もう後悔はしない
珍しく「独り言」の連投です
「そんなにガチガチに緊張しなくても大丈夫よ。 あまり緊張していると、当たり前に出来ることも出来なくなるよ。
ま、何であれ、私たちもいるし、ナーリアたちもいるから、もしもなんてことはないから、リラックスしてやってみなさい。 ほらほら、肩の力を抜いて、リラックス、リラックス」
私は開戦を前にして、緊張で固まっているマールとイリヤに、そう言って声を掛けた。 本来ならそれはナーリアたちの役目だと思うのだが、ナーリアたちはアリファとおしゃべりの花を咲かせている。
「アリファ様たちも来たから、私たちは本当に単なる見学者になってしまいました」
「アリファ様たちだけじゃない。 ボブが自分のところの騎兵を連れて来たから、『訓練の予定が』ってクラウスががっかりしていた。
ウチの騎兵まで出したら数が多すぎるから、結局ウチのは待機になっちゃったから」
「でも、ここにはあなたたち3人しかいないじゃない。 アンとモエギシュウメが最初から来てないのは分かっていたけど」
「アレクはまあ、ボブ自身が騎兵の指揮をするというから、『手伝うよ』と一緒に行ったのだけど、ほら今回はアレア様もロア様もミーリア様にここに来ることを却下されちゃったから」
「あらあら、それはアレア様とロア様も気の毒に。 私はどちらかは一緒に来るのだと思っていたわ」
「レンスは『最近運動不足だから』ってアレクについて行って、サーブもそれに便乗よ」
アリファは、ナーリア、セカン、ディフィーと気楽に話していて、笑ったりしている。
アリファにとっては、私やロファよりもナーリアたちの方が気楽な存在なのかも知れない。 でも、アリファもやっと笑うことが出来るところまで持ち直した。 良かった。
私とロファと話しているのだと、どうしても笑える雰囲気にはならないんだよね、それは仕方ないと思うけど。
ディフィーが、ふと、ほんのちょっとピクッと身体に緊張を走らせ、耳を澄ます様な仕草を見せた。 それだけで私も事態を把握した。 まだ気付いていないマールとイリヤに教えた。
「どうやら騎兵部隊が釣り出しを始めたみたいね」
その言葉に、2人はいっそう体を固くして、表情をこわばらせた。
作戦はもう始まっていて、エルマー侯爵家の兵たちを中心とした小さい2箇所の出入り口を塞ぐ方はもう少し前から動いている。 でも本番の戦闘は、この騎兵によるゴブの釣り出しから始まるのだ。
ハーピーがすぐに飛んで来た。
「指揮官、騎兵部隊によるゴブの釣り出しが開始されました。
予定通り、他の出入り口を事前に塞ぐ作戦が先に開始されていたので、ゴブは一気に釣り出されて予定戦場に誘導されています。 その総数も予想通り80匹ほどです」
「了解です。 報告ありがとうございます」
飛んで来たのはエレオンで、マールに報告した。 マールは今は指揮官なので、「了解、ご苦労様」程度の応答で良いのだけど、丁寧な口調になってしまっている。
もう少しここにも、はっきりと音が聞こえ出した。
「エレオン、大型は何匹だった?」
ナーリアがのんびりした口調でエレオンに尋ねた。 エレオンもマールに報告した時とは違い、気楽な調子で答えた。
「3匹だった。 ま、2匹か3匹だと思っていたけど、多い方だったな」
それを聞いてアリファが言った。
「3匹だって、1人1匹づつね。 ちょうど良いわ」
「アーレファ、あんた自分で倒しちゃ駄目よ。 ちゃんと兵たちに囲ませて討ち取らせるのよ」
「ロファ、分かっているわよ。 それじゃあ行きましょう。
マール、イリヤ、安心していて大丈夫だからね」
私たち3人はそれぞれの担当する場所へと、ちょっと急いだ。 今回の戦闘でゴブと近接戦闘をするのは、私たち3人が率いて来た臨海地区の重装歩兵部隊なのだ。 その訓練も兼ねた初陣だ。 実力的には心配していない。 それだけの訓練はきちんとしている。 あとは実戦で慌てないだけだ。 その為に私たち3人はそれぞれの部署に急ぐ。
私たちが本陣に来ていたのは、一応最後の打ち合わせという形だけど、実際は本番までの待ち時間、兵たちが気楽に過ごせるようにする為だ。 しごきにしごいた私たち3人が側にいては、兵たちは気楽に過ごせないからね。
