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6:Room Temperature

 レキハ村では毎年、遠征と呼ばれる一大事業が行われる。

 これはレキハの森では獲れない巨大な獲物を求めて、戦士たちを森の向うにある草原地帯に送り込み、それによって大量の食糧を獲得するという事業なわけだが、しかしただ単に食料だけを求めているのならば実はそこまでする必要はない。

 この世界のレキハ村は構成人員百二十名程度というごく少人数の村で、当然必要とされる食糧もそれほど多くはない。

 もちろん、冬に獲物がいなくなる事情もあって、獲物のいるうちに村の男たちがせっせと狩りをしなければいけないのは事実なのだが、それでも態々遠出をしなくても森の中にはそれなりの数の獲物が潜んでいるのだ。巨大な獲物の方が狩る上での効率がいいのは確かだが、それでも遠方まで行くことの危険性を考えればこの遠征が少々非合理的であることは否定できない。

 にもかかわらず、この村、レキハ村の戦士たちは必ず毎年遠征に向かう。危険を恐れずに森を進み、川を越えて谷を抜けて、彼らはその向こうの草原を目指していく。

 それはなぜなのか。答えは道中の部屋の中で、ランレイが作業の片手間に教えてくれた。


「それは簡単ね。将来新しい村を作るための準備も兼ねてるのよ」


 真っ白い部屋の中で手元に視線を向けたまま、ランレイは同じく気功術の訓練の片手間に耳を傾ける勝一郎にそう語る。


 村で巫女をはじめとする村人達に無事を祈るとともに見送られ、村を出発してから早くも三日が経過していた。現在勝一郎たちは、交代で部屋の中で休みを取りながら、目的地となる草原地帯へ向けて森の中を行軍中であった。


 余談だが、一つ勝一郎が驚かされた事実として、遠征における移動手段というものが有る。

 訓練ばかりに明け暮れてこれまで碌にその手段を問うてこなかった勝一郎だったが、しかしある種の先入観で、荷車や馬のようなものの存在をイメージしていた。

 これははっきり言って、車や飛行機が当たり前だった勝一郎が、そういったものの無い世界の移動手段として漠然とイメージしていただけのものだったのだが、やはりというべきなのか、現実はそんな勝一郎のいい加減な想像の上を、あるいは下を行くものだった。


 徒歩、である。


 驚くことにこの世界、人が荷物を背負って歩く以外に、まともな移動手段など全く存在していなかったのである。

 そもそもこの世界には、馬のように人に懐き、乗れて移動手段にできるような都合の良い動物が存在していない。

 いや、これに関しては狭い村だけで世界が完結している現状、他の地方にまでいないとは断言できないのだが、少なくともレキハ村の人間が知る限りでは、馬や犬のように人と共に生きられるような生き物は驚くほど生息していないらしいのだ。

 加えて自身で歩いていてわかったが、この世界では悪路が基本で道と言えるものがほとんどない。

 当然荷車などあったとしてもまともに進めるような環境ではなく、結果として残る最善の移動手段が、人が荷物を自分で背負っての、徒歩での移動だったである。実際、こうして勝一郎が部屋の中にいる今も、部屋の外ではロイドがハクレンと共に、この部屋のマントを背負って森の中を進んでいるはずである。


 今回こそ人員の半数が歩いている間、残る半数は女性陣と共に部屋の中で休息をとるという、勝一郎の作る部屋があるからこその快適な旅ができているが、従来なら森歩きに慣れていない女性も同行しているため、進行速度は今よりさらに遅かったはずだ。当然森の中には彼らが魔獣と呼ぶ獣たちもおり、その道中の危険性は語るまでもない。


 だというのに、なぜレキハ村の人々は労力をつぎ込み、リスクを冒して別の土地へと向かうのか。そんな疑問に対するランレイの答えが、先ほど彼女の口から語られた遠征の持つもう一つの目的だった


