表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者を裏切って魔王になった俺は、英雄になった。  作者: 月影 朔
第10章:帰還

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/190

第71話: 再会、喜びと困惑

 魔王城を背にしてから、幾日が過ぎたであろうか。

レオの足取りは、決意とは裏腹に、鉛のように重かった。


 森を抜け、街道に出てからも、彼の苦難の旅は続いた。

昼夜を問わず歩き続け、身を隠しながら野営を繰り返す日々。

肉体は、魔王城での監禁生活と、その後の不眠不休の逃避行によって、とっくに限界を超えていた。


 骨が軋み、筋肉は熱を持って悲鳴を上げる。空腹と渇きが、容赦なく彼の体力を奪っていった。


 しかし、肉体の苦痛以上に彼を苛んだのは、心の痛みだった。


 脳裏に焼き付いて離れないリリスの優しい笑顔と、ポケットの中で微かに震えるリルの温もり。


 それが彼の唯一の支えであると同時に、彼の胸を締め付ける罪悪感の源でもあった。

彼女との約束を果たすため、仲間たちの元へ戻ると決めた。


 その選択が正しいと信じている。

だが、これから彼らを欺かなければならないという事実が、重く、重く彼の心にのしかかる。


(俺は、嘘をつくのか…? あの二人を…)


 親友であるエリックの、不器用だが実直な横顔が浮かぶ。

どんな時も彼の背中を預けられた、唯一無二の相棒。


 そして、いつも仲間を案じてくれたセレーネ。

彼女の魔法だけでなく、その存在そのものに、どれだけ救われてきたことか。


 彼らに、魔族の真実を、リリスの存在を、そして彼女への愛を、どうして語れようか。

長年信じてきた「正義」を根底から覆すような話を、彼らが受け入れられるはずがない。


 それは彼らを混乱させ、苦しめるだけだろう。

今はまだ、その時ではない。


(そうだ…今は、これでいいんだ)


 レオは、何度も自分に言い聞かせた。

これは未来のための、一時的な偽りなのだと。


 リリスと再び会うため、そして人間と魔族が手を取り合える世界を築くという、途方もない理想を現実にするための、必要不可欠な試練なのだと。


 疲労困憊の体を引きずり、ようやく見覚えのある街の城壁が見えてきた時、レオは安堵よりも先に、極度の緊張に襲われた。


 これから始まる再会が、彼の新たな戦いの始まりを意味していたからだ。


 彼らが拠点にしているであろう宿屋の扉は、やけに重く感じられた。

ぎしり、と音を立てて扉を開けると、喧騒に満ちた酒場の空気が、彼の全身を包み込む。


 その瞬間、一つの声が、彼の名を呼んだ。


「……レオ?」


 それは、聞き間違えようのない、セレーネの声だった。


 振り返った彼女の瞳が、驚きに見開かれる。

手に持っていたグラスが滑り落ち、床に叩きつけられて甲高い音と共に砕け散った。


 その音で、酒場の隅のテーブルで険しい顔をして地図を睨んでいたエリックも、顔を上げた。


「レオ…!

レオなの!?

本当に…!?」


 セレーネが、椅子を蹴立てるようにして駆け寄ってくる。

その目からは、すでに大粒の涙が溢れていた。


 彼女はレオの胸に飛び込むと、子供のように声を上げて泣きじゃくった。


「よかった…

生きて…本当に、よかった…!」


 その温かい感触と、震える声に、レオの張り詰めていた緊張の糸が、わずかに緩む。

そうだ、俺はこの温もりに会うために、戻ってきたのだ。


「ああ…

ただいま、セレーネ」


 彼女の背中を優しく叩きながら、レオはかろうじてそう答えた。

その声は、自分でも驚くほどにかすれていた。


「レオッ!」


 遅れて駆け寄ってきたエリックが、レオの肩を掴んだ。

その力強い感触に、レオはよろめきそうになる。


「無事だったのか…!

いったい、何があったんだ!

魔王城に捕らえられたと聞いて、俺たちは…!」


 喜びと安堵。親友の表情には、偽りのない感情が浮かんでいた。


 だが、その瞳の奥に、すぐに別の色が混じり始める。

困惑、そして疑念。エリックの鋭い視線が、レオの全身を、まるで値踏みするように観察していた。


「見ての通りだ、エリック。

なんとか…生きて戻ってきた」


 レオは、精一杯の笑みを浮かべようとしたが、疲労で引きつった口元は、歪な形を描くだけだった。


「ひどい顔…

それに、こんなに痩せて…。

一体どんな酷い目に…」


 セレーネが涙に濡れた瞳でレオを見上げ、そっと彼の頬に手を触れる。


「魔族に捕らえられていたんだ。

魔王城の…地下牢に」


 レオは、当たり障りのない事実だけを口にした。


 だが、彼の頭の中では、リリスと過ごした穏やかな日々が鮮明に蘇っていた。

あの地下牢は、彼にとって監獄であると同時に、新しい世界への扉でもあったのだ。


「それで…

どうやって脱出したんだ?

