことを一度振り向いて確認すると、勝一郎はすぐさま狙いをつけやすそうなポイントを探して移動する。細かい照準はランレイがするだろうが、流石に向きが違っていては照準も何もあったものではない。
「狙いにくいわ、もう少し背中を右に向けて。違うそっちじゃない、逆よ。――そう」
地面が平らなことを確認しながら散開して広がる戦士たちの並びに加わり、勝一郎はランレイの指示に従い、【谷翼竜】の群れへと背中を向ける。
迫る敵への緊張で背中にゾクリとする感覚が走る。手に浮かぶ汗を感じながら、右手に握る槍に力を込める。
緊張状態の中で、徐々に近づく【谷翼竜】のギャアギャアというやかましい声が聞こえてくる。
静寂と喧騒、対立する空気を纏った二つの群れは、しかし次の瞬間、野太い一つの号令によって激突する。
「放てェェェエエッ!!」
射程に入った【谷翼竜】の群れ目がけ、号令を受けた戦士たちの矢が一斉に先制攻撃の短い旅へと解き放たれる。
どうやら号令をかけたのは、先ほどまでのエイソウから指揮を引き継いだブホウのようだった。見れば彼自身も、己の弓を背中のマントから取り出し、他のメンバーと同じように次々と群れ目がけて射掛けている。
村の者達の弓の腕は、人によりはするものの総じてレベルが高い。現に勝一郎の背中からは、矢を受けたと思しき【谷翼竜】の断末魔が次々にその無念を音として届けている。
だが、
「なんだあいつら、結構撃ち落されてんのに怯む様子もないぞ」
「うむ……、よほど腹を空かせているのかのぅ……。ひょっとすると数が増えすぎて引くに引けなくなっとるのかもしれん」
聞こえてくるエイソウとブホウの会話の通り、大量の【谷翼竜】は仲間の犠牲にも構わず、勝一郎達がいる崖上の野営地に続々と近づいてくる。
その様子は数が増えすぎて餌に困窮でもしていたのか、他の仲間の犠牲にもまるで構う様子がない。それどころかますます『ギャアギャア』とうるさい声のボリュームを上げて、増援を誘いながらこちらに向かってきているようですらある。
そして同時に、勝一郎はこの場にいなければいけない人間が一人足りていないことに気が付いた。
「って言うか、そういや、ロイドの奴はどこに行ったんだ? 」
周囲を見回してもロイドの姿を探すが、どれだけ探しても姿が見つからない。ロイドは異世界人ということも相まって、髪色や容姿などが他の戦士たちと違ってかなり目立つ外見だ。人種的な特徴なのか長くとがったエルフ染みた耳のこともあり、いれば軽く見渡しただけでもすぐにそうとわかる。
「なによあいつまだ戻ってないの!? なにやってるのよこんな時に……!!」
「あいつの放水魔術ならこの状況にはもってこいなのに……。いや、それ以前にこんな状況で一人になるのは――!!」
ただでさえ大量の【谷翼竜】が襲来しているこの状況で孤立でもしてしまえば、それだけ多くの竜に狙われる危険が増えてくる。
そもそも遠征メンバーに危険が迫った際には、野営地に居残るメンバーが笛を鳴らし、離れて活動するメンバーを呼び戻す取り決めになっている。
笛は先ほどキッチリならされているのを勝一郎も聞いているが、もし森など音を遮るものが多い場所で笛の音を聞きのがしていたとしたら、今ロイドはどうしているか。
(……まさかあいつ、まだこの事態に気付いてないのか――!?)
先ほどまでブホウがそうであったように、気づいてはいるが合流が遅れているというだけならまだいい。いや、事ここに至って合流できていないというのも、それはそれで危険な事態だが、もしもこの事態を知らずにいるとすれば状況はさらに致命的だ。
見たところ周囲の者達は、ロイドの不在にまだ気づいていない。そのほぼ全員が【谷翼竜】の迎撃に意識を裂いてしまっているため、弓が使えず手持無沙汰になった勝一郎にしかその余裕がなかったのだろう。
――知らせなければ。
そう焦る勝一郎だったが、しかし状況は一手遅く、悪い方向へと変化する。
犠牲もいとわず、こちらへと接近を続けていた谷翼竜が、遂に至近距離まで距離を詰めてきたのだ。
「武器を替えよ、戦士諸君!! 【谷翼竜】どもを迎え撃て!!」
(――!?)
