12.千代大海弁当
人には誰しも、思い出に残っている弁当というものがある。
例えば、遠足のお弁当。高校生活最後のお弁当。初めて作ったキャラ弁。
私の人生における思い出深い弁当といえば──
そう、千代大海弁当である。
まさか千代大海をご存知ない日本人は少ないであろう。
あの名横綱・千代の富士を師に持ち、最高位は大関、得意技はツッパリという伝説の力士である。
かつて大分県全域の不良をブチのめして来たという伝説の暴走族の総長でもあった。
この話題に事欠かない大関を私は応援していた。
なぜなら私は「突き押し」力士が好きだからだ。
最近の力士は賢くなって組んでテクニックで転がすばかりになってしまい、突き押しをする力士がとんと減ってしまった。
突き押しの魅力は、何と言っても「電車道」。ただひたすら前進することで勝とうとする、この潔さが非常に魅力的なのだ。勝っても華があり、負けても潔い。勝負がすぐにつきやすい。桜の花が散るがごとくの美学、それが突き押しなのだ。
みんな、ついて来れてる?とにかく私は突き押し力士が好きなんだよ?
そういうわけで、私はいつしか「両国国技館で相撲を観るぞ」と思うようになっていた。
国技館で観ると、テレビより音に迫力があるのだという。元ツッパリのツッパリ音を、一度聞きに行かなければなるまい。
いざ就職し、まとまった給料が手に入るようになって、私の国技館の升席欲が高まって来ていた。
そしてついに友人を誘い、一緒に座れる升席のチケットを入手!
これで相撲が生で観られる!いざ、両国国技館!待ってろ千代大海!!
……のはずだったのだが──
両国駅に向かう電車の中で、私は衝撃のニュースを目撃していた。
〝千代大海引退〟
まさかのまさかが起こってしまった。
怪我が続き、関脇に陥落。かなり調子が悪そうだと思っていた矢先の出来事だった。
つまり千代大海関は今日で引退。午後から引退会見が行われるのだという。
(待って待って……じゃあもう、千代大海の相撲は見られない、ってこと……?)
こんな不運があるだろうか。
私が初めて相撲観戦に行く日に、推しが引退である。もはや神の意向であるとしか言いようがない。
(そんな……神よ……)
駅で友人と待ち合わせしていたのだが、彼女も例のテレビ報道を見たらしく、びっくりしていた。
「今日に限って引退なんて、ついていないね~。でもこんな経験、滅多にないよ!」
私はかなり運に見放されている人生だと思っていたが、まさかここまでとは……。
こんなにガッカリしながら国技館入りをする客は私ぐらいではないだろうか。
しかし、チケットを買った以上は楽しまなければ千代大海に悪いというものだ。私たちは国技館へと足を踏み入れた。
昼の国技館は、かなり空いていた。
警備員の格好をした、元力士たちが歩きまわっている。トイレから、NHKでよく解説している北の富士勝昭氏が出て来るのに出くわしたりもした。
ふと、売店が目に入る。
「あ、お弁当買わなきゃ」
そう。相撲観戦と言えば、力士監修の弁当である。
国技館で場所が開催されるのに合わせて、売店も相撲一色となる。そこに、私はあの弁当を発見した。
〝千代大海弁当〟である。
となりの友人が興奮気味に言った。
「今食べなきゃだめだよ!次の場所にはなくなっちゃうかもしれないし……」
確かにそうだ。
今食べないでいつ食べる、千代大海弁当……!
私はいちもにもなく千代大海弁当を購入した。番付表も買った。この〝時〟を逃しては、推しのグッズが手に入らなくなるかもしれない!
とにかく〝千代大海〟と書いてあるものは全て購入した。
これで、悔いはない──
千代大海グッズを浴びながら、私は早速〝千代大海弁当〟の蓋を開けた。
メインは豊後地鶏の〝チキン南蛮〟である。それから弁当の半分を占める鶏飯。大分産しいたけ使用の煮しめも入っている、バランスの取れた弁当だ。
相撲界では、鶏は〝手をつかない〟というので縁起がいい食べ物なのだそうだ。場所中は、地下で焼いた焼き鳥も食べられるらしい。
私はきっと最後になるであろう〝千代大海弁当〟を味わった。
弁当の全具材の中でもトップクラスに安定感があるであろう、甘辛い味のチキン南蛮。これはきっと千代大海の好物に違いない。
相撲は朝から夕方までほとんど休みなしに続く。私たちは幕下から見始めながら、今か今かと幕内の取り組みを持った。
平日の両国国技館が、どんどん人で埋まって行く。
ついに三役以上の対戦が始まった。
無論、千代大海は欠場。
千代大海が上がるはずだった土俵に、呼出が「不戦勝」の垂れ幕を持って上がる。
すると──
「千代大海ー!」
観客たちが垂れ幕に向かって、力いっぱいの声を上げた。
「千代大海ー!」
「チヨタ~イカ~イ!」
「よく頑張ったー!」
「ありがとー!!」
みんなに愛された千代大海関。涙を流している人もいた。
そうだ。今こうして声援を送っている人たちはきっと、私と同じような気持ちで国技館に駆け付けたに違いない。みんな、同じ推しを推す仲間なのだ。
この日に来てよかった。
千代大海弁当の包み紙を握りしめながら、私は心の底からそう思った。