「そもそも遠征って言うのはね、本来は私たちがまだ行ったことのない地方を調査して、新しく村を作れる場所を探すというのが本来の目的なのよ。現に今のレキハ村だって、山の向うにある村から今の戦士長たちの世代が若いころに分離してできた村だしね」


「え? そうなの? そんな話今まで聞いたことがないけど……」


「まあ、私が生まれる少し前まではその村とも行き来がそれなりにあったらしいんだけど、レキハ村がある程度独自に暮らせるようになってからはたまに連絡を取り合うくらいでそんなに行き来もなくなったわ。うちの村がその村から自立したって考え方でもいいのかしら」


 どこかあっさりしたもの言いを聞きながら、勝一郎は頭の中でランレイの話を整理する。

 どうやらこの世界では、遠征によってよその土地を開拓し、そこに村から住人を移住させることで分裂するように人間の勢力圏を増やしているらしい。聞けば『村分け』などと呼ばれるらしいその行為は、どうやら村の人口を一定の数に抑えるためにも行われているらしく、以前の村では人口がある程度増えてきて、今のレキハ村の前身となる遠征の拠点もある程度受け入れの準備ができてきたため、村を作れるだけの人員と人数を村分けして今の形にしたのだという。

 確かに言われてみれば、今の村とてこのまま人が増えた場合、限界と呼べる形がないわけではない。現在のレキハ村は今でこそ百二十名少々という少人数で、狭い岩棚の上でもそれなりに面積的にも余裕があるが、これが例えばその人数を三倍にでも増やしてしまったら流石に暮らしていくのは苦しくなるだろう。

 もちろん、それだけの数になるのにはそれなりに時間もかかるだろうが、しかしそれでもこのまま順調に人数を増やしていけばいずれはそうなる可能性が十分にあるし、そうなった場合レキハ村にはあの岩棚以外に住む場所がない。

 何しろここは恐竜のような巨大生物が跋扈する危険な世界だ。どうやらあの岩棚は恐竜が昇ってこれない場所を選んで作られているらしく、この世界では非常に珍しい安全地帯となっているようだが、逆に言えば住むとなればそれなりに場所を選ぶこととなる。

 人数が村に入りきらなくなったからと言って、迂闊に崖下に村を拡張するわけには行かないのである。

 ならばこそ、ある程度事前に移住できる場所を発見、開拓しておいて、そうなった際に素早く人数を移動させた方が全体の生存率は上がるのかもしれない。


「それじゃあ、今向かっている草原地帯にはちゃんと拠点にできる場所があるのか?」


「ええ。この村が遠征を始めたのは村ができて八年目くらいの頃、ちょうど私が生まれる少し前だったんだけど、そのころから新しく村を作れそうなところを探し始めて、三年ほどで今の場所を見つけてるわ。そこから本格的な遠征を初めて拠点の設営を進めてて、並行して他の候補地も探してるって現状ね」


 話を聞いていると、どうやら遠征によって拠点を設営されている場所は一か所ではないらしく、定期的に探索を繰り返すことで候補地をいくつも選んでいるらしい。

 確かに一か所に絞ってしまうと何らかの事態、たとえば災害や恐竜の生態系の変化などで住めなくなった際に対応できないし、遠征の性質上作った拠点を長期間開けることも多いため、開けている間に何らかの事情で作り上げた施設が駄目になってしまう可能性もある。

 どうやらこの世界の人間社会は、村の状況がある程度安定すると遠征をはじめて次の村の候補地を捜し定住の準備を進め、村の人口が暮らしていけるラインを超えると住人の一部をその候補地のうちのどこかに移住させる村分けを行うことで増殖を繰り返しているらしい。

 もちろん、どう考えても数十年単位で時間が必要な事業ではあるが、それでもそんな事業をずっと続けてきたからこそ今のこの村があるのだろう。


 そんなことを考えて少し感慨深い心境になりながら、勝一郎は中断していた【気功術】の訓練を再開させる。訓練メニューはここ数日の間にすっかりおなじみになってしまった、【瞬気功】の連続使用である。現在勝一郎はおなじみ体を酷使するような訓練を経て連続使用可能回数をきっちり三回にまで増やしており、今は次の四回に挑戦中だった。