振り返ると、空に迫る【谷翼竜】が宙でバラけて広範囲に広がりながら近づいている。
ことが乱戦になれば、もう弓による迎撃という手は使えない。乱戦の中で大人数が下手に弓を使えば、流れ矢が味方の戦士たちにあたる事態になりかねないからだ。
「……くっ!!」
背を向けていた姿勢を翻し、右手の槍を両手に持ち直しながら、勝一郎は必死で自分がこの場でどうするべきかを考える。
一瞬だけ足元に部屋を作り、そこに逃げ込みたい衝動に襲われるが、勝一郎はそれを無理やり頭の中から振り払った。確かに部屋の仲なら安全だし、この相手ならば地面を掘り返される危険も少ないが、しかし部屋に逃げ込んでしまえば外で何が起きていても容易にそれに干渉できなくなる。
ほかにも戦っている戦士たちがいる以上、自分だけが部屋に逃げ込むなど最後の手段だ。負傷者が出た場合などに部屋の中に匿う必要性もある以上、迂闊な判断で逃げ込むことなどするべきではない。
それに今は、なんとかロイドにこの【谷翼竜】の襲来を知らせる必要もある。
だが一人でどこにいるかもしれないロイドを探すなどそれこそ自殺行為だ。この状況で一人になるなど、それこそ上空から狙う【谷翼竜】に狙ってくれと言っているに等しい行動である。
だがそれは、今ここにいないロイドも同じこと。
「来るぞぉッ!!」
迷う勝一郎の思考を、ブホウの激が無理やり現実へと呼び戻す。見れば、【谷翼竜】はすでにこちらのすぐ上空に迫り、今まさにこちらへと落下し、襲ってこようとしていた。
その様子にようやく、勝一郎は無理やり意識を目の前のことだけに切り替えた。
瞬間、上空の【谷翼竜】が次々とその体を下に向け、滑空しながらも猛烈な勢いで勝一郎たちの元へと落ちてくる。
「――のやろォッ!!」
槍の穂先を肩口に振りかぶるように構えて、勝一郎は自分目がけてくる【谷翼竜】に意識を集中させる。
空中から襲ってくる【谷翼竜】への対応の基本はハクレンから一応叩き込まれている。その方法は一言で言ってしまえばカウンター戦術。真正面から受け止めても仕留められないことはないが、そんなことをすれば押し倒されて他の個体に襲われかねないという理由から真っ先に止められた。それよりも相手の攻撃をかわし、すれ違いざまに一撃入れる方法の方が安全で確実性が高いという教えだ。
だからそれを実行する。滑空する【谷翼竜】と地面の隙間、そこに態勢を低くして飛び込みながら、構えた槍の穂先を頭上の【谷翼竜】が通るだろう空間に走らせる。
『ギ――!!』
「――ッ!!」
だが返ってきた手応えは、確かながらも理想としたより浅いものだった。
周囲にいる他の戦士たちが一撃で仕留め、あるいは飛べなくなるほどの重傷を与えて【谷翼竜】を落とす中、やはり絶対的な力量の差故か、勝一郎が【谷翼竜】に与えたダメージは羽を散らすかすり傷程度のもに止まっていた。
そして仕留め損ねたという事実は、そのまま空を舞う【谷翼竜】たちに狙いやすい相手という印象を与える結果となってしまう。
「……くっ、今度は二羽……!!」
「ショウイチロウ、後ろからも来てる!!」
正面から二羽、背後から一羽、合計三羽の【谷翼竜】が、地上の勝一郎めがけて一斉に殺到する。
「ショウイチロウ!! 後ろは私が撃ち落とすわ。あんたは前の二羽を何とかなさい!!」
「――ッ!! わかった!!」
背中のランレイからそう指示を受け、勝一郎はたじろぎながらもすぐにそう返事をして背後の谷翼竜に背を向ける。幸い背後の一羽がいるのは戦士たちがいない外れの方角だ。おかげで今は同士討ちの心配もなく、目の前の二体の問題だけに集中できる。
とは言え今度の相手は一度に二羽。勝一郎の槍の腕では仕留めきれないことも先ほどの一度で十分わかった。
ならば今度は、勝一郎にしか使えない別の一手で迎え撃つ。
右から来る敵に槍の石突で、左から来る敵に左足でそれぞれ地面をたたき、そこに【気】を打ち込んで勝一郎は己にしかない異能を使う。
否、これはすでにただの超能力ではない。最も威力が出るようにタイミングを見極め、ロイドやランレイの協力を受けて研鑽を重ねたこの力は、すでに立派な技へと昇格している。
「叩き落とせ、【開扉鎚】――!!」
地面に扉を作り開く異能力。それによって瞬時に生まれた二枚の金属製扉が、起き上がるような動きで勢いよく開いて、前方から来る二羽の【谷翼竜】に正面から激突した。
『ギュヤ――』
『ゲガッ――』
突如地面からの迎撃を受けるという、そんな有り得ない現象に見舞われて、勝一郎に襲い掛かろうとしていた【谷翼竜】はなすすべもなく背後へと撃ち返される。
大きすぎる敵には効かないという、そんなこの世界に置いては致命的とも言える弱点を持った扉による打撃だが、しかし相手が今のように比較的体重の軽い、しかも空中で踏ん張りというものが効かない飛竜ともなれば話は別だ。現に扉の直撃をもろに受けた【谷翼竜】はなすすべもなく地面に叩き付けられ、そのままそこで動かなくなっている。
(――やったのか!?)