私は後悔ばかりしてきた。
ゴブと最初に戦った時、私を含めたアーレアはゴブを予定した戦場まで誘き出す囮役だった。 戦闘になる前の、ゴブの探索で私たちアーレアは体力を使い果たし、もうそれしか戦場で役に立てることがないと判断したからだ。
体力の無さもだけど、探索技術の拙さも、私は反省し後悔した。 その後サーブが訓練に取り入れたような走り込みをしていれば、体力は尽きずに戦場でももっと役に立てただろうし、ディフィーまで行かずとももっと観察眼を磨いていたり、レンスやセカンのように気配を消せたら、ずっと早くにゴブの居場所を発見出来ていたはずなのだ。 特に隠密の技はリーダーのアレアがレンスやセカンと同等の実力なのだから、それをしっかりと教わっていれば、もっと出来たはずだったことだ。
その後の冬眠を例年よりも早くに起こされた時も、私は今までは実力はそんなに変わらないと思っていたアレアとロアをはじめ、戦闘力は下だと思っていた男たちやナーリアたちが、明らかに自分たちよりも強くなっていたことに驚いた。 特にゴブとの戦闘で怪我をして上位を引退したはずのアリファが、不死身の二つ名を持つような強者に変わっていたことには戦慄する思いだった。
アリファは、ケンを共に夫とする仲間だからもあって、私とロファはアレアとロアから、どうやってアリファがそこまで強くなっていったのか詳しく聞いた。 その凄まじい努力を私は尊敬したのだけど、抜けている私は同等の努力を話を聞いたアレアとロア、それに男たちやナーリアたちもした事にまで気が回っていなかった。 もちろん冬の私たちが寝ている間、彼らも厳しい訓練を受けていたという認識はあったのだけど、受けていたという認識で、自分から努力していたのだという認識が薄かったのだ。
私たちもその後厳しい訓練を受けたのだけど、少なくとも私は厳しい訓練を受けたのであって、自分から自分の殻を破るような努力をしてはいなかった気がするのだ。 もちろん私たちに課せられた事は、戦闘力の向上だけではなく、普段の仕事も沢山あった訳で、私だって決してサボっていた訳じゃない。 でも、戦闘に関してだけじゃなくて、全てに関して、私はあと一歩、限界まで出し切るような努力を怠っていた気がするのだ。
それが明らかになって、私が心から後悔したのは、ゴブから若い子たちを逃すために戦った時だった。
私たちは予想していなかった急な危機に、砦を守るという本来の任務を捨てて駆けつけてくれた男たちやナーリアたちによって、正直に言えば何とか全滅することを免れたという感じだった。 彼らが駆けつけた時、私たちはもうボロボロの状態だった。 それだって、アーリアとアーリルの2人が命を捨てて戦ってくれたおかげだった。
私たちは2人の犠牲によって、ギリギリ戦線を維持出来ただけだった。
私たち、他の人もそうは変わらないと思うけど、私は普通のゴブとの戦いだけでやっとのことで、それでも幾つもの手傷を負った。 私では大型のゴブの相手は出来なかっただろう。 辛うじて大型の相手が出来たのはアレオとローの2人だけど、2人ももう少しボブの到着が遅ければ危ういところだったらしい。
後からやって来た男たちはともかく、ナーリアたちも大型でも戦って勝っていたが、その時には分からなかったけど、アリファも1人でしっかりと大型を倒していた。 乱戦の中で大型と退治して倒しているのだから、その実力は男たちやナーリアたち以上なのかも知れない。
つまり、私がアリファと同じような必死の努力をそれまでにもししていたら、アリファのようにその時にも戦えたのかも知れないのだ。 私がアリファと同じように戦えたら、アーリアとアーリルがあんな無理をして戦って、命を落とす必要は無かったのかも知れないと考えると、私は深い後悔をした。
その時から、私はもう2度と後悔しないように、何でも全力でしなければいけないと考えて努力してきたつもりだった。
求められる最優先の努力がそれ以降の時は戦闘力ではなく、ケンの仕事の助力だったのだけど、私だけでなくラリファ様を筆頭にケンの周りの者たちみんなの努力で、ケンの任されている仕事や臨海区の運営は問題なく動いていた。