あの魔王城から、一人でか?」


 エリックの声には、安堵とは別の、硬質な響きが混じっていた。

それは、尋問する者の声色だった。


「…ああ。

隙を見て、なんとか…」


 言葉が、続かない。


 リリスが手引きしてくれたこと、魔族の中にも彼を助けてくれた者たちがいたことなど、到底言えるはずもなかった。


 嘘を重ねれば、必ず綻びが生まれる。

レオは、曖昧な沈黙でその場をやり過ごそうとした。


「今は、無理に話さなくてもいいのよ、レオ」


 セレーネが、エリックの追及を遮るように言った。


「どれだけ怖くて、辛い思いをしたか…。

魔族に捕まっていたなんて…

考えただけでも恐ろしいわ。

今はとにかく休んで。生きて、私たちの前に戻ってきてくれた。それだけで、十分よ」


 彼女の優しさが、レオの胸に深く突き刺さる。

その言葉に甘えたい衝動と、彼女を欺いている罪悪感とが、彼の内で激しくぶつかり合った。


「…すまない、セレーネ。

ありがとう」


「だが、セレーネ。

こいつは勇者を目指して俺たちと共に戦う仲間だ。

何があったのかを正確に報告する義務がある」


 エリックは、納得していなかった。

彼の視線は、なおもレオに注がれている。


「レオ、お前ほどの男が、そう易々と捕まるはずがない。

それに、魔王城の厳重な警備をどうやって突破した?

お前の体を見る限り、大きな怪我をした様子もない。

拷問された痕も…

ないように見えるが。

それはどういうことだ?」


 鋭い指摘だった。

かつてのレオであれば、魔族との激しい戦闘で負ったであろう無数の傷が、今の彼にはない。

リリスの献身的な治癒のおかげで、彼の体はむしろ以前よりも万全な状態に近かった。

疲労困憊なのは、あくまで精神的なものと、その後の逃避行によるものだ。


 レオは、エリックの視線から逃れるように、わずかに俯いた。


「…色々と、あったんだ。

今は、上手く話せない。

頭が、回らないんだ…」


 疲労を言い訳にするしかなかった。

それは事実でもあったが、同時に、核心を避けるための卑怯な盾でもあった。


 そのレオの態度が、エリックの不信感を決定的なものにした。


 かつてのレオは、どんな逆境にあっても、決して仲間から目を逸らすような男ではなかった。

彼の瞳には、常に揺るぎない正義の光が宿っていたはずだ。


 だが、今のレオの瞳に宿っているのは、決意の光ではあるものの、その奥に深い苦悩と、何かを隠すような翳りが見えた。


「…そうか。

疲れているんだな。

無理にとは言わん」


 エリックは、一度そう言って引き下がった。

しかし、その声は明らかに冷めていた。


 彼はセレーネに目配せし、レオを部屋へ連れて行くように促す。


 セレーネに肩を支えられ、宿の二階にある部屋へと向かうレオ。

その弱々しい背中を、エリックは腕を組んだまま、険しい表情で見送っていた。


(あいつは、何かを隠している…)


 親友だからこそ、その僅かな変化が手に取るように分かった。


 魔族への憎悪を口にしないこと。

魔王城から生還したにしては、あまりにも不可解な点が多いこと。

そして何より、あの瞳。


 以前の、盲目的なまでに正義を信じていた光とは、明らかに何かが違っていた。


(魔族に、何かされたのか?

精神を…操られているとか…?

いや、それとも…)


 エリックの脳裏に、最悪の可能性がいくつも浮かび上がる。

レオへの深い友情と信頼が、逆に彼を強い疑念へと駆り立てていた。


 親友の変化の理由を、彼は突き止めなければならない。

それがたとえ、残酷な真実を暴くことになったとしても。


 一方、セレーネに連れられて部屋のベッドに腰を下ろしたレオは、彼女が部屋を出ていくと同時に、どっと全身の力が抜けるのを感じた。


 ポケットにそっと手を入れると、リルの小さな体が震えているのが伝わってくる。


「大丈夫だ、リル…。

大丈夫…」


 それは、リルにではなく、嘘で固めた自分自身に言い聞かせる言葉だった。


 再会の喜びも束の間、仲間との間に生まれた、見えない亀裂。

それはレオがこれから進む、茨の道の始まりを告げていた。


 愛する者を守るためについた嘘が、最も大切な友人との絆を、静かに蝕み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