「ショウイチロウ左ッ、もう一羽来てる!!」
動かなくなったという事実に気を取られかけた勝一郎に対し、背後の敵を撃ち落し終えたランレイがさらなる注意を促す。
見れば、確かに勝一郎の左から、新たな【谷翼竜】が地面すれすれの高さで迫っていた。
しかも今回は気づくのが若干遅れたため、先ほどの二羽よりも距離が近い。すでに【谷翼竜】は一瞬後には勝一郎をその爪に欠けられる距離まで迫ってきている。
だから、
(【瞬気功】――!!)
さんざん叩き込まれた技術をとっさに使う。
使用するのは作業と並行する形で訓練を行い、偶然できることが判明していた合わせ技。
「打ち上げろ――【開扉昇打】」
【瞬気功】と【開扉の獅子】の組み合わせ。それにより最速とも言える速度で地面に生じた扉が、作られた次の瞬間、上へと開き、跳ね上がる。
「ゲェッ!?」
下方という予想外の方向から胸部を強打され、苦悶の声を漏らした【谷翼竜】が高々と打ち上がって勝一郎の頭上を飛び越える。直前まで狩りの成功を予想していたであろう巨大な黒鳥はなすすべもなく地面へと叩き付けられ、その衝撃で首をおかしな方向に曲げて動かなくなった。
(こいつら、意外にもろいのか……?)
あまりのあっけなさに逆に警戒感すら抱くが、しかしよく思い出してみれば、鳥類というのは空を飛ぶという都合上、体重を落とすためにその骨の構造はだいぶ脆くなっているという話があったはずだ。
いや、それでなくともこの【谷翼竜】達は相当なスピードを出してこちらに襲い掛かってきていた。勝一郎の世界にいた小鳥でさえ、家のガラス窓などにぶつかって命を落とすものがいるのだ。あの速度で突然開いた金属扉に激突したら、ただで済まないのも道理かもしれない。
(これなら、いける!! 扉が武器にできるなら、こいつらはむしろやりやすい相手だ!!)
周囲を見渡してもいまだ戦士たちは【谷翼竜】の群れに対して善戦していて、確認した限りでは手傷を負った戦士すら一人もいない。中には数羽の【谷翼竜】を一度に相手取る羽目になって防戦に回っている戦士もいたが、そこもすぐに他の戦士が助けに入って持ち直していた。やはり付け焼刃の勝一郎とは違い、本格的に訓練を積んできた戦士たちは連携においても隙が無い。
と、勝一郎が自分たちの有利を確信しかけたその時だった。
「ショウイチロウ、あれを見て!!」
自身の背中、そこにある部屋から身を乗り出したランレイの声に呼ばれて、勝一郎は慌てて彼女の声が指し示す、付近の森の上空へと目を向けた。
見れば、そこに三羽ほどの【谷翼竜】が襲い来る群れを離れて飛んでいる。
一瞬だけその意味を測り兼ねた勝一郎だったが、群れを外れたものたちが何を意図してそこにいるのかをすぐに思い付き、一転して背筋に悪寒が走った。
「まさか、あいつらロイドを狙ってんのか!?」
考えてみれば狩りをしに来た【谷翼竜】が別方向に行く理由など一つしかない。群れから外れた獲物を狩りに行く。これほど明確な理由が、果たして野生の世界に存在しているだろうか。
「あそこに、ロイドがいるのか――!?」
果たしてロイドは、自分に迫る危機に気付いているのだろうか。
気付いていてもおかしくはない。何せこの騒ぎだ。【谷翼竜】の声や戦士たちの怒号が先ほどから周囲に響いているし、勝一郎だってかなり強い【気】の気配を発する【開扉の獅子】を先ほどから連続で使っている。
だが、この森で果たして声が届いているだろうか。あるいは勝一郎の使う【開扉の獅子】の気配を、戦闘とは別の用途へのものだと勘違いしている可能性はないだろうか。
いや、この場でするべきはそれらの答えを問うことではない。
今勝一郎がするべきは、ロイドがこの状況に気付いていない可能性を考えて、この状況を気付かせる一手を打つことだ。
幸い、勝一郎には一つだけ簡単な方法がある。
「気付け、ロイド――!!」
すぐさま両手に扉開ける【気】を練り上げる。踏み鳴らす足から勢いよく打ち込むのは自身の正面。その左右に扉を作り、開く二枚の金属扉を勢いよく己の正面でぶつけあう。
「周りを見ろ、ロイドォッ――!!」
瞬間、あたり一帯に体を芯から震わすような金属音が響き渡り、森の上を飛んでいた【谷翼竜】が勢いよく獲物へと降下
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