そんな中、あの事故が起こった。
何かに油断していた訳でもない。 誰かが努力を怠った訳でもない。 そういう事全てに関係なく、ただ突風が吹いて、ケン、ミーリファ様、ミーレファ様を含む多くの命を、船と共に沈めてしまった。
悲しみや、何も出来ない憤り、自分にはどうにもならない諦め、そして何よりも大きい胸に穴が空いてしまったような喪失感。 そんな様々な気持ちに支配されて、茫然自失として何も動けなくなったのは、私だけじゃなかった。 アリファもロファも私と同じ状態、ただ涙を流すだけだった。
私たちはラリファ様に叱咤され、なんとか呆然としたまま、残された妻の役割、子どもたちの母の役割を務めるのが精一杯だった。
ケンが引き受けていた仕事は、とても多岐に渡り、その全てを誰かが引き継いで行かなければならない。 大まかな事は、アルフさん主導で担当者が割り振られたけど、臨海区の仕事だけでもケンの弟が引き受けても、即座にそれで回る訳ではない。
実質的に全てを差配したのはラリファ様だった。 ラリファ様の指示の下に、なるべく今までの運営に滞りが生じないように組織改変がなされていった。 困ったのは臨海区の兵に関してだ。 それまで、アリファが物品係をしていた経験と、アンやハキと親しいことから、臨海区の経済関係というか船を使った交易も含めて商業関係を担当していた。 私とロファもそれに協力する形で、流通関係を総括するような仕事をしていた。 しかし、船関係はケンの実家に任せることになったので、そっちは一括してケンの弟の妻たちに担当を変えた。 元係のラミア2人と人間の妻の3人だけど、ラミアはミーレナさんの代の優秀な人だから、安心して任せてしまえる。 ラリファ様もそれがあって、簡単に移管出来ると踏んだのだと思う。
そしてアリファがミーリファ様とミーレファ様が担当していた臨海区の兵力創設増強を引き継ぐことに立候補した。 少しだけ復活してきたアリファは、一番困っていた部分を自分で引き受けるつもりなのだろう。 私とロファもそれに追随した。
アリファが引き受けたのは、もちろんラリファ様が担当者の選出に困っていたこともあるのだろうけど、私はそれだけではないと思う。 私自身がそうなのだが、身体を追い込んで、後ろ向きの気分を押し込めたいと思ったのだと思う。 悲しさや喪失感が無くなることはないと分かっているけど、それに囚われているだけではいけないというのは、みんな解っている。 もしかしたら、それが一番出来ない、難しいと感じているのはアリファかも知れない。
アリファが兵に課す訓練は、それほど過酷なものでは無かった。 兵たちが無理なくこなすことが出来る訓練内容だった。
だけど、アリファが自分に課す訓練内容は別だった。
「ああ、これが男たちやナーリアたちが言っていた、アリファの地獄の訓練なの」
アリファ自身の訓練に、兵たちをつきあわすのは無理だから、私とロファが一緒に訓練したのだけど、厳しいのは望むところだ。 アリファが自らに厳しい訓練を課したいという気持ちは、私たち2人とも同じなのだから。 男たちがそうしたと聞いた同じように、私たち2人だって、アリファが倒れるまで訓練に付き合ってやる。
私たち2人は、最初のうちはアリファより早々に倒れてしまったけど、段々とその差は短くなっていく。 何時からか、そんな私たちを化け物を見るかのような感じて見ていた自分たちの訓練を終えた兵たちが、私たちが訓練している側で、自分たちも訓練するようになった。
そして気が付いたら、臨海区の兵は皆アリファに倣って、重装歩兵となっていた。
もちろん私とロファも今では立派な重装歩兵だ。 流石にアリファと同等の強さに私たち2人もなったとは言えないけど、それでも遜色ない強さに自分でもなったと自負している。 今だったら、私でも一対一なら大型のゴブの相手が出来ると思う。
努力しても、何をしても、どうにもならない大きな悲しみがあるなら、私は努力したら避けられる可能性がある悲しみは、絶対に避けてやる。 後悔することも出来ない悲しみがあるんだから、後悔するようなことはもう私は絶対にしない。




