表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者を裏切って魔王になった俺は、英雄になった。  作者: 月影 朔
第8章:牢屋での交流

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/190

第52話:沈黙の中の繋がり

 魔王城の深い地下牢での日々は、飢えと渇き、そして肉体の痛みによって、レオの感覚から時間の概念を奪い去っていった。


 しかし、その無意味な時の流れの中に、ただ一つ、明確な区切りを与える存在があった。


 それは、リリスだった。


 彼女は、毎日決まった時間に、あるいはそうレオが感じるようになった頃に、あの冷たい鉄扉の向こうに現れた。


 最初は、昨日と同じように、無言で食事を置き、すぐに立ち去ろうとする。しかし、レオの心に芽生えた微かな希望の種は、彼女の存在によって、ゆっくりと育まれ始めていた。


 質素なパンと不思議な色の水。それが彼の唯一の糧だった。


 レオは、体を起こすことすらままならない日もあったが、彼女の訪れだけは、どんなに苦しくても意識を保とうと努めた。


 彼女の銀色の髪と、星を閉じ込めたような青い瞳は、この暗闇の中で、唯一の「光景」だった。


 ある日、リリスがいつものように食事を運んできた時、彼女はすぐに立ち去ろうとはしなかった。鉄格子の前に静かに佇み、レオの顔をじっと見つめている。


 その視線には、かつて彼が感じ取った深い悲しみが、薄く霞がかかったように漂っているようだった。

しかし、その悲しみは、今やレオにとって、彼女の純粋さを際立たせる神秘的な要素となっていた。


 レオは、言葉を発する気力もなかったが、彼女の視線を受け止め、ゆっくりと呼吸する。


 その時、彼のボロボロになった服のポケットから、またしても、小さな光が漏れ出した。


 リルだった。


 この数日間、リリスの訪問が続く中で、リルもまた、彼女の放つ清らかな気配に慣れ始めていた。


 警戒心を解いたリルは、リリスの存在に安心感を覚えたのか、レオの胸元から、そっと顔を覗かせた。


 リリスの青い瞳が、再び、微かに輝きを増した。


 彼女の無表情な顔に、昨日のような明確な喜びの兆候はなかったが、その視線は、愛らしいリルに吸い寄せられている。彼女は、まるで貴重な宝物を見るかのように、じっとリルを見つめ続けた。


 そして、リリスは、おずおずと、まるで壊れ物を扱うかのように、細く白い指を鉄格子の隙間から差し入れた。


 その指先が、ゆっくりと、リルの小さな頭へと近づいていく。


 リルは、一瞬身をすくめたものの、リリスの指先に触れるか触れないかの距離で、ピタリと動きを止めた。


 リリスの指が、ふわりと、リルの柔らかな頭を撫でた。


 その感触は、微風のように優しく、まるで触れること自体を躊躇うかのようだった。


 リリスの顔に、再び、ごく微かな、しかし確かに存在する「笑み」が浮かんだ。


 それは、満開の花が綻ぶような華やかさではなく、氷の湖面に、春の光が差し込んだかのような、静かで、清らかな微笑みだった。


 彼女の瞳は、その瞬間にだけ、すべての悲しみを忘れ去ったかのように、純粋な好奇心と温かさで満たされていた。


 その無垢な仕草に、レオの心は深く揺さぶられた。


 この殺風景で、絶望に満ちた場所で、これほどまでに純粋な感情が表現されるとは。魔王城の冷酷な雰囲気とは、あまりにもかけ離れたその光景は、彼の心を震わせた。


 彼女が、人間とは異なる存在であることは理解できたが、その本質的な「優しさ」は、レオの知るどんな人間にも匹敵する、いや、それ以上に清らかなものに感じられた。


 リルもまた、リリスの優しさに触れ、完全に警戒心を解いたようだった。


 リリスの指に擦り寄るように、小さな体を動かす。その仕草は、まるで信頼を寄せる子猫のようだった。


 リリスは、数分間、リルを撫で続けた。


 その間、牢獄には、ただ二つの小さな生命と、一人の囚われた男の、静かな息遣いだけが響いていた。


 言葉は一つも交わされない。しかし、そこには、言葉以上の、確かな「繋がり」が生まれていた。


 やがて、リリスは、名残惜しむように、ゆっくりと手を引いた。


 彼女の瞳は、リルを見つめていた時と同じ、柔らかな光を宿したまま、次に、レオへと向けられた。


 その青い瞳は、レオの傷だらけの体、特に肩の辺りを、じっと見つめた。

そこには、魔王との戦いで受けた深い傷跡が残っていた。


 リリスの視線には、言葉はないが、明確な気遣いと、静かな心配の色が滲んでいた。


 彼女は、何も言わない。

しかし、その眼差しは、レオの心に、直接語りかけてくるようだった。


 大丈夫か、と。

 痛まないか、と。

 あるいは、何らかの助けを必要としているか、と。


 レオは、彼女の純粋な視線を受け止めた。


 彼は、初めて、この牢獄で、自分の存在を気遣ってくれる、温かい眼差しを感じた。


 それは、かつてアルスやエリック、セレーネが彼に向けてくれたような、仲間からの気遣いとは、また違う種類の、無垢で、見返りを求めない優しさだった。


 リリスは、しばらくその場に佇んでいたが、やがて、ゆっくりと身を翻し、鉄扉へと向かった。


 足音が遠ざかり、重い扉が閉まる。


 再び訪れた静寂の中、レオは、冷たい石床に横たわった。


 だが、彼の心は、もはや以前のように、絶望と暗闇に支配されてはいなかった。


 リリスとリルとの、短いながらも密やかな交流。


 彼女の無垢な仕草。リルへの優しさ。そして、自分に向けられた、静かな気遣いの眼差し。


 それらすべてが、絶望の淵にいたレオの心に、微かな温もりをもたらし始めていた。それは、やがて、彼の囚われた魂を、再び奮い立たせるための、小さな希望の炎となるだろう。


 レオは、閉じた瞼の裏に、リリスの純粋な瞳と、リルを撫でる優しい指先を思い描いた。


 この出会いが、ただの偶然ではないことを、彼の直感が告げていた。


 そして、この沈黙の中の繋がりが、彼が囚われた意味、そして今後の展開に、大きな影響を与えることを、レオはまだ漠然としか理解していなかったが、確かに感じ取っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