 この三か月強で知ったことだが、ハクレンは掲げた目標をどんなに無茶なものでも撤回しようとしない。当初は無茶と思われた、【瞬気功】の連続使用を十日で三回に増やすという課題も、勝一郎は今日にいたるまででなんとか完遂させられていた。基礎訓練の追加メニューとしてのみならず、エアコンマントの作成や、食事中のなんの必要もないときにまでほぼひっきりなしに【瞬気功】を使用しての、相当に無理やりな訓練のたまものである。

 厄介なことに勝一郎は相当に体内の【気】の保有量が多いらしく、そのことをハクレンに知られて以降は【気功術】の訓練はほとんど生活の一部にまでされてしまっていた。幸いなことに【気功術】の使用は同じ【気】を使う【開扉の獅子(ドアノッカー)】ほど消費は激しくないためそのような無茶ができたが、しかしハクレン曰く、普通の人間なら倒れ伏すくらいの乱用ぶりだという。そんな訓練法を容赦なく課してくるハクレンの容赦のなさが底知れない。


 と、勝一郎が相変わらずのハクレンの容赦のなさに戦慄していると、隣では防具のメンテナンスを終えたらしいランレイが、今度は自身の弓を取り出して点検を始めていた。

 出発前、カジュンにキッチリとくぎを刺されていたにもかかわらず、やはり彼女のやる気は微塵も衰えていないらしい。


 そんな彼女に、勝一郎は何と声をかけていいかわからない。正直に言ってしまえば、勝一郎は弓を握る彼女に対するスタンスを決めかねていたのだ。

 勝一郎個人としては、目的を持ち、それにまい進する彼女を素直にすごいと思う。周囲に反対されてなお突き進む彼女の意思の力には憧れさえ覚えたし、今の勝一郎がもし少しでも以前の自分よりましだと言えるのならば、それはランレイのその強さを見習い、踏み出してきたからだ。

 だが一方で、村でランレイを注意していたカジュンのように、彼女の命を慮って彼女の行いを止めようとする気持ちも理解できてしまうのだ。


 だからこそ、勝一郎は己の行動を決めかねる。どちらも尊敬できてしまうがゆえに、どっちつかずの蝙蝠へと陥ってしまう。


(……情けないな)


 自己嫌悪を振り払うべく、勝一郎は無言で【瞬気功】を発動させ、それを連続して行使し、その連続使用の訓練に没頭する。今は胸のうちの迷いを、何かに没頭することで晴らしてしまいたかった。


そうしてしばしの間【瞬気功】を用いて、感覚強化の【気功術】を主に耳などにかけまくっていると、瞬間的に強化された聴覚が何やらバタバタと暴れるような不穏な音を聞き取った。


「ん?」


「どうしたのよ、勝一郎?」


「いや、なんか外が騒がしいと思ってな」


「……何かまずい相手に出くわした場合、必要なら中の男も外に呼び出されるはずだけど?」


 言われて、勝一郎はランレイと顔を見合わせると、すぐさま立ち上がってそばに置いて合った槍を拾い上げる。

 背後で地面に広げられたマントの、その中央にある部屋の入口へとランレイが飛び込んだのを確認すると、すぐさまそのマントも拾い上げて身に纏い、勝一郎は急ぎ部屋の出入り口付近へと駆け寄った。


 マントの背中にぶつかる位置に扉を作っている性質上、開けっ放しになった扉のすぐ前にあるのはマント装着者の鎧に包まれた背中だ。今回の場合は、現在勝一郎たちを自分のマントの部屋に入れているロイドの背中が、扉の向うで視界を塞ぐ形で存在していた。

 【気功術】を、今度は通常の【錬気功】を使い、勝一郎は聴覚を強化して外の様子を探る。

 よく聞くと何かが暴れているような気配はあるが、切羽詰まった声は聞こえない。扉の前にある中も動き回っているような気配はないことからロイド自身が危険に陥っているわけではないようで、そのことだけを確認した勝一郎は若干安心してロイドの注意を部屋の中へ引くことにした。

 指先で見える背中をわずかにつつき、それに反応したロイドの背中が扉の向うからわずかにずれる。

 どうやら外のロイドが、マントの端を掴んで出入り口の位置を背中からずらしたらしい。前を塞ぐロイドの背中が無くなり、代わりにうっそうと茂る緑が視界に飛び込んでくる。


「んだよ、脅かすな。背後に誰もいないのに背中をつつかれる変な気分を味わったじゃねぇか」


「安心しろ。俺の世界ではよくある話だ」


「なんであんだよ、いったいどんな世界なんだよそれ」


「まあしいて言うなら二次元の世界かな。それより騒がしいけどどうし――」


 どうしたと、そう問いかけようとしたその瞬間、突如目の前の地面に何かが墜落し、何やら飛沫が顔面へと盛大に降りかかる。

 伝わる衝撃に思わずびくりと体を反応させて、慌てて勝一郎が今落ちてきた物体を確認すると、そこにはクジャクほどの巨大な鳥を槍で刺し貫き、地面へと着地したハクレンの姿があった。

 どうやらご丁寧にも、落下の途中で右手に持った短剣で、鳥の首まではねていたらしく、あたりには首から噴き出した血液が盛大に飛び散っている。同時に顔にかかった飛沫がなんであるかを悟り、勝一郎は突如として降りかかった衝撃の体験に、自身が気絶しなかったのをほめてやりたいような気分になった。

 顔にかかった返り血に右手で触れて、赤く染まった震える指先を眺めて無理やり軽めの声を出す。


「……う、うわお」


「まったく、いかにこちらが圧倒していようとも、狩のさなかによそ見というのは感心しないぞロイド君」


 勝一郎の震える声に一瞥をくれながら、ハクレンは勝一郎のいるマントを引っ張った状態で勝一郎より盛大に血を浴び、白目をむいて立ち尽くすロイドに注意を呼びかける。

 ロイドも一応気絶まではしていないようだったが、どこからどう見ても話を聞くだけの心の余裕は残されていないようだった。


「それにトドモリ君、狩のさなかは一瞬が明暗を分ける生死の場だ。準備を整え、飛び出そうとしたその意気は讃えるが、外に出る『時』は外の戦士に一任したまえ」


 徐々に周囲にいた戦士たちが喝采を上げるのを聞きながら、勝一郎もまたハクレンからそんな注意を受けていた。

 どうやら今の血は、ハクレンが意識をそらした二人を見てわざと二人に浴びせかけたらしい。相も変わらず容赦のない、過激で凄惨な教育法である。

 そして彼のそんな教育は、この程度ではまだ終わらない。


「ああ、待ちたまえ」


 部屋へと首をひっこめようとする勝一郎を見咎め、ハクレンがそう静止の声をかける。なにかと思ってもう一度ハクレンに注意を戻すと、ハクレンは仕留めたばかりの巨大な鳥を槍で刺し貫いたままこちらに差し出し、容赦のない笑顔でこう言った。


「そういえば君たちには獲物の解体をやらせたことがなかったな。ちょうどいい、覚えておいてもらおう」


 『ロイド君も他の誰かと交代してな』と立ち尽くすロイドにもそう呼びかけて、ハクレンはにこやかに首の無い鳥から血を零してこちらに歩み寄る。


 この後、勝一郎達は数時間にわたって精神力をゴリゴリと削られる鳥の解体作業に没頭させられることとなる。

 血を抜き、皮をはぎ、肉を裂いて内臓を取り出すその作業は、生き物の肉がパック詰めで手に入る世界から来た勝一郎にとっては相当に精神をすり減らす経験だったわけだが、


 それでも、この頃まではまだ平和なうちだった。

 この五日後から勝一郎達を襲うこととなる、あの危険に満ちた日々を思うならば。

 この頃はまだ。


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